樋口一葉「別れ霜 二」

                                   海、海              

                  四

 他人はともかく、あなただけは高の心をご存じだと思うのは空頼みだったのですか、

情けないお言葉を。あなたと縁が切れて生きていける私だと思うのですか、恨みといえ

ばそのあなたのお心が恨みです。お父様の悪だくみを責められたらお返事もできません

が、その悔しさも悲しさもあなたに劣りません。人知れず布団の襟を濡らすのはなぜだ

とお思いですか、涙に色があるならばこの袖一つ見ていただけば疑いは晴れましょう。

一つ穴のムジナとはあまりの言葉、想像してください、つながれてこそいませんが身は

籠の鳥と同じ、風呂屋に行くのも稽古事にも一人歩きを許されないのでお目にかかる

折りがないのです。手紙も出したいのですが居所を人に聞くこともできず心で泣いて

ばかりいましたのに薄情者、義理知らずといわれるのも道理かもしれませんがご無理

です。私一人に罪があるのなら打たれも突かれもしましょう。せめてお話しさせてくだ

さいと涙ながらにすがる袂をぴしゃりと払って、お高殿、お言葉だけは嬉しいですが

それが本当かどうか、心まで見る目を私はあいにく持っていません。お父様の心もだい

たいわかっていますから、甲斐性なしの芳之助のことなど嫌になって縁を断ち切るため

に策略し、罠にかかった私たち獣を手を打って笑って眺めていらっしゃるのに何の涙で

すか。お化粧が剥げては気の毒ですよ。もっとよい条件に乗り換える話も内々にあるの

でしょう、その家蔵持参の業平(色男)にお見せするお顔を私などに見せてはもったい

ない、どいてください、見たくもないとつれなく後ろを向いた。憎い言葉の限りを並べられるより悔しいのは芳之助の解けない心、胸の内を表せないのが恨めしく、あなた

こそ何とも思わないでしょうが、物心を知り始めた頃からずっと苦労をして、身だしな

みに気を付け、勉強をしたのはあなたに気に入っていただきたかったから。心のすべて

をあなたのために使って、友達と遊んだりお芝居に行くのが嫌いだと知れば、誘われて

もお断りしてひねくれ者だと笑われたのは誰のためでしょう。幼いころとは違って、

仲はよくても恥ずかしさが盾になって思うことを思うように言えなかったのを、私の

思いが浅いとお思いですか。たとえどのようなことがあっても敵(求婚者)に笑顔を

向けるものですか。山ほどの恨みを受ける理由があれば仕方ありませんが、あなたに

愛想をつかしての策略などというのはあんまりです。親につながる子も同罪だと覚悟は

していますが、そのようなことだけはおっしゃらないでください。お父様にどのような

恨みがあっても、心の変わらない私こそあなたの妻ですのになぜとげとげしく他人扱い

するのです、お心に聞こえないのですかと涙を流しながら袖を引いて止めたが、羽織の

裾を振り払い、何をするか、邪魔だ、私はあなたの手遊びに付き合うことも話し相手に

なるのも嫌だ、あなたは大家のお嬢様だからお暇もあるだろうが、その日暮らしの身に

は時間が惜しい、だれかお相手を探しなさいと振り払うと、またすがって芳さま、それ

は本当ですかと見上げる顔をにらみ返して、嘘偽りはあなた方がなさること、義理人情

のある世ならばまさかと思うような、正直者が飼い犬同様の人でなしに手を噛まれ、

暖簾に見る恥(破産)は誰のせいなのですか。もとをただせば同じ根の、親子同然の仲

を知らぬという道理はない。知っていようがいまいがそれはあなたの勝手、敵の子を妻

にも嫁にもできません、言うこともなく聞くこともない、恨みつらみを並べたらきりが

ないので言わぬが花です。あなたは盛りの身で、春めくのも今でしょう、こもを被りな

がら(乞食姿で)お見送りしますと、言葉は丁寧でも意気込み荒く、歯の音をきりきり

と食いしばり、釣り上げる眉の恐ろしさ。散髪したての白い顔に赤みがさしたいつもの

優しい顔ではない。止めても振り切る袂、「もう少しだけ」と詫びながら、恨みながら

取り付く手先を「うるさい」と蹴られ、蹴倒されてわっと泣いた自分の声が耳に入って

起き上がったのはどこだろう。いつもの自分の部屋、伏していた机の上に乗るのは湖月

抄の孤蝶の巻(源氏物語第24帖)、目覚めても思い返す夢、夕日が傾く窓のすだれが

風にあおられる音も淋しい。

                  五

「お高様お珍しい、今日のお出ではどういう風の吹き回しですか、一昨日の稽古も

その前にもちっともお顔をお見せにならずにお師匠様も皆様も大層心配したのですよ、

日がな一日お噂をしていました」と嬉しげに出迎える稽古の同級生の錦野はな子という

医学士の妹。博愛仁慈の聞こえ高い兄に似たのか温厚である。何某学校通学中は紅一点

と称えられた根上がりの高島田に被布姿の二十歳だが、まだ肩上げの取れないかわいら

しい人柄である。

「お高様ごらんなさい、年寄りのいない家のらちのなさを。兄は兄で男ですから家の

ことはちっともしませんので私一人が奮闘しても埃だらけです」と笑いながら座布団を

勧める。「おかまいなく」と沈んだ声で、お高はもやもやした胸の内を打ち明ける相手

もなく、仲のよい友達はいてもそれは春秋の花紅葉(そのときだけのこと)、挿してい

る対の簪は偽物ではないが、当座の付き合いは幼稚なものだ。その中で知恵広大と呼ば

れているのはこの人なので、その知恵にすがろうかと思って来たがやはりまだ幼い。

しかし姿からはわからないのが人の心なので、相談して笑いものにされるのも恥ずかし

い、どうしようかと思いながら、ふと兄弟のいる人がうらやましくなり、

「お兄様はお優しい人とか、羨ましいわ」と言うと、

「これだけは私の幸せ、でも喧嘩することもあるのですよ。無理なお小言を言われて

腹の立つこともあるけれど、すぐに忘れてしまうのでなまこのようだと笑われます。

この頃は施療(貧しい人に無料で治療をすること)に暇がなくてお芝居も寄席もとんと

ご無沙汰、そのうちお誘いいたします、兄はあなたを」と言いかけて笑い消した言葉、

何だかわからないが、

「施しとはお情け深いですね、さぞかわいそうな人もいるのでしょう」と、思うこと

があるので察しも深い。はな子は煙草が嫌いと聞いていたが、傍らの煙管を取り上げて

一服した後、

「それはもう様々です。つい二日ばかり前も極貧の裏長屋の人が難産で苦しんで、兄の

治療で母子ともにご無事でしたが、赤ちゃんに着せるものがないと聞いては平気では

いられませんから、その夜通しで針仕事をして着る物二つ贈ったのですよ」と得意顔を

したので、徳は表さないのがよいというのに、どういう考えかしらと相談する気がなく

なった。はな子のいろいろな患者の話の中に昨日往診した同朋町という名が出て、もし

やと聞いていると芳之助のいる所に間違いはなさそうだった。

 それほどまでに貧しいところなのか、まさかとは思ってはいたが本当ならどうしよ

う、詳しく聞いてみたいと思っても心に咎めがあって返事もあやふやに聞いている。

「お高様ごゆっくりしていってください、今に兄も戻りますから。それにお目にかけ

たいものがあるのよ、いつか話した兄の秘蔵の画集、いえあなたにお見せするのなら

褒められこそしても怒られません、お待ちください」

ともてなす。なかなか帰れなくなり、話をすれば枝葉が広がっているうちに花子は、

「こう言ってはおかしいかもしれませんが、あなたは一人っ子、わたしも兄一人しか

いません。女のきょうだいがいないと淋しいのは一緒で、何かにつけて心細いのです。

お不足でしょうが妹にしてください」と何か含みのある言葉。

「それは私も願ったりですよ」と言う言葉の終わらないうちに、

「ではお話があるのです、お聞きくださいますか」とさらに問いかけて、

「お高様、あなたの胸一つ伺えば済むのです。ほかでもなく、本当のお姉様になって

くださいますか」 ときっぱりと聞かれて、

「ご冗談を、わたしこそ本当の妹と思っていますよ」というのをさえぎって、

「ではまだご存じないのですね、お父様と兄との間に話が成り立って、あなたさえ

ご承知なら明日にも本当のお姉様になれるのですよ。おいやでしたら仕方ありません

が」と優しく言うのが薄気味悪い。嘘か本当かあまりのことに乱れる心を何とか静め

て、「はな子様、おっしゃっていることがまだ私にはわかりません。お答えも何もまた

追ってしますので今日はもう帰ります」と立とうとすると強いても止めず、

「お帰りですか、よいお返事をお持ちしています」と玄関先に送り出した。

さようならと言って乗った車が走り出した途端、車夫の掛け声に飛びのいた男がいた。

あれはどこから薬を取りに来たのだろう、哀れな姿だと思って見返ると向こうも見返っ

た。「あ、芳様」言葉も出ないうちに車はどんどん轍の跡をつけて去って行く。

                 六

 中ガラスの障子越しに中庭の松が風情ある姿を見せ、絹布団のこたつにもぐって美人

のお酌に舌鼓、門口を走る樽拾い(得意先の空いた酒樽を集める)は、どこの小僧だろ

う、雪の中の景物としておもしろい、五尺も六尺も積もって雨戸が開けられないほど

降らせて常闇の長夜の宴を張ってみたいともつれた舌でたわごとを言う酔眼にも六花の

眺めに区別はなかろうが、身に沁みる寒さは降られた者にしかわからないことだった。

 薄寒いなどといっているうちに明け方からの薄墨色の空模様、頭痛持ちの天気予報は

間違いなく、北西の風が吹き出した夕暮れにかけて鵞毛か柳絮か(綿毛=雪)ちらちら

と降りだしてきた。日暮れの鐘が響いて、ねぐらに帰る烏たち、今夜の宿の侘びしさ、

空蝉(遊び人)の夢の見始め、待合の奥二階で爪弾きの三下がり(遊女)、簾から漏れ

る低い笑い声、思わず止まる通りがかりの足、煩悩の犬のしっぽ、しまったと飛び起き

て、畜生とはまったく踏みつけの言葉である。(煩悩につられて散財した)

 我がものと思えば重くもない傘の雪、往来も多くない片側町の薄暗い中、悄然として

いる提燈の影が風に瞬くのも心細げな一輌の車がある。安い借り賃が知れる塗りの剥げ

た車体、破れた幌、夜目ならまだしも昼には恥ずかしい古毛布に乗り手の質もわかると

いうもので幾らも取れず、米の代金にもなるのかどうか。九尺二間の煙(裏長屋の煮炊

き)の頼みの綱、その主は力もおぼつかない細い体に車夫らしくない人柄、華奢という

言葉が誉めたものではない力仕事の世界に生まれたとは到底思えないが、履歴を知りた

いという人もいないので口を開くこともない。ため息をかみしめる歯の根を寒さに震わ

せながら仰いだ顔を見るとなんと美しい、色は黒くなってはいるが眉目優しく口元は

柔和、年はようやく二十歳か二十一か、継ぎはぎの筒袖着物を絹物に改めて、帯に金鎖

をのぞかせたきらびやかな姿にしてみたい。流行りの花形役者も及ばない大家の若旦那

が一番似合いの役回りだ。それほどの人品を備えながら身に覚えた芸もないのか、引き

上げる人もいないのか哀れなことだと見られるが、その心情は全くわからないもの、

美しい花にはとげがある。柔和な顔にも意外な言動があるかも知れず、恐ろしいと思え

ばそんなものである。贔屓目には雪中の梅、春待つ間の身過ぎ世過ぎ、小節に関わらな

いのが大勇だ、辻待ちの暇に原書でもひも解いていそう(学生のアルバイトの意味)だ

と色眼鏡をかけて見る世の中、その目に映るのは当人の眼鏡なりである。

 夜はまだ更けないが降りしきる雪に人足もだんだん絶えて、そちらこちらの商家も戸

を下ろし始めた。遠く聞える按摩の声、近くに交じる子犬の声、それだけでも淋しいの

に道端の柳にざぁっと吹く風に舞う粉雪、物思い顔の若者が襟のあたりが冷やりとして

はっと振り返ると顔に当たる瓦斯燈の光が青白い。通る人もなく乗る人はなおさらいな

いのに待っているのは馬鹿らしいとよそ眼には思われるが、まだ立ち去りもせずに前後

に目を配るのは誰かを待っているからだろう。凍る手先を提燈の火で温めてほっと一息

して力なく周りを見回した。また一息、深い憂慮の淵に沈んでいるのか、目をつぶり額

を組んだ腕に乗せて、ここに車を下ろしてから三度目の鐘を聞いた、今こそと決心して

立ち上がったがまた懐に手を入れて思案した。「ああ困った」と思わず口から漏れて、

また元の姿勢に戻るが舌打ちの音が聞こえ続ける。雪はいよいよ降り積もって止む気配

は少しも見えない。人通りなどとてもないと落胆している耳に嬉しい足音、ありがたい

と見ると、角燈の光を雪に映した巡回中の警官が怪しげにこちらを見ながら通り過ぎて

行った。さすがに性根尽き果てて呆然と立ち尽くしていた時「もう少し行ってみましょ

う」という話声がして人影が目に映った。天の与え、やっと人が来た。逃すまいと勇み

立って進むと、なんということ過ぎたるは及ばざる二人連れだった。車は一人乗り。

 

 長々しくて疲れるな…でも一葉の心が垣間見えるので必死で訳している。

 

樋口一葉「別れ霜 一」

                           海がない世界はほんとイヤ 

                  一

 胡蝶の夢のように儚い世の中で義理や誠など邪魔なもの、夢の覚め際まではと欲張る

心の秤に黄金の宝を増やすことばかり考えて、子宝のことを忘れる小利大損。今に始ま

らない覆車のそしり(戒め)(ひっくり返った車の轍を見て気をつけること)も自分の

梶棒のこととは思いもよらずに握って離さない。その理屈はいつも筋違い(道理に合わ

ないという意味と連雀町は筋違御門内にあったので掛けている)にある内神田連雀町

いうにぎやかな町に客足途絶えぬ呉服屋があった。よく売れるので仕入れも頻繁、新田

という苗字を暖簾に染めて、帳場に高慢な様子で座っているのは主の運平、不惑の四十

男。赤ら顔で筋骨たくましく、薄醤油の鱚鰈育ち(上物ばかり食べてきた)で世のせち

辛さをなめたことのないような代々の旦那らしくは見えない。妻はいつごろ亡くなった

のか、形見の娘がただ一人、親に似ない子を鬼子というが鳶が生んだおたかという今年

16歳、つぼみの色鮮やかで香りこまやかなあっぱれ現代の小町、衣通姫。世間に出さな

いのも道理、突風に当たりでもしたらあの柳腰がどうなるかなどと余計な噂を引き連れ

て、五十稲荷の縁日で後ろ姿だけでも見られたら栄誉幸福、卒業試験の優等証よりも、

国会議員の椅子と共に一生の希望の一つにしている学生もいる。一度見ればまず驚き、

再び見れば悩ましく、駿河台の杏雲堂病院にその頃頭を病んだ患者が多かった理由の

一つにその娘があるとは、商人の言う掛値(値切りを考慮して高めに言う)というもの

だが、ともかくその美しさは争われず、姿かたちが麗しいばかりでなく、心の優しさ

情けの深さ、音楽の道に長けて、手跡は瀧本の流れを汲んで走り書きさえ麗しい。四書

五経儒教)の角張ったものはわざわざ避けて、伊勢物語源氏物語に親しんで明け

暮れ机の前を離れず、といって香爐峯の雪に御簾を巻くような才女(清少納言)めいた

行いなど一切せず、家深くこもって女の針仕事に精を出す心がけは誠に殊勝というより

ほかはない。家にいて孝順ならば外に出ても必ず貞節だという。夫と決められて天下の

果報の独り占め、前世の功徳をどれほど積んだのかと人に羨まれているのは、隣町の

同商売の老舗と知られている松澤儀右衛門の一人息子の芳之助と呼ばれる優男。祖先の

縁に引かれて契りは深い、一人っ子同士の許婚の約束ができたのは、おたかがおかっぱ

頭を煙草盆に結い始めた頃とか。それから長い年月が経ち、今年は芳之助も二十歳に

なったのであと一、二年もすれば公に夫と呼び妻と呼ばれるようになると嬉しさに胸が

躍り、友達のからかいが恥ずかしく、わざと知らぬ顔をしながらも真っ赤になってしま

い、袖で覆うと知らず知らず心が表れて今更ながら泣きそうになることもある。人の

見ていない時手習いに松澤たかと書いてみてまた塗り隠す無邪気さ、利発に見えても

あどけない。芳之助も同じこと、射る矢の如しと言われる月日も待つ身には、年月が

自分のために弓を緩めているかのように感じてまどろこしい。高殿で一緒に月を見る日

はいつのことかと偲び、桜の下の朝露に羽を並べる蝶もうらやましい。用事にかこつけ

て時々訪れてよそながら見る花のかんばせも自分のものながら、許されない垣根があっ

てしみじみと言い交す時間もなくうらめしい。ひま行く駒(時間)がいるならば自分が

手綱を取って、鞭を上げて急がせたいと願っている。

 しかし天は美人を生んでも恵みを与えず、たいていはよき夫を得られないものだと

いう。桜は必ず風を誘い、満月に村雲がかからないことはめったにないので疑わしい

が、この才子佳人が日々待っている喜びの日は来るのだろうか、差し障りの多い(葦分

け舟)世の中なので、親に許され世に許され、相手も願いこちらも願う、もし魔神に

聞くことができたとしても闇の中、髪一筋の光も見えない。この縁が結ばれなかったら

それは天災か、それとも地変か。

                  二 

 望みにきりがない(隴を得て蜀を望む)のは人情の常、百に至れば千を、千に至れば 

また万をと願いの止む時がなければ心はいつも休まらない。よくよく考えれば何も持っ

ていないことほど気楽なものはない。大体は五十年と決まった命の相場は黄金でも変え

ることはできない。花が降り音楽が鳴り、めでたく仏様が紫雲に乗ってお迎えくださる

時に、替わりの人を立ててお代を支払うことはできないことは誰でも知っていること。

鶴は千年亀は万年、人は永遠不変、月夜に米の飯(月の光と米があればという意味で

苦労のないこと)を願い、仮にも無常を感じてはならないとは長者となるべき人の肝心

かなめの石のように固く、取って動かしてはならない決まりであるとか。

 話を戻すと、そもそも松澤や新田の祖先というのは伊勢の人で、大江戸に志を抱いて

みじめな呉服の行商から始めて六間間口に黒塗り土蔵(大商家の例え)の身代を築き上

げ、男の子二人のうち兄はもちろん家の跡取り、弟には母方の絶えた姓を復活させ新田

と名乗らせ分家にしたが、子孫の末までも同心協力して事に処し、離別してはならない

という遺志を固く奉って代々親睦を重ねてきたが、当代の新田のあるじは血統ではなく

一人娘の婿だったので互いを思うという気持ちが少なく、利に走りがちなしたたか者。

かねてより松澤の隆盛を頼んで許婚の縁を使い、親であり子であり舅同士なのだから

不足があれば持っていけと向こうばかりが親切を尽くしてくれるのをいいことに、騙し

取った利益も少なくない。うまい汁を吸って何年経ったのか、朝日が昇るような今の

栄華はみな松坂の庇護のためであったのに、のど元過ぎれば忘れるとはこのこと、対等

の地位になったので目の上の瘤のように邪魔になっていろいろ案じるに、十町を隔たぬ

ところに同業の店を構えるから、あちらは本家だと世の取り扱いが重く、私の信用が

薄いわけではないが、あちらに七分の利益がある時にこちらは三分では、我が家の繁栄

長久の策としては松澤を消すしかない。まず娘の美しさは一つの金づるだ、芳之助との

縁を切れば、目抜き通りの角地(一等地)を持参の婿の候補もあるだろう、一挙両得と

はこのことだと思っているが娘には言わず、気心の知れた番頭の勘蔵にだけ腹を割って

話すと手を打って賛成し、主従は日夜額を寄せて策を講じていた。時機というものか、

先年松澤は商売上の理由で新田から二千円を借り入れしていた。今年すでに期限が来て

いたが数年前からの不景気にさすがの老舗も手元は豊かではなく、織元その他に支払う

分も大変多いので新田は親族の間柄でもあるし、今までこちらが融通したものも少なく

ないので事情を打ち明けて延期を頼んでも駄目とは言うまい、他人に兜を見透かされ

(足元を見られ)松澤ももう下り坂だといい囃されるのは悔しいので、新田のことは

後にしてまずは織元へと有り金をかき集めてほとんど支払ったという噂を聞いて、日頃

より狙い澄ませていたので耳よりのことと、返済の延期を言われる前に急な催促、言い

訳する間もなく表ざたの訴訟となった。もとより松澤は数代の家柄で信用も厚いので、

たかが千や二千の金などどこからでも調達できるだろうと世の人の思うのは間違い、

四角い卵が万国博覧会に陳列されたとは聞かないのに、晦日に月が出る世の中、十五夜

の闇もあるだろう(あり得ない事が起こった)。暗暗朧朧(ぼんやりとした)の奥で

どのような手段を講じたのか、新田の策は極めて巧妙だったので少しの融通もできず、

示談を願おうと奔走してもそれも整わないまま新田は首尾よく勝訴し、勝ちどきの声

勇ましく引き上げた。それに引き換え松澤の周章狼狽、寝耳に水の騒ぎで驚く間もない

ほど巧みな計略に争う甲斐なく敗訴となり、家蔵のみならず数代続いた暖簾まですべて

新田のものになったので、木から落ちた猿のようになってしまった。頼みの番頭の白鼠

(忠実)が昨年故郷へ帰ってしまった後は、溝鼠(ちょろまかすもの)しか残っておら

ず主家の一大事にも申し合わせたかのように冨士見西行(傍観)を決め込み、見返る者

もいない。無念の涙を手荷物にして、名のみ床しい妻恋坂下同朋町というところに親子

三人、雨露しのぐのがやっとの家を借りて何とか膝を入れた。

 海でもなく山でもない人の世での遭難、今初めて知った飛鳥川の淵瀬。  

   世の中はなにか常なるあすか川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる

    世は飛鳥川のように常ならぬもの、昨日の深淵が今日は浅瀬になる

   (氾濫しやすかったことから激しい移り変わりの意味、明日に掛る)

 明日からはどうすればいいのか、富豪の家に生まれて柔弱に育てられた身にはできる

ことなどなく、そろばんは習っても事に当たったことがないので何の用にもならない。

座って食べているだけでは減るばかり。山高帽子や半靴など、昨日まで身を飾っていた

ものを一つ売り二つ売って、果てには月末の支払いに悩むようになった。

                  三   

 一人前の男に育ちながら不甲斐のない車夫にまで落ちぶれなくても、ほかに仕様が

あるだろうなどと偉そうなことを言った昔の心の恥ずかしさ、誰が好き好んで牛馬の

代わりに脂汗を流して埃の中を走り回るものか、何の仕様も尽き果てたからこそ恥も

外聞もかなぐり捨てた身のとどめは、残念も無念もまんじゅう傘(車夫がかぶる)の中

に包み、行きましょうかと低い声で勧めるのをいらぬとばかり非道に過ぎて行く人は

まだましで、うるさいと叱りつけられて思わず後ずさりする意気地なさ、霜凍る大風の

中辻待ちしている提灯の火が消えるまで案じられるのは両親のこと、慣れない貧苦に

責められて、過去を懐かしむやるせなさが老体の毒になり涙に暮れて患ってしまった。

それももっともで自分でも無念ではらわたが煮え返るのだから、胸が張り裂ける思いだ

ろう、憎いのは新田、恨めしきは運平、たとえ血をすすって肉を食ってもあきたらない

と凍りそうなこぶしを握り締めてあてどなくにらんでいたが、思い返せばそれも愚痴、

恨みは人の上でない、自分に男らしい器量があればこれほどまでに窮することもなかっ

たと嘆じて吐く息は白く、身を切る夜風に破れ屏風の我が家が心配になって急ぎ帰るの

で稼ぎも少ないまま、それも苦労の一つでまたぐ我が家の敷居は高い。ああお帰りかと

起き上がる母、お父さんは寝てしまいましたか、ご不自由でしたでしょうお変わりあり

ませんかと心疚しく聞く。お前の留守に差配殿が見えてと言いかけて目をしばたかせ

た。白岡鬼平という無慈悲で有名な、悪鬼、羅刹と陰口するのは渋団扇(貧乏神が

持つ)から逃れられない店子たち、家賃をきれいに払って盆暮れの砂糖袋(付け届け)

さえすれば、目じりも眉も下がったいわゆる地蔵顔に見えるが、今の身の上には憎む

べき強欲者、事情はあくまでも知りながら知らぬ顔で煙草をふかし、こちらが悪いから

こそ畳に額をすりつけて嘆願するも吐き出す煙に消して「言い訳を聞く耳はない、家賃

を収めるか部屋を空けるか道は二つ、どちらでもどうぞ」とポンと叩くそのキセルで頭

を打ち割りたくなるような面構え、当てもなしに今日まで日を延ばしたのは全くこちら

が悪いのだが、母をつかまえて何を言ったのだろう、お耳に入れまいと思うからこそ

様々な苦労をしているのに、さらに病身に負担をかけてしまった、困ったことだとも

言えずに頭を下げて思案に暮れた。差配殿が来られてと母は繰り返し、訳は分からない

が今すぐこの家を立て、一刻の猶予もならぬとお話にならない騒ぎ、お前にも料簡が

あろうとやっとのことで帰るまではと頼んだのですがどうしたらよいか、思案してくだ

さいと小声でおろおろと涙を流す。心配なさいますな、今夜はだいぶ遅いですから明日

早々に出向いて話し合いをしてきましょう、ちょっとした行き違いで大したことはあり

ませんよと親にまで嘘をついてしまい後生が恐ろしい、眠れずに朝を迎えて明けの烏も

鳴き始めた。親に報いるという教えも甲斐なく、五尺の体に父母の恩を担いきれない

どころか、暖簾を元に戻すことなど論外、貧苦に身をやつすことがつくづく嫌になって

身を捨てたくなることも度々あるが、病み疲れた両親の寝顔を見るたびにかたじけない

ことだ、自分がいなければどうなるのかと思い返し、それでも湧くのは涙ばかり、薬を

沸かす小さな鍋をかけた炭火も消えがちの暮らしでは医者に見せることもかなわずに、

悪くなってゆくのを見ているだけの心苦しさ。天地も神も仏もみな私の敵なのか、この

窮状を見過ごすとはどういうことなのか、新田運平こそ大悪人の骨頂、娘はそんなこと

はないと思うのは心の迷いだろう、姿や言葉だけは優しくても瓜の蔓には生らぬ茄子、

父親と同じ心で今のわが身に愛想が尽きて人づてにも手紙一通よこさないのだから、

やはり外面菩薩の夜叉なのだ。

 

樋口一葉「雪の日」

                             四万十川の雪景色

 見渡す限り地上は銀沙を敷いたようになり、雪は胡蝶の羽のように軽やかに舞って

いる。枯木に花が咲いたと見立てて世の人は歌に詠み、 

   雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之

    雪が降れば冬籠りしている草木が 春にはわからない花を咲かせる

詩に作って月花と並べて讃えているうらやましさ。忘れ難い昔を思うと、降りに降る雪

はただただ悔しく悲しいものとなってしまった。八千度悔いても甲斐がないが、

   先立たぬ悔いの八千たび 悲しきは流るる水の帰り来ぬなり(古今集

    八千回後悔しても先立たない 悲しいことに流れた水は元に戻らない

 もったいなくも父祖累代の墓のある土地を捨てて、育ててくれた恩深い伯母にも背い

て、自分の名前である珠という文字にも恥じて暮らしている。親が瑕がつかないように

とつけてくれた名前、瓦にも劣るような生き方をするなどとは思い寄りもしなかったろ

うに、谷川が落ちて流れて止まらぬように清くない身となってしまった。その過ちは

幼稚な私の迷いのためだったのか、それをさせたのがあの雪の日だった。

 私の故郷はある山里の草深い小村だ。土地に聞こえた薄井という名家に一粒種として

生まれたが、不幸にも父母に早く先立たれてしまった。その頃よそへ嫁いでいた伯母が

夫を亡くしたので、戻ってきて私を育ててくれた。三歳という年から蝶よ花よと本当の

子のように手塩にかけてくださったので、親と言っても言い過ぎることはない。七歳

からは師匠を選んで手習いを始め、三味線や琴は自ら心を尽くして教えてくださった。

月日の経つのを止めることはできないもので、腰揚げが取れて眉を細く作り、幅広の

帯を喜んで締めたのも今にして思えば愚かなこと、都の乙女の利発さとは比べるべく

もなく、姿ばかりは年齢に応じて大きくなったが男女の区別も知らないほど幼かった。

何の憂いもなく、考えることもなく明け暮らしていた十五歳の冬、自分にもわからない

心の色をどこの誰が見つけたのか、

   忍ぶれど色に出にけりわが恋は 物や思ふと人の問うまで(平兼盛

    恋を隠しているのに表れてしまうのでしょうか、

   何を思っているのかと聞かれてしまうほどに

 風に吹かれて伯母の耳に入ってきたのは、生まれて初めての浮名、私が恋をしている

という噂。

   恋すてふ我が名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思いそめしか(拾遺和歌集

    恋しているという私の噂がもう立ってしまった、

   誰にも知られないように思っていたのに

 世は間違いの多いものだ、無き名取川(根拠のない噂)

   陸奥にありというなる名取川 なき名とりてはくるしかりけり(古今集

    みちのくにあるという名取川 ない名を取る(ないことを噂される)

   とは苦しいことだ

波かけ衣(ぬれぎぬ)

   須磨の海人の波かけ衣 よそにのみ聞くはわが身になりけるかな(新古今集

    須磨の潮汲みの衣はいつも濡れている よそごとと聞いていたが

   自分のことになってしまった(恋の涙で袖を濡らしている) 

 袖を濡らした相手といわれるのが桂木一郎という、私が通学していた学校の先生だっ

た。東京の人で見目麗しく心優しかったので生徒がなつき、桂木先生と誰もが褒めて

いた。我が家から十町(約1㎞)ほど北にある法正寺という寺の離れに下宿していて、

幼い時から教えてもらっていたので馴染み深く、私を人よりかわいがって、時々は我が

家を訪れたり、私を下宿に連れて行って教えを含んだおもしろい話をしてくれたりと妹

のように接してくれたので、兄弟のいない私は嬉しく学校でも肩身が広かったが、今思

えば人目には怪しかったことだろう。もし二人の心に行く水の色がなかったとしても、

   行く水にとどまる色ぞなかりける 心の花はちりつもれども(続古今集

    流れる水に色がとどまることはない(行ってしまう人には何の思いもない)

   私の心の花(恋)は散っても積もっていく  

島田を結った、子供には見えない私、先生は三十三歳、七つにして(男女席を同じうせ

ず)と習っていたのに、それをすっかり忘れて睦まじくしていた愚かさ。

 そう見るのは人の過ち、そんなことはあるはずもないと思いながらも浮名が消える

ことがなかったので、

「惜しくも玉(珠)に瑕がついてその一生が不幸に終われば『やはり伯母だからいい

加減に育てて薄井の娘はふしだらになった、両親がいたらああはならなかったものを』

と人は言うだろう、思うも涙だが、お前のお母様が臨終の枕の上で私を拝んでお姉様

珠をお願いしますとかすかに言った一言、そこに千万無量の思いがこもっていた。正に

闇夜に迷う親心ですが、それを引き受けた私が甲斐なく世の笑いものになってしまった

らまず亡き妹に対して、そして薄井の名に対してどうしたらよいでしょう」

と低い声であたりをはばかりながら、よほど思うことあってか口数の少ない伯母が、

しみじみと諭された。

 最初私は全く夢の中で迷っているかのように何をいわれているのかもわからなかった

が、叔母が言葉鋭く、

「お珠よくお聞きなさい、桂木様はお前をかわいがり、お前も慕っているのでしょう、

しかし我が薄井家には決まりがあって、昔から他所の人とは縁組をしないのです。いか

に学問に長じていても桂木様はどこの誰の子かわからないから、家柄のある薄井家の婿

にとは言えないし嫁にやることもできない。愛し合っていても同じこと、そうでないな

らなおさらこれからは気をつけて、行き来をしてはなりません。勉強もいりません。

お前が大切だからこそ先生にもよくしたが、もう益のない他人となりました。見事に

年頃まで育て上げ、人にも褒められて私の誇りだったのに、悔しい濡れ衣を着せられ

のは先生のせいです。今までのことは今までとして、今後はきっぱりと行いを改めて

汚名を雪ぎ、私の心を安心させてください。とにかく敵は先生なのだから、家を思い

伯母を思ってくれるなら桂木とも一郎とも思わずに、先生が門の前を通っても近寄って

はなりません。」

と畳みかけて言うので私ははらわたがちぎれるばかりに悲しく、どういう涙かわからな

いが耐え難くて、声を立てて何時間も泣いていた。

 思えば悔しいのは、どんなに世の人に取り沙汰されて村中こぞって私を捨てたとして

も、育ててくださった伯母様の目に私の清濁は見えるはずではないか、汚れたと思って

いるような恨めしい言葉、先生のことも昨日今日の付き合いではないのだから、品行の

正しいことはよく知っているはずなのに、誰の嘘に動かされてそれを忘れ去ったのか。

情けないことだ、この胸を切り開いて身の潔白を表したいと嘆いたが、その心の奥底に

何かが潜んでいたのか、その暴れ馬(煩悩)に手綱をかけることができなくなった。

 すだれ一枚の隙間を漏れ出る光さえもやましく、この十町の間の人目の関所も厳しく

なってしまった。今は木枯らしの時期、吹かれて散るもみじがうらやましい。どこまで

行くのだろうと遠く眺めていると、見える森影が私を招いているよう。あの村はずれに

先生はいる、家の様子が心に浮かんで、夕暮れに響く法正寺の鐘の音も悲しく、心は空

に向かっているが、さすがに戒めが心に重いので足を向けることもできず、せめて先生

が来てくれればと待っていたが、ここだけで立った噂ではないのではばかりがあるのだ

ろう、手紙も来ない。離れているうちに千秋(の思い)を重ね(秋も終わり)、新年が

来て七日になった。叔母は隣村の親戚に年始の挨拶に行った。朝から曇りがちの空は

ますます暗くなり、風は途絶えたが寒さが骨に沁みて引き込まれるように心細く、ふと

空を見上げると白いものがちらちらしている。ああ雪が降ってきた、伯母様はさぞ寒か

ろうとこたつに入って思いやっていると、雪は容赦なく綿を投げるようにどんどん降っ

てくる。あっという間に庭も垣根も見えなくなった。窓を少し開けて見ると裏庭も、

田んぼも畑も隠れてしまった。毎日眺めるあの森も空と同じ色になっている、ああ先生

と思ったのがそもそもの迷いだったのだ。

 禍の神というものがもしあれば、私は正にそれに誘われたのだ。このとき何を思った

のか、よいこととも悪いこととも考えず、ただ懐かしいという念に迫られて前後も考え

ず薄井の家を出たのだった。

 これを名残にとも思わないので見慣れた軒先を振り返ることもせず、心急いで庭を

出ようとすると、「お嬢様雪の降る中どこへお出かけですか、傘も持たずに」と驚かせ

たのは、作男の平助という実直な老人だった。「伯母様をお迎えに」と噓をつくと、

「今夜はあちらにお泊りになるでしょう、どうしてもお迎えをいうならわしが行きま

す。まあお待ちなさい」と止める憎らしさ、「この雪の中よく来てくれたと褒められた

いのよ、私どうしても行きたいからあなたは知らん顔をしてくれればいいの」と言う

と、何心なく大笑いして、「お子様の考えることはらちもない、では傘を持って行きな

さい」と自分が持っていたものを渡して「転ばぬようにお行きなさい」と言った、縁

さえあれば武蔵野の原も恋しいという例えもあるように、その一言さえ思い出すのに、

つれなくしたのも私のため、厳しくしたのも私のため、行く末の幸せのために尽くして

くさった伯母様を思うと痛み入るばかりだ。

   紫のひともとゆえに 武蔵野の草はみながらあわれとぞみる

    一本の紫草があるだけで、武蔵野に生える草のすべてが慕わしい

   故郷と伯母の思い出のために、使用人さえ懐かしい

 

 それほどまでに先生が恋しかったが、まさかその人を夫と呼び、一緒に他郷の地に

立とうとは夢にも思わなかった。行きどころなく迷い、降る大雪に窓の下の竹が折れた

音によって(きっかけ)私もその人も罪を現実にしてしまった。私が故郷を離れたの

も伯母を捨てたのも、この雪の日の夢のためだったのだ。

   呉竹の折れ伏す音のなかりせば 夜ふかき雪をいかで知らまし

    庭の細竹が折れる音がしなければ、夜降る雪をどう知ることができようか

 いまさら夫を恨んでも仕方がないが、都には麗しい花がたくさんある。深山の雑草の

ような私など一緒に並ぶこともできず草木の冬のような思いをして、涙ながらに昔を

考えると、何もかもが間違いだった。 

   深山木のかげのこ草は我なれや 露しげなれど知る人もなき

    私は深山の木陰の小さな草、涙に暮れているが誰も知らない

   山里は冬ぞさびしさまさりける 人目も草もかれぬと思えば

    山里は冬こそ淋しさが増すものだ 人目も草も無くなってしまうから

 故郷の風の便りによると、伯母は私の身の上を嘆きに嘆いてその年の秋に空しい人の

数に入ってしまったとか。後悔してもどうにもならない、今は浮世を耐え忍ぶだけ。

つれない人に操を守って、人知れず節度を守るのみだ。思えば正に紫式部の歌のよう、

降れば降るほど悲しみが積もるのを知らずに今年もまた雪が降り、我が家の破れた垣根

を繕って(雪で覆い隠して)見てくださいと誇っている。私は昔だけが恋しい。 

   降(経)ればかく憂さのみ増さる世を知らで 荒れたる庭に積もる初雪

    降る(経つ)ほどに憂いが増える(この世な)のに、

   (何も思わずに)荒れた庭に降り積もる初雪

 

 一葉が桃水と過ごした雪の日(交友のクライマックス)に構想を持ったと日記にある

が、その後周囲から別れを迫られた後に書いたので、そちらの要素が主となってしまっ

た悲しい小説。日記にも一年後に雪を見て耐え難くなる場面があるが、あの楽しかった

雪の日を思うと本当にせつない。

 呉竹と式部の歌は雪国に住んでいると心境でなくリアルに、ああこれから半年近く

これか、雪かきかと全くうんざりするのだ。心の憂さに追い打ちをかけるように…。

 

  

樋口一葉「経づくえ 二」

                   四

 園様はどうされました、今日はまだお顔が見えませんがと聞かれて、こんなことが

あって次の間で泣いておりますとも言えないので、少しばかりお加減が悪かったのです

が今はもうよろしいのです、まあお茶をどうぞと民はその場を取り繕った。学士は眉を

ひそめて、「それは困ったものだね、大体丈夫な質ではないのだから季節の変わり目

などにはことさらに注意しなければならない、お民さん不養生をさせないように。とこ

ろで私に急に白羽の矢が立って遠方に左遷が決まったので、その話を兼ねてお別れに

来たのです」と言うので、お民は驚いて、ご冗談をおっしゃらないでくださいませ、

「いや冗談ではない、札幌の病院の院長に任じられ、都合次第では明日にも立たなけれ

ばならなくなったのだ。もっとも全く突然と言うわけではなく、こうなりそうなことは

わかっていたのだがあなたたちを驚かせるのが苦しくて、言わねばならないことを今日

まで黙っていたのだ。三年か五年で帰るつもりだがどうなるかわからない、まずは当分

お別れの覚悟です。それにしても案じられるのは園様のこと、余計なお世話ながらなぜ

か初めからかわいくて、本当を言うと一日見なくても心配になるくらいだった。しかし

いつ来ても喜ばれず、あれほど嫌がっているのに気の毒だと思わぬこともなかったが、

どうにかして立派な淑女に育ててみたくて、うぬぼれだと笑われようがともかくも今日

まで嫌がられに来ていた。学問といっても女の子ならまああの程度、理化学や政治など

を学んではお嫁さんの口がさらに遠ざかるからね。第一上っ面だけの学問では枯木に

造花をつけたようで、真実ある人の心は満たされないものだ。深山に隠れていても

天然の美しい花は都人の憧れとなるのだから、これからは優美さを伸ばして徳を磨く

ように教えてください。私がここにいたってさっぱり話し相手になれないのだから、

これからはいよいよお民さんの役どころだ。前門の虎、後門の狼、右も左も恐ろしい輩

ばかりの世の中、せっかくの宝石に傷をつけてはなりませんよ。園様にも言い聞かせた

いことがたくさんあるが、私の口からでは耳を塞いでしまうだろう、不思議なことに縁

なき人に縁があるのか、ばからしいことだが、置いていくのが嫌な気持ちなのだ」と

笑ってのける調子は、いつものように冴えては聞こえない。

 お民のさんざんの意見に、やっと少し自分の間違いを知り始めたとたんにその人は

急に旅立つと言う。幼い心には自分のした失礼やわがままが憎く、そのために遠くに

行ってしまうように感じられて悲しく、お詫びがしたいのに障子一枚を開くきっかけが

つかめずにいたので、お民が呼んでくれた時も少しひねくれてしまい、拍子抜けがして

今更飛び出すことができなかった。「そのうちに帰ってしまったらどうしよう、もう

会っては下さらないだろうか」と敷居の際にすり寄ってお園が泣いているのも知らず、

学士はつと立って、「今日はお名残に、せめて笑顔を見せておくれ」と障子を開けると

「おや、ここにいたのですか」 

                 五

 「そう泣いては困る、お民さんもそうだ、大したことはない、もう会えないという訳

ではないのだから心細いことを言わないでおくれ。園様は何も詫びることはない、あな

たのことはお民がよく承知しているのだから何の心配もいらない。ただこれまでとは

違ってだんだん大人になるのだから、世間との付き合い方を学ばないといけませんよ。

難しいのは人の機嫌だ、といってへつらうことは誉められたものではないが、そのあた

りを工夫しなければいけません。無垢で潔白のあなたには右を向いても左を向いても

憎む人などいなかろうが、それでは世は渡れない。私も同類で世渡りには向かないが、

流石に年の功というものであなたよりは人が悪いからなんとかしている。悪くなり過ぎ

ても困るので、過不及(過ぎたるは及ばざりし)のかじ取りは心ひとつでできるのだか

らよく考えてするのですよ。実は出発は明後日だが、支度も大体できたのでもうお目に

かかりません、体を大事にして気患いしないように。この上のお願いとして、お見送り

などはしないでください、ただでさえ泣き男の私です。友達の手前もあるし変に思われ

てはお互いつまりませんから。ただしお写真があったら形見に一枚くださいませんか。

次に上京する頃には立派な奥様になっているかもしれませんが、それでもまた会って

くださいますか」と顔をのぞくと、膝に泣き伏して正体もない。それほど別れるのが

お嫌かと背中を撫でられてうなずくかわいさ。三年目の今日になっていまさらに、別れ

のつらさが増す。

 優しい人ほど心は強いもので、学士は涙の雨に道止めされず、今夜初めて捉えられた

袂を優しく振り切って帰って行った。お民は、何か盗まれたかのように力を落とし、

「例え千里が万里離れても本当の親兄弟ならまた会う楽しみはあるが、ほんの親切と

いう細い糸を頼りにしていたのだから、離れれば最後、縁の切れたとおなじこと、取り

付く島も頼りない」と自分が振り捨てられたように嘆くので、お園はいよいよ心細く、

母との別れで悲しみを知り尽くしてはらわたが千切れるほど泣きに泣いたものだった

が、今日はそれとは違って、親切のありがたさ、残念さなどの気持ちが右往左往に胸の

中をかき回して、何が何やら夢の中にいる心地。その夜はとても眠るどころではなく、

無理に寝床に入りはしたものの寝間着にも着替えず、横にもならず、つくづく考えると

目の前に昼間の光景がよみがえり、自分では気がつかない間に胸に刻まれた学士の言葉

は半句も忘れてはいない。帰り際に袖を捉えると、「待つとし聞かば今帰り来む」と

笑いながらおっしゃったあの声をもう聞くことができない。明日からは車の音も止む

だろう。思えばなぜあのようにあの人が嫌だったのかと長い袂を打ち返し打ち返しして

いると、紅絹の八ツ口からころころと転がり出て燈火に輝くのは金の指輪。学士の左の

薬指に先ほどまで光っていたものだった。

                  六

 つぼみだと思っていた梢の花も春の雨の一夜の後に急に咲いて驚かせるものだ。時期

というもののおもしろさで、お園の幼い心でも何を感じたか、学士が出立した後からの

行いはどことなく大人びて、今までのようにわがままも言わず、針仕事や読み書きの

ほかは、以前に増して身を慎んで、誘う人があっても寄席や芝居などの浮いたものには

足を向けず、時々は今まで見たこともなかった日本地図を、お民がお使いに行って留守

の時に広げて見ていることもある。新聞に札幌とか北海道とかいう文字があると、いち

早く目につく様子。ある日お民はお園の右の指に輝くものを見た。

 秋風の桐の葉(秋を知る、衰退の初め)は人の身だろうか、知らないからこそ雪仏の

堂塔厳めしく作るとか立派にするとか(雪だるまを仏に見立てて立派なお堂を作る)、

くたびれもうけになることが多い。文化開明とやらで、何事も根っから掘り返し、昔の

人の心の中まで解剖する世の中で職業柄の医道を極めても、自分の天命はどうにもなら

ない。学士は札幌へ行った年の秋に診察したチフス患者に感染して、惜しいことに三十

にもならぬ若い盛りで北海道の土となってしまった。風の便りにこれを聞いたお園の心

は。

 空蝉の世を捨てたと思って墨染めの衣を着なくても、花も紅葉もない暮らしをして、

豊かな黒髪を切ったとしても人は、仮の発心、人目のための後家姿であろうと見るもの

だ。投げ島田の元結から切り離した洗い髪姿は、色好む人にはまた格別の美しさと讃え

られ、婿に行きたいの嫁に取りたいの、家名相続はどうするのかと言い寄る者は一人

二人ではない。ある時学士の親友という何某、医学部の有名な教授様が人を介して申込

んできたのを、お民はこの上なきご縁と喜んで、お前様も今が花の盛り、散りそうに

なってから呼んで歩いても売れませんからお心をお決めなさいませ、松島様に恩はあっ

ても何の約束があるでなし、もしあっても再縁する人だって世の中には多いのです。

どこにはばかることがありますかと説くが、お園はにこやかに、口先の約束は解くも

解かれぬもありません、真実の愛がなかった誓いなら捨てて再縁する人もいましょう、

もともとあの人と約束した覚えもなく操の立てようもありませんが、何となく沁み込ん

だ思いはこの身がある限り忘れられるものではありません。もしその教授様からどうし

ても妻にと仰せがあったら、形だけは参っても心をお召しになることはできませんと

お伝えくださいと、こともなく言ってお民の言うことを聞き入れる様子はないので、

お民も観念したのがこの経机の由縁である。

 ある口の悪い人がこれを聞いて、なんとまあひねくれた女だ、もし今学士が生きて

いて札幌にも行かずに昔の通り優し気に通っていれば、虫唾が走るほど嫌がっていたに

違いないと苦笑いしながら言ったものだ。

 ある時はありのすさびに憎かりき、無くてぞ人は恋しかるける

  いるのが当たり前だった頃は憎らしかった人がいなくなると恋しいものだ

 とにもかくにも意地の悪い世である。

樋口一葉「経づくえ 一」

                  一

 一本の花をもらったがために千年の契り、万年の情を尽くして誰に操を立てての一人

住まい、せっかくの美貌を月や花からそむけて今はいつかも知らぬ顔、繰る数珠に引か

れて御仏の世界にさまよっている。あれはいつの七夕の夜だった、何に誓って比翼の鳥

連理の枝:深い契)が一羽になった恨み、無常の風に憤りつつ、静かな窓の内、机の

上の香炉の煙が絶えない家の主はと聞かれると、答えは襦袢にポロリと落ちた露、言い

たがらぬ素性を聞きたいのは、無理もない、隠せば隠すほど現れるのが余の常である。

 覚めれば夢の後

  思いつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(小野小町

   あの人を思いながら寝たのでお会いできたのでしょうか、

    夢と知っていたら起きなかったのに

でもないがわからぬ先を、誰も彼もが思いを寄せたのは、名前なのかその人なのか。

医科大学で評判の松島忠雄と呼ばれている27か8の、名を聞けば束髪の薔薇のような

少女も微笑み、顔に巻いたハンカチもにわかに消える(顔を見せるため)、途上の目礼

すら名誉だと喜ばれ、娘を持つ親はどれだけ敵に回すことになっても婿に欲しいものだ

というのも道理である。故郷は静岡(幕臣の土地)さすがに士族出出身だけあって人品

高く、男振りも申し分なく、才も学もあるあっぱれな人物だ。今はまだ内科の助手で

あるが、行く末の望みは十指の指に入るところ。婿のなり手も乏しい世の中なので、

これほど人を他人に取られてなるものかと意気込んで、華族の姫君、高等官の令嬢、

大商家の持参金付きなど、あれこれと申込みがある。小野小町のような美しさを誇る

島田髷の写真、紫式部のような才を誇る英文和訳など、机にうず高く積まれているが、

この男に何の望みがあるのかないのか、あちこちの仲人の話を聞き流したままでいるの

は不思議だ。疑われるのは例の遊郭、浮かれる先があるのかと思えば品性方向を受け

合う人が多いので、いよいよ謎である。しかし怪しいのは、仕事帰りにいつも立ち寄

ある家。雨が降っても雪が降ってもそこに梶棒を下さない日はないと、口さがのない

車夫が誰に言ったことやら噂はすぐに広まり、想像は影から形になってさまざまの噂と

なった。人知れず気を揉む人もいて、その中でも特に苦労性が、忍びやかに後をつけて

探り出すと灯台下暗しとはこのこと(大学の近く)本郷の森川町にある神社の後ろ、

新坂通りに何重にも生垣を構えたところ、押せば開く片折戸には香月そのという女名前

の表札が掛かっている。折々漏れ出でる琴の音は、軒端の鶯も恥じらうような麗しさだ

が、春の月夜におぼろげに聞こえるばかり。姿は夏のすだれ越しにちらりと見えるだ

け。誰のために惜しんでいるのか薬師様の縁日にそぞろ歩きをするでもなく、門口で人

待ち顔をしている姿を拝むこともないが、美人というのはこの界隈では隠れようのない

事実、それでは学士様のお妾様か、どんなに令嬢ぶってもお里は知れたものだ、そんな

者に鼻毛を読まれているようでは後でどんな目に遭うことやら、笑止なことだと憎まれ

口を言い散らしているが、本当のところは妬みやっかみの塊、そのような人々の怒りの

炎が火柱となって罪のない世を騒がせるのである。

                  二

 黒塗り塀の表構えとお勝手の経済は別物である。想像だけで人の身の上をうらやむ

ものではない。香月左門という旧幕臣が例の学士様の父親と同僚で、ご維新時将軍の

お供をして静岡へ行ったが、戊辰の戦いの際彰義隊に加わって露と消えてしまった。

その時水さかづきで別れた妻に残したのがこの美人であった。生まれついての不幸、

後家の母を持ってすがる胸に甘えても父を知ることがなく、物心がつくにつれて、親と

いうものが二人ある人をうらやんで、難しいことを言っては何度母に涙を流させたこと

か、その母にもまた十四という年にはかなく別れて今はただ一人でいたましい。例の

学士様がある時その病床に呼ばれて尽力して以来、親の縁もあるので引き続き通って

いたところ、見ても聞いても気の毒になり、もしこれがおきゃんなはねっかえり娘なら

ともかく、世の中といっても門の外を見たことがなく、母様と一緒でなければ風呂へ

行くのも、観音様にお参りに行くのもいや、芝居も花見も母様と一緒でなければの一本

槍で陰に隠れてしまう。姿こそ島田を結って大人のようだが、まだ人形を抱いて遊んで

いたいほどの幼さなので、母を失ったときは木から落ちた猿のように泣くよりほかでき

ずにお民という老女中の袖にすがって、私も一緒にお棺に入れてくださいと聞き訳なく

泣いていた姿があくまでもあどけなく不憫だったので、誰に頼まれたのでもなく、義務

という筋もなく、恩をきせようという野心もなく、その時以来何もかもを身に引き受け

て世話をすること、本当の兄弟にもできないだろう。それを色眼鏡をつけた人々から、

ほろ酔いで膝枕して耳垢を取らせていると見られている。さすがの学士様も冤罪を訴え

る場所がない。

 今の女子教育に賛成とは思えないのでお園には学校通いをさせたくなくて、帰り道の

一時間、この家に寄っては読書や算術を自分なりに教えてみると、わかりも早くて記憶

もよいのでますますかわいがったが、お園には何も感じられず、ありがとうとか嬉しい

など口に出すどころか、顔を見ることさえ嫌がっている。毎日の稽古も教科書について

以外は何も聞くこともなく、返事も打ち解けず、強いて何か聞けば泣き出しそうになる

のを見ているお民は気の毒に思い、「いつまでもねんねで仕方がありません、さすがに

気の置けない人には少し大人になりましたが、心安さからわがままを言うのか、甘えて

いるからあのように遠慮なくするのでしょうから少しはお叱りになってください」と

花を持たせて言うが、学士は気に留めず「その幼さが尊いのだ、逆におてんばだったら

お民さんの手におえまい。園さん私に遠慮はいらない、嫌な時は嫌とお言いなさい、

私を他人の男だと思わずに母様と同じように甘えていいのですよ」と優しく慰めて毎日

通うのがなおさら煩くて厭わしくて、車の音が門口で止まることを何よりも気にして、

それお出でだ、と聞くや否や台所のほうきに手ぬぐいをかぶせる始末。

                  三

 お民はこの家に十年あまり奉公しているので、主人とはいえ今となっては我が子と

変わりない。何とかこの子を立派に仕上げて世間に誇りたいと願っているので、お園の

心ない態度にやきもきと気をもんで、どうしたものかと考えたり、困ったものだと嘆い

たり、とうとう意見しようと小言も混ぜてさまざま言い聞かせた。

「いつかは言おうと思っていましたが、お前様という人にはあきれました。五つや十の

子供ではなし、十六といったらお子様を持つ人もいるのですよ、考えてごらんさい、

お母様がお亡くなりになってから今まで足掛け三年の間に松島様がどれだけ尽くして

くださったとお思いですか。私でさえ涙がこぼれるほど嬉しいのにお前様は木か石です

か。それは不人情というものですよ。覚えがあるはずですが、一々申し上げなければ

お分かりにならないでしょう。身寄りのないお前様の身を案じて、『人は教育が肝心だ

が、園様はまだ白糸のようなもの、何の色にも染まりやすいので、学校でよからぬ友

でもできてはならないからすべて私に任せなさい』と親切におっしゃってお師匠様自ら

の出稽古。月謝を出して付け届けをして、ごちそうして車を出して崇め奉っている先生

でも雨や雪の日はもちろんのこと三度に一度は断ってくるものです。それを、駄々っ子

のご機嫌を取って『これが終わったらご褒美に何をあげよう、手習いがよくできたの

で、次は文を書いて見せてください』ともったいないほどよい紙を下さったことを忘れ

てはいますまい。お前様はあんなもの叩きつけて返したいと思っているのかしれません

が、紙一枚でも真心のこもった、お心づくしの贈り物ではないですか。そのご恩を何と

も思わず、一年三百六十五日通していい顔どころか、当たり前の暑い寒いのご挨拶も

満足におっしゃらない。あの方だからこそ腹も立てず、気にもかけずにかわいがって

くださるのです。お天道様の罰が当たらずにはおりませんよ。昨日も近所で噂を聞け

ば、松島様は世間で評判のお方、奥様が欲しかったらよりどりみどり山ほどあるのに、

どの話もお断りしてそちらへ行くのは、お嬢様の上の日の照り方が違うのか、なんと

いうお幸せだと焼きもちを焼いて羨ましがっているのですよ。そんなお人に捨てられた

らお前様はどうするのですか。お泣きになるのはお腹立ちですか、お怒りになっても

よい、民は申し上げるだけ申し上げます。悪くお聞こえならそれまで、あまりに際限の

ないわがままですよ」と思い切って𠮟りつけたが、これもご主人を思ってのこと。もと

よりお園に悪気がある訳もなく、ただ幼子が人嫌いして抱かれるのを嫌がったり、あや

されて泣くようなもの、なぜかその人と気が合わないが、わざと嫌がらせをして困らせ

ようというほど憎んでいるのでもない。まったく世間知らずのわがままからなので、何

を言われても言い訳もできず、悔しいのか悲しいのか恥ずかしいのか、めちゃくちゃに

泣いて顔も上げられないでいる。お民がなおも何か言おうとしているところに門口に

停まる例の車の音。「それお出でです、今日こそは優しくしておあげなさい」

樋口一葉「うつせみ 二」

                   四

 今日は用事がないとのことで、兄は終日ここにいた。氷を取り寄せて雪子の頭を冷や

す看護の女中に替わって、どれ少し自分がやってみようと無骨らしく手を出すと、恐れ

入ります、お召し物が濡れますよというのを、いいさ、まずやらせてみなさいと氷袋の

口を開いて水を絞り出す手つきの不器用さ、雪や少しはお分かりか、兄様が冷やして

くださっているのですよと、母が親心で声をかけるが、何も聞き分けられずに目を見開

きながら空を眺めて、ああきれいな蝶がと言いかけて、殺してはいけません兄様、兄様

と声を限りに叫ぶ。どうした、蝶などいないぞ、兄はここにいて、殺しはいないから

安心して、よいか、見えるか、え、見えるか、兄だよ、正雄だよ、気を取り直して正気

になって、お父さんお母さんを安心させてくれ、少し聞き分けてくれよ、お前がこの

ような病気になってからお父さんもお母さんも一晩もゆっくりとお休みになったことは

ない、疲れてやせて介抱しているのを孝行者のお前がどうしてわからないのだ、いつも

道理のよく分かる人ではないか。気を静めて考え直しておくれ、上村のことは今更取り

返せない事なのだから、後でねんごろに弔って、お前手づから花を手向ければ、あいつ

も快く眠ることができると遺言にもあったというではないか。あいつは潔くこの世を、

お前のことも一緒に思い切ったのだから決して未練は残してはいなかったというのに

お前がこのように心を取り乱して、ご両親を嘆かせてはおかしいではないか。あいつに

対してお前は無情だったかもしれないが、あいつは決して恨んではいなかった。あれも

道理を知っている男だったろう、な、そうだろう、校内一であるとお前もいつも誉めて

いたではないか。そんな人なのだから決してお前を恨んでは死ぬはずがない。憤りは

世間に対してで、皆それを知っているし、遺言にも明らかなことではないか。考え直し

て正気になって、今後のことはお前の心に任せるから思うままに生きていけばよい。

ご両親がどれだけ嘆いておられるか考えて、気を取り直しておくれ。いいか、お前が

心から治そうと思えば今にも治せるのだ。医者にも薬にも及ばぬ、心の居所を確かに

して治っておくれ。なあ雪よわかったかと聞けば、ただうなずいてはいはいと言った。

 女中たちはいつしか枕元を遠慮して、周りには父と母と正雄がいるばかり。今言った

ことが解ったのか解らないのか、兄様、兄様と小さな声で呼ぶので、何か用かと氷袋を

引き寄せて近づくと、私を起こしてください、なぜか体が痛いのですと言う。それは

いつも気が立つと駆け出して大の男に捕まえられて、振り放そうとものすごい力を出す

のだからさぞかし体も痛むだろう、生傷も所々にあるではないか。それでも体が痛いと

わかるのかと甲斐のないことを両親は頼もしがった。

 お前を抱いているのだどなたかわかるかと母親が聞くと、すぐに兄様でございましょ

うと言う。それがわかれば心配はない、今話したことを覚えていますかと聞くと、知っ

ております、花は盛りに…などとまたあらぬことを言い出したので一同顔を見合わせて

情けない思いだった。

 しばらくして雪子は息の下からとても恥ずかしそうな低い声で、お願いでございます

ので、そのことは言わないでください、そのようにおっしゃられても私にはお返事の

いたしようがありませんと言い出したので、何かあったかと母が顔を出すと、あ、植村

さん、植村さんどこへおいでになるのですかとはね起きて、不意のことに驚く正雄の膝

を突き飛ばして縁側に飛び出したので、それっと太吉、お倉などが勝手元から飛び出し

てきたが、それほどには行かずに縁側の柱の下にぴたりと座って、堪忍してください、

私が悪かったのです、初めから私が悪かったのです。あなたは悪くない、私が、私が

言わなかったのが悪かった。兄と言ってはおりましたけれど…。むせび泣く声が聞こえ

始め、続く言葉も何とは聞き取れず、半分上げた軒端のすだれが風に鳴る淋しい夕暮れ

である。

                  五

 雪子が繰り返す言葉は昨日も今日もおとといも、三月より以前から同じことばかりで

ある。唇に絶えないのは植村という名前、許してください、学校、手紙、私の罪、後か

ら行きます、恋しい人、それらの言葉を順序なく並べて、身はここにあっても心はもぬ

けの殻になっているので、人の言うことを聞き分けられるわけもなく、楽しげに笑うの

は無心だった昔を夢みてのことだろう。胸を抱いて苦悶するのはやるかたのない、当時

のことがよみがえるからだろう。

 痛ましいことだと太吉は言い、お倉も言う。もののわからないご飯炊きのお三ですら

お嬢様に罪があるとは言わない。黄八丈の、袖の長い書生羽織を召して、品よい高髷に

桜色を重ねた白の根掛けに平打ちの銀の簪をあっさりと挿して、学校へ通う姿が今でも

目に残っている。いつ元の通りに治るのだろうか、植村様もよいお方だったのにとお倉

が言えば、あんな色の黒い無骨な人、学問はできたとしてもうちのお嬢様とは釣り合い

ません、私はまったく褒めませんよとお三が力む。お前は知らないからそんな憎らしい

ことを言うが、3日もお付き合いをしたら植村様の後を追って三途の川までも行きたく

なりますよ、番町の若旦那を悪いというわけではないが、あの人とは質が違って、何と

も言えぬよい人だった。私でさえ植村様がああなったと聞いた時にはおかわいそうにと

涙がこぼれたもの、お嬢様の身になったらさぞおつらいことだろう。私やお前のような

おっちょこちょいならことはないが、普段慎んでいるだけに身に沁みることも深いだろ

う。あの親切で優しい方をこう言っては悪いけれど若旦那さえいなかったら、お嬢様も

病気になるほどのご心配はなかったのに、それを言えば植村様がいなかったら天下泰平

に納まったものを、ああ、浮世はつらいものだね、何事もあけすけに言ってすませる

ことができないからと、お倉はつくづくままならぬことを残念がっている。

 勤めある身なので正雄は毎日訪れることができず、三日おき、二日おきに夜な夜な車

を柳の前で乗り捨てる。雪子は喜んで迎えるときもあり、泣いて会わないときもあり、

幼子のように正雄の膝を枕に眠るときもあり、誰が給仕をしても箸も取りたくないと

わがままを言っても、正雄に叱られて一緒にお膳を取っておかゆをすすることもある。

治ってくれるか、治ります、今日治ってくれるか、今日治ります、治って兄様のお袴を

仕立ててあげます、お召も縫ってあげます、それはかたじけない、早く治って縫って

くれよと言えば、では植村様を呼んでくださいますか、会わせてくださいますか、うむ

会わせてやる、呼んで来よう、早く治ってご両親を安心させてくれ、よいかと言えば、

はい明日は治りますとこともなげに言った。

 言ったことを頼みにしていたわけではないが、翌日日暮れを待たずに車を飛ばせて

来ると、容体が急変し何を見るのも嫌だと人を見るのを厭い、父母の兄も女中たちも

近づけずに、知らない、知らない、私は何も知りませんと泣くばかり。広い野原に一人

いるかのようなとめどない嘆きに涙を禁じ得ない。

 急に暑くなった八月の半ばより、狂乱はさらに募って人も物も見分けられなくなり、

泣く声は昼夜絶えず、眠ることもなくなったので、まぶたは落ち込み形相すさまじく

この世の人には見られなくなった。看護人も疲れ、雪子の身も弱った。昨日も今日も

植村に会ったと言う、川を隔てて姿を見るばかり、霧が立って朧げに明日、明日と

言うほか何も言わない。

 いつか正気に返って夢から覚めたように、父様母様と言うこともあるのではないか

と、おぼつかなくも一日二日と待っている。

  空蝉は 殻を見つつもなぐさめつ 深草の山 煙だにたて

  (亡くなっても姿があれば慰められたのに消えてしまった、せめて煙だけは

   いつまでも名残に立っていてほしい)

 せめて門の柳に秋風が立たないでほしいものだ。

(時間が止まってほしいとのことか、飽きに掛けて待つことに飽きるということか)

樋口一葉「うつせみ 一」

                  一

 家の間数は三畳の玄関を入れて五間、手狭ではあるが、南向きで風通りがよく、庭は

広々として植え込んだ木立が生い茂り、夏の住まいにはうってつけに見える。場所も

小石川植物園の近くで物静か、多少の不便はあるが申し分のない貸家である。門柱に

貸札を貼ってから三ヶ月ほど経つが今だに住人が決まらず、主人のいない門の柳が空し

くなびくのも淋しい。家も大層きれいで見た目も良いので、一日に二人三人、見せて

くれという人もなくもないのだが、敷金三か月分、家賃は三十日ごとの取り立てで七円

五十銭と言われると、それは下町の相場だと言って戻ってくる者はなかった。そうして

いるうちにある朝早く、四十に近い年頃の紡績織の色あせた浴衣を着た男が、ひどく

そそくさと落ち着きのない素振りで差配の所へ来てこの家を見たいという。案内して

そこここと戸棚などを見せて歩いたがろくに聞きもせず、ただ四方が静かで爽やかな

ことを喜んで、今日からすぐにお借りしたい、敷金は今置いていきますので引越しは

この夕方に、いかにも急ではございますが早速掃除にかかりたく存じます、と面倒なく

話は整い、ご職業はと聞かれると特にこれということもありませんとあいまいな返事、

ご人数はと聞かれると4、5人の時もございますが7、8人になることもございます、始終

ごたごたしてらちがありませんでなどと、おかしなことを言うと思っていたが、掃除が

済んで、日暮れ頃引っ越してきたのを見ると、相乗りの幌掛け車に姿を隠して、開いた

門からまっすぐに入って玄関に降りた。主は男とも女とも(人には見えじと思いしげな

れど、が訳せない)わからないが、三十歳くらいの気の利きそうな女中風の人と、もう

一人は十八か、九には見えない美しい病人、顔にも手足にも血の気というものがなく、

透き通るように青白いのが痛ましい。ちょうど手伝いに来ていた差配は、この人が先ほ

どのそそくさ男の妻か妹なのだろうと思った。

 荷物は大八車にたった一つ、両隣りにお定まりの手土産を配ったが、家の中は引越し

らしい騒ぎもなく至極ひっそりとしていた。人数は例のそそくさ男と女中と、ご飯炊き

らしい太った女、夜になって車を飛ばせて2人やってきた。一人は六十に近そうな品の

よい剃髪の老人、もう一人はその妻であろう同年配で、生真面目に小さな丸髷を結って

いる。病人は来てすぐに奥の部屋に床を取って、括り枕に頭を落ち着かせていたが、

一晩中その枕のそばで悄然としている老人二人の面差しは、どこかその寝顔に似ている

ところがあるようなので、この娘の父母ではないだろうか。そそくさ男を始めとして、

女中たち一同が旦那さま、後新造さまと呼べば返事をし、男を太吉、太吉と呼んで使っ

ている。

 翌朝まだ風が涼しいうちに、車を乗り付けたもう一人の男があった。紬の単衣に白縮

緬の帯を巻いて、鼻の下にうっすらと髭を生やした三十歳くらいの恰幅のよい男は、

小さい紙に川村太吉と書いて貼ってあるのを読んで、ここだここだと車から降りた。

姿を見つけてご飯炊きのお三がまあ番町の旦那様と真っ先にたすきをはずせば、そそく

さ男も飛び出して、いやお早いおいでで、よくすぐにお分かりになりました、昨日まで

は大塚にいたのですが、何分にもすぐに嫌になられておしまいで、しきりにどこかへ

行こう行こうとおっしゃるので仕方なく、ここをやっとのこと見つけ出したのでござ

ます。ご覧ください、庭も広く、周りの家が遠いのでご気分の為にはよろしそうに思え

ます。はい、昨夜はよくお休みになりましたが、今朝ほどは少しその、ちょっとご様子

が変わったようです。まあいらしてご覧くださいと先に立って案内をすると、心配そう

に髭をひねりながら奥の座敷に入って行った。

                 二

 気分が大変よいときには幼子のように父母のひざで眠ったり、紙を切って姉様人形を

作るのに余念がなく、何か聞けばにこにことほほ笑みながらただはい、はいと意味の

ない返事をするおとなしさだが、狂風が梢を揺さぶるように気の立った時には、父様も

母様も、兄様も誰もお願いですから顔を見せないでくださいと物陰に潜んで泣く、はら

わたを絞り出すような声で、私が悪うございました堪忍してくださいと繰り返し繰り返

し、目の前の何者かに向って詫びているかと思うと、今行きます、私も後からついて

いきますと看護の目を盗んで駆け出すことも二度三度もあった。井戸にはふたを置き、

刃のついた物は鋏一挺たりとも目につかないようにという心配りも、病のさせる危ない

技の為。このようなか弱い娘一人を止めることができないのだ。勢いに乗って駆け出す

時には大の男が二人がかりでも難しい時がある。

 今更いうまでもなく、本宅は三番町のどこやらにあって表札を見ればああ、あの人か

と合点が行くような身分だが、名前を憚って病院へ入れることをせずに心やすい医者を

呼び、下僕の太吉の名前を借りて借家して心任せの養生をしているが、一月も同じ所に

住むと、見るもの残らず嫌になってしまう。病は次第に募り、見るのも恐ろしいほど

凄まじいこともある。

 当主は養子、娘こそが家付きの一粒種なので父母の嘆きは尽きない。病んだのは桜の

咲く春頃からと聞くが、それからというもの昼夜瞼を合わせる暇もないほど心配し、

疲労した老人たちは二人ともよろよろと力ない。娘の発作が急に起こって、私はもう

帰りませんと駆け出すのを見て、太吉、太吉、どうにかしてくれと呼び立てるよりほか

何もできない能のなさで、情けないことである。

 昨夜は一晩中静かに眠って、今朝は誰より早く目を覚まし、顔を洗い、髪を撫でつけ

て着物も自分で気に入ったものを取り出して、友禅の帯に緋縮緬の帯上げを人手を借り

ずに手早く締めた姿は、ちょっと見ればそのような病人とは思いもよらない美しさ。

両親はそれを見て今更ながら涙ぐむ。付添いの女中がおかゆを持ってきて召し上がりま

すかと聞くと、いやいやと頭を振って意気地なく母の膝に寄りかかって、今日は私の

年季が明けますか、帰ることができるのでございましょうかと聞く。年季が明けてどこ

へ帰るつもりですか、ここはお前の家でほかに行くところなどないでしょう、わからぬ

ことを言うものではありませんと叱られて、それでも、母様私はどこかへ行くのでしょ

う、ほらあそこに迎えの車が来ていますと指さすのを見れば、軒端のモチノキに大きな

蜘蛛の巣がかかって、朝日を浴びて金色に光っている。

 母は情けない思いが胸に迫り、あんなことを言って、あなたお聞きになりましたか

と夫に忌まわし気に言った。娘は急にやつれた顔を生き生きとさせて、あの一昨年の

お花見の時ねと言い出した。聞いていると、学校の庭はきれいでしたねえと面白そうに

笑う。あの時あなたが下さった花を、私は今も本に挟んで持っています。きれいな花で

したがもう萎れてしまいました。あなたにはあれからお目にかかりませんが、なぜ会い

に来て下さらないのでしょう。なぜ帰って来てくれないのですか、もう一生お目にかか

れないのですか、私が悪かったのです。私が悪いに決まっていますが、それは兄様が、

兄が、ああ、誰にも申し訳ない、私が悪かったのです許してください、許してください

と胸を抱いて苦しげに悶えている。雪子や、余計なことを考えてはいけませんよ、それ

がお前の病気なのです。学校も花もありませんし、お兄様もここにはいないのですよ。

何か見えるように思うのが病気なのだから、気を落ち着けて元の雪子さんになっておく

れ、ね、ね、気がつきましたかと背中を撫でられて、母の膝の上ですすり泣く声が低く

聞こえる。

                三

 番町の旦那様がおいでと聞いて、雪や、兄様がお見舞いに来てくださったと言って

も、顔を横に向けて振り向こうともしない無礼を普段なら怒るところだが、ああ、放っ

ておいてください、気持ちに逆らってもいけないからと義母の差し出した座布団を受け

取り、枕元から少し離れ、風を背にして柱の横で黙然としている父に向かって静かに

一つ二つ言葉を交わした。

 番町の旦那というのは口数少ない人と見えて、時々思い出したようにはたはたと団扇

を使ったり、巻煙草の灰を落としたり、また火を付けて手に持っているくらいで、絶え

ず雪子を尻目にかけながら困ったものですなと言うばかり。こんなことになるとわかっ

ていたら、ほかに方法もあったのでしょうが、今となってはどうにも仕方がない。植村

もかわいそうなことだったと下を向いて嘆息すると、どうも私が全く世に疎いものです

し、母親もあの通りであるので、どのようにも全くらちのないことになってしまいまし

た。第一娘の気が狭いからではあるが、いや、植村の気も狭いからこんなことになって

しまったので、私共はあなたに合わせる顔もないような成り行きとなりましたが、雪を

かわいそうと思ってやってください、こんな体になってもあなたへの義理ばかり思って

情けないことを言い出すのです。少しは教育を受けた身なのに狂気するとは全く恥ずか

しいし家の恥にもなる憎むべきことだが心を汲んでやってください、操というものを

取り留めておいたことだけでも憐れんでやってください。愚鈍ではあったが子供の頃

からこれという失敗もなかったことを思うと残念なようにも思い、本当に親ばかという

のでしょう、治らないのなら死ねばよいとまでの諦めはつきかねるのです。この頃の

ようにあまり忌まわしいことを言うと、死期近づいたのではないかと取越し苦労をした

り、大塚の家では何かが迎えに来たなどという騒ぎがあって、母親がつまらぬ易者を

呼んで見てもらうと、ばかげた話だが一月のうちに命が危ないと言ったそうだ。そう

聞けば気分もよくないし当人もしきりに嫌がるので、引越せばよいとここを探して来た

ものの、どうも長くはなさそうだ。ほとんど毎日死ぬ死ぬと言うし、見た通り人間らし

い色つやもなく、食事も一週間ばかり一粒も口に入れていない。それだけでも疲労

甚だしいと思うのでいろいろ意見するのだが、病のためかどうか、とにかく誰の言う

ことも聞かないので困り果てています。医者は例の安田先生が来てくださるが、素人

任せではわがままが募って良くないと思うので私の病院へ入させることは不承知かと

毎度聞かれている。それもどうかと母親が嫌がるので私も二の足を踏んでいる。入院

すれば家と違って窮屈だろうから。しかしこの頃飛び出すようになって、私はもちろん

太吉とお倉の二人くらいの力では到底引き止められなくなってしまったので、万が一

井戸へでもと思えば、むろんふたはしてあるのだが、往来に飛び出されても大変だ。

それらを思うと入院させようかとも思うがやはり不憫で決めかねてしまいます、あなた

も思うことがあれば言って見てくださいと、くるくると剃った頭を撫でて、思案に暮れ

た様子。はあ、はあと聞く人にも言葉はなく一緒にため息をついている。

 娘は泣いてもだえ苦しんだので、ただでさえ弱っている体の疲れが甚だしく、なよな

よと母の膝に寄り添ったまま眠ってしまった。お倉、お倉と呼んで付添いの女中と一緒

に抱き上げて郡内(甲斐絹の夜具用高級絹織物)の布団に寝かせると、正体もなく夢に

入ったようだ。兄は静かにいざり寄ってのぞき込むと、黒い多い髪の毛を惜しげなく

ひっ詰めて銀杏返しを壊したように折り返し、髷のように畳み込んだのが横に曲がって

乱雑な姿。幽霊のように細い白い手を重ねて枕元に投げ出し、浴衣の胸が少しあらわに

なって、締めた緋縮緬帯揚げがほどけて帯から落ちかかっているのも、なまめかしい

というよりも痛ましい様子である。

 枕の近くに机が一脚置いてあるのは、時々硯を欲しがり、読書をすると言って学校に

行く真似事をするので、心任せのいたずら書きでもせよとのため。兄が何気なく積み

重ねた反故紙を手に取って見ると、怪しい書体で正体のわからぬ文字を書き散らかして

ある。これが雪子の筆跡かと情けなく思っているとはっきり読めたのは村という字、

郎という字、ああ植村錄郎、植村錄郎、読むに堪えず黙って元へ戻した。