若葉かげ

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 くっそ寒いとこに暮らしていると近隣から梅が桜が咲いてくるので、地元で咲くまで

1ヶ月楽しめる。しだれ桜も一緒に咲くので大変豪華。北国は一気に花が咲く喜びと、

秋の紅葉が素晴らしい。一昨年紅葉に感激した際、地元の人に「紅葉来たら冬になるか

らねえ…」と言われたが、雪不足だったので実感せず(とはいえくっそ寒いのは寒い)

今年何度も雪かきして、その意味がよーくわかったのでした。経験したのでもう十分。

 さて一葉日記、無為な自分の愉しみとして、下手な文章、勝手な解釈ながら簡略で

平易、願わくば優美(言葉通りやさしく、きれい)な言葉で訳していきたい。知識不足

は全集の脚注と、分かりやすい高橋和彦訳に助けていただいて…。先にきれいで安く

て、周囲の人の思い出話付き小学館版を買ってしまい、筑摩全集の4巻下(書簡、この

巻だけない全集の多いこと!)に悩ましい思いをいだいています。

 

                若葉かげ

 

 花を愛で、月に心浮かれるような、風流をよろこぶことも稀にはある。思うことを

言わないとお腹に溜るなどというたとえ(徒然草)もあり、嬉しいこと悲しいこと、

自分の思いを綴ってゆきたいと思う。もとより人に見せるつもりはないので華麗な文章

でもなければ、艶やかな話題もない。その時々の気ままな言葉なので、うぬぼれて後々

恥ずかしい思いをしたり、くだらなくて笑われることもあるだろう。若葉かげなどと

大げさに名付けたが、ますます繁ろうなどという考えではなく、

 うのはなの うきよのなかの うれたさに おのれわかばのかげにこそすめ

  卯の花咲く 春の浮世を憂う私は 若葉の蔭にひっそりいるのがふさわしい

 

明治24年 卯月11日

 吉田かとり子さんの隅田川の家に花見に招かれた日。先生の家に集まってそろって

行く友人もいるが、私は妹が家に閉じこもって春の風にも当たらないのが心配だったの

で「一緒に行こう」と誘って出かける。花曇りと言うように空は少し霞み、日差しが

強すぎないのもよい。「上野の桜は満開過ぎたと聞くけれど、花は満開、月は満月だけ

を楽しむものではないのよ、花散る木陰のほうが風情があるくらい」と言うと、「兼好

法師ですか」と妹に看破され、返す言葉もなかったことがおかしかった。家からは上野

までは遠くもないので、朝露の残る頃に到着した。聞いていたほどでもなく、清水の

御堂(不忍池)の辺りはだいぶ散っていたが、権現神社(東照宮)の右手にある桜は

若木とはいえ満開だった。さっと吹く冷たい朝風に、花が吹雪のように散り乱れるのが

あまりに美しいので、

 大空におほふ計の袖もがな 春さく花を風にまかせじ(後撰集・読人しらず)

  大空を覆う袖のよう 桜を風にまかせましょう

と言いたかったが、「いつものひけらかし」と笑われそうなので黙っていた。吉田さん

の家に急ぐので、花を惜しみながら車坂を下る。ふと、「ここはお父さんが生きていた

時分、花の頃にはいつも私たちを連れて朝に晩に来たところでしょう」と妹が言った

ので、その頃を思い出し、

 山桜 ことしもにほふ花かげに ちりてかへらぬ君をこそ思へ

  今年も咲いた山桜 散って帰らぬあなたを思うばかり

「さびしいね…」と二人涙ぐんだ。山下という所を過ぎ、昔住んでいた家の付近を通り

世の移り変わりを目の当たりにした。まだ8年しか経っていないのに、下寺と呼ばれて

いた墓所には線路が敷かれて鉄道が通っており、駅、区役所、郵便局など、当時は思い

もしなかったものが立ち並んでいる。妹と書の先生の元へよくここを通っていたもの

だったが「いずれそのようになる。」と言う人がいた。「いつの世のことでしょう、

蜃気楼ではないですか。」などと笑い種にしていたが、あっという間にその通りになっ

てしまった。それにひきかえ自分は何も変わっておらず、年ばかり取ってしまったと

情けなく思う。この辺から車を雇って隅田川まで行き、枕橋という所で車を降りた。

 散りもはじめず 咲きものこらぬ(謡曲鞍馬天狗

満開の桜は、遠くから見れば雲の一群のように見え、近くからは梢に積もる雪のよう。

 まだ人出も少なく、花を独り占めして歩いていると蝶になったような心地だ。秋葉

神社、白髭神社を過ぎ梅若塚の方まで足を延ばして花を楽しむ。ここまで来ると人影が

なく大変嬉しい。戻る途中長命寺の桜餅を買って妹に持たせる。母への土産である。

三囲神社で妹と別れた。かとり子さんの家はこの神社の後ろにあり、3階建てだった。

 私より先にみの子さん、つや子さんが来ていたのでいつもの軽口をたたいていると、

今日は大学生の競漕会とのことで、船が木の合間に見え隠れするのがとても嬉しい。

双眼鏡で見せてもらうと、この高い家の真下を漕いでいるように見える。組別に赤、

白、青や紫に色分けされた服を着け、それぞれが漕いでいる様子は水鳥のように心の

ままだ。土手からは友達が「赤!」「白!」などと仲間を励ましながら心配そうに船に

ついて走っている姿も勇ましい。みの子さんがうらやまし気に見ながら「勝ったらさぞ

嬉しいでしょうね」と言ったが私は「負けたらさぞ悔しいでしょう」とため息をついた

ので笑われた。その内先生たちがやって来た。龍子さんと静子さんは競漕会に招かれて

いて「後でまたこちらに来ます」と出て行った。

 歌合せの間、心は空を飛び、花の姿が目に浮んで気もそぞろでいると、折から花火が

打ち上がったので先生が「はなにはなびをそへてみるかな」とお書きになって、「上の

句をおつけなさい」と伊東夏子さんに渡すとすぐに「おもふどちまどゐするさへうれし

きを」と書いて差し置く様子はいつものことながら鮮やかだ。

 仲間と集うことだけでも嬉しいのに 桜に花火まで添えて見られました

 そしてみの子さんが「かわずのこえものどかなりけり」と書いて私に「上の句を」と

よこしたので驚いて、先ほどの花の下を浮かれ歩く心を取り戻そうと大層慌てた。

「早く」と責められ「おもうどちおもふことなき花かげは」と書いたようだが、うわの

空でいたので忘れてしまった。

 仲間と過ごす憂いのない花の下 蛙の声ものどかに聞こえる

 素晴らしい歌が数々あったが、それもみな忘れてしまった。会が終わって久子さんが

お琴を弾いたが、趣味のない私でも「松風のひびきともやいふべからん」と感じた。

 琴の音に 峰の松風通るらし いづれのをよりしらべそめけむ(斎宮女御

「日も暮れてきました。お琴の音には心惹かれますが、花も惜しいので帰りましょう」

と先生がおっしゃった時、龍子さんと静子さんが帰って来た。かとり子さんがもうしば

らくと引き留めたが、お別れして出た。お供の男衆には振る舞い酒があるので「後から

来てください」と先生はじめ13、4人で土手に上がった。ちょうど夕暮れに差しかか

り風は少し冷たいが、散る花が蝶の様に見えて美しい。酔った人が私たちにいたずらを

を言うのがとても失礼で憎かった。日も暮れゆくとそのような人もいなくなったので

安心して花の下を巡り、それぞれがじゃれ合っている内に暗くなり、川を見れば白い布

を敷いたように霞み、向かいの岸の灯りがかすかに見えて寂しげだ。「さあ帰りましょ

う。月が出ていればまだいいけれど、不安だから。」と先生が言うのも若い女性ばかり

連れているからもっともであり、もう少しとは思うが男衆も来て呼ぶし、惜しいが桜を

離れて車止めまで行くと春雨が少し降ったので、別れの涙だと言い交した。枕橋まで

一緒で、そこからみな別れたが本当に名残惜しかった。それにつけても春の中の春とも

いうべき日だったと思うにつけ「もうしばらく明るかったら」と願うのは、「隴を得て

を望む(後漢書・足るを知らない)」という心だろう。

 

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                        猫も春の日 足どうなってるの?