若葉かげ

15日

 雨少し降る。今日は野々宮菊子さんが以前紹介してくれた半井桃水氏に初めてお会い

する日。昼過ぎに家を出る。氏が住むのは海に近い芝の南佐久間町というところ。前に

鶴田さん(半井家に寄宿)に用があり、一度行ったことがあるので道はわかる。愛宕

の通りの何とかいう寄席の裏を行き、突き当りの左側の家だ。門をくぐって声をかける

と、出てきたのは妹さんだった。「こちらへ」と左手の廊下より座敷の中へ案内され、

「兄はまだ帰っておりませんので、少しお待ちください。」と言われた。

(先生は東京朝日新聞の記者として、小説や記事をたくさん抱えているのだから、さぞ

お忙しいことだろう。)などと思っている内に門の外に車が止まる音がして、帰って

来たようだ。やがて普段着に着かえていらしたので、初見の挨拶を丁寧にした。

このようなことは初めてなので、耳はほてり唇は乾き、何を言ってよいかわからず、

話もできず、ただただお願いしますと言うばかり。傍目にはどれだけ愚かしく見えた

だろうと思って恥ずかしかった。

 先生は30歳くらい、見た目のことなどを言うのは失礼だが、思ったままを書き記し

たい。色がとても白く、穏やかに微笑む様子は3歳の子供でもすぐになつくだろう。

背も人よりずっと高く肉付きもよいので、見上げるようだった。落ち着いた話しぶりで

当節の小説の状況などを教えてくださり、

「自分が書きたいことは世の人に好まれず、好まれなければ世に出すこともできませ

ん。日本の読者は幼稚なので、新聞小説といえばありふれた奸臣賊子、姦婦の話でない

と売れないから仕方がないのです。今私の書いている小説は決して心にかなうものでは

ありません。世の学者、識者と言われる方々からさんざん言われているが、私は名誉の

ために書くのではなく、家族を養うために書いているから非難も甘んじて受けているの

です。いつか思い通りの小説が書ける時が来たら、黙ってはいませんよ。」と言って

大笑いするので、本当にその通りだと思う。さらに、

「君が小説を書こうとしている事情は野々宮さんからよく聞いています。大変だとは

思いますが、しばらく耐えてがんばってください。私に師匠などと言われるほどの能は

ないが、いつでも話し相手になりますから遠慮なくいらっしゃい。」と優しくおっしゃ

るので、あまりに嬉しくて涙がこぼれた。話をしているうちに、

「夕食をどうぞ。」といろいろ持って来られる。親しいおつき合いではないので何度も

遠慮したが、

「我が家は田舎流に、どんな知り合いにも、ごちそうはないが箸を取っていただくのが

習慣なのです。気持ちよく召し上がってくれたら私も嬉しい。お相伴しますから。」と

勧めるのでいただいた。そうこうしているうちに雨が降り出し暗くなってきたので、

「そろそろ帰ります。」と言うと、「車を用意させていますよ。」とおっしゃる。

書いて来た1回分の原稿を置いて、先生の著書を4、5冊お借りし、お心配りの車に

乗って8時頃家に帰った。

 

21日夜

 野々宮さんが吉田さんと来る。野々宮さんの幹事で園遊会を催すので、その景品など

の相談だった。11時頃に帰った。

 この日、小説の続きを書いたので明日先生のところへ持って行こうと清書を始め、

5回分ほど書いたところで母が「もう遅いので明日になさい。」と言いに来たので、

終わりにした。

 

22日

 昼過ぎに半井先生を訪ねる。いろいろな話をしてくれて、

「先日の原稿は新聞に載せるには少し長く、文体も古めかしいですね。もう少し俗っぽ

く書いてもいいですよ。」と教えてくださった。

「ほかの小説家を紹介しようと思ったのですが、差しさわりもあるでしょうからやめま

した。しかし私の友達の小宮山即真君はよき師になると思うので、彼にだけは引き会わ

わせたいと思います。」と言う。

「昨夜書いた分を添削してください。」とお願いして、この日は早く帰る。

 最初に会ってよい人だと思っても、次にはそう思えない人もいるが、先生は先日より

さらに親しみ深く接してくださり、本当にありがたく思う。

 

24日までに原稿を仕上げる。明日は小石川の稽古日なので支度など忙しい。夜、半井

先生に原稿を郵便で送る。

 

25日

 雨降る。早朝小石川に行く。昼頃から空が晴れ渡り陽の光は華やかだが、今日は何だ

かものが手に着かない。どうしてかわからない。日暮れて帰宅。

その夜半井先生より手紙が来た。

「小説のことで話したく、また先日話した小宮山君にも紹介したいので、都合が悪く

なかったら、明日午前中、神田の表神保町の俵という下宿にいらしてください。」

とある。母に相談すると行ってもよいとのこと。何となく胸がいっぱいになって、眠る

気になれなかった。

 翌日早起きすると、空は黒雲に覆われている。雨が降りそうだと思い悩んでいると、

母が「降ったら行くのはおやめなさい」と言う。「私の用事で呼んでくださったのに

待たせるのは申し訳ないから、強く降らなかったら行ってみます。」と支度していると

「雲の切れ間が見えてきましたよ。」と言われ、喜んで家を出た。田町辺りでまた黒い

雲が出てきて、にわかに雨が盆を返したように降り始めた。もう帰っても濡れるのは

同じだから行ってしまおう、と車を雇って行く。下宿は小川町の洽集館の南に新しく

開けた土地にあった。この年まで下宿に人を訪ねるなどしたことがないので、入るのに

も気後れしたが、思い切って「半井様はいらっしゃいますか。」と尋ねると、女中が

不審な顔をして「どちら様ですか。」と聞く。名を言うと「こちらへ。」と伴われて

入ると、小さな部屋がたくさん並んでいた。半井先生は2階と階下に座敷を二間持って

いて、住んでいるかのように箪笥などもあるので、よく手が回っているものだと思いな

がら入ると、先生は手紙を書いているところだった。「少し待ってください。」と

言いながら書き終えた。今日は洋装をしている。いつものように穏やかに、

「昨日があまりにいい天気だったので、今日雨が降るとは思わずにお呼びして悪かった

ですね。小宮山君は急に体調が悪くなり、今朝鎌倉に療養に行ってしまったのです。」

と大変申し訳ながる。小説の話を丁寧にしてくれて、

「この次はこういうものを書いたらどうだろうか。私がかねてより書きたかったもの

だが暇がなくて。」とその内容を語る。そして、

「今日はまず君に言わなければいけないことがありました。」と言うので、

「どのようなことですか。」と聞くと、

「大したことではないけれど、私はまだ年老いた男でもなく、あなたはうら若い女

なので、お付き合いをするのに不都合がありますね。」と迷惑げに言う。私も以前から

それを気にしていたので、顔から火が出るようで、手の置きどころもなく、ただただ

恥ずかしかった。

「それでいい方法を考えたのです。私は君を昔からの男友達と見なしてなんでも話す

から、君も私を大人の男だと思わずに、女友達と思って隔てなく話をして下さい。」と

にっこりした。我が家が貧しいことも先生は御存じで、

「困ることががあったら何でも相談してほしい。私もできる限りのことはしてあげたい

と思っているのですよ。」と先生が貧しかった時代のことなど話してくださったので、

いろいろ考えるところがあった。

 昼ご飯をごちそうになり家に帰る。先生から聞いた話を思うと、家はまだ貧乏とは

いえないと思った。先生はもっともっとご苦労をしたようだ。

 

皐月2日

 小石川の稽古日。珍しく晴れ渡って一叢の雲もないので来る人が多かった。先生が、

「どうです、今日というよき日を逃さずに植物園へツツジやボタンを見に行きません

か。」とおっしゃったのでみな「それはいいですね。」と大層喜ぶ。3時頃より13人で

出かける。先生がいつもの道ではなく、伝通院の裏の藪中の変な道に踏み入ったので

いつまでもたどり着かず、その辺で遊んでいた田舎の子に聞くと、大層きちんと説明

してくれた。見苦しい姿をしていたがかしこい子だった。5時までに入らなければいけ

ないのに10分前だったので、あわただしく切符を買い求めて入る。中での様子は言葉

に尽くせないので、また後日書くこととする。6時頃帰る。

 

8日

 教えを乞いに桃水先生を訪ねる。この日は風は強いがよい天気だった。いつもの時間

に伺う。先生はやがて帰ってきて、小説の話をいろいろした。

「今日は小宮山君を紹介しようと思うのでもう少しお待ちなさい、会社の帰りに寄る

ことになっているから。」と言う。少し経ち、そろそろ日が暮れようとしているところ

に即真先生がやってきた。先生は34歳で桃水先生より2歳年上とのこと。背は高く

なく、肥えてもいないが人柄はとても穏やかに見受けられた。例によってまた夕食を

いただく。長くいては迷惑なので何度も帰ると申し出、手配していただいた車で帰る。

8時。

 

12日

 先生から、麹町平河町という所に引っ越したという知らせが来た。また、「話したい

ことがあるのでお会いしたい。」とあったので「15日に参ります。」と返信した。

 

15日

 昼過ぎ、約束していた半井先生を訪れるため平河町に行く。今度の家は大変結構な

場所にあった。しばらくして帰って来たので「何か御用でしたか。」と聞くと、

「実は、知り合いの大阪の出版社が雑誌を発行するにあたって、小説家を紹介してほし

いとのことだったので、君をぜひにと思って話をしていたのです。それがロシア皇太子

が切りつけられる事件が起こったので、今朝急きょ大阪に帰ってしまったのです。君に

連絡しようと思ったが間に合わなかった。罪深いことをして申し訳ない。」などと謝る

のでかえって心苦しかった。少し話をして帰る。日没前だった。

 

27日

 前に約束した小説ができたので、桃水先生を訪ねる。今日はいつもより遅かったので

先生はもう帰っていらした。私のためによかれと思うことなど様々なお話しがあった。

帰ろうとすると、

「もう少し待ってください。君にごちそうしようと料理しているところだから。」と

心からおっしゃって下さるので、いつものようなお断りも言いかねてとどまった。

やがてお料理が来て、「これは朝鮮の元山の鶴ですよ。」とのこと。そのような遠来の

ものを出していただくとは、本当にありがたいことだ。食べ終わると、

「そろそろお帰りなさい、暗くなってしまいますから。」と今日も車を呼んでくださっ

て、帰ったのは7時だった。

 

30日

 残りの原稿を郵便で送る。今日は小石川の稽古日だった。

 

31日

 みの子さんの発会が、三番町の万源にて催されたので早めに行く。会主としばらく

話しているうち、中島先生も見えた。来会したのは30人ばかり、5時頃みな帰ったが

私は7時頃に帰った。

 翌日朝早くみの子さんに手紙を出す。習字をしていたが、小石川の先生が昨日、ずい

ぶん疲れたように見えたことが気になって様子を見に行った。大したことはなかった

ようで、昼頃帰った。

 

水無月2日

 明日半井先生を訪ねようと手紙を出す。

 

3日

 少々曇り。いつもの時間に先生を訪ねる。先生は近所の友達に会いに行っているとの

ことで女中が呼びに行った。次の小説の趣向について話し教えを乞うと、思うことを

余すところなくお話していただいた。雨が降ってきたので帰ろうとすると、

「まあ、もう少しいたまえ。」と言い、

「君が来る時は必ず雨が降るのは妙だね。でも今日降ったのには理由があって、私が

いつになく今朝3時に起きたからなのだよ。」とおっしゃって大いに笑う。

「そうに違いありません、これからは私の伺う日には必ず寝坊してください。」と冗談

を言うと、先生が真顔になって、「承知いたしました。」と答えたので恥ずかしくなっ

てしまった。門を出て少しして車を雇って帰る。家に入る頃雨が降り出したので、

「早めに帰ってきてよかったね。」などと家族と語り合った。

 

6日

 小石川の稽古日。残ってみの子さんと2人で手習いをした。帰りに先生の妹である

くら子さんが家に来たいと言うのを断りかねて伴う。8時頃お帰りになった。頼まれた

針仕事を遅くまでした。

 

7日

 昨夜の残りを朝早くからして10時頃仕上げる。その後机に向かう。

 

8日

 今日はお灸をすえに行こうと思っていたが、空模様が怪しいのでやめた。午後から

晴れる。夜12時就寝。

 

9日

 快晴。今日は小石川の月次回なので、早く支度するため4時頃起きた。10時頃行くと

来会者は20人くらいあった。散会は5時頃だった。私は残って名古屋の礼子さんに送る

ための評の表書きなどして、帰宅したのは日も暮れた後だった。

 今日の床飾りは水戸藩の立原某が描いた竹に鶴の掛け軸、古薩摩の花瓶に、夏菊と

姫百合が投げ入れてあり優美だった。小笠原家からマキノ―リア(モクレン)という

煩わしい名前の、麗しい花が送られた。日本のものではないので趣が違って珍しい。

葉はユズリハに似ているが裏の色が薄く、花は芙蓉に似ているが中のしべが違う。全部

開いたら20センチくらいになるという。名前が麗しくないので、歌に詠むことができ

ないことが残念だ。この花に限らずそういうことはよくある。

 

10日

 朝から曇り。今日はみの子さんと一緒に図書館に行く約束だったので、ついでに

お灸をすえようと昼から家を出て下谷にへ行く。2時頃よりみの子さんと図書館に

行く。6時頃帰宅。