若葉かげ

 萩の舎の歳くらべは省略

11日

 今日も曇り。梅雨入りしたというような天気。今日の新聞に、小舟町二丁目石崎廻漕

店所有の汽船石崎丸が小樽より東京に向けて出帆したが4日の夜銚子の沖合に差しかか

ったところで脆くも沈没し、乗っていた50余名すべて溺死したとのこと。5日にブイが

流れ着いたところから判明したもので、その後死体や荷が漂着したそうだ。なぜか船の

遭難は灯台局どころか、どこにも知らせがなかったというが、救命の汽笛も灯台から

3里以上の沖合では届かなかったのだろうか。遭難した犬吠埼の西南、長崎浦付近の

辺りは暗礁が多いとのことで、当夜は東風が強く波高く、さらに霧深く海面を閉ざして

いたとか。涙ぐまれることだ。

13日

 今日は小石川の稽古日、朝7時頃行く。先生はちょうど起きたところだった。みの子

さんより乙骨まき子さんからの手紙を受け取る。石田農商務次官の紹介で大島みどり

さんが入門した。伊東夏子さんより依田学海著作「十津川」の話を少し聞いた。みなが

帰った後いつものようにみの子さんと2人で習字をした。帰宅時先生より反物一反を

いただいた。 

14日

 雨。今日はみの子さんと図書館に行く約束だったが、支障があって行けなくなり葉書

で断った。邦子が関場さんの所に行って借りてきた本の中に「十津川」があった。

昨日聞いて憧れていたので、思いがけず読む機会を得て大変嬉しい。

15日

 まき子さんに返事を出す。午後秀太郎(甥)が来た。今日も終日雨だった。半井

先生を訪ねようと思っていたが、急に気分が悪くなりやめた。

16日

 朝から雨。早朝三田の兄から手紙が来る。午後秀太郎が遊びに来た。日没後半井先生

から手紙が来て「話したいことがあるので明日か明後日いらしてください」とあった。

小説のことだろうと思うと胸がどきどきし、何となく気になって一睡もできなかった。

雨は一晩中降っていた。

17日

 明け方まで夜中の雨の名残があり、晴れる様子はなかったが、昼になる頃少し雲の

切れ間が見えるようになった。今日先生をお訪ねしようと急遽支度をして2時頃出か

けようとしたところ奥田のおばあさんが(借金取りに)来たので(返して)「ご一緒

に」と出る。おばあさんとは真砂町で別れた。近くまで来るとあちらこちらに提灯が

掛けてあるのは日枝神社のお祭りの日だったからで、うかつにも忘れていた。

 いつも通り女中に座敷まで通してもらってから「お帰りはまだですか」と聞くと、

いぶかしげに「お約束されたのですか」と問う。「いえ、昨日先生から手紙で『今日

あたり来てください』と言ってきたのです」と答えると「ならばもう少ししたらお帰り

でしょう、今朝出る時に『今日は会議があるのでいつもより遅くなる』とおっしゃって

いましたので」と言う。「では待たせてください、もしお帰りにならなかったらまた

出直します」と話しているとこう子さんが帰って来た。他愛のない話などしているうち

5時を過ぎてしまった。「もう帰って来ないようだから、日が暮れる前においとましよ

う」と思っていると、いつものように夕飯の支度がされていたので、お断りもできずに

いただいたところへ先生が帰宅した。話は多くあり、小宮山先生の思いやりある助言

や、半井先生の情け深いお言葉には感謝の念は堪えないが、その内容は自分にとって

大変悩ましく、どうするかの判断がつかないことだったので、いつか昔語りとなって

しまえば嬉しいが、今は記さないこととする。(書いた小説が採用されず、新聞向け

にもっと俗っぽく書き直すよう助言されて自信を失った)

 帰る頃には日も西に傾いていた。道を変えて堀端を通って帰る。夕暮れの風は少し

冷たく、お濠の水面は薄暗かった。お濠にかかる松の枝は様々な姿で、千年も経って

いると聞くが、老いてますます盛んとはこのことかと思う。振り返れば西の端に日は

沈んで、赤い雲が「はたて」というようにたなびいているのも哀れに見える。

 夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ 天つ空なる人を恋ふとて(古今集

  夕暮れの雲が(旗の様に)たなびいているのを見ると悩ましい 

  空(の果て)ほど遠い人に恋をしているのだから

行きかう人もなくはないが、町中ではないのでとても寂しい。土手の柳がたなびいて

いるのを見ると、人も世の風に従えということかとうんざりする。それに引き換え、

松が風に吹かれてどうどうと鳴っているのは、高潔な意志を貫けと聞こえて、沈んだ心

を引き起こしてくれるようだった。「秋の夕暮」ではないが、

  思ふことありとはなしに悲しきは 秋のならひのゆふぐれの空

 思うことのある私は、見るもの聞くもの全てがこの身を引き裂くような気がして、

このまま消え去ってしまいたいと思うが、親兄弟のことを考えると私一人の体ではない

ので思い直すしかない。いつのまにか九段の坂の上に来ていた。ここからはにぎやかに

なって馬車も多いので気をつけないと足元が危ない。思い悩むままうつむいて歩く姿が

不審だったのか、すれ違う人が私の顔を覗き込むのでとても恥かしく体裁が悪かった。

そこまでにも見えないと思うが、心が顔色に出ていたのだろうか。家に着いたのは暗く

なってからだった。

18日

 朝から晴れ、珍しいので嬉しい。茄子の苗をいただき母が植えた。

19日

 今日も晴れ。朝早く梅の実を落とす。みそこしざるに一杯分採れた。虫食いの実も

あるので実際はもっと少ないだろう。それというのも先日この家の管理人が来てほとん

ど落としていった後だからだ。2升以上あったようだなどと話す。昼過ぎ、今日も図書

館に行く。約束があったのでみの子さんを誘うと待っていて、一緒に行きましょうと

言う。6時頃まで閲覧して帰る。

20日

 朝戸を開けると昨日の名残もなく曇って、今にも雨が降りそうだった。「ああ嫌だ、

今日は稽古の日なのに」と口に出る。すぐに雨が降り出し、家を出る頃にはますます

降って来た。そのため稽古に来た人は少なかった。先生は昨日から気分が悪いとのこと

だった。日頃頭を使い過ぎているためだろう。「今日は静かにお休みくださった方が

よろしいですよ」とみの子さんと私とで代稽古をした。昼頃より少し日が差してきて、

帰る頃にはよく晴れた。今日は初めて先生の川越の親戚に会った。「動物詠史」という

おかしな話を聞いたり、髪結いの歴史の話などもあった。(以下略)

21日

 終日降る。その夜11時頃大きな雷があった。後で聞くと浅草の久右衛門町に落ちた

そうだ。

22日

 晴れ。昼過ぎ先生の様子を見に小石川に行き、一緒に中村さんの家を見に行く。彼女

は明日帰京するとのこと。今日は邦子の誕生日だったのでささやかなお祝いをした。

23日

 晴れ。早朝からお灸に行き、後図書館へ。弁当を持って行って2時頃帰る。西村さん

が来た。

24日

 究竟は理即に等し(徒然草

(みほとけの悟りの境地と、凡夫が理を知らなくても成仏できることは同じ)と聞く

が、昔の迷った心と、迷いから覚めて悟った今の気持ちとは同じようなものだ。

この若葉かげは、迷いの始まりだったのか、悟道への入り口だったのか。若葉が枯木に

なった後にこれを見る人がいたら、

  なほしげれくらくなるとも一木立