蓬生日記

 日かげにとほきやへむぐらのあき、いとど霧のおき所なさに、筆さしぬらしてかひつづくれば、あやしう人のしりうごとのやうにもなり待しかな。

 日差しの届かないほど荒れ果てた家にも秋が来る。軒端に降りしきる露を使って筆を

濡らし、思うままに書き連ねてみると、おかしなことに蔭口ばかりになってしまう。

 

長月15日

 晴天。9時頃お灸に行く。50人ほどいたが10時頃終わって図書館に行く。

「本朝文粋」「雨夜のともし火」「五雑俎」を借りた。馬琴の著書の中に「五雑俎」と

いう言葉がよく出てくるので知りたくなったためである。しかし不勉強のせいで、なか

なか理解できない。仕方のないことだ…。3時ごろ出てみの子さんを訪れ、少し話をし

て帰る。彼女はおとといから箱根と鎌倉を旅行して昨日帰ったとのこと。塔の沢(箱根

の旅館)て白なみの立さわぎし(盗難)という話があった。 家に帰ったのは5時前

だった。この夜はとても眠くて早く寝た。10時頃だったかと思う。

 

16日

 今日も珍しいほど良い天気。風も雲もない上暑くもない。いつもこんな風であったら

と思う。母は湯島の紺屋に行く。洗い物などしているうちに10時頃か、山下直一さん

が来た。話をしていると母が帰ったので交替して、私は先生の仕立物に取りかかる。

直一さんは4時頃帰った。郷里の熊谷からと着物に入れる綿をいただいた。夕食を早く

食べて、邦子と散歩に出た。「明日は中秋の名月なのに、今日から空に雲がかかって

しまってどうなるだろう」といつものように心配し「また駄目かしら」と残念がる。

 

17日

 早朝髪を結って先生の所に行く。今日はみの子さんの月次会なので硯を借りて持って

行く為。11時半に家を出る。母がみの子さん宅近くまで送ってくれた。話をしている

と人が集まってきた。今日は中秋、空は高く晴れ渡ってわずかの雲もなく、風も強くは

ないが涼しくて、とてもよい天気だった。点取りのお題は「対山待月」(山に向って

月を待つ)だった。小出先生と中島先生が採点して両方から甲を得たのは、

 山のはの梢あかるく成にけり 今か出らむ秋のよの月

 山の端の梢が明るくなってきた 秋の月が今にも出ますよ

という私の句で、賞をいただいた。今日のお題は「山家の水」「枕辺虫」。天を取った

のは小川信子さん、地は中村礼子さん、人は伊東夏子さんだった。日没前にみな帰った

が、つや子さんの迎えが遅かったので一人残るのがかわいそうで私も残った。迎えが

来たので私も帰る。みの子さんが雇ってくれた車に乗って出ると、月は上野の山を離れ

桜木病院の屋根にかかっている。「月を見残して帰るのは名残惜しい」と残念だった。

切り通しに差しかかった頃から雲が出てきた。家に着いても月の光は少しあったが、

更けるにしたがって雲はどんどん重なり、思った通りだと残念だった。夜姉が来て母と

出かけた。いつものように怠けてしまって早く寝る。

 

18日

 朝から晴天。11頃より小雨。今日はいろいろすることが多くあわただしかったの

で、仕立物もできずに机に向かう。一日降って夕方からは風もとても寒くなる。明かり

をつけて、改めて今日も何もできなかったと思う。いつも悔しがっているのに、何で

できないのかと思うと自分が憎い。一晩中降る。11時頃寝室に入る。

 

19日

 朝小雨。今日は例の稽古日。明け方家を出る。先生は朝食中だった。話をしている

うちに人が集まってきた。てにおは(助詞など)の間違えを正していただいた後に、

「さて」と言う。「あなたは最近新古今集を勉強しているようで、似た感じのものが

多いですね。悪いことではないのですが、そのまねばかりではいけません。古今集

お読みなさい、持っていなかったら貸してあげますから」と丁寧に教えていただく。

明日は松園(加藤安彦先生)の月次会なので、その兼題を今日の点取りの題とした。

8点以上のものを清書するとのことで、みの子、夏子、広子、艶子と私の5人で色紙に

寄せ書きをして送る。帰ったのは3時過ぎ。空は晴れ渡っていた。この夜も早く就寝。

 

20日 

 晴天。先生の仕立てをした。特に変わったことなし。中島くら子様に手紙を出す。

 

21日

 朝から晴天。午後母は築地に寺参りに行った。望月から使いが来てさつま芋をいただ

く。日没後より雨降る。夜更けて風も強くなりひどかった。天の川の樋が壊れたかの

ようだった。なすことなく空しく起きていて、布団に入ったのは1時過ぎてだった。