よもぎう日記

 9日

 早く起きて、小石川の初稽古に急いで出かける。「西村のおばさまはもう帰ってしま

っただろうか、通り道なので寄ってみよう」と行くと「今日帰ろうかどうしようか」と

おっしゃっていた。少し話して先生のところへ行くと「昨日お会いしなかったから大変

ご立腹ですよ」と女中が言う。長さんがもう来ていた。先生に昨日帰った理由を述べて

お詫びをした。来会者は10名ばかり。みなが4時前後に帰った後、2階で自分の話をし、

半井先生のことも話した。それについての心得を助言していただいた後、「小説を見せ

てごらんなさい、私にも考えがありますから」と親切におっしゃった。日没後おいとま

する。この夜から自分の普段着の綿入れの仕立てにかかる。1時就寝。

 

10日

 晴天なので「今日は安達さんのところに年始のご挨拶に行こう」と邦子と一緒に支度

をする。「お父さんのお墓にも年始のお参りをしないでいて気にかかるから、今日こそ

行きましょう」と、まず安達さんのところへ行ってから、築地本願寺へ墓参りに行っ

た。すぐに帰って、姉にも挨拶に行った。帰宅後、小宮山さんとおぶんさんが2人で

来た。日知没前までいた。この夜はすることが多くて布団に入ったのは1時になった。

 

11日

 晴天、寒い。母は四谷の上野さんのところに行く。半井先生から手紙が来た。旅行

など行っておらずあの隠れ家にいるとのこと。やっぱりねと笑う。それにしてもあの

手紙を出さないでよかった、よくも書き損じたものだと嬉しかった。母は午後帰宅。

その前に久保木さんと田中さんが来た。今日も一日なすことなく終わってしまった。

布団に入ったのは12時頃。

 

12日

 早起きした。雪がちらちらとしていたが見る間に一寸も積もったので、大雪になり

そうだと言っていると10時頃にはすっかり晴れて陽の光も差し、昼過ぎには雪は消え、

軒先から雨だれの音が絶えない。暮れてからまた雨。小説にかかる。今まで怠けてしま

ったものだ。

 

13日

 晴天。図書館に行くため9時頃家を出た。「太平記」「大和物語」を借りたが、大和

物語は読まず太平記だけ読んだ。3時頃出て家に帰る。母にあんまを呼んだ。旧幕臣

人とかで当時の話を聞いた。日没後母はまだよくないと言うので私があんまをした。

12時就寝。

 

14日

 晴天。母は神田の方に年始に行く。午前中綿入れを縫って午後から小説を書く。日没

後は歌を詠む。宿題の5題を10首。12時就寝。この夜は隣家の浜田何某の夜逃げの奇談

があった。

 

15日

 早朝節句の小豆粥を炊いて祝う。午前中髪を結って午後から小説を書く。夕方吉田

さんが年始に来たので夕食を出した。8時頃まで話して、邦子がマッチ屋通りまで送っ

て行った。

 

16日

 小石川の稽古日なので早く行く。みの子さんが既に来ていた。「以前誘ったかるた会

にあなたが来てくれないと張り合いがないから、嫌と言わずに来てください」と何度も

頼まれ、先生も「行っておあげなさい」と言うので、家に連絡の手紙を出してみの子

さんと一緒に出る。来会者は17人ほど、無礼講の会だったのでいろいろ煩わしかった。

終わったのは午前3時。この夜小地震があった。今日堤よし子さんが入門した。

 

17日

 9時頃まで寝てしまう。朝食をいただき、雇ってくれた車で帰る。母は大変怒ってい

るとのことで、ひたすら後悔。母は小林さんから三枝さんまで年始に行って留守。山下

直一さんが来たので昼食を出す。広瀬ぶんに葉書を出す。3時頃母帰宅。山下さんから

借りた早稲田文学を読む。昨日夜更かしをしたので風邪を引いた。咳が出てつらかった

のでお断りして早く布団に入った。3時頃大震があった。

 

18日

 いい天気。みの子さんの親戚の縁談について吉田さんに葉書を出す。母は望月さんへ

行った。広瀬ぶんさんが来たので昼食を出した。いろいろ話をして3時頃帰った。この

夜も早く寝た。

 

19日

 今日もいい天気。母は下谷に年始をと朝から出かける。風邪がひどくて寝込む。服薬

したが、夜高熱が出た。

 

20日

 快晴。母はおぶんさんに会いに常総館という旅館に行った。私は布団から出られずに

一日過ごす。母帰宅し、おぶんさんがもう監視替え(引っ越しに伴う管轄警察署の

変更)をしたこと、常総館の店主が替わっていたことなど話した。食欲がなくこの夜も

薬を飲んで寝る。浜田さんの妻子が来て9時頃帰宅。

 

22日

 快晴。とても寒い。明日は小石川の稽古日なのに、今日寝ていたら母に行くのを止め

られるので早くから起きた。昼食も味はしないが何とか食べた。御歌会始めの日で、

天皇御製や予撰の歌が新聞に出ていた。何もせず寝た。

 

23日

 快晴。ゆっくり髪を結って、10時頃家を出た。すでに来会者は10名ばかりいた。伊東

夏子さんも風邪で休んでいた。小出先生と小笠原政徳先生が参会して、歌の話をした。

吉田かとり子さんが車から落ちる災難があったとのこと。今日は来会者がとても多かっ

た。日没に終回。先生から鮭の甘酒漬けを一箱いただいて帰る。田中さんより新刊の

小説を借り、帰ってすぐから一晩中読んでしまう。

 

24日  快晴。朝手紙を2通書いた後習字。午後から読書。

25日 こと無し。

26日 こと無し。

27日 曇天。午前いつものように習字をした後小説の下書きを始めた。この夜はなす

   ことなく就寝。

28日 早起きした。曇天、暖かい。主日小説に従事。

29日 曇天。

30日 晴天。小石川、歌合せがあった。日没後帰宅。上野親子が来たとのこと。

31日 書くほどのこともなし。

如月1日 無事。

2日 無事。

3日 半井先生に「明日伺います」と手紙を出す。しばらくして先生からも「明日お目

  にかかりたいが、来られますか」との葉書が来た。これは私が出した手紙より早く

  出したようだ。「こんなに気が合うなんて不思議だ」と笑みが出た。

 

4日

 早朝から空模様が悪く「雪になるよ」とみなが言う。10時頃よりみぞれ混じりの雨が

降り始めた。晴れては降り昼になった。「雪になるならなれ、何を恐れるものか」と

家を出た。真砂町の辺りから綿をちぎったような雪が大小きりなく降ってきた。壱岐殿

坂で車を雇って行く。前の幌が邪魔なので掛けさせなかったが、吹雪のように降る雪に

耐えきれず傘を前に差したがとても苦しかった。九段坂を上がると堀端通りが白くなり

つつあった。平河町に着いたのは12時過ぎた頃だったろうか。声をかけても返事がな

い。おかしいと何度も声をかけたが変わりないので留守かと思い、上がり框に腰を掛け

て待っていると雪はどんどん投げるように降って来る。格子から風も吹き入ってきて

寒いことこの上ないので耐えきれずに上がって障子をそっと開け、玄関前の二畳ばかり

の部屋に入る。ここには新聞2紙(「朝日」と「国会」)が配達されたままになって

いて、朝鮮釜山からの手紙が1通あった。ふすまを開けれは先生の部屋なので、いるか

いないかがわかるのだが、いつもの遠慮から開けることもできず、ふすまのそばによっ

て耳をそばだててみると、まだ寝ているようでいびきの声がかすかにしているようだっ

た。どうしようと悩んでいるところに、「小田さんからです」と女中が郵便を持って

きた。これは、先生は今世から隠れて人に居場所を知らせていないので、親戚など遠く

からの手紙は小田さん宛に送ってもらっているからなのだ。女中もそれらを持ってきた

まま先生を起こしもせずに「よろしく」と言って帰ってしまった。1時の鐘が鳴った。

心細くなり咳などしていると起きたようで、跳ね起きる音がしてふすまが開かれた。

「これは失礼を」と忙しく広袖の羽織を着けながら、「昨夜は歌舞伎座に呼ばれて遊ん

できて1時頃帰り、今日送る小説を書いてから寝たので寝過ごしてしまった。まだ12時

頃かと思っていたら2時近くではないですか、何で起こしてくれなかったのですか。

遠慮が過ぎますよ」と笑いながら雨戸を開ける。「ああ、雪まで降って、さぞ困ったで

しょう」と言いながらお勝手の方に行くのは顔を洗いに行ったのだろう。「独り暮らし

は気楽だが、起きるそこそこ井戸で水を汲んだりしてなんだか侘しい」と思っている

と、十能に消し炭を入れた上に木っ端をのせて持ってきた。火桶に火を起こし、湯沸し

に水を入れてくるなど、見ているだけでは申し訳ないので「私も何か手伝わせてくださ

い、何をどうしてよいか教えてください。まずお布団を片付けましょうか」とたたもう

とすると「いやいや、お願いすることは何もないから、そのままでいてください」と

迷惑そうなので無理もできなかった。枕元に歌舞伎の番付や財布などが散らばり、紋付

の羽織や糸織りの小袖などが床の間の釘につるしてあったりして、乱雑極まりない。

「昨日手紙を出したのは、今度若い人のために、と言うと私が大家のように聞こえます

が、小説を書き始めた人達の勉強がてら、雑誌を出そうと思っているのです。世に知ら

れた作家には頼まず、我々の腕の限りを尽くして倒れて止まんの決心で、原稿料はなく

てもよい、素晴らしい作品を書いて名誉を得たいという計画を立て、おとといその相談

をしたのです。君にもぜひ加わってほしいので、15日までに短編一作をお願いしたい。

最初の1、2回は原稿料が出ない覚悟をしてもらうが、売れだしたら誰を置いてもまず君

に配当しますから」と熱心におっしゃる。「そうはおっしゃっても、私のような未熟な

ものが最初から顔を出したら雑誌の不利益になるのではないでしょうか」と言うと、

「なんでそんなことがありますか、いまさらそんなことを言われると間に立った私が

困ります。みな君を当てにしているのですよ」と言葉を尽くして下さるので「ではよろ

しくお願いいたします、実は今書きかけている小説をお見せしようと思って今日持って

来たのです。まだ完成していませんが」と書いたものを出して見ていただく。「結構で

すよ、これをお出しなさい。僕は前に話したものを小説にしてみようと思っています」

と話す。そのうちに先生は隣家に鍋を借りに行った。若い奥さんが「半井様お客様です

か、お楽しみでおうらやましいこと」などと言っている。垣根一つ越しなのでよく聞こ

えた。「いや別にお楽しみということでもないが」と先生が答えている。「先日おっし

ゃっていた方ですか」と聞かれ「そうです」と言いながら駆け戻ってきた。「雪が降ら

なかったら大ご馳走してあげるつもりだったのに、絵に描いた餅になってしまった」と

お汁粉を作ってくださった。「申し訳ないがお盆もしまい込んでいるし、箸もこれで

失礼」と餅を焼いた箸を出した。様々な話をして、先生の自慢の写真など見せていただ

いた。帰ろうとすると「こんなに降っているのだから、家に電報を出してここに泊まり

なさい」と言う。「とんでもない、許しも得ずに人の家に泊まったら母に大層怒られる

のです」と真剣に言ったので先生は大笑いして、「そんなに怖がらなくても、僕は小田

さんのところに泊まるのだから君一人ここに泊まっても何も起こりませんよ、いいじゃ

ないですか」と言うが、頭を振ってうなずかなかったので、それならと重太さんに車を

呼ばせた。先生の家を出たのは4時頃だっただろうか。白皚皚たる(杜甫・真っ白)雪

の中、凛凛とした寒気の中を帰るのもおもしろい。堀端通り、九段の辺りは吹雪で顔も

上げられなくなり頭巾の上に肩掛けをすっぽりかぶって時々目だけのぞかせるのもおも

しろい。様々な感情が胸に迫って「雪の日」と言う小説の構想が浮かんだ。家に帰った

のは5時。母、妹との話は多かったので書かない。

5日

6日 小石川稽古日。

7日 こと無し。ただし山下さん、石井さん、西村さん、荻野さんが来た。

8日 こと無し。

9日 奥田のおばあさんの病気の知らせが来たので母がすぐお見舞いに行った。その

ことについて邦子といろいろ損團する。荻野さんが朝日新聞を持ってきた。原町田の

渋谷さんに葉書を書いてほしいとの依頼。日知没後母帰宅。おばあさんはそう悪くは

ないらしい。夜姉と秀太郎が来て10時頃まで話して帰る。母も邦子も今日は眠くないと

2時頃まで起きていた。