一葉の手紙

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 馬場胡蝶が一葉の手紙について書いた文章がある。大変おもしろくて、失われた他の

手紙が惜しまれる。 

 

 一葉君は手紙の文章が実にうまい人だった。私は28年の8月末から30年1月にかけて

地方にいたので文学会の仲間たちの中では、一葉君から多くの手紙をもらっているが

みなうまいものである。一葉君の書いたものは今度出る全集で大体まとまるのだが、

まだ詠歌だけがほとんど残っている。それというのも一葉君が15歳のころから没年まで

の相当な数の歌が残されており、選別には骨が折れることだろう。私は一葉書簡集を

出してみたいと思っている。樋口家でもその希望があるようで故人の知友に頼んで手紙

を借り集めている。

 試みに一葉君が私にくれた手紙をみてみよう。郵便局の消印のある封筒も保存して

あるので手紙の日付に間違いはない。おもしろく思うことは、半井君宛の手紙で公に

されたものは、まだ一葉君が作家として名を成していない頃のものであるにも拘らず、

やはり文章がうまいことだ。日記を見てもわかることだが一葉君は文才が元からあった

人であることは確かだろう。

 

 思いのほかご無沙汰してしまったので、どのようなお叱りを受けてもただただ恐れ

入るほかないのですが、といっても一通り申し訳(弁解)を許してください。最初の

お手紙をいただいた頃から中島先生が酒匂に行かれたので、留守をあれこれと頼まれて

毎日の用事が多く家に居られることが少なく、思うながら思いに任せられませんでした

ので、私の方からお恨みを言うところでしたのにあべこべとなってしまいました。悔し

いことですが、今回はお詫びすることにいたしましょう。

 昨日急に秋風が吹くようになって驚きましたが、そちらはいかがですか。お手紙では

いよいよお盛んなご様子ですので、こちらの人たちがどれほどうらやましがっているか

とおかしいです。紫の矢絣を見過ごされたとか、曽根崎辺りを駆け抜けたとか、少し

怪しい話ですので簡単には受け取り難いお話ですが、お気を紛らわせていると思えは

ごもっともだとうなずかれます。みをつくしのゆかしきお方が空しい煙となってしまっ

たと聞けばなおさらです。(琵琶湖の)湖水のほとりで月の下で思い悩むあなたが目に

浮かぶよう。かわいそうな彼女のために、あなたは罪滅ぼしとしてみをつくしの後日譚

というものをぜひお書きにならなければいけませんね。箱根で初めてその便りを聞いた

時のご愁嘆はどのようでしたでしょう。どなたにもお目にかからないままで、ご様子を

うかがうことができませんので、ただお悔やみを申し上げます。

 学校が始まったことと思います。それほど面倒なことはないようには聞いています

が、交際されているのはどのような方ですか。癪に障るようなことがあってはとそれだ

けを心配しています。お健やかではいてもお弱いところもあるように思うので、とにか

く心悩ますことのないようにとお祈りしています。よくお会いできた頃は何気なく過ご

していましたが、これほど離れてしまうと急に淋しく心細くなり、先日の月の夜には

あなたのお噂ばかりしていました。汽車というものがあっても百里は大変遠いですし、

その間には山も川もあるのだから、急に話したいことがあってもかなわず「空を見るば

かり」という言葉を思い出すばかりです。

 つれづれと空ぞ見らるる思ふ人 あまくだりこむものならなくに(和泉式部

   ついつい空を眺めてしまう、恋しい人が天から降りて来るわけもないのに。

 お手紙の最後のお言葉に感謝いたします。勉強しなさいとおっしゃってくださる方は

私の守り本尊ですから、その言葉を頼りにして儚い文章を作り出すことができるので

す。笑わないでご教授くださいますようお願いします。これは見かけての(心から?)

お願いです。

 今月は文学界にあなたの文章を見ることができるでしょうか、そちらのご様子はどの

ようだろうかと楽しみにしています。申し上げたいことはとてもたくさんありますが、

筆が回りませんままこの次に。

 お手紙で私を小母さんとお呼びになっていますが、それは返上いたします。わが身の

老いを嘆くというわけではなく、そのような敬称で呼ばれるのはもったいことなので

恐れ入るからです。このたびはここで、近いうちにまたお邪魔しますので目を貸して

くださいね。

 母からも妹からも、なにとぞよろしくと返す返す申しております。

 

これは28年9月19日の手紙だ。私が彦根から大阪に行った際に送った手紙の返事で、

「紫の矢絣」とは京都の町を歩いていた舞妓のことでも書いたのだろう。曽根崎(遊

郭)は実際のところは車で通ってみただけだった。「みをつくし」の女というのは、

箱根温泉宿の女中で、米神という村から来た確かおくらという女中が、ちょっと器量が

よかったので何の気なしに褒めたところ文学界同人の噂となって、一葉君にまでひやか

されるに至った訳なのだ。

 

 お忙しくしておられるからかしばらくお便りがなく、そちらでは悪い病気が流行って

いると前から聞いているので心配でたまりません。時々文学界の方々のお出でもありま

すが、人様のお顔さえ見れば馬場様馬場様とお噂することが少しはきまり悪くもあり、

心のままにご様子を聞くこともできないので、いよいよ懐かしさが増さるようです。

お変わりなくお勉強されていることとは思いますが、萩も薄も下葉が枯れて、月の下で

鹿が鳴く頃、色づいてゆく山の梢をご覧になっているあなたの旅先でのお心はどのよう

だろうと想像しています。いつかのお手紙の石山寺、義仲寺などよそながら聞いただけ

でも満足するような、いろいろな場所を旅するご様子がうらやましく、逢坂の関よりと

お葉書が届いた時はむやみにあなたの旅姿が目の前に浮かび、やるせないほど懐かしか

ったものです。それからお便りが絶えたのは、私からお便りしない失礼をお怒りだから

だろうとは思ってもお詫びを言うのが嫌なので今まで我慢していましたが、女子供の

ような弱いものは負けてもそう恥ではありません。これほどお懐かしいのだから無駄に

やせ我慢してそちらの空を眺めてばかりいるよりはと、お手紙を書いて出すことにしま

す。お暇があったらただ一言でもお便りをくださいませ。文学界のお仲間ならば、あな

たのことを知りたくなったらご両親に聞きに行くことができますが、顔なじみでもない

のに(あなたが)お留守のお宅に伺うこともできず、空しく内々でお噂して暮らしてい

る私の心をお汲みになって時々はお便りをくださることそれだけをお持ちしています。

 さて最近のことですが東京も寂しい秋の空となり、何も気のまぎれることもないまま

侘しく暮らしている中、一日妹を連れて飛鳥山から滝野川辺りをそぞろ歩きをしたこと

がありました。ある野道ですれ違った二十四五歳くらいの人の、辺りで手折った草花を

手に持って無造作にさっさと歩く後姿が似ているどころかあなたそのままでしたので、

追いかけて名前を呼びたくなりましたが、あなたであるはずもないのでその身代わりの

影が消えるまで立ち尽くして見送ったのでした。このように思いがけず野道でばったり

会うことがあったらいいのにと儚いことを話し合いながら帰ったのですが、その時すぐ

にお手紙を差し上げるつもりでしたのに、その頃はまだ負けることが悔しくて今日に

なってしまいました。彦根の風に染まって東京のことが上の空になるような勝弥様では

あるまい、馬場様はそのような情のない不実な方であるはずはない。お便りが絶えたの

はお忙しさに紛れて筆を取る暇もないのでしょうからしつこくお願いはしません、ただ

思い出した時、ついでの時でいいのです。まだまだ申し上げたいことがたくさんあり、

十二月にお会いする時では話は尽きませんでしょうが、明け暮れ指を折ってその日が

いつかとお待ちしています。お懐かしいばかり。

 

 これは28年10月9日の手紙である。一葉君の日記には10月9日「この夜手紙を二通書

く。ひとつは如来氏、ひとつは馬場様へ。前は昨日の返事で付録のことなどについて、

後はしばらく便りがないのでどうしているか心配で。」とある。この返事として、

「若い者を感動させるような手紙を書いてはいけません、僕だってどんな思い違いをし

ないものでもないですよ。」というようなことを書いたら、すぐ折り返して、ちょっと

面白い返事が来たのだが、それが今見つからない。誰かが持って行ったのか、どこか

箱の奥にでもあるのか無くなってしまったのだったら惜しいものだ。

 

 ご無沙汰しております罪のやりどころがありません。日毎夜毎絶えず心の中ではお詫

びしておりますが表れないことなのでその甲斐がありません。ただお許しを乞うばかり

です。いつかはお写真をいただき、お礼がてら申し上げたいことがたくさんあったので

すが、今はもう遅いので申しそびれたままただお礼のみ申し上げます。とても寒くなり

ましたがそちらはいかがですか。相変わらずお盛んに名所や旧跡を訪ねていらっしゃる

こととうらやまく思っています。今月末には必ずお会いできるのでしょうか、皆さまが

お見えになるときはいつもその噂ばかりしています。たとえどんなに心惹かれることが

あっても、こちらにはご両親がいるのですから必ずお顔を見せにお戻りください。いよ

いよ上京されたらいつお会いできるのかと、そればかりを心待ちしております。お詫び

もお礼も、そのほか申し上げたいことも取り重ねて、おうるさいことでしょうが聞いて

くださいね。嬉しいこと悲しいことをお話しできる人がいない今日この頃、ただお会い

できることだけをつま先立ちして待っております。

                        姪より かつやおじ様御もとに

 

 これは28年12月5日の手紙だ。かつやおじ様とあるのは、ずっと前に私の方から樋口

おば様という宛名で手紙を書いたことがあるのでそのしっぺ返しである。

 

 あまりに久しくご無沙汰してしましました。今日は今日はと思いながら、毎日頭痛が

ひどくて何するのも物憂く、本も読まず、習字などなおさらできず、人と口をきくのも

嫌だと暮らしており、それで怠けておりましたら毎日母と妹の左右から馬場様にお手紙

を書け書けとせきたてられていたのに、空しい返事ばかりして今日になってしまいまし

た。今朝は雨が降って寂しさ耐え難く、小石川に稽古に行くべき日なのですがそれも

物憂くつらいので、とりとめのないことをしたためようかと思います。私は春にお目に

かかった頃からの病気がぜんぜんよくならず、気もふさぐようで困っています。文学界

の「うらわか草」が27日に発行されるため何か書く約束をしたのですが、とうとうでき

ませんでした。筆を持つことが本当に嫌になり果てました。先日人が来て、この頃の

ように筆を取るのが嫌だと言えば言うほど書けなくなりますよと言われましたが、その

通りになりそうです。おもしろいと思うこともなく、筆を取って何かを言おうなどと力

を入れることもなく、もしそのようなことがあっても私のような者が何をつべこべと

何の役に立つのか、無用なことをしたり顔で言うかとくだらなく、といってこれを捨て

たらほかに何もおもしろいことがあるというわけでもなく、移ろうと思うこともありま

せん。誰かの歌に、   

 しかりとて背かれなくに 事しあれば まず嘆かれぬあなう世の中(小野篁

 だからといって世の中に背を向けることはできないのに、何かあればまず嘆きが出る

つらい世の中だ。とありますが、断つことができないからこそ、ほだし(束縛、絆)で

あるというわけではないと私は日々考えているのです。何を言うかなどとはおっしゃら

ないでください、ただ考えているのです。たいていの人に思うことを打ち明けても笑い

ごとにされてしまうので、言わない方がしゃれていると自分で決めたのです。たかが女

というものは、いい着物を着て芝居でも見たい程度の望みがかなわないから拗ねている

のだろうなどというような推察をされ、馬鹿にされ、嘲弄されて50年の命をごたごたと

生きて死ぬのだと思えば、その死ということがおかしくてやっと笑いも出ようという

ものです。どうでもよいことですが、心安いあなたにくだらないことを書きました。

 あなたはますますお盛んになって、二頭立ての馬車にも乗るようなご身分になって

ください、平田さんは「男爵末松」などというあだ名をもらって揚々としていますし、

戸川さんもなにかと病がちだと聞いていましたがこのところ少し元気になったようで、

同人としてしばしが文通し合っていらっしゃることでしょう。今度の試験が終わった

ら、そちらに遊びに行きたいと思っているようです。夏休みにはきっとご帰郷するだろ

うと待たれます。いつ頃お休みになるのですか、筆では思うこともかけないので悔しい

まま、お会いできる時を待っています。

 このたびは心のこもった菫の押し花をいただき、筆では伝え足りないほど嬉しく、

傍らの本に挟んで長く余香をとありがたがっています。久しぶりにお姉さまとお会いに

なったとのことで嬉しさははどれほどかと陰ながら推し量られますが、奥様に間違われ

たとのことで、ゆかりのお文さまやお広さまが行った日にはどんなことになるでしょ

う、さぞかし蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろうとおかしくて、そのようなこと

になったらいいのにと願う気持ちです。

 あの絵のことはどうなったでしょうか。絵の方はまだお近くにいるのですか。鳰の海

(琵琶湖)の近くにも風流はあるのだからみるめなき浦などと言わないで、箱根は箱根

近江は近江として、お二人ともに同じように情けをかけてくださいますよう。

  みるめなきわが身をうらと知らねばやかれなで 海士の足たゆく来る(小野小町

   会う気がないのがわからずにいつまでやって来るのでしょう、海藻がないのに

  足がだるくなるまで浜に通う海士のように。

 書いているうちにおもしろいことがいろいろ湧いて来てもっと申し上げたくなりまし

たが、たまの手紙なのにもう口の悪いことを言い出したなどと陰口されてはわびしいの

でここで終わりにします。

 

これは29年5月30日の手紙である。「二頭馬車」うんぬんというのは、一葉君がよく

自分の身の上を悲観したようなことを言うので、「僕はどうしても落ちぶれるのは嫌

だ、馬車に乗るつもりでやる」などという冗談を言ったことがあるからだ。当時九州に

いた私の姉が上京する途中彦根に寄ってくれたことがある。私より10歳ほど上なのに

どう間違えたのか中学校の関係者の間で私の婚約者が訪ねてきたという噂が広がって

大笑いしたことがある。姉と昼食をとった楽々園という料理屋の女中にその話をしたら

「あれがあなたの奥様では、あなたには重すぎましょう」と笑われた。お文は隣家の

小間使い、お広は箱根の温泉宿の女中であり、絵というのは同じ中学校で教諭をして

いた鹿子木孟郎君の筆になった彦根の舞妓の肖像で、その後38年か9年に太平洋画会に

出したことがある。笑顔のかわいらしい14、5歳の娘だった。