一葉にっ記

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19日

 晴天。今日の改進新聞の配達が待ち遠しい。誰が私の後に連載するのかと思っていた

ら須藤南翠氏だった。(桃水の変名と勘違いして)「ああ嬉しい、先生の連載が前後に

載るのなら私のものが短くされてもよい」と喜ぶ。今日はお客さんが多かった。鍛冶町

の石川さん、菊池さんの奥様などが近所であった大火の火事見舞いにいらしたのだ。

午前中は習字、午後は小説を少し読んでから著作にかかる。桜井さんに頼まれた歌を

1冊書いた。

20日

 晴天。図書館へ行って太田南畝、藤井瀬斉の随筆を読む。明治女学校の学生と駒場

学校の先生の奥様が「刀剣類写図」の模写に来ていたので、帰りは小路まで同行した。

上野の桜は大方終わっていたが、さすがに見に来ている人はまだ多かった。日没前に

家に着く。

21日

 曇天。昼過ぎ半井先生を「武蔵野」の来月分の趣向の相談に訪ねる。畑島さんも来合

わせていていろいろな話をした。先生たちの創意工夫の話がとてもおもしろかった。

4時頃帰宅。この夜田中さんより明日小金井への花見の誘いの葉書が来た。夜雨が降り

出した。

22日

 今朝はよく晴れた。小金井には行きたいが「武蔵野」の締切りが近く余裕がないので

やめにした。午後洗濯を少しする。明日は小石川の稽古日なので各評や兼題を少し詠ん

だ。

23日

 晴天。小石川へ。日就(読売)社員の鈴木光次郎さんが先生の取材に来た。2階で

話をしている間私は島田政子さんと階下の座敷で話をしたが、悲しい話が多くて涙が

出た。ほかに何事もなかった。

24日 

早朝関さんに葉書を出す。

25日

 曇天。邦子が歯痛を起こして姉と一緒に谷中坂町の妙清寺へ願掛けに行った。帰宅

早々跡形もなく治ったとか、不思議なことだ。小説を原稿用紙に書き始める。日暮れ

から雨。この夜は母に新小説を読み聞かせた。

26日より雨。

27日

28日

29日まで小説を一生懸命書いたができない。夜通し従事した。

30日

 小説が10頁ほどしか書けず、どうしようもないので半井先生に伝えなければならな

い。朝から大雨だったが今日は小石川稽古日なので出る。12時までいて帰りに片町の

半井先生を訪ねる。先生は次の間にいるとのことで、河村さんのお母様と奥様、女中が

火鉢を囲んでいた。先生の具合を聞くと、痔を患っていたのを固く隠していたので余計

悪くなってしまい、おととい切開手術をしたとのこと。とても驚いて大丈夫なのかと

聞くと「大変失礼ではあるが病室で顔を見てください」と通してくれた。石灰酸の匂い

が強かった。これは洗浄するためだろう。話しをしたがさすがの先生も苦しそうだっ

た。1時に帰る。

皐月1日 10時頃家を出て、桃水先生に差し上げようと下谷の伊予紋で口取りを買って

きた。12時頃片町へ行く。いろいろ話したが少しずつ快方に向っているとのこと。

3日 西隣の家に移る相談が決まった。

4日 半井先生を訪ねて引っ越しの話をし、原稿は7日に延ばしていただく。

5日 晴天。引越しに久保木さんと田部井さんが手伝いに来てくれる。この夜から小説

に取りかかる。この日は兄が偶然来た。

6日 一日小説に従事したができない。

7日 夜までに何とかしなければならないのでがんばる。小石川の稽古日だったが休ん

だ。 8日 まだできない。

9日 小石川の稽古日だが朝から行くことができなかった。3時頃に小説ができたの

で、髪を結ってまず半井先生を訪ねる。途中藤村で蒸し菓子を少し買って持って行き、

すぐに帰ってその足で小石川へ。中島先生は大立腹だった。

10日より蝉表内職にかかる。 11日、12日 同じく。

13日 中島先生を訪ねる。

14日 稽古日。田中さんより田辺さんからの伝言を聞く。島田さんや先生についての

こと。帰りは日没少し前。思うことがいろいろあった。

17日 田中さんの歌会、朝から行く。来会者12、3名。車で送っていただく。

18日 

 小笠原さんのところで数詠みの歌会。招かれたのは5名でお題は23題。終わった後

ばら新と美香園でばらを見た。帰宅は日没後。 

19日 

 半井先生を訪ねる。「一時は日に日に快方へ向かっていたのだが、少し無理をしたか

らかまた切開手術をしなければいけなくなったようだ」ととても苦しそうにしているの

でどうしたらよいか心配で見守っていたが、医者が来診に来たので帰宅した。 

20日 

 また見舞いに行った。「昨日切断したがまだ十分でなかったらしくもう一度切らねば

ならない」と今日も気分が悪そうだった。2時間ほどいて帰る。 

21日 

 小石川稽古日、早朝に行く。私の小説を頼む先があると田中さんから話があったが、

半井先生からのこれまでの親切を思うと、それを捨ててあちらにお願いするという不義

理なことはできない。どうしたらいいか中島先生に相談しすると「それは道理ですね、

こうしたらよいのでは」とおっしゃった。「むさしの」2冊を読んでいただく。帰りは

日没後。この夜教会帰りだと野々宮さんが来て一晩泊めてほしいとのこと。11時頃まで

話す。

22日

 野々宮さんといろいろ話した。半井先生のことで、すぐにつき合いをやめたくなる

ような話があったが、病気で苦しんでいる最中にそんなことを言うわけにはいかないの

で快方を待ってからと思う。野々宮さんは9時頃帰った。午後からまた半井先生を訪ね

る。朝鮮から友だちが3人来ているとのことで辺りは散らかっていたが、私が訪ねた

ためかみな早く帰った。今日は日曜日だったので重太さんと小田さんも来ていた。

小田さんには初めてお会いした。すぐに帰る。

23日 雨天。

24日 雨ひどく降る。「九園夢」を書き写した。10枚ほど。

25日 雨とてもとても強く降る。午前中10枚ほど「九園夢」を書き写した後、小説に

   取りかかる。今日の改進新聞に「むさしの」の評が載っていた。

26日 連日の雨が止んだ。早朝から「九園夢」を書き写した。

27日 大雨。「九園夢」を書き写す。夕方半井先生から手紙が来た。

28日 

 晴れ。小石川の稽古に行くと、お母様が昨夜より急病になり生死がおぼつかないと

言う。「今日の稽古は休んだらいかがですか」と申し上げたが先生は聞かずに一日稽古

をした。お医者さんが来て「この分では今すぐということにはならなそうだ」とのこと

なので、私はひとまず夕方に帰宅し、また来ることにした。帰ってすぐに半井先生に

見舞いがてら昨夜の返事をしに行き、日没前に帰る。藤田屋さんが来て一日庭の手入れ

をしたので、夕飯とお酒を出した。この夜長齢子さんから借りた読売新聞の「三人妻

20回分ほどを読んだ。

29日

 早朝小石川に行き、昼頃までいる。小笠原さんと伊東さんのお母様がお見舞いに

来た。一旦帰って「九園夢」を書き写した。夕方からまた小石川へ。

 

しのぶぐさ 水無月1日

 中島先生のお母様が危篤との手紙が来た。行った頃にはもうものも言えなくなって

おり、日頃はあまり来ない先生の兄やその娘たちが枕元ですすり泣いているのを見る

となんとも悲しい。思えば28日に咳が出て大変苦しんだ時に私が紙をもんで差し上げた

ところ、病み疲れた眼を細く開けて「どなた、夏子さんですか、今度ばかりは私ももう

生きられないように思いますよ」と心細げにおっしゃったので「なんでそんなことが

ありましょうか、お心を強く持ってください」とお慰めした時にはまさかこんなに早く

にとは思わなかったと、私もむやみに涙が出た。みの子さんも来て「今日一日持つか

どうか」などと心もとなくしているうちに夜になった。主治医は佐々木東洋先生だが、

急な時にはと坂下の矢島先生という方を頼んでいたのだった。8時頃から苦しむような

息遣いになって、身もだえするようになったので矢島先生が2度ほど皮下注射をしたが

全く甲斐なく、見ていることがつらかった。まして先生は心あらずの様子で枕元で戸惑

うばかりなのはよくわかる。10時頃佐々木先生もいらした頃には少し落ち着いたので、

みな明け方までまどろんだのだった。次の日も容体は変わらず時々身もだえしたりして

いたが、夜になってそろそろかというような、手足の置き場もないような感じになっ

た。「もう効きませんよ」と言う矢島先生に無理に頼んで皮下注射をしてもらったが、

それからは静かになって3日の午前11時にお亡くなりになった。みの子さんはその日

ちょうど帰ったところで間に合わず、急ぎ戻り残念がった。房子さんも一足遅れてしま

った。この辺りのことを書こうとするのは困難である。その後2、3日昼も夜もなく人は

立ち替わり訪れて、狭い家でもないのに人が溢れて隙間もなかった。夜はみな集って

おもしろい話などして眠気を紛らわせている。こんな時こそ人の心がわかるものだが、

私の鈍感な目や耳では甲斐のないことだ。ないながらも見えたり聞こえたりしたことは

いろいろあったが、書くこともないだろう。

4日

 小出先生主催の何某の追善会が、桜雲台であり、中島先生の代理としてみの子さんと

一緒の車で行く。心あらずで大した歌は詠めなかった。やがて帰った。

5日 納棺。

6日

 午後葬式。祭主は春日何某で、伊東さんと私は棺の付き添い係だった。先生は徒歩で

砲兵工廠前まで行ってから車に乗った。喪服でやつれた様子は本当に悲しい姿だった。

今日はあいにく松平慶永公の一周忌が星が岡(茶寮)で行われる日だったので、宮内庁

関係や、有名歌人のだれかれもそちらに行ってしまって不参加だったが、それでも送る

人は200名以上はいた。大方は夫人や令嬢だった。式場での儀式に始まり墓所に納棺

するまでのことはとても書くことはできない。まして先生の心の内はどうであっただろ

う。先生、兄の宇一さん、くら子さん、伊東母子、みの子さんと私が車を連ねて帰った

のは日没に近かった。それぞれ家に帰り、私も半井先生より話があると手紙があったの

で今夜は帰らせていただいた。

7日

 「何をおいても、先生をお訪ねしなさい」と母が言うので昼過ぎに行く。先生の

いとこもいた。私は普段どうということもない髪形をしているが、葬式のために島田を

結っていたのでみなが珍しがる。「これからはいつもこうなさい、とてもよくお似合い

ですよ」と言われてとても恥ずかしかった。先生は、「いろいろ忙しくしている中、

おいでになるのは大変だったでしょう、話というのは君の小説のことです。いろいろ

案じてきたがやはり俗な新聞に掲載するには向かないようなので、つてを探してやっと

尾崎紅葉君に紹介できるようになったのです。彼の元で読売新聞に書かせてもらった方

が君のためになると思う。月々の決まった収入がない君の生活を一番心にかけてきた

が、今のような日陰の身では表立ってできることがなく、詳しいことを前島君に話し、

そこから知人を経て紹介できるようになったので、一度紅葉君に会ってみたらどうだろ

う。その時になって『やはり知らない人に会うのは嫌だ』と言われては困るので先に

君に言っておこうと思って」とおっしゃった。「なんでいやだと言えましょうか、とて

もありがたいお話です」と答えた。様々な話をして帰り、すぐに小石川へ。人々はまだ

酔ったようにぼんやりとしていた。

 

 夢のように日は過ぎて12日になり、十日祭りの式を行った。特に親しい人を14、5人

招いて酒宴をした。伊東夏子さんがふと席を立ち、私に「話したいことがあるのでこっ

ちへ来て」と次の間の小部屋の陰に呼ばれた。「どうしたの」と聞くと声をひそめて

「あなたは世の義理と家の名誉とどちらが大事ですか、まずそれを聞かせて」と言う。

「もちろん世の義理を一番重んじていて、そのためにはどんな苦労も惜しまないつもり

よ。でも家の名誉も同じくらいです。私ばかりのことでなく親きょうだいのことを思え

ばむしろそちらの方が大事かもしれない」と答えると「では聞くけれど、半井先生との

お付き合いをやめるわけにはいかないの」と私の顔を見つめた。「おかしなことを言う

のね、いつだったか私言ったでしょう、若くて姿のよい先生を訪ねるのは世間の目を

はばかるから何百回何千回もお付き合いをやめようと考えては、先生の御恩が深いので

それもできず、すっきりとしないまま今になってしまったと。でも神様にかけて私の心

にやましいことはなく、私の行動に間違いはないことはあなただって知っているじゃな

いの。何で今になってことさらに言うの」と恨みがましく聞けば、「それはわかって

いるのよ、でもあえて言うのは訳あってのことなの。今日は日が悪いからまた次に話す

けれど、どうしても付き合いをやめないというのなら私もあなたを疑うようになるかも

しれない」ととても悲しそうにしている。どういうことなのか。その内人が増えてきて

騒がしくなってきたのでそのまま別れた。何のことやらわからないが胸に引っかかり、

案じられて、みなが帰った後もそのことばかり考えていた。

13日

 長齢子さんのところが順番の、数詠みの会があり午前中で書ける。来会者は広子、

つや子、夏子、みの子と私の5人だった。数詠みのお題は37、終わった後いろいろな話

をした。田中さんが、折に触れては私に関したような、訳ありげなことを言うのが気に

なった。夜になってからみな帰宅。

14日

 一日倉子さんと話したが、この人も何か私を疑っているようでしばしば変なことを

言うので本当に気になる。今日はこの人も帰り、夜には西村鶴さん、加藤の後家さんと

女中の他は先生と私だけになった。火鉢を囲んで世間話を聞いていると、腐りきった世

の常で汚らわしいことばかりだ。どこの誰彼にこんな醜聞があった、あんな汚れたこと

があったなど、日頃交際している人にまで正しい行いをしている人はほとんどいない

などと言っている。隅で聞いていただけだったが、どうも私のこともよそごとではない

ようだと気になって先生のそばに行った。先生は話し終って寝室に行こうとしていた

が、「先生、少しお待ちください、お話したいことがあるのですが今夜でもいいです

か、明日にしましょうか」と聞くと先生は坐り直して「なんでしょうか、今聞きましょ

う」とおっしゃった。「半井先生のことは前から先生にもご相談してきましたが、その

人についてもその行いについてもよく知った上で、私がおつき合いしていることをお止

めになりませんでしたので、私も何もはばかることはなかったのです。でも先日かくか

くしかじかこの様なことがあり、よくわかりませんが半井先生についての話のようで

す。先生にお話ししたように、半井先生とおつき合いをしているのは家のため、収入を

得るため、小説のためだけで他に何の他意もないことですのに、変な噂になっている

ようでとてもつらいのです。先生は本当はどう思っていらっしゃるのですか、もし交際

しない方がよいと思っているのでしたら、はっきりおっしゃってください。自分の心を

信じて男女の別にとらわれず、人聞きも考えずに親しくしていたことが、今思えば心配

なのです。どうすればいいのか教えてください」と言うと、先生はいぶかしげに私を

見て、「ではあなたは半井さんと先の約束をしたのではないのですか」などと言う。

「とんでもない、先の約束どころか私にそんな思いがあるわけもないのに、先生までも

がそのようなことをおっしゃるのですか」と本当に悔しく恨めしい。「本当に何もない

のですか、何の約束もしていないのですか」とさらに聞かれたのはあまりに悲しいこと

だった。7年間先生にお仕えし、愚直でまじめすぎる私の性格を知っているはずなのに

そんな疑いをかけられて、人目がなかったら泣き叫びたいくらいだった。先生は「実

は、半井さんがあなたのことを妻だと公然と言っていると人から聞きました。縁ある

ことですから、あなたがそれを許しているのなら他人が何を言っても聞くことはないの

ですが、そうでないのでしたらおつき合いはやめた方がよいでしょう」とおっしゃった

ので呆れも驚きもしたがひたすらに半井先生が憎く、悔しかった。潔白の私の身に汚名

をかぶせて平気な顔でいたとは憎んでも憎みきれない。今ここで、私を疑う人の前で

体を引き裂き、はらわたを引き出して私の潔白を証明したいとまで思った。さらに聞く

と田辺さんや田中さんもそのことを話しては私を惜しんで、「世間の評判もよくなく

才能もある人ではないのに、夏子さんの先が思いやられる」などと言っていたとか。

中島先生の女中たちでさえ知らぬものはなく、うわさになっていたとまで聞いてはみじ

めなことこのうえもない。中島先生には「すぐに明日半井先生にお断りを入れに行きま

す」とは言ったものの、寝床に入っても眠られるものではなかった。

15日

 午後半井先生を訪ねる。梅雨の雨が降り続いて何とも侘しい。先生の部屋には、いと

この千賀子さんと伯母様がいて、先生は次の間の書斎のようなところで寝ていた。雨が

大層降っていたので雨戸を全部閉めており真っ暗だった。千賀子さんが「まあ見て、

樋口さんの髪型のよいこと、島田がとてもお似合いよ」と伯母様に言うと「誠にお似合

いだ、後ろを向いてごらんなさい、昔の御殿風に結って本当に品がよい、私は今風の根

が下がったものは嫌いですよ」とおっしゃる。半井先生が立ちあがり「さあ、お美しく

なった姿を見せていただくには、閉じすぎています.ね」と言って雨戸を2、3枚開けた。

「口の悪いこと」とみなが笑う。私も微笑んだがあの口でありもしないことを言いふら

したのだと思うと、思わずにらみつけてしまった。中島先生に教えられたように「歌の

先生のところで家内を執り行う人がなく、私が行かないと不都合だとお願いされている

のです。長い恩義があるので行かないわけにもいかず、これからしばらくお手伝いする

ことになりました。先日おっしゃった紅葉先生のことも、せっかく紹介していただいて

も当分小説を書く時間が取れません。先生には不義理をおかけすることになりました

が、お断りをするために今日時間をいただいて来たのです」と言うと「困りましたね、

尾崎君と話は整って、いつでもお目にかかると言ってもらったので、明日にでも君に

手紙を出そうと思っていたところだった。書くかどうかはともかく一度会うだけ会って

みてはどうですか」とおっしゃった。「お目にかかっても『書けません』と言うのでは

何の甲斐もありません。私もいろいろ気がかりがあって言葉にはできないのですが、

あちらこちらでやかましく責められる身になってしまったものですから」と言うと、

「それならまず先生に打ち明けたらどうですか、いつまでも隠し通せるものではないの

ですから、そのうえでよい方法をとったらよいでしょう。義理立てばかりしていても、

家計のことはどうしようもありません。どんなに心を苦しめても人は察してはくれない

ものですよ」と言ってくれる。いつもならばどんなに嬉しい言葉だろう、しかし今日は

よそ事に聞こえた。その後もいろいろお話されて、私の心を慰めるために高島炭鉱の話

をして笑わせようとしてくれたが、それも耳に入らずおいとました。家に用があったの

で寄ってから小石川に戻った。今日の報告をした後中島先生の教えに従って半井先生に

手紙を出す。

16日

 田辺さんが来て様々な話をした。半井先生を断ったので「都の花」に掲載をお願い

する相談などした。しばらく遊んでから帰った。

17日

 田中さんが来たので同じく半井先生の話をした。薄笑いで聞いているのでまだ疑って

いるのがよく分かった。一日話して帰る際、伊東さんに手紙を書いたので出してもらう

よう頼んだ。

18日

 伊東さんが来た。百年の知己のように何も隠すことがないので、思うままに話をし、

無実を訴えた。彼女だけは信じてくれるので嬉しかった。

この話の続きは長くあるが、心せわしいので書かない。