よもぎふにっ記

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26年1月1日

 大変のどかなお天気で、門松の緑の千歳を祝い例年通りお雑煮を食べる。昔の三が日

は年始の客で台所仕事が忙しく、羽根つきをする暇もないと恨んだものだったが今は

来る人もない。母は近所に年始回りをしてくると、こちらにも老母や奥さんなど、返礼

に来るのは女性ばかり。芦沢吉 太郎(母の甥)が早朝来て陸軍で振る舞われたという

料理を持ってきて一日遊んで3時頃軍に戻った。今日年賀状が来たのは野尻理作、穴沢

小三郎、山下信忠。こちらから出したのは15軒ばかり。

2日ものどか。三枝、藤林、山下、安達などの親戚筋の年始客があった。兄も来たので

久保木の姉を呼んでこの夜はかるた遊びをしてとても賑やかだった。姉は37、兄は28、

私が22、邦子は20で「みんな子供の年でもあるまいに一緒に居ればこんなに幼いのか」

と母がこたつから眺めて言う姿が何の不安もなく楽しげなので、もったいない程に嬉し

い。書き忘れていたが稲葉の正作君もあいさつがてら遊びに来た。

 3日 田中みの子さんが年始に来た。

 4日 大島みどり子さんが来た。

 8日に初めて年始に出かける。猿楽町の藤本さん、西小河町の大島さん、下二番町の

田辺さん、三宅さん、帰り道に中島先生にあいさつに行く。車の回り順の都合である。

田中さんへも行くつもりだったが三宅さんのところで会った際「今日は一日留守なので

また次に」とのこと。三宅さんとしばらく話した。「『文学界』に小説をぜひお出しな

さい。1号は20日に発行の予定ですが、間に合わなかったら2号でもいいからぜひ」との

こと。

 去年のこの日は半井先生を平河町に訪ねて、小田さんの所へ行き、隠れ家に行き、

心あわただしかったことを思い出して胸が苦しくなった。去年の是は今年の非、今日は

明日の何になるのかわからないと考えれば、喜んでも悲しんでも同じことだ。

 13日の夜宮塚さんが来た。彼女が上海に行ったのは5年も前だった。昔ながらの

おしゃべりに懐旧の思い絶え難かった。羽根つきをして遊んだお正月、彼女は17歳だっ

た。自分はなんと変わってしまったことだろう、こんなことになるとは思いもしなかっ

たと涙が止まらず、昔を懐かしむばかりだ。

 14日 小石川の稽古初め。風流など俗事の点取りを一日して、日没後に帰る。

 15日 上野の清治さんが母上と来る。菊池の武治さんも母上と来る。田部井の清三

さんが父上と来る。榊原家の小さいお嬢様が乳母と一緒に来た。この乳母は以前中島家

に仕えており、今は榊原家にいるからである。

16日

 早朝秀太郎が藪入りの休みに入ったと我が家にも寄った。西村さんが来たので昼食を出す。

17日

 龍子さんから『文学界』に出す小説を促す手紙が来た。あまりやる気が出ない。

18日

 芝の兄に議会傍聴券について手紙を出す。

 衆議院は昨日17日に河野広中氏の発議により政府の反省を求めるために向こう5日間

の休会となった。それは予算案が政府に受け入れられなかったことからである。23日の

開会が解散か総辞職か天下の分け目となる。難しいところだ。この両三日は市中の警戒

が厳重とのこと。

20日

 兄に23日の傍聴券を贈る。西村さんに頼んで、衆議院議員飯村丈三郎氏から頂いた

もの。この夜までに「雪の日」を書き終えた。

21日

 小石川稽古日。昼前に行く。「雪の日」を今日は郵便で三宅さんに送った。中島先生

は錦輝館に何某さんの初会があって行ったので、私が手習いなどを教えて日没頃帰宅。

22日

 藤本さんを猿楽町に訪ね、借りていた「都の花」を返し、その後の号を借りた。今後

の著作についてしばらく話した。野々宮さんと吉田さんが来た。野々宮さんは一度宮城

に帰って今日戻ってきたとのことで、東京に着いてすぐ来たと行李などを携えていた。

結婚の話があったのではないかと思う。故郷からと雉をいただいた。この日は北西の

風が大変強くみなが帰った後浅草で出火があった。西鳥越あたりと聞いて吉田さんは

大丈夫かと家族で心配した。

23日

 晴天。母が小林さんに金を借りに行く。菊池さんの母上が訪れた。今年初めてだった

のでお酒などを出す。母は帰ってすぐに三枝さんへ火事見舞いに行った。かなりの大火

で百何十軒が焼けたようだが三枝さんのところは大丈夫だったそうだ。鳥越座も焼失。

この夜号外が騒がしく、家で取っている「改進新聞」も号外が出て、議会は23日から

15日間、2月の6日まで停会になったとのこと。

25日

 雪が降る。今までも時々降ったが積もったのは今日が初めてなので、初雪と言える

だろう。中村礼子さんのところで数詠みの催しがある日だが、最近歌に身が入らず人と

話すのも煩わしく、都合があると断っていたので、この雪では来会者が少ないのでは

ないかとさすがに心配だった。3寸ほど積もったので木々の姿や大通りの様子がとても

おもしろかった。4時頃には降りやんだ。

28日

 小石川の稽古日。昼から行った。伊東さんと教会のことで少し話をした。中村さんの

ところで聞いたと怪しげなことを言っていた何のことだかわからなかった。先生は養子

の話が決まったとのことで今日はそちらに用があり、稽古後すぐに行く用意をしてい

た。このことはすべて書くほどのことではない。

29日

 明け方から雪が降る。今日は前よりも強く降ってい る。芦沢さんが来た。「今日は

九段で大村京の銅像の落成式がある日だがこの雪で日延べになるだろう」などと言う。

安倍川もちなどを作ってみなで食べている間、降りに降って芦沢さんが帰る頃には5寸

ぐらいになった。日没少し前に降りやむ。

 

 夜かなり更けて、雨だれの音がするのは雪が解けているのかと寝室の戸を開けると、

庭も垣根も銀の粉を敷き詰めたかのようにきらきらして、右京山も目の前に浮き出たか

のように真っ白に見える。夜のようには思えないほど明るいのは月のためだ。思うこと

をすべて捨てて、この現世から離れようとしている私でも、なお耐え難いのはこの雪の

景色だ。様々なことを思いめぐらしていると胸の中が熱くなって耐えきれなくなり、

庭に飛び降りて雪を掌にすくおうとすると、私の影がありありと映っている。月は家の

軒端に昇って、寝室からは見えないだろう。空はただただ磨いた鏡のようで、塵ほどの

雲も見えない。どこまで光が渡っているのか、気もそぞろに見ていても寂しい。

  降る雪にうもれもやらでみし人の おもかげうかぶ月ぞかなしき

   雪に埋もれてしまわない思い出 あの人の面影が浮かぶ月も悲しい

  わがおもひなど降ゆきのつもりけん つひにとくべき仲にもあらぬを

   私の思いに雪が降り積もってゆく ついに解ける(溶ける)こともなく

 

31日

 浅黄の空に雀がさえずってとてものどかだ。家々で雪かきをしようと、子供たちが

走り回り騒いでいるのも何とも楽しい。隣家に娘さんが二人いて、その並びの家に住む

独身男がいつもお世辞など言っているが、今日も張り切って雪かきをしてやっている。

娘たちも出てそれを見ながら楽しそうに話したり笑ったりして、見ていて恥ずかしい

ほど仲良くしている。後で泣くようなことにならないといいが、他人事とはいえ見苦し

いことだ。

2月3日 母が上野に年始の挨拶に行った。

4日 同じく佐藤梅吉さんの所へ。この夜姉を誘って母を寄席に連れて行く。

5日

 梅吉さんが母を誘って水天宮にお参りに行った。帰りに鰻をごちそうになったと母は

喜んでいた。日曜日だったので芦沢さんが来た。

 

 恋は見苦しいものだ。心を尽くして、身を尽くして思いが通じればよいが、この恋は

かなわないものと自分で決めているのに忘れられず、夜になると夢にうつつに思い煩う

のだ。その人の目、鼻、あご、さらに手足などに特に思い入れがあるわけでも、その人

の文章やものの言い方、声、心遣いのどれというものではないのだ。ただただその人が

恋しいばかりだが、その思いとは違い一つ一つ取上げたらそう恋しいものでもないかも

しれない。思慮浅く軽率な人が一時の恋に身を誤るのはそのような時だ。少し考えて

冷静になれば、この恋というものに負けるものかと思い、体の中では燃えるように焦が

れていても、心は死ぬばかりに思い患っても、迷いの道に入らずに、最後には夢が覚め

ることもあるだろう。女は心弱いものなので、その戦いに負けて狂ってしまうことも

ある。しかしこれは道ならぬ恋だからであって、夫婦がこのような仲であったら、どれ

ほど人からはうらやましがられ、世から褒められることだろう。貞女節婦というのは、

このような心を含んで表向きには人の世の務めを果たしているものだ。親子の間でも、

君臣の間でもこのようにあってほしいものだが、あまり極端になっては片方が重荷にな

って、害となることもある。この頃見る所聞く所、そうあるべきでない人が間違いを

起こしたりしているのもその類で、極端になるなら正しい道に行ってほしいものだ。 

 

6日

 空は雲っている。「また降るだろう」と人は言う。著作が心のままにならず、頭は

ただ痛みに痛んで考えが全て掻き消えてしまう。志しているのは完璧な美人を創造する

というただ一つのことだ。目を閉じて壁に向かい、耳をふさいで机の前で、高尚で優美

な理想の美人を創り出そうとすると辺りが真っ暗になって、その美しい花の姿も、その

愛らしいびんが(極楽でさえずる鳥)の声も、私の心の鏡に映し出されなくなってしま

う。何とか見ようとすると、紫は朱を奪い(悪が正を乗っ取り)、白は黒になり、表は

裏になり、善には悪が伴って、私の筆などで世に出すような価値がなくなってしまう。

何度も憂い、恨みながらあちらを削り、こちらを削り何とか見た姿に近づけたかと思う

と、黒が消える時は白も消え、悪を退けると善も消えてしまう。こんなにも私の請い

願う美人は世の中にありえないのだろうか。それとも私には前世から縁がなくて、凡俗

な花紅葉しか目に映らないのだろうか。それとも天地の間に真実の美はないのだろう

か。それとも私の目に美しいと思えないものが真実の美なのか。それとも天地にあるが

ままの自然が美そのものなのか。それとも真実の美というのは書いても、描いても、

口にすることも、心に写すこともできないものなのか。天地の間に満ちている大気は、

目に見えず手にも取れないがこれなくしては生きられない、それが美なのか。人の見る

目が美なのか。私が悪と思って書いたものを人は善と見るかもしれない。となると私が

悪と思うものが美になる。思い悩んで心は天地を駆け巡り、体は苦悩の大汗で濡れそぼ

っている。思いに取りつかれて日中も夢の中にいるようで、起きているとも眠っている

とも感じられない。これほど求めている美の本体が本当にあるのかないのか、いつわか

るのだろうか。私は金の為に筆を取っているのだろうか。なぜこんなに悩まなければ

ならないのか。それで得られるのは400の文字に30銭という価値でしかない。家は貧し

さ極まり、魚肉を口にせず、新しい着物を着けることもない。老母と妹をかかえ毎日

安らかな日もないのに、心ならずも売文するということの情けなさ。無駄にかみ砕かれ

る筆のさやが哀れ、生きるのがつらい。

 

2月7日

 晴れた。一日机の前で暮らし、日没後、摩利支天に参詣してから萩野さんのところで

新聞を借りる。「今日は議会が開会される、どうなるだろうか」と人々が噂している。

帰り道、切通坂の辺りの景色は言い表しようがない。何より高い声は号外を売る新聞の

売り子の声、あちこちの辻には壮士というものが、今の世相を文章にして「鉄石心」

などと言って怪しげな節をつけて唄っている。郵便局の燈火が輝き、車の行き来もいつ

もより多く、電話交換所も忙しくしている。警察に入っていく二重廻しの襟を深く立て

ている人は探偵と見えて、金ボタンに角帽の2、3人連れが寄席に入ってゆくのは女義太

夫目当てだろう。身なりや出で立ちだけ見たらどこの御姫様か奥方かという人が、夫

らしからぬ人に手を取られて楽しそうに話しているのとすれ違うと、みそこし下げて

豆腐屋にいるような言葉遣いをしていた。文明開化なのか、百鬼夜行というものか。

筆がうまく運ぶなら材料は山のようにある。家に帰ると我が家にも号外が来ていた。

議会は解散でも内閣総辞職でもなく、無期停会になった。伊藤首相が病気後初めて出席

したが、いつものなめらかな答弁に、豊かな姿、よく上下を説き諭したのでこのように

穏やかに収めることができたのだ。この夜は「朝日新聞」の小説を50回分くらい読ん

だ。桃水先生のものもあった。「雪達磨」という探偵小説だった。12時頃床に入った。