よもぎふ日記

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 萩の舎の発会は26日だ。ゆううつなことが多いので行きたくないと思っていたが、

まだ世の中に立ち混じらなければならない身なので思い直して出る。みなは午後から

来るのだが、私はいつも通り午前中から行って支度を手伝う。小石川から先生と一緒に

車を連ねて行く。少ししてみの子さんが来ると、うっとおしい話が始まり耳をふさぎた

くなる。何とかやり過ごすと、みの子さんから人のいないところに呼ばれて、こっそり

先生の噂話をされるので、いつものことながら心苦しい。夏子さんが来てからの様々な

話、お母様ののぶ子さんから私に依頼されたことなど、どの話も疎ましいことばかり

だ。榊原、小笠原、水野、中牟田などの令嬢たちが美しく着飾り、晴れの日の出で立ち

をしているのは全く罪のないことだ。「(骸骨の)上を装ひて花見哉」と昔の人の悟りは

おもしろいが、やはり美しいものは美しい。三宅さんも来た。星野天地氏からの手紙と

『文学界』1号をいただく。原稿料もいただいたので返事を書いてくれと頼まれ書く。

私のことを「つむじ曲がりの女史」だと評したとか。雄二郎さんがふざけて「本当か」

と龍子さんに聞いたので「いつも銀杏返しが乗っているのですからわかりません」と

答えて笑ったそうだ。散会は6時だった。天地氏からの手紙はとても親身ではあるが、

一方的なところもあり、私のことを仰々しくとらえているのでこっけいだ。『文学界』

にも「若松、花圃、一葉の諸名媛」などと書いてある。実より名がもてはやされる世の

中なので、真の名媛に申し訳ない思いがする。この夜は早く寝た。

27日

 三枝さんに手紙を出す。返金の約束を守れないことのお詫びだ。昼頃から雪が降り

出す。万感胸に迫って心が乱れ、鎮めることができない。私が雪の日を思い慕うのは、

雪を愛するからではなくてあの日を悲しむからだ。火鉢をはさんでのどかに話をし、

私のために手づから作ってくれたお汁粉をいただいた、あの過ぎし日。恋の苦しみも

悟りもあの雪の日によってだった。

28日

 この日も少し雪が降った。頭痛が耐えがたく一日寝込んだ。芝から兄の使いとして

道忠さんが来た。久保木さんから頼まれた品ができたので持って来たのだ。野々宮さん

から手紙が来た。

3月1日

 晴天。頭痛が治らないので陽が高くなるまで朝寝をした。起き出して『胡沙吹く風』

後編を少し読む。

 「福島少佐遠征の後判然とせず」という報があった。真実はわからない。昨夜渋谷

さんの夢を見た。京都の山崎さんから手紙が来た。

2日

 図書館に行くと、産婆学校の学生で稲垣しげさんという女性に会う。家の隣の加藤

なみ子さんの友達だそうだ。不思議な話があった。「御伽草子」を10冊ほど読んで

帰る。夜久保木の姉が来て菱餅をいただく。北海道の関場えつ子さんから手紙が来た。

3日

 晴天。久保木の姉が金を借りに来た。山田武甫氏(衆議院議員)の葬儀は一昨日だっ

たとのこと。夜邦子と一緒に十軒店へ雛の市を見に行く。

4日 小石川の稽古を休んだ。午後から雨。大工の長さんが来た。

5日

 晴天。暖かい。鶯の初音が聞こえて嬉しい。ところどころ梅も咲き始めた。「うもれ

木の身にも流石に春のたよりはにくからぬかな(世間から埋もれたこの身でも、やはり

春のたよりは悪くないものだ」などとつぶやく。

  はるや来る花やさくともしらざりき 谷の底なる埋木の身は(和泉式部

   谷底に埋もれている木(あなたに見捨てられたこの身)は、

   春が来ていることも、花が咲いていることもわからない。

 小説「ひとつ松」に今日から取りかかろうと思う。大工の息子が頼みごとに来た。

野々宮さんに返事を書く。芦沢芳太郎さんが来た。

6日

 早朝地震があった。風が吹き始めてとても寒い。奥田の老人が来たので、送りがてら

本郷通りを少し散歩して、原稿用紙を買ってくる。野々宮さんからまた葉書が来た。

出した返事と入れ違いになっただろう。久保木さんが遊びに来た。著作に夜更かしし

て、2時過ぎに布団に入った。

7日

 晴天。7時に起きる。河野大臣が辞表を出したとのこと。内閣の大臣たちが留任した

が決心は動かせず、自ら官邸を引き払って自宅に引越しされたとか。伊東書記菅の権勢

や、伊藤総理の艶文などいろいろおもしろい。国会議員の狩野猤一郎氏が病没。久保木

の姉が来た。大工の息子も蝉表の芯を持ってきた。昼過ぎ号外が来て、河野大臣の後任

は井上枢密とのこと。山県司法大臣も辞表を出したという噂もあり、英公使の河瀬氏が

後任になるだろうとのこと。

 

 愛する人の難を救い、また自分の厄を逃れ、月が照らす霊鷹山の夜道の草を踏み分け

て歩く2つの影。持った書状を見るにつけどれほど嬉しいことか、またどれほど悲しい

ことか、身代わりとなって潔く死んだ友も本望であったことだろう。(『胡沙吹く風』

の感想)

  はかなきにおもひゆるしてしら露の 哀れ玉よと君みましかば

  うら山し 霜にも雪にも色かえで おのれみどりの庭の姫松

                     (ヒロイン香蘭を詠む)

  朝日さすわが敷島の山桜 あはれか計咲かせてしがな

                     (ヒーローは我が日本国の人と聞いて)

8日 晴天。寒い。

9日 母は菊池さんに招かれて行く。東園翁五回忌のため。

11日

 夜号外が来た。山形司法大臣が依願免官、枢密院議長に任ぜられ、農商務次官西村

捨三氏が免官、文部大臣次官久保田譲氏も同じく、茨城県知事牧野伸顕氏が文部次官に 

任ぜられた。司法大臣は伊藤首相が兼ねることとなった。

12日

 晴天。福島少佐がウラジオストクから500里の地に無事着いたとの電報があったとの

こと。大変よい知らせだ。日曜なので芦沢芳太郎さんと藤林房蔵さんが来て昼過ぎまで

遊んでいく。夜邦子と一緒に薬師様の縁日を見て歩いた。

 

 我が家は細い道一つを隔てて、上通りに住む商人たちの台所と向き合っているので、

つつしみのない人達がしょっちゅう他愛のないことを話しているのがよく聞こえる。

今日も得意先の話をしている中に、邦子が聞いたところでは半井先生のことのような話

があったという。「主人のような人が2、3人いて誰かはわからないが、色が白く背の

高い人の方が上品な物言いなのでその人だろう。奥様かどうかはわからない、たいして

美しくもない人が何か買うときに「とても高い」などと文句を言うと「そんな言い方を

して商売人を叱ってはいけない」と言い値のまま買ってくれた、もののわかるお人だ」

「その家は三崎町のはずれで店構えの立派な葉茶屋だと言っていたようだから、先生の

ことじゃないかしら」と言う。忘れられないことなのにさらに思い出させるようなこと

を聞くと堪え難い。

   くれ竹のよも君しらじふく風の そよぐにつけてさわぐ心は

   あなたは知らないのでしょう、世を吹く風(噂)を聞いては騒ぐ私の心を

 夕方の鐘の音を聞いて

   まちぬべきものともしらぬ中空に など夕ぐれのかねの淋しき

   待っても仕方のない仲なのに やはり夕方の鐘を聞くと淋しいのです

13日

 晴天。早朝小石川から郵便が来た。「小笠原家で今日数詠みの会があるので、ぜひ

来てください」とのことだったが、不都合が多く断りの葉書を出した。昼過ぎ稲葉の

奥様が来た。悲しい話が多かった。日没後山下直君が「早稲田文学」を4冊持ってきて

くれた。久保木さんが新たくあんを持ってきてくれた。 

14日 早朝お灸をすえる。久保木の姉が来る。

15日 

 曇り。お灸をすえる。昨日から家に金というものが一銭もない。母がそれを気に病ん

で姉のところから20銭借りて来る。いただいたお手紙を繰り返し読んで、

  くり返しみるに心はなぐさまで 涙おちそふ水くきのあと

   何度読んでも心は慰められず、あなたの文字の上に落ちる涙

  武蔵鐙 さすがにかけて頼むには とはぬもつらし とふもうるさし

                              (伊勢物語

   さすがに鐙(両足をのせることから二股の意味)をかけてとお願いしてまで、

  来ていただいても、いただかなくても嫌なものです。(武蔵鐙=さすがに)

   むさしあぶみ とはぬもうしとなげきても 中々つらき命成りけり

    訪ねることができない悲しさ、さすがに生きていることがつらくなりました

 

 老いた親のことを思えば親不孝の罪を逃れられないが、

   中々にしなぬいのちのくるしきは うき人こふる心成けり

   簡単には死ねない人生の苦しみは、つれない人を恋しているからです

 といってもその人のせいではなくて、全ては自分の心からだけのことなので、

   つらからぬ人をば置てかたいとの くるしやこころわれとみだれる

   あの人がつれないわけではなくて、私の心が苦しんで(片想いの糸が)乱れて

  いるだけなのです

 陽の沈む方角を眺めれば、先生の家のある所だと思い、

   うら山し夕ぐれひびくかねの音の いたらぬ方もあらじとおもへば

   夕暮れの鐘の音が、全ての家に届いていると思うとうらやましい

15日

 午後広瀬七重郎さんが訴訟のために上京した。古梅村の吉田かとり子さんから手紙が

来たが悲しい話が多かった。昨年の梅見の思い出の歌があり、

   くるとあくると思ひ出さぬ折りぞなき 共に梅見しこぞの其日を    

   おもふどち梅見くらして植半の ゆく水くらきなつかしとぞおもふ

   此ごろとおもひしものをいと早も はや一とせのめぐりにきけり 

などとても多かった。この返事は必ず出そうと思う。夫を持っても平安ではない、もう

50に近く子供の3、4人もいる人なのに、歌姫(芸者)のような華々しい方へ夫の心が

移ってしまい、留守の家で泣き暮らしている。「三界に家なし」と昔から言われている

ことだが、現代でもこのような話はよく聞くものだ。

16日

 早朝広瀬七重郎さんが帰郷した。吉田さんに返事を出す。「つらいことも悲しいこと

も、人に話せば少しはお心が慰められようから時々はお便りを下さい」

   いざさらば とも音になかん友千鳥 ふみだにかよへうらの真砂路

    さあ一緒になきましょう、お友達の千鳥よ、浦の浜を踏んできなさい(お手紙

を下さい)書きながらなんとも悲しかった。広瀬さんからの手紙によれば、野尻さんが

妻を迎えたとのこと、邦子の心を思いやると悲しくてたまらない。邦子が書いて見せて

きたのは、

   いにしへにためしも有とあきらめて 夢のうきよをうらみしもせじ

    昔から例があるとあきらめて、この浮き世を恨んだりはしません

 ほんとうに可哀想で、

   身にちかくためしも有をくれ竹の うきよとはしもうらむなよ君

    身近にも例があるでしょう、世のはそんなものだから恨まずにいましょうね

 また邦子が、

   我が心しるべき君のなかりせば うきよを捨つるすみ染めの袖

    私のことをわかってくれるあなたがいなければ、浮き世を捨てて墨染めの衣を

   着る(出家する)ところです

 私は笑って、

   心から衣のうらの玉も有を すみ染めとまで何おもふらん

    裏に美しい宝石がついている布を黒く染めようなんて、何を考えているので

   しょう(心の中に美しい宝石を持っているあなたが、出家などと思い詰めては

   いけませんよ) 

 夜が更けるまで邦子が眠れないようなので、

   いでや君などさは寝ぬぞぬば玉の よは夢ぞかしよは夢ぞかし

    なぜ寝ないのですか、夜は夢を見られる場所ですよ(この世は幻、ゝ)

   ながむれば恋しき人の恋しきに くもらばくもれ秋のよの月

    秋の月を見ていると恋しさが募るので、曇ってしまえばいい

17日

 田中さんに19日の発会に断りの手紙を出す。やがて返事が来て今月7日から三田葆光

先生の講義に通っているとのこと。「話すことがいろいろある」とあるのは中島先生の

ことだろう、ああうるさい世の中だ。

18日より机を北側の窓の下に移動する。風がすさまじい。

19日 晴れ。いつも通り。

20日

 北航艇(千島開発団)が隅田川より出航した。帝国大学、高等中学、高等商業、

三菱社、郵船会社、学習院、その他いろいろな学校数十校が残らず見送った。下谷広徳

寺辺りから浅草並木通りまで人足が絶えず、吾妻橋などは往来できないほどだったとの

こと。いろいろ聞いたことが多すぎてとても全部は書けない。