しのぶぐさ

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12日

 小石川に先生を訪ね、田中さんも訪ねる。話はいろいろあったがどちらも頭の痛い

ことだ。3時頃帰宅。雨が降り出した。

13日

 夜更けまで母に叱られる。親不孝をしたくないと常々思っているのにお心にかなわ

ないことばかりで悲しい。

14日

 小説のことで藤樹先生を訪ねようと思っていたが、早朝に悩み事ができてその相談を

しているうちに時間が経ってしまい行けなかった。図書館に行くと上野は花盛りで、

悩みのない人が酔いしれて大変楽しそうだった。帰り安達さんへお見舞いに行くと、

母も来合わせたので一緒に帰る。

15日

 早朝猿楽町に藤樹先生を訪ねると「『都の花』が明日発行日なのにまだ製本できない

ので今から築地に催促に行く所だ」と言うので10分ほど話をした。嵯峨野屋おむろが

気が狂ったと言われているのは嘘であること、伊予の花園女史のことや、花圃女史から

長編小説の出版を頼まれたが断ったことなど話は多かった。「歌の入った小説が書け

たらください」などと言われる。半井先生の消息も聞く。「病気が打ち続いてずっと

悩んでいたが、今度は内腿のできものが急にひどくなり、本郷の親戚に行ったまま帰る

ことができなくなってそこで療養中だそうだ」と聞いて胸がふさがりそうになる。去年

の今頃も大変具合が悪く、私も日を空けずに訪ねていたのに比べ、手紙を出すことすら

できない今、どうやったら会いに行けるだろうか、知らなければ済んだことなのに、

聞いてしまったのが悔しい。帰って母にこの話をして、一度だけお見舞いに行かせて

くださいとお願いしたが全く聞く耳を持たない。せめて手紙を書かせてくださいと頼ん

だが、それすら聞き入れてくださらなかった。これは私のことを思うからだとはいえ、

過ちをする私ではなし、なぜこんなにつらいことを言うのだろう。先生もどれだけ思い

悩んで世を恨み人を憎み、思い乱れているのではなどと思いやると耐え難くなる。困り

果てて邦子に相談すると、私の心がわかるので一緒に涙ぐみ、どうしたらよいか一緒に

考えてくれた。

 私たちは世の人とは違う宿命を持っており、つまらないことにも思いが深いので、

世の人から見ればさぞ愚かしく思われるだろう。幼いころから考えが人とは違い、

「道というものを少しも踏み違うものか、人からどう見られても天は正しく見てくれて

いるのだから」と積まれたお金にも、敷き詰めた錦にも心をかけずに生きてきた私なの

で、はかなく世に見放された人を、ましてや知らない人ではない人を忘れることはでき

ないのだ。邦子も同じ、かなわない思いに苦しんでいる。しかし互いに世の中の華々し

いことなど思いもかけず、隔てのない心が変わりないよう願い、このような悩みのある

時には心の限りの誠を尽くそうと願っているだけなのだ。月や花など折々の風流に心を

交わし、手紙を書いたり会って楽しいことを言い交わすことも情だろう、同じ情なら

一緒に涙を流す方が望ましいが、私と同じ考えの人はいないのだから、空をつかむよう

なものである。人は私の思いも知らずありきたりの恋のように、軽率な遊びをしている

ように見ているのだろう。それでよい、笑われてもそしられてもよい、私の恋の神は

そんなつまらぬことを気にして円満に済ませるようなことはしない。元々恋は穏やかに

は済まないものだ。円満でないということではないが、そもそも二人を一つにすること

に無理があるので私はその「人」という言葉を捨てているが、この世に満ち溢れた恋と

言われるものらしきものが、あの人への思いだったということだ。それは恩義ある人を

慕うのと同じで、出会った時が忘れ難いからこんなに思い悩むのだ。それが私の道理で

あるが、今のところ世の常の恋のように会いたくなる時があって耐え難い。情けない

ことに、いくら書いてもこの思いを言い尽くすことはできない。この世では、ただただ

風情があって、不思議で、うららかで、優しくて、悲しくて、おもしろいのが恋という

ものなのだろう。待っていた花も青葉になったと聞いて、  

  人の上もかくこそ有けれ大かたの まつははかなきものとしらなん

   人の身の上も同じでしょう、待つというのは儚いことなのです

 東北へ行った人(野々宮菊子)が花が咲いても久しく連絡をくれないので、恨んで

いると書いて送るのもきまり悪いので、

  春がすみ立隔ててもみゆる哉 いはての山の花や咲きけん

   春霞が隔てても 岩手の山の花が咲いているのが見えるようです

   この季節、蝶が舞い浮かれるのは当然ですが、都の花がどうなっているのかとも

  聞いてくれないとは情けないことです。そちらの水に染まって忘れられてしまう

  ことも道理ですが、隅田川飛鳥山の花のために悲しむのです。

 

 桜の花びらは半ば散りながら狭い道に積もり、雪の中を行くようである。若葉となっ

た梢や萌え出る若草が広がり、牛を飼う大きな家が見える。田町の坂を登ればあの馬琴

八犬伝に書いた、浜路の最期の場所(丸塚山)を目の前にしたような心地だった。

伝通院の森も遠くなく、小石川の町並みがすぐ真下に見えるのも風情がある。思うこと

さえなければどれほど楽しかっただろうと思うが、私の今の心ではどうしようもない。

通りすがりの人が私の顔を見るように思えるので、知った人に会わないようにと急ぐ。

 あの家では「なんと思いがけないことでしょう」と呆れながらも、みなさんが喜んで

もてなしてくれて大変嬉しい。あの人も「昨日今日は少し具合がよいのですよ」と起き

上がって言う。いとこという人が薬を飲ませるために枕元にいた。「随分長い間お見え

になりませんでしたがお変わりありませんか、いつもお噂しているのですよ。おととい

もあなたの話をしたばかり」と言うと、先生もたくさんの薬を一口に飲んで「本当に

いつもお噂しているのですよ」とほほ笑んでいる。枕元の机に大きな花瓶を載せて、桜

や山吹などいろいろな花を投げ込んであり「遠い野山を歩きたい一心でこんなことを

しています」と言う。「誰も花の挿し方を知らないので、庭の花をあるだけ折ってきて

乱雑にしています。お笑いください」などといとこが恥ずかしげに言うのも奥ゆかし

い。いろいろな人の句などを短冊に書いて四方の壁が見えなくなるほどに貼ってある。

あの人はほほ笑みながら紙を持って来させ、自ら硯を摺りながら「大変ご無礼ながら、

今までに詠ったものを1、2首いただけますか。使いを出してお願いしたかったのです

が、素直には書いてくれまいと知っているので、心に思うだけにとどめていました。

今日思いがけず来てくださったのは私の願いが届いたということだから、書いてもらわ

ないわけにはいきませんよ」と毛氈を出させ、紙を切らせる。「そんな晴れがましい

ことはできません。家に帰って、そのようなよい紙でなく普通の半紙に書きますから」

とお詫びするが聞いてくれない。「見ていたら心がすがすがしくなるのです。人助け

なのですよ」などと言って説得しようとする。いとこからも「病人の頼みですから一つ

でも二つでも」と切にお願いされる。どうしようもなくて二首書いたが「とてもよくな

いのでこれは反故にしてください。あらためて書いて持ってきますから許してくださ

い」と言うと「ではこちらからいただきに上がって、引き換えていただく時必ず返し

ますから、それまではもらっておきますよ」と笑いながら取上げてしまった。「後で

お笑いになるのでしょう」と言うと「とんでもないことを、誰にも見せませんよ。私が

朝に晩に見て楽しみに…」 以下散逸…

 

 …特に言うべきこともなく、聞きたいと思うこともない。あの人からも言葉はなく、

私からもない。長く長く待ってやっと会えたというのにどうしてだろうと自分でも怪し

く思う。奥様を持ったと聞いているのでどう確かめようかと思うが、いい折りがない。

「小宮山君が奥さんをもらいましたよ、まだ会ってはいないのですがことは偶然に運ぶ

のですね」と笑ったのを機会に「先生も奥様をお迎えしたと聞きましたが」と聞くと、

「いや、小宮山君の間違いだろう、私など思いもよらないしそんな話もないですよ」と

笑った後声をひそめて「君はどうしているの」と聞くので、顔が赤くなりうつむいて

しまった。「妹さんはどうですか、まだご良縁はないのですか」とさらに聞くので、

「私のような境遇のものにはとても思いもよらないことです。妹も盛りを過ぎようと

いうのにどうにもできない悔しさをお察しください」と答えると「そんなことはないで

しょう」と言って「頭痛があるとのことだが、よく養生しなさい、今君の病が重くなっ

たら家はどうなるのですか、できるだけ心配しないようにして一日でも早く治すように

努力なさい、とはいえ筆を取るものの習いでこの病気がない人は少ない。私も昔はとて

も元気だったが頭痛には悩まされたものだ。近頃は少しよいがやはりつらいものです。

今の病気がよくなったら、花は終わっていてもどこかの野山に出かけて、思い切り心を

慰めたいと思っています。君も閉じこもってばかりいないで新鮮な風に吹かれなさい」

と諭される。「先日の反故と変えてください」と短冊を持ってきたのでお願いして取り

換えてもらう。「またしばらくお伺いすることは難しいでしょう、お体を大切になさっ

てください」とだけ言って、他に何も言えないままに別れてしまった。

 ああ言おうこう言おうと思っていたたくさんのことはどこへ行ってしまったのだろう

か。ほんの少しもあらわすことができなかったとは、

  我ながら心よはしや今日を置きて またの逢日のはかられなくに

   我ながら心の弱いことだ、今日を逃したらまた会える日はわからないのに

 

蓬生日記

 雑記

 母が浅草の御開帳にお参りしたのは1日のことだった。中廻向で、天童供養など大変

人出が多い日なので、さしもの広場にもすきまなく人がいて、本堂の近くには年寄り

など近づくことができない有様だったそうだ。無理にお参りしようとすれば、護衛して

いる警官が「危ないですよ、けがをしますよ」と制する。せっかくお参りに行ったのに

鈴の紐をつかんだものの鳴らすことができずに帰って来たとのこと。「興行もおもしろ

そうなものがたくさんあったが、その中で鹿児島戦争の生き人形というものを見てきま

したよ」と言うのがおかしかった。「何もかも見たこともないような賑わしさだった」

と話した。小林好愛氏が本郷区の区会議員になったとのこと。

 

 ある夜邦子が言うのには「毎日考えることが変わって、1日の間どころか、一時の間

にもさまざまな思いが湧き出てきてとても侘しいので、どうしたら心を正せるのかと、

変な考えが浮ぶたびに針を障子に刺して印をつけていたら、一間ほどの障子があっと

いう間に穴だらけになってしまい、さらに刺していったらもう残り少なくなってしまっ

た。わかっていても正すことが難しいのだから、何も考えず無為に暮らしていたらどれ

だけ間違いを起こすことでしょう、危ういことね」

 

 文字こそ人の心を表すものだ。同じ師の元で同じ手本を使って習っていても同じ字を

書く人は少ない。花圃さんの匂やかな愛嬌があるのに老成した文字は、見る人によって

は先生にも勝っていると言われるのは家柄が高いためで、世人の及ぶところではないと

もいえるが、よく見ればそれだけではない、やはり心から生まれるものだと思う。奇を

てらわず、洒落のめさず、力ある筆は千蔭流をよく学んでいるとは誰でもわかるが、

その中に一節抜けた才気があふれているところに彼女の本性が見え、愚直質朴な私には

思いもよらない技だ。伊東夏子さんも大変よく手習いをしていると見えるが、少し弱々

しいところがあり、素直でうるわしいだけ。鳥尾広子さんは花圃さんによく似ているが

花圃さんの匂やかさには及ばない。天野滝子さんの文字は人から称えられいる。江崎

まき子さんの達者な文字は、ただ美しい文字よりも手紙の見栄えが大変よい。香川政子

さんの文字は、島田三郎氏の妻だった頃になよやかで華々しいが一本通ったものがない

と評した人がいたが人柄もその通り操がなく、今はある商家の妾となっているそうだ。