につ記

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 北国の花はものすごく咲くなあ…シュウメイギクってぽつっと咲くものだと思って

いた。春のタンポポのでかさ(余談だがアリも)、ハルジョオンの咲き方もすごい。

 

皐月3日

 明け方より大雨が車軸を流すように降った。母は例の血の道で寝込んでいる。朝星野

天地氏から手紙が来て「文学界」5号に少し長くてもよいので20日までに送ってほしい

とのことだったが、「都の花」の方もまだできていないので難しいと思い『来月号なら

ば』と返事を出した。母は伊勢屋にまた行った。芦沢さんが来た。

 

4日

 晴れ。髪を結う。何事もなし。西村さんに金を返しに行って帰るとおこう様がいて、

これから西村に金を借りに行くとのこと。

 

5日

 晴天、風が強い。芦沢さんが来た。習志野での演習の慰労休暇だとのこと。姉が来

た。稲葉さんがお礼に来た。姉と芦沢さんが柏餅を買って来てみなで食べた。

 

6日

 大変寒い日。薄霜が降ったとのこと。この日は来客が多かった。久保木夫妻、菊池

老人、奥田老人と西村親子。小宮山庄司さんも突然来て、おぶんが消えたとのことで、

半ば我が家にいるかと疑い、またおぶんのことを訴えたかったようだ。母としばらく

話して帰る。狂いまどう姿は何ともはかない。その昔は八の字ひげを生やし威厳があっ

て、誰が見てもひとかどの人物に見えたが、あの姦婦のために家を失い、親を忘れ、

浮き世の日陰者となり生計を立てるすべもなく、車を引いているとのこと。「お恥ずか

しいことながら」と語るには、着ている古びた合わせの他には一枚もないとのこと。

あさましい肉欲の果てではあるが、彼の心を思うと哀れである。もっと話したそうだっ

たが人が多くいて長くは聞けなかったので、「また来なさい」と母が帰した。他の人も

日没前に帰った。今日は前田家の園遊会だったとのことで、皇族や大臣を始め貴族院

議員や外国の大使など来会者は千人にもなったと聞いた。

 

7日

 晴天。秀太郎が来た。今日もまた来客が多かった。山下直一君、芦沢さんは同僚を

連れてきたので3人に昼食を出した。みな日没少し前まで遊んでいく。この夜母と一緒

に右京山へ花火を見に行く。九段の祭りがあり、ここからよく見えるのだ。

 

8日 晴天。小宮山さんに手紙を出すとすぐに返事があり、おぶんの居場所はまだわか

らないとのこと。

9日

10日

 晴れ。今朝から「国会新聞」を取り始める。「諸県霜害がひどく、桑や茶はもちろん

様々な苗が枯れた」とのこと。「群馬、埼玉、山梨では蚕を養えなくなり山や川に捨て

られたものも多く、茶は全て真っ黒になって中には幹まで枯れたものもあった」と出て

いた。

12日 夜になって小宮山さんが来た。あさましい話が多かった。明け方に帰る。

13日 山梨に小宮山のことで手紙を出す。

14日 ことなし。

15日 母の誕生日なので、芝の兄と久保木の姉を呼ぶ。会っても嬉しくもない人達で

はあるが兄妹と生れたからには、道理を取って距離を置くことは母のために情けなく、

恨めしく思うだろうから呼ぶだけだ。兄から土産をもらう。姉は秀太郎を連れてくる。

折よく上野の伯父様も来たので酒を出し、みな日没少し前まで遊んで帰った。

16日 雨

17日 晴れ。西村さんが来た。

18日 雨。

19日 晴れ。母は花川戸の小宮山さんを訪ねる。朝8時に出て夕方4時頃帰宅。「いろ

いろ言ってなだめ諭し正気に戻そうとしたが、聞く気もないようだった」と大変嘆く。

他人事ながらとても侘しい。夜号外が来て、福島県の吾妻山が噴火したとのこと。今日

から四畳半の座敷に移った。

 

 恋は尊く、あさましく、無残なものだ。兼好法師の出家のきっかけも、文覚上人が

悟道に入るきっかけも恋のためと知られているが、尊いことである。花の散るのも、

月が隠れるの(を惜しむの)も恋心ではないだろうのか。あさましい肉欲を唯一の命

とし、腐った体を抱き合うことができなくなると「我が恋は終わった」と嘆き「この世

での望みはなくなった」と侘しがるのだ。それはまだよい、その唯一の命としている恋

の本尊が悪魔と知り、外道と知り、夜叉と知り、このために命を失うとわかっていても

潔く離れることができずに、親を忘れ、子を忘れ、はかない思いを胸に持って最後には

どうなってしまうのだろうか。恋は心のもので人のものではない、抱きたかったら月や

花を抱けばよい。嫌う時が来たら簡単に捨てればよいのだ。鏡にものが映るのは、もの

があって映るのか鏡があるから映るのか。元の形を極めようとすればいずれおのずから

現れ出て来るものだ。しかし無窮の月や花は遠い霊山の頂上にある。分け入る道は違っ

ても、最後は人も私も同じ場所にたどりつくのだ。色に迷う人は迷えばよい、情に狂う

人は狂えばよい。現世で一歩天に近づけば、天はさらに悟りの機会を与えてくれるだろ

う。是も非も同じ道、善も悪も二つに見えて一つなのだ。

 

20日

 晴れ。朝鮮の守防穀事件はことなく済んだとその筋に連絡が来たようだ。または、17

日の終局裁判が19日に延期されたとも。

山梨県に15万円の雨が降った。(霜の被害総額が15万円だったが、その後の雨で被害

が免れた)

・吾妻山の噴火調査に技師が派遣された、吾妻山は磐梯山の北5、6里のところにあると

のこと。

・東京で恐水病が発生した。

 

21日

 雨。日曜なので芦沢が来た。姉も来たが少しいて帰る。昨日母が金を借りに行ったが

来客中だったので何も言わずに帰ったことをいぶかしんで西村さんも来た。一円借りて

すぐに菊池さんに返しに行く。この夜小宮山庄司が来た。おぶんに上京するよう1円50

銭為替にして送ったが何の返事もないので、息子の嘉一郎を山梨に迎えに行かせるとの

こと。嘉一郎は数えでやっと13歳、たった10歳何か月の子供なのに一人で30里の道のり

を、知る人のないところへやろうなどと考える小宮山の心は悪魔の所業である。身も心

もすべてあの悪女に捧げて、母をも子をも省みることがないのだ。かつて夜を語り明か

した時、一家三人みなで泣いて「哀れなこの人を救おう、ともかくも正道に導いて誠の

人に戻さねば」と力を尽くそうと話の始めから今までの来歴などを聞いてみると、あさ

ましい肉欲だけでははなく、人としても正しくないように思えてきたので「もうこれま

でだ。天は罪なき人を罰したりはしない。『毒を以て毒を制す』という言い伝えもある

ことで、流血沙汰になって命を失っても業のせいなのだ。私たちには何の落ち度もな

く、務めは果たした。正道に帰るべき人ならばいつか戻れるでしょう、言葉を尽くして

も通じない人は天がそうさせているのだ」と考え、私は何も言わなかった。帰ったのは

10時過ぎだった。それから頭痛がはげしくなって一晩中苦しみ、胸も燃えるようで、

人生の浮き沈みや痛ましさをひしひしと感じ、狂おしさは言葉に現せないほどだった。

 

22日

 曇り。9時頃まで臥せっていた。母も血の道が起こり同様。一日何もせず過ごした。

夕方から雨になった。

 

23日も雨。

 母の血の道はよくならない。今日から日課を決めることにした。(朝6~7時習字、10

時まで読書、12時まで作文、昼食、昼休み、午後は針仕事、洗濯、夕方自由時間、夜は

思索)この夜小宮山から葉書が来ていよいよ甲府に行くつもりだとのこと。今さら何も

言うことはない。11時過ぎる頃号外が来て「千島探検艇の郡司大尉の一行が、暴風雨に

より行方不明」とのこと。また一報に「大尉の行方が分かった。委細はまた後に」と

あった。

 

24日

 雨。母はなおよくない。山梨県の広瀬からとうもろこし粉を送ってきた。これを餅に

作ってみなで食べてみる。あちらではこれを日々の糧としているとのことだが、どうし

ても食べられるものではなかった。夕方号外が来て「北航路を行く3艘のうち、行方知

れずだった1艘が青森県上北郡字砂ケ森に漂いついたが乗組員が一人も見えない」と

あった。

25日

 晴れ。早朝西村さんが来たので、みなでお茶を飲む。様々な雑談があった。昔から

我が家と縁を結ぼうとあの手この手を使ったこともあった。邦子か私を嫁にしたいと

西村の母君からも本人からも2ヶ月ほど前に言ってきて、こちらの考えが違うので断っ

たのだがそれを何と思ったか、しばらく往来が絶えていたのだった。この人一人を嫌っ

ているわけではなく、私は生涯夫を持たないと決めているのをなぜ恨むのだろうか。

心の狭いことだ。知り合ってから13年、表裏なく付き合ってきたのに波風が立ったの

は、この人自らの心のせいでやましくなったのだ。こちらからは変わりなくお付き合い

をしていたのでやっと心が改まり機嫌もよくなって、また足しげく通い合うようになっ

たのだった。この世に敵を持つことが苦しいので、このような些細なことでも嬉しい。

話の中で西村さんは桃水先生の小説をほめていたが「見る目のない人だ」と思いつつも

憎からぬことであった。

 今日の新聞に『同楽叢談』という小説雑誌が発行されるという広告があった。正直

太夫、柳塢亭寅彦、果樹主人などの顔がある。かつての『武蔵野』に雰囲気が似て

いると思い、あはれ紫の…と思いをはせた。

  紫のひともとゆゑに武蔵野の 草はみながらあはれとぞみる(古今集

  美しい紫草が一本あることから、武蔵野の全ての草がいとおしい 

 邦子は今日から内職を止めた。日が暮れてから塙道太郎が兄の使いで来た。この夜は

早く布団に入ったが思うことが多く眠れなかった。

  雨ははれたり 軒ばのわか葉みどりすずしく 人はまつによしなし 閑窓の中 

  ただ苗うりの声ひなびたるをききて 更によみつづく「唐詩選」

   雨が上がり、軒の若葉の緑が涼しい あてどなく人を待つ閑居で 

   苗売りのひなびた声を聞きながら、唐詩選を読み続ける

26日

 雨。かなり早く起きる。漂流した船の乗組員の行方がわかったそうだが、電報の文が

簡易なので事実はわからない。今日も何もせずに終わり早く寝た。

27日

 起きるとまた雨。しばらくして晴れたが、時々夕立のように降ったり、雷がおどろ

おどろしく鳴る。午後広瀬七重郎の控訴は期日を過ぎて棄却の判決が下ったと知らせが

来たのですぐに手紙を出した。

 『同楽叢談』の批評が出ていた。2号には桃水先生や友彦氏の作品が載るようで、

ありし日の『武蔵野』と同じだ。岡田凌波、三品りん渓諸氏の名もあり、同郷人の会合

をよそで聞いているような感じがして、昔と今の隔たりを思い耐えがたい。

 今日は甲子の日なので、邦子と小石川の大黒天にお参りをした。

 北航路の船員の行方不明は、今日の報告では「死体はまだ上がらない」とある。どち

らが本当なのだろうか。

 朝鮮の東学党の勢力がますます強まったそうだ。ロシア人も加わるという噂があるの

でロシアでは警戒しているとのこと。

 わらべ歌とは大したものでもないが、世につれて歌い出てくるものだ。昔の僧が身を

やつして市中に遊んだものも、これを聞くためだったとか。今の世の子供たちが聞くに

堪えないような歌を高らかに歌いながら二人三人、四人五人で大通りを練り歩くのは

何の兆しだろう。もうすでに世は腐敗しているのか、それともこれから乱れようとして

いるのか。政治をつかさどる人達はこのことに心を止めるべきだ。

 稀有の日本人(海外での成功者)稲田真之助が帰郷した。

 

 故郷は忘れ難い。また忘れてはならないものである。しかし故郷が懐かしいとひたす

らに思い引かれてばかりいては、都会に出て大事業を志すことはできない。会えなくな

ったあの人は、例えてみれば恋の故郷のようなものだ。これを拠り所として月を尋ね、

花を尋ねて、霞を哀れみ霧を愁いて、人の世を知り天地を知り、いにしえから今に至る

までの宇宙(真理)の美を求めようとする。それを妨げるものは何もない。夢にもうつ

つにも離れることができず、広大な宇宙から見れば芥子粒がこぼれたような現象に心を

尽くして人知れず泣いたり笑ったりし、心が月になろうとする時、花になろうとする時

にふと立ち返って名残を惜しむ。なぜ忘れることなどできよう、ひたすらに思うのは私

の故郷だ。例え誰もいなくなった家が荒れ果て、そこに住む人たちの心が変わってしま

っても昔を偲ぶことに支障はない。ただ志す方向には一歩ずつ進まなければならない。

しかし進むことを願いながらも戻りたがっている私の心は何だろう。憂いが襲う日には

あの人を思い、心弱くなった時にもあの人を思う。いや今はあの人というのではなく、

あの美しい目でもない、にこやかな口元でもない、言い知れぬ何か、あの人の名前が

ついている何かがひしひしとわが身に迫ることがつらい。故郷を忘れてはならないとは

重々承知だが、寝ても覚めても忘れたいと願う時がある。私の心は二つあるのだろう

か、一方ではあさましく悔しく、愚かで心貧しいことだと恥じつつも、もう一方では

この身があるからこんなにももの思いするのだ、世間からそしられようとも親兄弟が

嘆こうとも川の淵に、海の底に沈んでしまおうと思う。哀れこの迷いはいつ晴れるの

だろう。真実の美をいつ見ることができるのだろう。