につ記

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6日 晴れ。芳太郎君が来た。奥田の老人も来たが、暑気当たりなのか大変弱っている

  ように見えた。

7日

 母は田部井さんのところに衣類の売却を頼みに行く。「書画など売ってもとてもまと

まった金にはなりそうもない、持ち主が愛蔵してこそ価値があるが、興味のない人には

ごみも同然だもの。なんといっても父が愛していたものだ、あの世で惜しんでいること

だろう、買う人がなくてよかった、もう売るのはよそう。しかしお金を何とか手に入れ

なければならない。着物は大方売りつくしてしまってはいるがまだ絹物、ちりめんの

一枚二枚は残っている。中島先生の会がある時のために取っておいたが、そんなことを

言っている場合ではない。最近まではどんなに窮しても一枚二枚は残しておいて、その

時のためにと思っていたが、それは間違いだった。歌の世界の荒れに荒れた姿を見て、

この世の浅ましさやはかなさを思い知り、それでもまだ花筵の席に連なって愚かしい

おしゃべりなどする気にはならない。全ての憂いを捨て、巷の塵に混じろうと決心した

身に花紅葉の麗しい着物など不要である。これが10円にでも15円にでもなっただけを

元手にしよう。これを手放してあちらの世界に行くしかない」と決めてのこと。

8日 晴れ。母は田部井さんに様子を聞きに行った。

9日 

 再び訪ねると15円ならば買い手があるという。二重緞子の丸帯一筋、緋色の博多織と

繻子織の帯の表地、ちりめんの袷二枚、糸織りが一枚である。それでよいと決めた。

夕方西村さんを呼び、事情を話して、道具を買い取ってもらうお願いをした。

10日

 晴れ。田部井さんから金を受け取る。この夜さらに夜伊勢屋に行って、預けておいた

着物を受け出し、それも売ろうとあわただしかった。兄に葉書を出す。

11日

 明日は父の祥月名月なので逮夜の茶飯を炊き、汁を炊いて、招くというほどでもない

が、上野さんを呼んだ。昼前に来て5時頃まで遊んでいった。夜は荻野さんのことを

聞きに藤村の奥さんが来た。兄が来たのでこの度の計画を話すと「可否は言わない、

元々考えの違う姉妹が何をしようと関わるところではない。でもまあ見ていろ、最後

まで成し遂げられることではないぞ。世渡りの難しさを真実知って、志の折れる時が

来たら俺も知らん顔はしない。頭を下げてくれば母もお前たちも養ってやるが、それま

では勝手にしろ」とたいへん冷淡であった。これ以上話すこともなく就寝。暑さが厳し

く夜更けまで眠れなかった。午後中島先生にお中元の挨拶に行った。

12日

 早起きして兄妹三人で築地に墓参りに行った。帰宅するとどっと疲れが出た。午後は

裁縫をした。芳太郎君が来て、伊三郎さんが日歩貸しを始めると言っていたとのことで

言葉がない。号外が来て、11日午前9時発シカゴ博覧会の特派員の電文によると「昨日

当会場で大火があり、混雑はなはだしく死者が17人出た」とのこと。とても短いので

よくはわからないが、日本人はみな無事だったということでまずはよかった。母は田部

井さんを訪ねた。

 

 18歳という年で父を失ってから、大海の波間に小舟が漂うように、不確かな世の中を

悲しくも(憂み:海)渡ってきて4年以上過ぎた。至らない心から世間一般の道を歩む

ことができずに、どんどん世の人とは違った方向へ来てしまった。元々才能がなく、

考えも浅いことを恥ずかしいと思っているし、心の内では、仮にも親兄弟の言葉を聞か

ずに、自分が決めたことを押し通すような言い争いなどしたくないと思っているが、

どうしようもない、家はどんどん貧しくなっていく。あちらこちらで面倒なことを言わ

れ、ただ我儘に生きて、母を苦しめ兄の助けにもならないなどと言われても「いいじゃ

ないの、世の中が何を言っても」と笑って気にしないが、誰を置いても朝晩に顔を合わ

せ仕えている母が「ああ侘しい、5年も前に死んでいたら、父がいる時に死んでいたら

こんな悲しい世を見なくてもよかったのに、私一人残ってしまったことが悔しい、子は

私の言うことを聞かず、世間は私を指さして笑っている、邦子も夏子も穏やかに素直に

私の言うこと、虎之助の言うことに従っていれば済むものを。どんなに(小説に)心を

尽くしても身を尽くしても、甲斐のない女に何ができるというのか、ああ嫌だ、ああ

嫌だこんな世の中にいるのは」と朝に夕に訴える。母は子の心を知らず、子も母の心を

測り難いからである。思うことはかなわず、時世は私に沿わない、親孝行をしようと

してもかえって不孝者になる。それが世の中というものなのだと、昨日今日にようやく

思い知った。是非の目印(道理)のない世の中にただただ浮き沈みする身なのだ。寄せ

返す波は高くわが身はか弱い。時々巻き去られそうになることもあるのが悲しい。福島

中佐が踏み分け越したウラルの山は高かっただろう、シベリアの野は広かっただろう、

暗闇の中で待ち構えている関所の、憂くつらく悲しいのはどこも同じ旅路というもの

だ。それを越えて棺の蓋が閉まるその時に、その人の善悪も定まるのだ、今は浮き世の

旅枕、褒められようが謗られようが聞き入れている時ではない。前から思い決めていた

ことなのだから。

13日

 晴れ。母は田部井さんを訪ねる。午後伊三郎さんがお盆の挨拶に来た。日没後、邦子

と近所の寺巡りをした。猪三郎さんは10時に帰宅した。

14日

 晴れ。母は今日も田部井さんへ、売り物の値段が少しよくなった。久保木さんと佐藤

さんがお盆の挨拶に来た。今日から新聞を東京新聞に変えた。小説は(宮崎)三昧道人

と桃水痴史。久保木さんからスモモをいただいた。母は菊池さんへ盆の挨拶に行った。

隆一君の新盆だったのでお供えを持って。