塵之中

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 白く紅葉する木があった。今年は何の木か確かめたい。さてとうとう塵の中へ…

 

 15日より家探しに出る。朝日がまだ出ない内から和泉丁、二長町、浅草まで足を

延ばし、鳥越から柳原、蔵前辺りまで行った。その方角にしたのは、立派な店構えなど

は願わず、よい場所も望まない、家賃が安くて人目に立たない場所にと決めていたため

で、できるだけ小さな家がごみごみとしているようなところを尋ね歩いた。早くから

落ちぶれて、頼りないささやかな家ばかりに住んできたとはいえ、門と格子戸は必ず

あり、庭には木立があり、客間には床の間がついているものだと思っていたが、天井は

真っ黒く煤けて仰ぎ見るのもうっとおしく、柱は歪み、床は低く、軒先は連なり、炊事

場も並ぶ長屋である。その上ほとんどは畳もなく、ふすまもない、ただ家という名前が

ついたものを貸すのである。はじめのうちはあまりのことに呆れてしまい、戸の外から

眺めるだけで、入って尋ねる気にもならなかったが、「こうしていてもきりがないので

ともかくも尋ねてみよう」と隣の家に声をかける。親切にあれこれと教えてくれる人も

いれば、憎々しく「差配に行って聞け」という人もいる。差配だと聞いた40歳くらい

の、頭の禿げた男が帳場の格子の後ろでそろばんをはじいている背後には、お中元でも

らったと見える小さな砂糖の袋やそうめんのようなものを沢山並べて、とても尊大に

話すのが憎らしい。美倉橋と和泉橋との間の路地に、四畳半と二畳二間ある家がある。

店は三畳ほどの板の間で、この家には畳もあってふすまなどもついている。長屋では

あるがそう汚くもなく、敷金3円、家賃は1円80銭とのことで全てよい。ただ庭が少しも

なくて、裏にはすぐに長屋の屋根が続き、木立など夢にも見当たらないのが難ではある

が「なお母に見せてよいとなったらここにしよう」とした。邦子はとても疲れており、

歩くのがつらそうなのがかわいそうで「今日はここまでにしましょう」と言って帰る。

午前中に戻っていろいろ相談したが「どう考えても下町に住むのは嬉しくない、午後は

山の手を探してみよう」ということになった。庭がほしいのだ。馬篭巣鴨、小石川

辺りは土地柄は静かでよいのだが、誰それの別荘などが多く、私たちが始めるような

小商いの店などに用のある人はいないだろう。それでは意味がないので牛込や神楽坂

辺りはどうかと思うが、近くに知人の家もあるのでそれもやるせない。どうにも決まら

ずに戻る。飯田橋から御茶ノ水通りに来ると、今日は川開きということで納涼船が客引

きをしている。陸では馬車を急がせている人がいる、歩く人々も着飾って誇らしげだ。

振り向けは邦子が疲れた足を引きずって大汗をかきながらついて来る。かわいそうに…

この人も不憫である。幼少時に父や兄に死に別れて、浮き世の遊びも知らずに貧しく

育ち、とうとうこの世の変わり者になって、春の花ののどかな景色を見ても嬉しいとも

思わないようになってしまった。さらにこれからの境遇の浅ましさを思うと、この人の

ため母のために悲しみが胸に満ち溢れてきて、どうしていいかわからなくなってしまっ

た。といって後戻りはできない。心細いとはこういう時のことをいうのだろう。

16日

 晴れ。母は西村さんを訪ね道具の相談に行く。芳太郎君と山下直一君が来た。午後に

は(母が)山下次郎さんから頼まれて青柳町の梅吉さんを訪ねたりと、今日は一日ごた

ごたした。

17日

 晴れ。家探しに下谷の方へ行く。邦子は大変疲れて行かないと言うので、母と二人で

行く。坂本通りで二軒ほど見たが気に入らない。どんどん歩いて行くと龍泉寺町という

所に、間口二間、奥行き六間(3.6m×11m)くらいの家があった。隣に酒屋があったの

でそちらで話を聞くと、ふすまなどはないが、店は六畳で座敷は五畳と三畳、南向きで

悪くない。敷金3円、家賃は1円50銭で、小さくはあるが庭もあり、そこにはないが奥の

家に木立が多くあるので大変よい。邦子に話して三人ともよいとなったらここに決め

ようと、酒屋に頼んでおいて帰る。邦子も異存がないと言うので夕方また行くと、行き

違いがあって他の人が借りそうになっていたのでいろいろ手を尽くした。

18日

 晴れ。龍泉寺町の家については、近所に伊三郎さんがいるので頼んでおいたのだが、

午後になっても返事がないので母と行ってみると、行き違いになってしまい留守だっ

た。ただし「万事都合よくいった」と聞いたので引っ越しの準備に取りかかる。

19日

 晴れ。早朝猿楽町に藤蔭先生を訪ねて2時間以上話をした。その後伊東さんを訪ね

た。どちらも引越しの話をするためだったが、藤蔭先生のところでは小説の話が多かっ

た。夕方には西村さんの所へ道具を持って行く。買ってもらって商売の元手にするため

である。近所なので中島先生を訪ねると、具合が悪いと横になっていた。しばらく話し

ているとおくらさん(妹)が来たので、それを機に帰る。家の片付けに久保木さんも

手伝ってくれて大体済んだ。この夜は胸騒ぎがして眠れなかった。新しい暮らしをする

にあたって、古い暮らしを捨てることへの不安があるのだろう。

20日

 薄曇り。家は10時に引き払った。このことはとても書くことができない。

 

 この家は下谷から吉原通いをするための一本道上にあり、夕方から轟く車の音や飛び

交う灯火の光には例える言葉がない。行く車は午前1時になっても絶えず、帰る車は3時

から響き始める。もの静かな本郷の家から移ってきて、ここで初めて眠る夜の心地と

きたら、生まれて以来感じたこともないものだった。長屋なので壁一枚隔てたところに

人力車夫の男たちが住んでいる。「商売を始めればその人達もお客になるのだから、

機嫌を損ねないようにしなければならない。『廓が近くて人柄の悪いところだ』と人

から言われたが、男のいない家はどんなに侮られ、悔しいことが多いだろう」と思う。

「私一人のことならよいが、母は老いて、妹はまだ世間知らず、その二人が思い悩む

様子を見るののはさぞつらいことだろう。それに、商売はどうやって始めようか」など

と心は千々に乱れる。また、蚊が大変多いところで、やぶ蚊という大きなものが夕暮れ

からうなり出て来るのが恐ろしいほどだ。「この蚊がいなくなるのは綿入れを着る頃

だ」と誰かが言っていたが、冬までこんなだとはやりきれない。

 井戸はよい水が出るが大変深い。何事にも慣れてくれば、これほど心細いこともなく

なるだろう。知人もできて、商売でもお得意さんができるだろう。つらいことだがそれ

ほどでもないと思う。ただ、こんなにも落ちぶれた末に立ち直ることもできず、朽ち

果てて終わってしまっては、ついにあの人の顔を見ることもなく、忘れられ、忘れられ

果てて、私の恋は雲の上の空に消えて行くのだろうと思うと…。昨日まで住んでいた家

にはあの人が来てくれたことがあった。たまには、本当にたまには、何かのついでに私

の家のことを思い出して、私というものがいたと思い出してくれたら生きる甲斐もある

というものだが、行方も知れずに姿を消して、こんな塵の中に交ってしまっては、もし

何かのゆかりがあって思い出してもらっても、哀れんでくれたり不憫に思ってくれる情

けではなく「ついにこの世を清く渡れずに、濁りに濁ってあさましいものになった」と

心からふるい落とされ、とうとう顧みられなくなってしまうのだろう。こんなことを

思い詰めていると胸がふさがって眠れなくなり、暁の烏の声を聞いた。この夜は大雷が

あり、稲妻も恐ろしいほど光った。

21日 

 夕べから降った雨は名残なく晴れて大変しのぎよい。葉書を書いてあちこち10軒

ほどに出した。この夜は少し寝ることができた。

22日

 晴れ。今日は土曜で、小石川の稽古日だ。どうしているかと思う。母は中橋の伊勢利

(雑貨商)を商売についての話をしに訪ねた。久保木さんに籍を送ってもらうことを

頼む手紙を出した。昨日今日は家の掃除や、直しなどして暇がなかった。

23日

 晴れ。朝から伊勢利が来てくれて、店の棚を吊ったりして昼になった。午後、帰り道

に問屋に寄って掛け合ってくれるため「誰でもいいから一緒に」とのことで、「私を

連れて行ってください」と行った。門前前に中村屋忠七という店があり、伊勢利と古い

知り合いだとのことで周旋してくれた。「5円分くらいの商品を取りそろえてくださ

い」とお願いし、手付として1円渡して、明日届けてくれることになった。伊勢利は

「明後日の朝飾りつけに来ましょう」と言ってくれ、全て整えて帰る。ただこの5円の

金が今は手元にない。前に伊三郎さんが「元手は用意しますよ」と言ってくれたので、

それを当てにして母が三間町に行くと、思い通りにはいかないのが浮き世というもの

だ。奥さん(愛人)が昨夜急病になり、伊三郎さんも旅の身なので大金を持ち合わせて

いない上、人に預けた金がまだ戻らずどうにもならないとのこと。そこへ、故郷に残し

ている奥さんまで病気になり、留守にしている家でも大騒ぎしている。「秋蚕を移す

作業に追われているのに男手もなく困っているので、こちらの妻の具合が少しよくなっ

たら一度故郷に帰るつもりです。家の方もいろいろ大変で」(伊三郎は東京に出稼ぎに

来ている)と言う。それでは仕方ない、西村さんに頼もうという話になった。今日は上野

さんが訪ねてきた。

24日

 朝は薄曇り。母は小石川の西村さんへ行って昼近くまで戻らなかった。問屋から今日

荷物が届くのにどうしようと思いわずらう。12時に母が帰って来たが、西村さんは用立

てできないと言ったとのこと。道具を引き取ってくれる約束で、それが20円程になるの

だが、早くくださいと頼んでも来月まで待ってくれと言われていたのだった。「この

急場を他に頼るところもないので、5円でいいから貸してください」と頼んだが「月末

が近くて支払いに追われている」と断られ、ではいくらでもいいからと事情を話して

さらに頼んだが、どうしても無理だと断られた上、お常(西村の妻)が失礼なことを言っ

たそうだ。「帰りがけに久保木に寄って聞いてみたがだめだった、どうしよう」と

言う。「どうしようもないから問屋に断りを言ってきます」とすぐに家を出て、田中町

から車に乗る。行くとちょうど荷造りをしているところで、事情を話して1、2日の猶予

をお願いしたところ訳もなく済んだ。その後伊勢利にも行って断りを入れた。日没前に

母は三間町に伊三郎を訪ねたが、すでに帰郷した後だった。夜彼に借金のお願いをする

手紙を書いた。邦子と吉原見物をしたがそれをいちいち書くことはできない。母はこの

日三枝さんも訪ねた。

25日

 晴れ。母、中之町伊勢久のお千代さんに会いに行く。仕事の世話をしてもらうため。

快く引き受けてくれて浴衣を一枚頼まれ「これで腕を見せてもらって、よければずっと

お世話しますよ」と言ったとのこと。早速邦子が仕立てにかかる。夕方邦子と一緒に

三間町に病人をお見舞いした。帰り道に花川戸、待乳山下、山谷堀から日本堤を通って

帰る。寝るまで邦子と今後の策を話し合う。