塵中日記

  人しらぬ花もこそさけいざさらば なほ分け入らむはるのやま道

   人に知られぬ美しい花も咲いていることでしょう、

    ではさようなら、私はもっと春の山道を分け入ってみます

  わたつみの沖にうかべる大ふねの 何方までゆくおもひ成らむ

   海に浮かぶ大きな船は、どこまで行くつもりなのだろう

  さとれば去此不遠 まよへば十万億土

   悟れば浄土は近く、迷えば十万億年のかなた

  雲まよふ夕べの空に月はあれど おぼつかなしやみち暗くして

   雲の浮ぶ夜の空に月はあるが、道は暗くおぼつかない

  有無ふたつなし一切無量  

   有無ではなく、全てははかり知れない 

  花ちらすかぜのやどりも何かとはむ ながれにまかす谷川のみづ

   花を散らす風の旅枕、なぜかと聞かれても(誰も訪ねてこなくても)

    川の水は流れるに任せるしかない

 

15日

 小石川の先生を訪ねる。7月19日を最後に今日が初めてのことだ。お互いに話したい

ことは多かったが、思いが迫って涙ぐんでしまいすぐには言葉が出なかった。この半年

の間に変わってしまったことをあれこれ書き出してみると、

 水野銓子さんが会津藩に嫁いだとのこと。

 龍子さんが子供を産んだ。女の子で健やかな大きな子だったとのこと。

 中村礼子さんが夫を迎えたが、その後夫は去ったとのこと。先生が養子を迎えたとの

こと。大野定子さんが亡くなった。加藤の奥さんが足の痛みに悩んでいるとのこと。

また、新しい弟子が増えたことなどいろいろあった。その中で昔と変わらないのは、

稽古日が土曜日だということ。日の長短を問わず二題四首、花や月を詠じたわむれて

いる。浮き世で波が立とうと風が吹こうと、枕言葉に工夫を凝らし、野川の名所を訪ね

て書見ではわからないことを学ぶ、仙人界はのどかなことだ。みの子さんと小出先生の

関係なども変わっていない。

 もともと狭くもなかった家に、昨年から今年にかけて建て増した部屋を数えると10に

近い。庭は植木屋が手を尽くし、金を惜しまないので家内も立派に整って足りないもの

がない。その身は今の世の女傑と称えられ、古びた門さえ輝いて見える。出入りに使う

黒塗りの車(自家用車)で疲れを知らず、豪奢な反物が蔵に満ちあふれている。今日は

式部長官鍋島侯のところで祝宴があるとのことで、大層立派に装いを凝らしていた。

お手伝いが左右から助けて衣装を着け、厳かな姿である。家の中では敬われ、外に出れ

ば尊ばれ、一生を終えた後にも養子がいるので心配はない。もう何も思い悩むことなど

ないだろうと思うが、それでも言うことには「ああ、どこかの野山から一尺ほどもある

ダイヤモンドを掘り出すことができたなら。一生十分に暮らせるほどの財産があれば、

世間の褒め誹りなど気にせず心のどかに暮らせるのに。世に交われば心に思わぬおべっ

かも言わねばならないし、したくもないことをしなければならない。もう20歳も若かっ

たら力の限りを尽くして、知恵を尽くして老後楽するために努力したいものだが、今更

この歳で、私だけの力では人生をのどかに暮らしたくてももう無理でしょう。まったく

欲心でなく、一尺のダイヤモンドを欲しいものだ」などと言う。

 舌先三寸で褒めも誹りもしているくせに、世間からとやかく言われるのは嫌だと言う

のか。なぜ心のダイヤモンドを捨てて、外に求めるのだろう。心のダイヤモンドを磨け

ば貧しい人に富を与えることができ、その濁った身も清らかになるというのに。例えれ

ばこの塵の世は腐った靴のようで、それを捨てるか取るかは心がけ次第、財産のある

なしなど何の関わりもないのだ。それをなお捨て難いというのがこの世というもので、

それに恋や、迷いや、義理が絡まり、欲と名付けて人生50歳を苦楽の巷にさまよって

いる。そう思えば、塵の中もまたおもしろくないものでもない。

 縁側に出て見れば、黄色や白の菊がすがすがしい香りを放ち、朝露に濡れた風情が

懐かしい。私も昔はここを朝夕行き来し、一度はこの家の娘とまで呼ばれたほどだっ

た。末にはこの庭も垣根も私のものになるかもしれないほどの縁があったのに、今私は

ごみごみした長屋が並ぶ町で貧乏人や乞食のような人と、1厘の駆け引きをするような

日を果てもなく送っている。この家の雰囲気に誘われたのか我が家にいれば思いもしな

かったのに迷いが浮かび、なぜか涙が浮かんでくる。これは何のための涙なのだろう、

ここで美しいものに囲まれた生活をすれば、決して苦しみもだえることなく暮らせたの

に、自ら落ちて流れて選んだ今の生活。それに満足して思い悩んでもいないはずだが、

なんと物狂おしいことだ。私には心が二つあるのだろうか、それとも心の中に真実と嘘

があるのか、心に向って嘘を言っているのか。いや心に嘘はない、さらに心は動くもの

ではない。動いているのは情なのだ。この涙も笑いも、心の底から生まれ出るものでは

なく、情に動かされて生まれる感情なのだ。

 先生は私が訪ねたことを喜んで、行くべきところにすぐには行かず、時間を惜しんで

あれこれと話す。私もまた別れる時を忘れて「もう少し、もう少し」と語る。二人の間

に紙一枚の隔てもなく、先生は真実慈しみ深い師となり、生徒も真実柔順な弟子となっ

たのだった。かつて私が「軽薄で偽善の人」とののしり、後ろ指を指した先生はどこへ

行ったのだろう。「師の教えに背いて勝手なことをした不良の子」とあざ笑われた弟子

はどこへ行ったのだろう。例えると魚が水中にいるのと同じように、自然に楽しく半日

を過ごしたのだった。この時の心持ちは、先日半井先生を訪ねた時と同じだ。

 まさに「花は盛りを、月は満月だけを愛ずるもの」ではない。ただただ相見ること

だけを恋というのではなく、谷間の水が深い奥底にあり、美しい花が高い峰にあって

手が届かないようなことにもだえ苦しんでこそ、思いは深くなるのだ。例えばお芝居を

見た後は、見る前よりも憧れが増すことはないだろう。いにしえの人の言うような「苦

は楽の種」ではなく、苦しみのその奥にこそ、楽があるのだ。

 浮き世の全てを捨てたと思うのも偽り、浮き世から捨てられたと思うのも偽り、それ

というのも私はその恋の真実を知らなかったからだ。この浮き世の行く先々に、善人も

いないし悪人もいない。他の人がどう思っているかは知らないが、自分の見る目次第で

世界中どこにでも素晴らしい人がいるだろう。満足を得ようと思ったら、いつも満足

しない程度でいたらよい、満足の上に満足はないものだ。満月は一晩きり、後は欠けて

行くものなのだから。

16日 雨。図書館に行く。

17日 晴れ。

18日 晴れ。禿木さんが来て文学の世界の話が多くした。

19日

 晴れ。神田に買い出し。明日は二の酉なので店の仕事が忙しかった。

『文学界』に送る小説の構想もまだ固まらないのに、昨日今日は商売の用がとても忙し

くて本当に煩わしい。

 二の酉の賑わいは近年にない景気だそうだ。熊手、小金餅、大頭芋を始め、縁起物を

売る店はほとんど売り切れてしまったので、12時過ぎる頃には出店も少なくなってしま

った。郭内の賑わいは推して知るというものだ。

  よのなかに人のなさけのなかりせば もののあはれはしらざりましを

   世の中に人の情けがなかったら、もののあわれを知ることもできないでしょう

21日 晴れ。

22日 同じく。

23日 

 星野氏から『文学界』の投稿の催促が来た。まだまとまっていないので、この晩は

夜通し起きていた。

24日

 終日がんばったができなかった。また徹夜する。女の脳は何と弱いものか、二晩ほど

寝なかっただけで、目が冴え気はいよいよ澄みわたっているのに、筆を取っても何も

書けない。思うことはただ雲を分けるようで、怪しげに一つ所を行き来している。「何

とか明日までに書き終えよう、できなかったら死ぬまで止めない」とただただ考える。

そして真夜中の鐘が聞こえ、気はますます澄んでゆく。差し込む月の光は霜に煙り朦朧

たる景色で、深夜の風情が身に迫り、目も一層冴えてゆく。それでも何一つ書くことが

できずに一番鳥の声が聞こえた。大路を通る車の音も聞こえ始めた。心はいよいよ慌た

だしくなり、あれからこれへ、これからあれへと移って筆はさらに動かなくなる。とう

とう夜が白々と明け始め、向かいの家や隣の家の戸が開く音、水を汲む音が聞こえ始め

ると、雲の中に引き入れられるような感じで、眠るともなくしばらく臥せっていた。

25日

 晴れ。霜が大変深いと思って見ると初雪が降ったようだった。眠ったのは2時間くら

いだったろうか。金杉にお菓子を仕入れに行ったが、寒いことこの上なしだった。一時

でも心を休ませたからか、今日は筆が進み午前中に清書まで済ませた。郵便で星野氏に

送ったのは1時頃だった。午後禿木さんに葉書を出す。菊池隆直さんが来る。隆一君の

一周忌だとのことで蒸し菓子をいただき、26日の法事に母が招待された。

26日 

 晴れ。寒い。須崎弁天町で出火。夜中3時頃からだったと聞いたので、ほとんど焼失

したのではないだろうか。母は昼頃家を出た。留守中上野さんが来たが、なにか淋しそ

うに見えた。

27日 晴れ。天知氏より手紙がきて、一両日中に来訪されるとのこと。

28日 

 晴れ。邦子は吉田さんを訪ねる。野々宮さんのことで残念な話があった。今日は前の

家から子供の誕生日だとお赤飯をいただいたので、お祝いを持って行く。

29日

 晴れ。禿木さんから手紙、歌があって

  音にきくさとのほとりに来てみれば うべこころある人はすみけり

   噂に聞く吉原に来てみたら、なるほど、心ある人も住んでいる。

 天知氏の文章は言葉も巧みで、物馴れた感じでさらりと綴っているが、煎じ詰めれば

大変趣味人のように思われる。禿木さんの文はまだ若くやわらかく、上手ではないが

愛嬌があり今後が頼もしく思われる。この夜邦子と吉原神社の縁日に行く。あの歌姫の

美声を聞いた。

30日 雨。

師走1日

 晴れ。『文学界』の11号が届いた。花圃さんの読み物が珍しく載っていた。山の井

勾当のことを書いたものだが文章が大変老成し、瑕と思われるところもなく完璧だ。

今の世に多くない女流文学者の中でこの人は永遠の命を持ち、後の世まで伝えられる

べき人だろう。加えて家柄、人柄のよさまであるのだから。

 馬場孤蝶の「酒匂川」、古藤庵無声(島崎藤村)の「哀縁」などがおもしろかった。

「哀縁」はともかくとして「酒匂川」は韻文というほどでもなく、五七調で歌うように

した方がよさそうでもあり、浄瑠璃のような散文体のようでもある。もう一息という

ところ。

 

 古びた短歌の世界に、月花を離れて今の開け行く文化について行くこと遅れて、新体

詩というものが出てきた。学識深い人が始めたとはいえ、まだ若いせいか好みに偏って

しまい、怪しげな姿になってしまっているものもある。古老たちが指さし笑うのも仕方

のないことではあるが、といって三十一文字の旧式に従い、汽車や汽船が走る今の世を

一人牛車に乗ってゆるゆると歩むべきではない。天地の自然を基とし、世の変化にも

従って、捉えがたい自然の姿や人為のいろいろを三寸の筆の上に呼び出したいものだ。

そう願うのは我々文学者の願いではあるが、天才が世に出て来るまでは難しいことだろ

う。俗の中に風流があり、風流の中に俗がある。新体詩が俗のように見えて、短歌が雅

やかに聞こえるのは、長年慣れ親しんできたからというばかりではなく、人の心の中に

沁み入るような真実を詠い、しかも開け行く世の観念に伴っていないからである。言葉

遣いが俗であっても、気品が高ければ自然に調べは高くなるものだ。学ぶのは簡単だが

実際に詠うのは難しい。さらにこの道にはまだ奥があるのだ。  

 夜号外が来た。議長の不信任の上奏案が可決されたとのこと。

2日

 晴れ。議会は紛糾。私行の暴き合いや隠しごとの摘発など、大人げない。

 真夜中に、目を閉じて静かに今の世の有様について考える。今後はどのようなことに

なっていくのだろう。甲斐のない女が何を思おうともみみずが天を論じるようなもので

「身の程知らずも甚だしい」と人が知れば言うことだろう。しかし同じ天の下、嵐や

雷雨が身に降りかかるのは誰も同じ。この国の一隅に生れ、片隅に育ち、大君の恵みを

受けているという点では、私も首相に劣らないのだ。日々迫ってくる我が国の有様を、

対岸の火事としていてよいのか。安楽な世の中で人の心は奢り、愚かにも海外の華やか

さに憧れ、わが国の古いしきたりを嫌う浮かれた心は暮らしの末端から文化や政治に

まで行き渡って、水が塵芥を浮かせて流れるように止まるところを知らない。そして

結果どうなるのか。外を見れは韓国の事件の処理もままならず、千島艦の沈没について

も日本が正しいのに英国に勝てないのは、侮られているからではないのか。さらに条約

の改正をしなければならないなど、対外国に様々な憂いが多いと言うのに、国内を見れ

ば同胞で競い合い、党派の争いで神聖な議会を貶め、自分の利益のために公益を忘れる

ような輩を数え上げれば十指に余る。濁った水はすぐには清められないものだ。こうし

て流れて行く我が国の末はどうなるのだろう。外には鋭い鷲の爪が、獅子の牙が待って

いる。インドやエジプトの前例(両方とも英国の植民地)を聞けば身が震え、魂がわな

なくではないか。物好きだと嘲りを受けてもよい、こんな世の中に生まれ合わせたのに

何もせずに終わってよいのか。すべきことを探して、すべきことを行いたい。女の身で

恥ずべきことながら、

  吹かへす秋のの風にをみなえし ひとりはもれぬのべにぞ有ける

   女郎花でも、みな等しく野辺で秋の野風に吹かれているのだ