ちりの中

 昼を少し過ぎた頃だった。聞き覚えのある豆腐売りの声が聞こえたので考えてみる

と、菊坂の家でよく買っていた人の声だった。真砂町32番地は鐙坂上の静かなところ

だと人から教えてもらった通りに、とある下宿屋の横を曲がって出ると以前住んでいた

家の上に出た。大路から少し入ったところで、黒塗り塀に樫の木が植え込んである。

入口の小道に看板があり、風雨にさらされた文字は薄くなっていたが「天啓顕真術会

本部」とあったので「ここだ」と胸がどきどきした。中に入って玄関で声をかけると

「おう」と乱暴な声がして書生だろうか17、8歳の男性が二間の障子を5寸ほど開けて

立ったまま応対する。「下谷の付近から来ました。先生にご相談したいことがあり、

あまり人がいない時にお会いしたいのですが、いつごろ来たらよろしいでしょうか。

お取次をお願いします」と言うと「鑑定をご希望ですか」と聞く。「いえ鑑定ではあり

ません」「では人生相談ですか、お名前は」と聞かれたので「初めてですので名前を言

っても仕方ありませんが、秋月とお伝えください」と答えた。男性は中に入ってすぐに

出てきて「何の相談でしょうか、先生は今でもよいとのことです」安心して嬉しくなり

「では失礼いたします」と案内された。ふすま一つ向こうがその相談所で、敷き詰めた

敷物はさすがに立派なもので、十畳ばかりの部屋に本棚、違い棚、塗りの棚などどこか

の金持ちから寄贈されたものだろう、まばゆいばかりだ。額が二つあり、一つは「静心

館」とあったがもう一つは何だったか。床の間には二幅二対の絹地の画がかかってい

る。床の間を背にして大きな机を控え、火鉢の灰を掻き均しているのがその人だろう。

年は40歳くらいか、小男で静かに話すが勢いはいい。机の前に大きな火鉢があってその

前に座布団があり「こちらへどうぞ」としきりに勧める。私も向こうもしばらく無言で

いたが「さてお話しください、何のご相談ですか」と聞かれた。徒然草の言葉に「噂を

聞いて想像していても、実際に会うと思ったような顔であったためしがない」とあるが

まさにその通りだ。そのためあれを言おう、これを言おうと思っていたことも実際には

言えなかったり、それとも思いがけず本音を言ってしまうかもしれない。「まずはいき

なり押しかけたお詫びをいたします。また女の身で非常識な行動をとって、後であれは

きちがいだったと思われるかもしれません。しかしそれには理由があるのです。天地を

飲み込んでおられるかのようなその広い心で、愚かな言葉や卑屈な考えを許してくださ

い。この世の塵芥に埋もれながらも一心に誠実を願う私の話を聞いて、お考えになる

ことをお教えくださいましたら何と嬉しいことでしょう。私は今本当に追い詰められ、

行き場がなくこの宇宙を彷徨っている身です。あなたの広いお心の中に寄る辺があるの

ではないでしょうか。お聞きくださいませ」というと「いいですよ、興味があります。

さあ聞きましょう」と身を乗り出した。「私は父を失って6年目、浮き世の荒波に漂い

昨日は東今日は西、高雅で風流な世界に交わったり、下界の塵芥にまみれてきました。

老いた母と世間知らずの妹を抱えて、なんとか昨年までは女らしい生き方ができました

が、先生聞いてください、この世の人に情けなどないのに、私は人を信頼し、濁った世

も清いものだと勝手に信じて、誠を尽くしてきました。私は自分を欺いていたのです。

ある時目が覚めた時から私は宇宙を彷徨う身となり、人知れぬ苦労が身にまとわりつく

ようになりました。この世はあえなく、はかなく浅ましいものだと思い捨てて、今は

下谷の片隅で商売などとはとても言えるものではないささやかな店を出して、そこを身

の置き場としましたが、それでも浮き世の苦しみから逃れることはできませんでした。

老いた母を満足に食べさせることもできず、私も妹もそれが一番の悩みです。すでに

この世に望みを持っておらず、この身はどうでもよいのです。ただ惜しまれるのは親孝

行できないことです。ですから自分を犠牲にし、運をかけて相場というものをしてみた

いと思いましたが私は貧しく1銭の余裕もありません。私の力ではどうにもならないの

で先生におすがりしようと思いついたのです。窮鳥懐に入らずば(迷った鳥が懐に飛び

込んだら、猟師でもそれを助ける)といいます。天地の真理に明るく、広い慈愛のお心

を持って全ての人の苦しみを癒そうとしていらっしゃる先生、お考えを教えてくださ

い。私の苦しんでいる心の本質をご理解くださいましたでしょうか」と聞くと、久佐賀

氏はしばらく私の顔を見つめて嘆かわしそうにしていたが「年はいくつですか、誕生日

は」と聞く。「さる年生まれの23歳、3月25日生まれです」と答えると、「これはこれ

は、素晴らしい生まれつきです。あなたの優れたところを言いますと才知があって物事

にも巧み、悟道にもご縁があるでしょう。残念な点は望みが高すぎてかなわないことで

す。福はあるのですが金運ではなくて、天から受けた才能のことです。それに頼って

生きていくべきで、商売などはあなたには向きません。まして相場の勝負をするなど

とんでもないことです。全ての欲望を取り去り、安心立命の悲願を持って一生を送りな

さい。それはあなたが天から授かったあなたの本質です」と言った。「それは違いま

す。私はすでに安心立命の境地にいます。望みが高すぎてかなわないとは何を指しての

お言葉でしょう。「五蘊が空に帰す暁(人が天に帰るとき)誰か四大の破れざるべき

(天地も終わるだろうか、否)」人の望みなど死んだら終わりです。私の人生はもう

破れ切っていますから乞食となって道端で死ぬのは本望です。だからこそ乞食に至る

までの間をどうしようかと日夜苦しんでいるのです。ついに破れて終わる人生ですが

月となって欠け、花となって散りたいと思うのです。これ以下の望みはないでしょう。

要するに私はよい死に場所がほしいのです。久佐賀先生、その死に場所を教えてくださ

い、世渡りする面倒はもうこりごりです。おもしろく華やかですがすがしく生きられる

方法を教えてください」とやっと笑みが出た。「そこです、そこです」と久佐賀氏も

手を打って答える。「しかし幸福を願うのが世の望みで、私はそのお手伝いをするのが

務めです。破れることは今語るべきではないでしょう。ところであなたは何を楽しみに

生きているのですか、教えてください」と聞く。「美しい衣装や高い身分などはつまら

ないものです。自然の真理に向い、物言わぬ月や花と語り合う時には浮世のあれこれを

忘れ、天地の懐に飛び込んだような気持ちになります。それが一番です」と答えた。

「そうです、自然に自分を映してみれば自分が生まれたことが偶然ではないことがよく

わかります。あやめ、なでしこ、さまざまな生まれつきでさまざまに香り立つのです。

これこそがこの世の有り様です。草木の植え時を知るように、人の生き方でも種まきの

時節を見計らわないのは愚かなことです。原因には遠因もあれば近因もある。人は今

この時の苦ばかりを心配して根本の病に気付かないので苦しみは空に分散し、ついに

根本を癒すことができないのです。人が勢いに乗っている時は天の力も及ばず、私も

関わるところではありません。私はいわば精神病院のようなもので、苦しみの慰問者で

あり、人の心の屑屋となってぼろくず、白紙、反故紙なんでも買い集めて選別し、また

生き返らせたいのです。ぼろだと捨てた着物の破片もしかるべき方法で漉き返せば、

新しい紙に生まれ変わって身の程知らずにも高貴な人の前に出ることもあるかもしれま

せん。古いものを生まれ変わらせて、ほころびを繕ってその生を全うさせることが私の

務めなのです。あなたのおっしゃっていることに私も賛成しますし、あなたの本性は

私が望む本願にかなっています。月花を愛する心が誠の本性だとしたら、そのほかの

ことは些事ではないですか。その小さな憂いが大きくのしかかるように思うのは、生活

の仕方に滞りがあるのです。滞りを解く方法に人生の妙があり、それはたやすいことで

す。その根源がわかれば日々の暮らしは楽になります。しかし人のことはよくわかって

も自分のことはわからないように、根源を知ってはいても枝葉に迷うこともまた無理も

ないことなのです。私の会員は全国に3万人以上います。みなそれぞれ、一様ではあり

ません。時には私よりずっと勝っている人もいますし、私が師と仰ぐほどの人もいます

が、師は三世(に渡る)といいますから、弟子として一世目なので別の話です」などと

語り出した久佐賀氏は興に乗って、会員の話、鑑定者の様々の話をする、話は次から次

へ、言葉はつむじ風を巻き起こすようだった。私たちは旧知のように見えただろう。

4時間も話して、そのうち会員が相談に来たり大阪の米相場の高下を電話で知らせて

くるなど忙しくなってきたので「暗くなってきました、私も考えるべきことがうかがえ

たので今日はおいとまします」と立った。氏が後藤大臣やその奥様から並々ならぬ信用

を得ていること、また高島嘉衛門、井上円了の哲学の話など話したことは多かった。

2月25日

 西村さんが来て午後まで話していった。平田さんが来たので西村さんは帰る。いつも

の狭い部屋で話すことは多く、5時まで遊んでいった。『女学雑誌』に田辺龍子、鳥尾

ひろ子がともに歌塾を開いたとあったとか。感慨が胸に迫って今夜は眠れないだろう。

26日

 星野氏が来て『文学界』14号の原稿料をいただいた。会社が今月から三ノ輪に移った

とのこと。車を待たせていたのですぐに帰った。

27日

 田中さんを牛込に訪ねる。新小川町から引っ越していたのを知らなかったので尋ね

歩いたが、柴又にお参りに行っていて留守だった。どうしても会って話したいことが

あったのでそのまま帰るのが惜しく、神田で買い出しをしてからまた来ようと出て多丁

でおもちゃを買って戻ってきた。田中さんが帰るのを待って語る。伊東夏子さんの母上

もちょうど来て、中島先生の話をする。品行がいよいよ乱れ、吝嗇もさらに甚だしく

なった。歌道に尽くそうという心は露ほども見られず、弟子を増やすことばかり考えて

おり、私が辞めてから今までに取った弟子は20人以上だと言う。歌はどうかと聞くと

「昨年の稽古収めに歌合せをしたうちの十中八九は全く整っておらず、語法も乱れて

歌などといえるような風情もなかった。その場には格のある先生がいなかったからよか

ったけれど嘆かわしいほどの衰え方ですよ」とのことだった。田中さんも、詠草を1ヵ

月たっても10ヶ月たっても添削してくれなかったと言うが、嘘ばかりではなさそうだ。

私も身に覚えがある。「こんな中、萩の舎の状況を知っている龍子さんが機会を得て

歌塾を開こうとしていると聞きましたが、ぼんやりした考えからではなく、秋の紅葉の

ように盛りが過ぎようとしている師匠の名を使い、次は自分が我が世の春を迎えようと

しているのでしょう。鳥尾さんについては論ずるにも足りませんが、先生の甘い口に

乗って自分の才能を省みずに笑い物になることでしょう。誰もがかたきとなる世の中で

すね」と言った。いやもう何も言うまい、思うまい。私はもう世から捨てられたものな

のだから何にも嘆くことはない。「しかし田中さんはそうはいきません、せっかく世に

出ようとしていたのに妹弟子に押されて朝露のように消え去ってしまっては悔しいでは

ないですか。師匠は情け知らずで友人は信用がなくても、そんなことに関係なく信じら

れるのはあなたの腕ですよ。世の中は3日見ぬ間の桜ですので、あなたも昔のあなたで

はなくなって大変ご上達したことと思います。でももし以前のままでしたら今ならとも

かく、後世まで残るような歌だとは思えません。全てをなげうち歌道に心を尽くしてみ

ませんか。私もそのためにできるだけお相手になりましょう。数詠みをし、判定をし、

批評し合い論じ合ってお互いを磨こうではありませんか。私は商売人になってしまい歌

を詠むことはなかったのですが、あなたは怠ることなく励んできたことと思います。

他山の石を以て玉を攻むべし(他人のつまらない意見でも自分を研鑽できる)と言いま

す。お一人では難しいことですから」と勧めると「あなたにその心があったら私も大変

嬉しいです」と田中さんは喜んだ。この人も出身からして清らかな人ではないのだが、

表面だけ装って裏に汚れた心を持つ龍子の憎さに比べれば、田中さんの汚れは汚れと

して、見捨てられたこの人をせめて歌の道に進め、励ましたいと思う。右も左も濁って

いる。先生も龍子もこの人も誰も濁ってはいるがその中で、見捨てられないのはその時

に弱っている人だ。頼まれもしないのに正義感から自分をまた苦しめようとしている

浅はかな私。哀れみようもない。いろいろ話をし車を雇っていただいて帰る。