水の上日記

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 カラムシ体験生の2分の1の確率の面接に落ちた。8名のうちの最年長であり、若い人

を優先してくださいなど言わずもがななこと言って覚悟していたが、どうせ評価も最低

だっただろうと思って侘しい。織りは現実的でないと書いたのでけんか腰の面接者に、

糸を作る方が大事だという意味をうまく説明できなかった。相変わらず求められない

人生。4年眠っていた機も元の持ち主に返すことにした。もう織れないのだろうか。

いや夢は、ともかく忘れずにいよう。織る時が来れば機はついて回るのだ。唄も再開

して夢を奄美に戻そう!いや久米島に欲張ろう!!

 

霜月9日(8~10月の日記は散佚)

 萩の舎の納会。出席者は30名以上あった。佐々木信綱先生と初めて話をした。小出

先生に短冊をしたためていただいた。帰りは日暮れになった。先生に話すことがあった

のでまた行く。おくらさんが来合わせていたので「家にも来てください」と言うと、

「ぜひ伺います」とのこと。「明日でしたら午後にしてください、朝は行く所がある

ので」と断りをした。今夜に限って万感胸に迫り眠れない。

10日

 今日は村上浪六氏にお金を借りに行く約束がある。9月末より頼んでいたのだが、

あちらにもいろいろ事情があって今日になってしまった。『征清軍記』の原稿料が入る

ので今日の早朝にと言ってきたので行くと「『軍記』がまだ仕上がらないので金が入ら

ない、あと一日二日はかかると思うのでまたこちらから連絡します」と言うので責めら

れるはずもなく帰る。家はこの頃さらに困窮して邦子は腹を立て、母は愚痴を言う。

今さらながら心苦しいのはこのことだ。浪六氏のところではいろいろおもしろい話が

あった。硯友社のこと、朝日の誰彼と朝比奈知泉氏や正直正太夫氏などが集って類は

呼ぶとかいうような、胸のすくような話が多かった。

11日

 今日は滝の川の紅葉を見に行こうと田中さんと約束があったが、市川さんと関場藤子

さんが稽古に来るかもしれないので、断りの連絡を出した。紅葉を見に行く気持ちに

なれなかったからもある。日暮れまで来る人もなかったが夜になって穴沢清二郎さんが

徒然草について質問に来た。高等中学校に志願すると言う。遅くまで話して帰る。

12日

 夜から雨が降っている。今日は父の命日なのでやつがしらを炊いて供える。一日晴れ

なかった。

13日

 晴天。今朝の朝日新聞に「福岡病院の戸田博士が病死」とある。半井先生の妹さんの

旦那様のことだと思い、そのままにしておくのも心苦しいので真実かどうか伺う。

午後本郷の嬬恋町にみそを買いに来たと上野さんが寄ったので、お菓子を買いに行って

もてなした。老いて悟りを開けず、貧しさに苦しんでいるほど哀れなことはない。この

夜西村の弟が勉強に来た。半井先生より葉書が来て今日出発して福岡へ行くとのこと、

「心中をお察しください」とある。実に哀れ(以下散佚)(8月に弟を失くしていた)

 

 春雨が降って今日は大変暇である。成すべきことも一通り済ませて、やっと体が空い

たので田中さんや伊東さんを訪ねようと家を出た。柳町から車に乗る。みの子さんは

花見の催しに行く所で折り悪かったのですぐに出て、夏子さんのところでいろいろな話

をした。それから中島先生のところへ行き博文館より依頼された雑誌の題字、題歌など

を「爵位の高い人に書いていただくようお願いします」と頼む。2時頃家に帰った。

西村のお母様が来ていて一緒に昼食を取った。ほかにことはなし。

 夜になって号外が届く。「平和談判が整った。委細は後に」とあった。

17日 いまだに談判の後報は来ない。

18日

 平田さんに手紙を出す。兄が来る。ほかに馬場さん、野々宮さんと安井さんの二人、

おこう様、西村の老婆。

19日

 早朝平田さんより返事が来た。おこう様が来、次いで馬場さんが来た。西村の老婆も

来た。馬場さんと一日語り合う。午後より雷雨があり家の中は暗かった。

20日

 小石川の稽古日。早朝大橋さんが来て日没近くまでいたが、久佐賀氏も来た。西村

さんも来た。久佐賀氏とは夜遅くまで話をして、60円借りたいと頼んだ。

21日

 乙羽庵(大橋)に手紙を出す。例の題字のことについて。穴沢清次郎君が来た。隣の

浦島が引っ越した。

22日

 晴れ。おこう様が来た。小柳町から望月の奥さんも来た。隣から錦鯉3匹を預かる。

葉書を星野さんに出して『文学界』の寄稿をお断りした。

 

 浮き世で儚いものと言えば恋だ。と言ってそれを捨てがたく、花紅葉の趣もそれあっ

てこそと思えばますます世は儚い。思えば同じ、3人、5人、百も千も、人も草木もどれ

も恋しくないものはない。深夜誰もいない時、硯をすりながらわが身を省みてほほ笑む

ことが多い。憎からぬ人ばかりだ。私は誰とも定めずに恋をしよう。一人のために

死んだら「焦がれ死にした」とうわさされるが、万人のために死ねばどうなるだろう。

何も知らない人達に怪しげなことを言われるかもしれない。それもよしだ。

  よの人は よもしらじかし よの人のしらぬ道をも たどる身なれば

   世の人はよもや知るわけもない 人の知らぬ道を私はたどっているのだから

 

24日

 午後馬場さんが来た。本町(星野天知)でおもしろくないことがあったらしい、かな

り激した口調だった。夕食を一緒に食べて夜更けまで話す。雨が急に降り出したので

傘を貸した。「駒下駄では難儀でしょう」と女物でおかしいが出すと笑いながら履いて

帰った。

25日

 木曜なので野々宮さんと安井さんの二人が来た。その前に馬場さんが下駄を返しに

来たが少しして帰る。「今日平田君と一緒に来ようとしたが身の振り方が決まっていな

いから(中学を中退した)と言って恥ずかしがっていて、その辺までは連れてきたが

ついてこなかった」などと言った。

26日

 大橋乙羽さんが早朝に来て長い間話をした。この夜は小出先生が来て話すことが多か

った。西村さんも来たが早くに帰った。

27日 小石川稽古日。たいしておもしろい話もなかった。

28日

 朝護国寺に花を見に行く。上野の房蔵さんも来た。穴沢の清治さん、西村の礼介君

に、本宅の息子も来た。夕暮れ近く野々宮さんが来て、弟子への教え方などを教えて

くれた。夜馬場さんが来た。「昨日もこの家の上まで来たがこれほど来てはと思って

寄りませんでした。小金井に行った時の紀行文が掲載を断られてしまったが、あなた

だけは見捨てないでください」と原稿を見せてくれた。この夜も大変遅くに帰る。

29日

 昼過ぎ俵田初音さんが稽古に来た。「この次からは日曜日に」と言ってやった。日暮

れ近くに小出先生が来て「くちなしの花」を一部いただいた。

30日

 なにごともなし。昼過ぎに中島先生を訪ねて前田家の題字の催促をした。「2、3日の

内に必ず」とのこと。

皐月1日

 久佐賀氏に「お金を早くお願いします」と手紙を出す。島田の奥さんが来て、手紙を

頼まれたので書く。午後久佐賀氏より手紙が来たが、博物会の見物がてら京都に行って

おり、そちらからだった。6月末まで帰宅しないとのこと。「留守宅に手紙を出してし

まった」と笑う。それでは金のことは難しい。村上浪六にも何度となく手紙を出したが

返事はない。誰も彼も甲斐のない者ばかりだ、30円50円程度知れているのに、それすら

惜しんで「出すのは難しい」とは。それならはっきり「貸したくない」と言えばよいで

はないか。いい男ぶってひげなど撫でたりして見苦しい。引き受けたことをしないのは

頼んだ私の罪ではない。私の心は川の底のように澄んでいる。いささかもよどみなく、

いささかも私心なく、曲がった道を行こうとなどしていない。曲がっているのは人の心

だ。私は無駄に人を欺いて華やかに遊ぼうとしているわけではない。一枚の着物、一椀

の食べ物、おいしい物など願っていないし美しい着物を欲しがってもいない。恩ある母

に報い、愛する妹を養いたいだけのために、ほんの少しの助けを求めているのだ。それ

も、できない人に頼んでいるのではない、私が頼んで、彼が引き受けたからこそお願い

しているのだ。頼まれたのに空しくするのは誰の罪だろう。私に罪はないので天も怖ろ

しくない。流れに従ってどんな深淵にも行こうけれど、この世の浅はかさを書き残して

身を知る教えの一つに数えておくこととする。

2日

 早朝手紙が来て、安達の奥さんから借金の返金の催促だった。5円ばかりではあるが

今は手元に1銭もない。どうしたらよいのか。「その旨話して今少し日延べをしてもら

ってください」と母に頼む。母は昼過ぎに帰宅。何ごとなく済んだとのこと。あちらで

は今年新しく部屋を作り、そこに飾りたいと言って私に何か書くようひな型を持たせて

きた。「浮き世は変わっていくのに変わりないのは私の貧乏と彼の富だけ。普段は無心

を恐れて私たちを近づけまいとしているのに、その私に住む部屋に飾る額を書かせよう

とはおもしろいことだ」と笑いが出る。久保木からこでまりと白つつじの花を持って

来る。4時頃野々宮さんと安井さんも来る。和歌を一巡りした後、源氏物語の講義を

する。その後打ち解けていろいろな話をしていると、野々宮さんがいつものように

ふざけ始めて、先ほどすれ違った馬場さんの評価をした。「顔はよく見えなかったけれ

ど人物は立派に見えました」と言う。「遠慮なく言うと彼にはこれから希望の時か絶望

の時が待っているでしょう。それは大変大きなものです」とにっこりした。その内一人

笑いに耐えかねて大きな声で笑い出す。なんでだろうと聞いていると「あなたが彼の

求婚を受けたら彼は大変幸福な人になるし、受けなければあの人が大失望するのが目に

見えるようよ」と言う。「それは容易ならないわね」と笑うと一同大笑いした。日没

近くにみな帰る。この夜母と邦子が伊勢屋に走り、4円50銭借りてきた。早く寝る。

3日

 朝から風が激しい。昼前から田中さんの月次回に行く。家を飯田町に移してから初め

ての会で、訪ね当てるのが大変だった。帰宅したのは日没前。留守に馬場さんが来たが

大変失望して帰ったとか、気の毒だった。

 

 過ぎたある日、孤蝶さんと秋骨さんが二人で来た。秋骨さんはほほ笑みながら「孤蝶

君が君にあげたいものがあるそうなので受け取ってくれたまえ」と言うので「なにかし

ら」と聞くと「なんでもない」と孤蝶さんは打ち消した。しばらく話している内「前に

文学社中で写真を撮ったと聞きましたが、一度見せてください」と言い出したところ

「お安い御用です、さあ出したまえ」と秋骨さんが勧めると孤蝶さんは笑いながら懐を

探った。半身像の写真で、いつもに似ず荒い縞のねんねこというものを着て反り返って

いる様はどこかの親方みたいでおかしい。「なんてよく映っていること」と言うと、

「孤蝶君満足しなさい」と秋骨さんは顧みて言った。しばらく話して源氏物語について

話していると「僕には世に知れた色好みで浮気者の、あちらこちらに思し召しのある

あの光源氏が、暇がないと嘆いているのが不思議でしょうがない、翻訳したり、洋書を

調べたりして忙しくしているわけでもないのに」と秋骨さんが笑うので「それはあなた

方の間違いよ、人知れぬ恋に心を尽くして、秋の夜長を眠れず過ごし、渡り廊下にたた

ずんだり、一人起きて手紙を書いたりしていればどれだけ心に暇がないことか、恋は人

に言えない苦しみだからこそゆとりがないように思うもので、恋する身ほど忙しいもの

はないでしょう」と言うと「では今の世は開けたものだ。『僕はあの人が好きだが、

何とかなるだろうか』と友達に言えば『それはおもしろい、大丈夫だろう』『では君に

橋渡しを頼む』『よし引き受けた』などと使いっぱしりになるやつもいるから」と

孤蝶さんを顧みて笑うと、孤蝶さんも苦笑いした。孤蝶さんの、今年73歳になるお父様

が私のためにと葦と蟹を彫った筆筒を贈ってくださり、それを出して孤蝶さんが「返礼

に歌をください」とせがんだ。秋骨さんは何か言いたそうにしていたが「孤蝶君の君を

思うこと一朝一夕ではない、その熱の高さは測れないほどですよ」と言ったので「それ

はかたじけないこと」とほほ笑むとさすがに後の言葉がなくて口をつぐんだ。それ以上

聞くのは侘しい。このようなことは本当につらい。その後孤蝶さんが足しげく来るよう

になったが、かわいそうで心苦しい。どこかへ行けば一日も欠かさず手紙をよこし、

野原に咲いた花などを送ってくる。嬉しいけれど侘しい。人には言わないことも私に

だけ話してくれることもますます儚い。「君をただただ姉のように思って」と言いなが

ら訪ねてくれて5日と空けたことがない。「悲しいその思いはいつまで続くことか、

夏が去って秋が来るのも待たないのだ」と思えば、水に流れ去る落花のようなものだ。

   いづくより流れにけん桜花 かき根の水にしばしうかべる

    どこから流れてきたのだろう 一時浮んだ桜の花