水の上日記

 遅まきながらクレイジーホースの一枚目を手に入れて私の元唄コレクションはやっと

終わりかな…。これはロッドスチュワート経由。ロッド先生は元気だが、亡くなった方

や予備軍のフォローが多いので、とうとうインスタに補聴器の広告が入ってきた。

 セミリタイヤ先生のブログばかり読んでいる。ストレス多い税金ドロボー生活ももう

少し、それを言い訳に飲食以外のことしない生活を改善し、専業主婦にはさせてもらえ

ないので肉体労働で多少稼ぎつつ(それでも人に翻弄され心乱さなければならない)

一葉とエミリディッキンソンとベッツィテイシー訳して奄美三線練習して編み物して

パン焼く日々を心待ちにしている。織るのはもう夢。いつまでも持つだけの…。

 一葉関係ブログでは杉山武子先生、鹿児島にいた頃知っていたら教えを受けられたの

になと思う。山田純平先生の樋口一葉雑学辞典がほしいが連絡が取れない。当時の天候

他いろいろ調べていて大変ユニークなのに。

 

4日

 小石川の稽古日、早朝から行く。田中さんの来会が遅れるとのことなので、こと欠く

ことのないようにと。昼少し前に田中さんは来た。今日入門する波多野初枝さんという

15歳くらいの娘さんが来た。紹介は堤さんだ。午後早々にみの子さんは帰ったので

古今集』の講義は私だけで行った。人々が帰る頃先生は頭痛が激しいとのことで、

寝室へ行ったがそうひどくはなさそうだった。この夜馬場さんと平田さんが来ていろい

ろ話は多かった。夜更けて帰る頃雨が降り出し、平田さんは傘を持っていなかったので

家のを貸した。

5日

 母は芝の兄のところへ行った。金を少しもらう約束があったので。午後山下忠信さん

と西村釧太郎さんが来た。日没少し前に母帰宅。清忠公のお守りをいただいてきたと

西村さんにも分けた。この夜安達に頼まれた額を書く。『太陽』5号が届いた。

6日

 早朝母は奥田へ、私は安達へ頼まれ物を持って行く。安達の老人は大層喜んだ。新聞

や雑誌などに時々私の名前を見かけるようになったので、物馴れない人にはどれほど

大ごとに思われるのか、お門違いな褒め方をするので気後れがした。「お父上が生きて

おられたらどんなに喜んだことでしょう、見せたかったですね」などと老人はほろほろ

と涙を流して言った。私が書いた端書きを「大変得心しました」と、何度も吟じ返し

た。「歌は水戸の烈公(徳川斉昭)が偕楽園に掲げたものを」と頼まれたものに私が

つけたものだ。

  水府が何某園のうち亭あり。壁上にかかぐる所の文字優に、源烈公がおもかげを

 しめせるもゆかしければと、ここにかり来て市のちまたのかくれ家におく

  水戸の何某園にあるあずまやの壁に掲げた文字に、まさに烈公の面影が浮かばれる

 のが懐かしく、それを借りて市井の巷の隠れ家に置く

「そのうち新しい部屋の壁に掲げて御覧に入れましょう」と、家中で喜んだ。しばらく

話して帰る。日没少し前野々宮さんが来た。「次の木曜日は中島の月次回なので、稽古

は金曜日に変更してください」と手紙を書いたところだったので折よくその旨話す。

 

 小出つばら先生の家集『くちなしの花』というのは題も大変変わっている、紫式部

謗った和泉式部の歌風とは反対の心ばえのようだ。世の中とかけ離れて、勝手に思った

ままを筆にしたので、天真爛漫ともいえるが、豪放であるというべきか。さらに子細に

見ていくと先生は誠に知恵の人である。常々私たちを諭して「和歌を作ろうと思っては

いけない、思い得たままを読みなさい。人智には限りがあるが天地には極みがない、

学など元より用はなし、経験も怖れることはないのです」とおっしゃる先生の歌にこそ

知恵がついてしまってうっとおしい。わざと無邪気を装うのは真実の心ではないので

無駄なことだ。先生の歌が幽玄の境地に至るにはまだまだ百里の彼方だろう、富士の歌

の中にある、

  一たびはのぼりてみんと昔より 見るたびおもふ雪のふじの根

の心情はすでに無垢ではない。その世界にはもう至らないことを先生は知るべきだろ

う。知恵が人智の目をかすめて天真爛漫に近いように見せかけているだけだ。

 

7日

 母は地の道で悩ましくしている。午前中に浦島の奥さんが来て葉書を頼まれたので、

書いてあげた。午後西村の礼助君が遊びに来て夕暮れまでいた。そうしていると馬場

さん、平田さんの二人が上田柳村さんを伴って来たので礼助君は帰った。畳の上に円座

して、酒もないのに酔ったように一皿のお寿司を囲んで三人が論じ評し、笑いながら

語り合う。平田さんなどは「日頃の苦労をすべて忘れる」と言っている。「今晩を門出

として、孤蝶、禿木の二人は例の試験にとりかかることにする、全ては凱旋の後」と

意気がすこぶる高い。上田さんの名前は敏、帝国大学の文科生で『帝国文学』の編集者

だとのこと。温厚沈着で人柄のよい人だ。中島先生のところでの姉弟子である乙骨まき

子さんがいとこだということで、初めて会ったとも思えずとても親しまれる。馬場さん

は袖をからげ、膝を打って「僕は言いたいことだけを言うのだ、一葉さんに媚びる奴

などと勘違いしないでほしい、よいものをよいと言い、悪いものを悪いと言うのが僕

だ、『太陽』5号に載った『ゆく雲』を読んでよいと思ったのは僕の本心であって、

一葉さんに媚びているのではない」と盛んに言う。平田さんは大体言葉少なく、恥ずか

しそうにしているのがかわいらしい。馬場さんが恋愛論を持ち出すと顔を背けて「もう

いいだろう」と苦しそうにしているのはこの人らしくないようでほほ笑まれる。人物評

にも言葉をはさまず、人聞きを憚るようだ。髪を短く刈り上げて今朝にも床屋に行った

よう、着物もきれいなものを着けている。「先日こちらで平田は失言をして、あなたに

きつくやり込められ、苦しがって逃げ出してしまったがその帰り道僕に何度も『今日の

帰り際はとても悪かった、一葉さんは本当に怒ったのだろうか、そうだったらどうしよ

う』言って心細くしていたが、今日僕のところに来て『これから一葉さんを訪ねようと

思っているが、一人では何となく気が引けるので君も一緒に来てお詫びしてくれ』と

三拝して頼むのだからおかしい」などと馬場さんがおもしろがって言うものだから、

「それは嘘だ、嘘だ、僕はそんなこと言った覚えがない」と言った。「何、覚えがない

と言うのか、その顔をもう一度見せて見ろ、この嘘つき」と盛んに言うのは孤蝶君、

「僕は一葉さんの我儘息子だから、この家では遠慮しないのだ」と膝を崩すのが、磊落

な様子でとてもおもしろいが、平田さんは平常の面持ちではなかった。

 帰ったのは10時も近かった。

 「夏はやし女あるじがあらひ髪」とは、馬場さんの当座の発句。この夜は西村釧之助

さんも来た。夜更けて火事があった。九段坂の近くだとのこと。 

8日

 晴れ。明日の木曜日は中島先生の会が重なるので、野々宮さん安井さん二人の稽古を

今日にした。安井さんから松島の硯を贈られた。日暮れに帰る。この夜西村さんが刀剣

とを南洲の掛け軸を持ってきて「これを質入れして50円ばかり融通したい」と言う。

母が同行して伊勢屋に行ったが「目利きができない」と金にならなかった。「今日は

もう10時を過ぎました、朝になると相場の損失に払う追加金が必要になるのです、どう

しよう」と当惑し、みなで額を寄せ合う。「では仕方ありません、着物を持ってきて

ください、早朝伊勢屋さんに頼めば30円や40円にはなるでしょう」と言うと「では」と

約束して西村さんは帰った。

9日

 早朝礼助君が着物を持ってきた。6枚と他に銀時計があった。「これで40円」と頼ん

だが伊勢屋はなかなか難しくわずか22円にしかならなかった。「では仕方ない、ひとま

ずこれを持たせて、日暮れまでに私たちのあるだけの着物をまとめて明日のための金を

作りましょう。その頃にはまたほかに借りられるところもみつかるかもしれない」など

と話していると釧之助さんも来た。その話をしていくら不足か聞くと「いや、これだけ

あればなんとかなるでしょう、今日さえ済ませたらあとは大丈夫」と言ったので一同

安心した。私は10時頃から中島の月次回へ、会したのは30名ほど。書くほどのことも

なかった。この日久保木長太郎さんが来た。

 家の急には何とかしてくれようとし、本心はともかく表面上は出来るだけのことを

してくれた人だから、私も何とかしてあげなければならない。西村さんのために尽くす

わけはただこれだけ。危機一髪の難しい商売(相場)に手を染めているので、このよう

なことはまたあるだろう。危機を楽しむのも一癖というものなのか。

10日

 姉が、次いで秀太郎も来て長く遊んでいった。日暮れて馬場さん平田さん2人が袖を

連ねて来る。平田さんは今日高等中学校の同窓会に出席し、少し酒を帯びて「独りで

寝るのが惜しくて孤蝶君を誘ってこちらに来た」と言う。先日の夜と違ってよくおしゃ

べりする。孤蝶君は例によっておかしなことを言い散らす。哲理を論じ、文学をあげつ

らう矛先は強かった。夜はいつの間にか更け10時になった。「さあ帰ろう」と孤蝶君が

言うと禿木君は窓に肘を持たせて彼方の山を眺めながら「どうしても僕は帰るのは嫌だ

なあ」と言った。「それはあまりにぶしつけではないか、少しは慎めよ」と孤蝶君が

大笑いすると「もう少し置かせてください」と今度は時計を眺めながら言った。月は

今にも木の間から昇る気配、群雲が少し立って、雨を含んだ風が冷ややかに酔った顔を

撫でていくので、平田さんは「なんてよい夜だろう」と辺りを見回しては讃えている。

「一句いかが」と孤蝶さんに促すと、「月のまへにわか葉のそよぐこよひかな」

景色は句を越え、情も没して、沈黙の合間に「ただただいい夜だとしか思えませんね」

と例によって笑う。「さあどうだい禿木君、僕は一葉さんを訪ねるたびに少し話すだけ

と思っているが、何となくのびてしまっていつも日を費やし夜更かしをしては、帰った

後に気の毒だったと思うのに、ここにいる間は何もかも忘れて帰り難くなるのだ。おか

しなことだが僕だけのことじゃないだろう、君はどうだ」と言うと「本当にそうだ、

今日は特に1時間くらいのつもりだったのに」と二人で申し訳なさそうにしているので

おかしい。試験も近づいたのにこのように遊び暮らしているのを同じ下宿の秋骨さんに

厳しく意見されるため、また夜更けに帰るのは侘しいようで「今日は孤蝶君のところに

泊まらせてくれたまえ、彼の厳しいのにはほとほと参った」と頭を重そうにしている。

どんどん夜も更け11時を打つ鐘の音で「では」と二人一緒に立つ。おみくじ菓子を開い

て「これもらって行きます」と孤蝶君は袖に入れて帰った。心深い人だ。

 

 悩み深い人生でもこの様なひとときがあったことをうらやましく思う。私には青春が

なかった。友達もおらず片恋の苦しみしかなかった。それはそれは一生の悲しみ。