みずのうへ

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 岩美町へ尾崎翠ツアーに行ったのは6年前、鳥取はとても美しかった。けど雪降る。

今思えばこれが役場との関係の始まりだったか…。何やら事業補助金の安いツアー

(覚えていないが.現地集合でタダだったかも)のお世話になり、翌年地域おこし協力隊

になって、何もできないだけでなく神経をずたずたにされたのにまた同じ職業に就い

て、またしても同じ目に遭ったのだった。しかし今までに支払った酒税たばこ税の元を

取ると称して、5年も税金泥棒をしたことも確か。元取るどころか深酒で胃を悪くした

けどね。無意味就職人生を飾るのは何と、何やら事業補助金を使ったツアーの開催!

 よよよ先生、ミク先生、私もこれが済んだらセミリタイヤ生活に入ります!

 

14日、星野天知さんから「『文学界』への寄稿を必ず」と頼まれているのにいまだに

一文字も書いていない。今日は17日だ。期限が迫っているのでイライラするがどうしよ

うもない。

14日

 「今日夕飯を済ませたらもう米一粒もない」と母はしきりに嘆き、邦子もくどくど

言う。「私がいて何とかするのだからそんなに悩まないで」と慰めてはみても、私にも

何も思いつかない。朝食後小石川にお願いに行こうと家を出た。風が強く顔を上げられ

ない。中島先生に博文館からの礼を伝えたが、さすがに「お金を下さい」とは言えない

ので少し話をしていると、先生が立って今月分の月謝の2円を持ってきた。本当に嬉し

かった。しばらくして暇をもらい帰ると、家には宮塚の老婆が来ていた。昼食を出す。

午後伊東夏子さんが来た。少し話をしてから、齋藤竹子さんを訪ねると帰った。日暮れ

近くに宮塚の老婆は帰り、入れ違いに西村さんが来た。齋藤さんから使いが来てお手製

のお寿司をいただいた。人々が帰った夜、邦子がしきりに「若竹にかかっている竹本

越子一座が明日限りでよそに行ってしまうから、聞きに行きましょう」と言うので、

ではと行く。朝は今日で食べ物がなくなると胸を痛めていたのに、晩には寄席へ行って

遊ぶとは、浮き世は全て夢だ。聞いたのは越子の「三勝酒屋」越六の「太閤記」ほか。

越子は24、5歳、「綾之助に比べて3段上で、小清に比べて3段下」という評だが、情熱

ある唄は聞く人の心を動かす。この年若い芸人を前にしてひげ面男たちが泣いている。

冷やかしも聞こえず場は静かだった。

15日 馬場さんが来た。1回目の試験に受かったそうだ。

16日 木曜なので野々宮さんを安井さんが稽古に来た。おこう様も来たが母が浅草に

   行って留守だったので早く帰った。

17日 

 一日雨が降った。頭痛がひどく、とても眠いので一日床にいた。夕暮れから起き出

す。中島先生から「明日は興風会の例会があるので稽古は日曜に」と葉書が来た。関場

さんからは妹の藤子さんの病気の容体を知らせてきた。いまだに筆を取ることがもの憂

くて1回分の原稿も書いていない。二十日頃までにはと思うがなおさら頭が痛くなる。

時は初夏、衣替えもしなければならないのに浴衣などのほとんどが伊勢屋の蔵にある。

夕方からは蚊もうなり出てきているが、蚊帳は手元にあるのでこれだけは安心だ。しか

し来月早々に例会があり、単衣を着けないわけには行かない、母の夏羽織も急に必要と

なった。さらに普段使いの品などどうやって調達すればいいのか。手元には1円足らず

しかない。客が来ればおかずを買わねばならない。その後どうしたらいいのかと母や

邦子が私を責めるのも無理はない。一人静かに考えて、頭の痛むことばかりだが、これ

は昨年の夏までの悩み、今日の一葉はもはやこの世の苦しみを苦しみと思わない。収入

がなければこうなることは覚悟の上だ。軒端の雨に訪れる人もない今日こそ、胸中の

様々な思いをしばし筆にゆだねて、貧しさを忘れようと思う。

  梅雨(さみだれ)のふるき板やの雨もりに こやぬれとほる袂なるらん

   五月雨があばら家に雨漏りし、袂にまで滲み通る

 

 隣に住んでいた人が引越しをすると言って、その家で飼っていた緋鯉や金魚を我が家

に持ってきて預けた。たくさんになった金魚がひれを動かし、尾を振って泳ぐ様は大変

美しく、来る人ごとに褒められたので、何となく自分たちのもののように思えて「思い

がけず素敵な庭になった」と喜んでいた。しばらくして隣家の妻が「新居に池を作った

ので金魚を返してください」と網を持ってきたので「では取って行ってください」と

言うと、池に入って追い回し、その家のものだった小さな魚はうまくすくえずに、元々

家にいた大きな魚ばかり数を揃えて持って帰ってしまった。「それは違いますよ」と

言うのも面倒なので取るに任せたが、母はとても悔しがった。このことを考えると、世

は本当に無常だ。昨日おもしろいと思わなければ、今日悔しいと思うこともない。思い

がけず情景に色を添え、思いがけずそれを損なう。つくづく栄華も富も一朝の夢だと、

切に思う。

18日の夜、音楽会に初めて行く。友達が二人できた。会場の様子は、小心な私には

びっくりするようなことばかりだった。

19日

 午前中だけ小石川稽古を断って、石黒寅子さんの稽古をした。その内に野々宮さんも

来たので一緒に昼食を食べて、私は小石川に行った。帰ったのは日没近くで、西村さん

が来ていた。「留守の間に穴沢清次郎君と半井さんが見えましたよ」とのこと、清次郎

はともかく、半井先生はどうして来たのだろう。夢かと思い「何とおっしゃっていた

の」と答えももどかしく聞くと、蒸し菓子を一折り持ってきて「別に話もなく、『姉を

呼びに行きます』と何度も言ったのだけれど『いや、大した用ではなく、久しぶりに

ご無沙汰のお詫びに来ただけです』と言って帰ったのよ」と言う。いずれにせよ、胸が

つぶれることだ。

20日

 野々宮さんと兄に葉書を出す。兄には不要の蚊帳があるので必要なら送ると、野々宮

さんには、昨日半井先生が来て、妹さんが上京しているとのことなので時間があったら

お伺いしてはどうかという内容。夜になって馬場さんと秋骨さんが来た。孤蝶さんは

今日2回目の受験だったそうで「きっと落第だ」と頭を下げてしおれていた。いろいろ

な話をして夜更けに帰る。

21日

 午後、門口に慌ただしく靴音がして急ぎ入ってくる者がある。誰かと見れば孤蝶君、

「昨日の試験が首尾よく行ったのを今見てきて、少しでも早く知らせようと急いで来た

よ』と嬉しそうにしているので、私も嬉しい。日暮れまで遊んでいった。この夜小出

先生が来て、話が多かった。

22日

 平田さんが来る約束なのに一日待っても来なかった。佐藤梅吉さんと西村礼助君が

来た。佐藤さんは早く帰ったが、日没近くに釧之助さんが来て「相場が今朝から一変

し、月初めの損がすべて戻って元金の他に20円の利益が出ました。すぐに伊勢屋に預け

たものを出しに行きましょう」と喜色満面で、お祝いだと言ってみなに鰻をご馳走して

くれた。「これもみなさんが尽力してくれたおかげだ」と感謝極まりない。昨日は馬場

さんの喜びがあり、今日は西村さんの吉報を聞く。我が家は貧に迫っているが、心は春

の海のようだ。

23日

 野々宮さんが稽古に来た。安井さんは風邪をひいたとのことで休み。大橋乙羽氏より

「『日用百科全書 和洋礼式の部』を出版しました」と前田家、中島先生、私宛に送っ

ていただいた。

24日

 早朝、大橋氏を訪ねる。初めて奥様に会い、大橋氏が出勤後もしばらく話した。「何

か古いものでもよいので『文芸倶楽部』に掲載したい」とのことで家に帰って話すと、

「それはとてもよかった、今月の支払いができますね。『甲陽新報』に載せた『経机』

にしては」とみなに勧められたので、それではと原稿の手直しをしていると西村さんが

来たのでこのことを話すと「そんな心配はしないで、月末のことは私がしましょう」と

とりあえずの5円を置いていった。

25日

 小石川の稽古日。出がけに大橋氏に原稿を送る。「今日は馬場さんの合否が決まる日

だ」と思って胸が騒ぐ。家に帰ってしばらくすると孤蝶さんから手紙が来た。80名の

受験者の内6名の合格の中に彼も入ったとのこと、親御さんの喜びを思うと、涙ぐまれ

るほど嬉しい。その夜若竹に邦子を誘って行く。夜更けて帰ると馬場さんが来たとの

こと。それは悪いことをしたと残念がった。

26日

 午後西村さんが来た。近く生まれる子供の支度をしていないようなので母が咎めて、

「さあ衣類などを買いに行きましょう、そのお金をいただきに上がりますよ」と慌ただ

しく西村宅へ行く。釧之助さんは残って、さまざまに身の不幸を嘆く。最後にはため息

をついて「私はこの世に苦しむために生れてきたのだろうか、好きでもない妻をもらっ

た上に子供までできるとは、あさましいとも悔しいとも。運良く子供が死ねばよいが、

生まれてしまったら妻を乳母として置いておかねばならない。そうなったらいよいよ私

の生涯はつまらなくなる。せめて君たちだけでも見捨てないでください、こちらへ来て

こんな話をするのは心苦しいが、それがしばしの楽しみとして寄せる身を救ってくださ

い。お金に事欠くことがあれば遠慮なく言ってください、私にできることはいつでも

しますから」などと言った。

 

 そうしていると馬場さんが平田さんと連れ立ち、川上眉山さんを伴ってくる。彼には

初めて会う。年は27歳とのこと。背が高く、色が白く、女でもこんなに美しい人はそう

見ることがないだろう。何か話してほほ笑む時に頬がさっと明らむのは男らしくない

が、全てが優雅で穏やかだ。かねてより高名な作家にもかかわらず、心安く子供っぽい

様子なので親しみやすい。孤蝶君の麗しさを秋の月に例えると、眉山さんは春の花だ。

剛なところがなく艶やかな風は京の舞妓を見ているようで、柳橋の芸妓にも例えられ

そうな胡蝶君とは表と裏だ。「あなたのお名前を聞いてから4年、いやもう5年にもなる

でしょう。訪問する機会が得難くて、近くに住みながら疎くいました。これからは何

でも心隔てずにお話ししましょう」と打ち解けて話す。「来月あたりご一緒に春陽堂

から何か出しませんか」などとも言う。小説中の人物のこと、我々の仕事の苦しみに

ついて、朝寝坊で自堕落であるとか、正直な話や損したことなどとめどなく話す。その

内に馬場君が政治を論じ始めると「そうだそうだ、おもしろい」などとまぜっかえす。

平田さんも師範学校の試験に合格したとのこと、この人は言葉少ないが、時々孤蝶君を

たしなめるような言い方が妙だ。人々が来たのは3時頃だった。5時になって雨が降り出

し、真っ暗になったので日が暮れたのもわからない。鰻を取り寄せてご馳走する。帰っ

たのは9時になったか、雨は止まずに空は暗かった。

27日

 中牟田つね子さんの数詠みの会が小石川で催され一日詠む。変わったことはなし。

28日

 午後大橋氏の奥様が私に歌の入門をしたいと来て、しばらく話して帰る。入れ替わり

に野々宮さん、安井さんが来た。明後日の木曜は天皇のご帰還をお迎えするので来られ

ないだろうとのことで歌の練習に来たのだ。日暮れ頃までいて帰る。月謝を持ってきて

くれた。この夜眉山さんが一昨日貸した傘を返しに来た。「お上がりください」と言う

と「これから湯に行くところで、門に人が待っていますから」と言うので見ると、手ぬ

ぐいをぶら下げている。金縁眼鏡に金の指輪をして、誰の目にも立派な小説家に見える

が、あちらこちらの書店に借金があって、一つ終われば次があるという苦境に迫られて

いる身と知る人はないだろう。これがこの業界にある人の立場かと思うと、わが身を

顧みて哀れにも悲しくも思う。