水のうへ

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                                  冬の花火

 

 正太夫から初めて手紙が来たのは、1月の8日だった。「私は君に縁ある者ではない

が、我が文学界のため君に告げたいことが少しある。私のところに来ますか、それとも

手紙にして送りましょうか。私のならわしとして、あなたを訪ねることはしたくありま

せん。なお私の言うことを聞く場合は、いかなる人にも洩らさないという誓いの言葉を

いただきたい」とあった。何事かわからないが、あの皮肉屋のことなのでおもしろい

だろうと返事を書いた。「人には言いませんので教えてください、私は男の身ではない

のであなたを訪ねることはできません。お手紙をいただければ嬉しいです」

 9日の夜に書いた手紙が10日に届いた。半紙4枚ほどを重ねて、原稿書きのように

細かく書いてある。『にごりえ』のこと『わかれ道』のこと様々あり、今の世の評論家

はめくらであるとか、文人のやくざなこと、「彼らの褒め謗りには関わらずに自分の道

を行きなさい」とのこと。私が世で様々に取りざたされていること、私が何某作家と

結婚の約束をしているとか、浪六のところに原稿を持って行ったと聞いたとか、何某

作家とは川上眉山だろうが「君より思想が低い何某」と書いてある。「一読したらこの

手紙を送り返してください。君のも返します、世の人がうるさいから」とあったので、

すぐに封をして送り返した。これは『めざまし草』が出るより20日も前のことだった。

後で雑誌を見ると私の批評はこの手紙のように細かいことは書いておらず、おおまかに

その旨が書いてあった。

 正太夫はかねて聞いていた通り怪しい男だ。文豪という名を博して、明治の文壇では

有数の人でありながら、そのすることなすこと不思議なことが多い。しばらくはここに

書き記し、様子を見ようと思う。

 世ではおかしな噂が立っている。それは川上眉山と私の間に結婚の約束ができている

というものだ。「岡焼きの激しい世界であるから、すぐに広まって文人の間で知らない

者はない」とのことだ。さらに「尾崎紅葉が仲人をする」と言う人まであり、それを

紅葉に伝えると「もしことが決まれば私が必ず媒酌人になりましょう」と言ったとか。

『読売新聞』新年会の席で、主筆高田早苗氏が眉山の肩を叩いて「この仲立ちは私が

承りましょう」とふざけて言ったとか。ここかしこでその沙汰がかしましく、いつの間

にか私にまで聞こえてきているのに、不思議なのは川上さんが知らん顔をしていること

だ。8日の夜「写真を下さい」と言って、嫌だと言っているのに無理に持って行った

ことがあった。母と邦子が二人して断っても「ではしばらく貸してください、男の口

から言い出したことを拒まれるのは気分が悪いですから」と強いて言うので「では5日

程」と言って貸したその写真をいまだに返さない。誰かが結婚のことを聞いて、「君と

一葉さんに約束があると聞いたが本当か」と尋ねると「迷惑なことを言いふらされた

ものだ」と笑っていたとか。8日の夜の様子は、狂ったかのように目を吊り上げ、顔を

真っ赤にして「なぜ私に許してくれないのですか、私をそんなに悪者だとお思いです

か、写真は博文館に頼めばもらえるが、それでは変な噂が立つのでここでお願いするの

です。それを嫌がるとは、男が一度口にしたことをこのままで止めることはできませ

ん」とすさまじい勢いなので裏で聞いていた母も肝を冷やしたと言っていた。「私に

妻を紹介してください、15日までに返事を下さい、いかがですか」と迫られたことも

あり、あれこれ思い合せて変なことは一つばかりではない。文学界でも怪しい気配が

あるのは、何か陰にあるのだろうか。眉山を排斥する声は高くなってきている。

 正太夫の言うには「君はおそらく文学界の内情など知らないので、些細なことを言う

と思うかもしれないが、私の考えとしてはなおざりにできない大事なことです。君を

訪ねるやくざ文人どもを追い払いなさい。彼等は君にとってゴキブリだ、追っ払わない

と日に日に害を増すだろう」とのことだ。

 家を訪ねる者は日に日に多くなっている。『毎日新聞』の岡野正味氏、天涯茫々生

横山源之助)など、不可思議な人々が来る。茫々生は浮世に友というものがないそう

で、世間は彼を人間外だと見なしているようだ。この人が二葉亭四迷に私を引き合わせ

ようと言う。半日ほど話し合った。

 野々宮菊子は関如来との縁が切れて一度は私を恨んでいたが、しばらくして疑いは

晴れても(如来がはっきりしなかったので一葉が断った)男性が私を訪ねるのが妬まし

くて、あるまじきことのように言う。教育界の人々は私に「著作を止めるか、教育的な

ものを書け」と忠告さえする。全く騒がしい、暗雲が立ち込めてきたようだ。

 

 怪しいことがまた起こった。豪商の松木何某という人が名を隠して、月の会計に不足

のない額を私に送ろうと言ってきた。取り次いできたのは西村釧之助だ。同じく穴沢

小三郎も協力して我が家に尽くしてくれると言う。(松木何某は小三郎の勤める会社の

社長)といってただでお金を受けられるものではない。「一月いくらほどにしましょう

か」と聞かれたので「私に書くことができたら私の手で養いますが、もしそれができな

かった時には助けてください。年老いた親に孝行することができますから」と答え、

1月末に20円をいただいた。

 身を捨てれば世の中など怖ろしくはない、松木のやり方や正太夫の素振りも半年ほど

の内にはどういうことか明らかになるだろう。「貸したい」と言うなら金も借りよう、

「心づけしたい」と言うなら忠告も受けよう、私の心は石ではないが、一通の手紙や

百円ごときで転ぶものではない。

 

みづの上

 

 雨だれが軒端を落ちる音が聞こえ、カラスの声のかしましさに文机の上の夢から覚め

た。今日は2月20日かと指を折っていると、周りのものがみな現実に立ち返り、自分

の名前や歳が明らかになってきた。木曜日なので人々が稽古に来る日だ。「春の雪が

ひどく降ったので道が悪くなっている、さぞ難儀しているだろう」と思いやる。

 見た夢では、思ったことを心のままに話し、相手も同じことを思っていて嬉しかった

が、目覚めてみればまた空虚な現実に戻って、言うまじきこと、話し難いことばかり

なのだ。

 しばらく文机に頬杖をついて考える。まったく私は女であって、どんな思いがあって

も、それをできるものではない。

 私の風流への思いがあるかないかを知らず、塵の世を捨てて深山に籠ろうなどという

思いがあるかどうか知らないのに私を厭世家だと呼ぶ人がいる。それはなぜだろう、

はかない草紙に墨を摺りつけて世に出せば、「当代の秀逸」などとありふれた言葉を

並べておいて、明日は謗るに違いない口で、うやうやしい褒め言葉など何と侘しいこと

だろう。こんな境遇に身を置いて、毎日会う人達の中に友といえる人はなく、私を知る

ものがいない空しさを思うと、この世に一人だけで生まれてきたような気がする。私は

女だ。どんなに思うことがあってもそれを実行すべきだろうか、いけないのだろうか。