みづの上日記

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 私の友が届いた。小学生の時は「すばらしい世界旅行」「兼高かおる世界の旅

(今調べるまで混同してた)が大好きで、高校になって本多勝一と西丸震也の紀行文を

愛読、パプアニューギニア人は心の友だった。かなり後に諸星大二郎のマッドメンを

知ったときは、自分の夢がかなったように思った。ナミコは私。大人になってミイラと

アイスマンが私の友だったが、昨年から加わったニューフレンズ。(TV見て知ったが、

本出てたの知らなかった)書き手が詩人というかハードボイルドだど。でもないか…

もしかすると村上春樹ファン的な素敵な文体なので、恥ずかしながら読み進めている。

紀行文は僕でなく俺的に無機質にやってほしい。そういう男はヘミングウェイになる

からやっぱ一緒か。

 まあそんな冒険心あふれた元気いっぱい小学生だったが、中学生になってオタク以外

から疎遠にされ、といってオリーブ少女な私はオタクに入ることはプライドが許さず

(みんな優しかったのに…)どのグループにも属せず暗黒青春時代を送り、外国行って

も同じ状態のままで帰国して以来、旅行すらめったに行けない貧民(仕事しても女性と

とすら日常会話ができないし、男性とは目も合わせられないのでどちらからも嫌われて

辞めるしかなくなる)として生きてきたのだった。

 

 西村賢太さんが亡くなった。藤澤清造の紹介者。みじめな私小説も私の友。

 

2日

 早朝、春陽堂の使いで前田曙山さんが来た。「作品のあらすじができましたら、挿画

の注文をお願いします」とのことだったが「もう少し時間をください」と言って帰って

もらった。

 先月初めのことだった。春陽堂が人をよこし、私の作品をぜひ欲しいということで、

「引き続き私共にだけ著作をくださる契約をしていただいたら大変嬉しいのですが、

それができなくてもぜひ」と言い「前金でお金はいくらでも出しますので、御用があっ

たらいつでもはがき一本下されば直ちにおっしゃるだけの金額をお持ちします」と言う

のだった。一時の虚名で出版社に利益を与え、自分の欲を満たそうというのなら、それ

はそれでよい。浪六の例にもあるように、多くの作家が苦しめられて心ならずの作品を

世に出すことになるのはこの、一時の栄華におごって債を負うからなのだ。私はそう

いうことをしないという心構えを持っているから、作品の趣向がはっきりとしない間は

挿画のことも金のことも絶対に言わないと決めている。家はますます貧に迫ってどうし

ようもなく、綿の入ったものも袷もみな伊勢屋に預けてやっとのことで夏物の1、2枚を

仕立てたところなのだが、将来苦しみを受けまいと思って母と邦子と心を一つにして

過ごしている。まったくやるせないことだ。

 

 午後三木竹二氏が来た。「医学博士森篤次郎」と書いた名刺を持ってきたので、どう

いう人かと思ったら彼は森鴎外氏の弟で、小金井喜美子さんの兄であった。とても口の

軽いおしゃべりで、重みのない人のようだった。来訪の趣意は『めさまし草』の代表と

して、私にも名を連ねてほしいとの使いに来たということだ。「今まで『三人冗語』と

いって鴎外、露伴、正太夫の三人で新作の批評をしてきたが、さらに君を加えて『四つ

手あみ』という名に変えて、それぞれの名前でもっと盛んに評論したいと思っているの

です。ぜひ入会してください」と言う。

「君の『たけくらべ』には一同ただただ驚嘆して口を開くことができなかった。露伴

などは『生まれて今日まで、自分にはこれほどの作がないことを恨むよ』と言ったもの

です。そして先日『三人冗語』で言葉を極めてほめたたえたところ、『早稲田文学』に

馬鹿にされ、露伴の書いた『この作中の文字を5、6字ずつを今の世も評論家や作家に

技量上達の護符として飲ませたいものだ』を混ぜ返して、『黒焼きにして振りかけたら

いかが』などと書かれました。とにもかくにも心してください。どこそこの学士、博士

誰もが君のことを言えば髭面の締まりをなくして『あのようなものを書く人ならば、

あのような人なのだろう』『いやいや、この言葉を見れば、このような人なのだろう』

などと一字一句を解釈して騒いでいるのですよ」などと語った。

「正太夫がこちらに来たと聞きましたが、彼には仮にも心を許してはなりません。我々

兄弟や幸田露伴も、うわべではよい友のように付き合ってはいるが、心を隔てて話す

ことにしています。どんなことを言ってくるかわかりませんのでよくよく構えて、騙さ

れてはいけませんよ」と言う。「合評会の日取りが決まったらお知らせしますので必ず

来てください」と言って一人合点して帰っていった。

 夜になって正太夫が来た。「今日三木が来たと聞いたので、伺いたいことがあって

ではなく話したいことがあって来ました」と言う。「君の所へ行ったことは僕は誰にも

話していないのです。ただ森にだけは漏らしたのでそれを篤次郎に話したのでしょう、

僕に『紹介状を書いてくれ』と頼んできたが、僕だって誰の紹介ということなく訪ねた

ので『それには及ばないよ』と言って書かなかったので、今日あたり参上するだろうと

思ったのです。名刺を持って行ったでしょう、話はどんなことでしたか」と聞く。

「みなさま方が寄り集まって批評をされる時に、私にも出てお話ししてくださいと仰せ

でした」と言うと「それは怪しいことだ、その相談だとは言っていなかった」と首を

しげる。「それでご了解を得て帰ったのですか」と聞くので「どうですか、私はただ

ありがたいと申し上げただけでほかに何も言っていません」とほほ笑むと「そうでしょ

う、そうなるはずだ。あの男の使いでは」と冷ややかに笑った。「『我々が批評するの

を聞きに来てください』と言うことが変で、意味のないことを言ったものだ。僕が聞い

たのは、雑誌に載せるために君の歌を少しもらおうと頼みに行くということだったが、

僕は納得できず『我々は一葉さんを歌人としてはまだ知らず、作家として知っている

だけなのだから歌をもらおうとするのはおかしい、同じ頼むのなら最初から小説をぜひ

いただきたいということでいいではないか。和歌は三十一文字なので負担がなく、世に

出しても世論もそうはうるさくないだろうから引き受けてくれるだろう、それから小説

を頼もうというのは人を騙すようで文士として潔くないことだ。はっきり言うに越した

ことはない』と言ったのです。それで今夜来てみたのですが、これを人は憎しみの種に

するのでしょう、なんともとげの多い私ですよ」と淋しくほほ笑んだ。

「僕たちの期待するところは君の大成です。せっかくの才能を捨てて、いい加減な世論

に心を迷わせ、つまらない理論に傾かせてしまったら、新らしい人を種なしにしてしま

う。そんなことにならないようにするのが我々の志なのです。わざわざ合評会などに

出席させるのでなく、鴎外や露伴ががあなたを訪ねたらいいのです。ことごとしく招待

するまでのこともない」と大変冷ややかな様子だった。