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                            お疲れさまでした。

 

7月20日

 風雨がひどい。午後2時頃、思いがけず三木さんが幸田氏を連れて来て、初めてお会

いした。「私は幸田露伴です」と名乗る様子をつくづく見守ると、色が白く、胸の辺り

が赤く、背は低くてよく肥えている。話す声に重みがあって、低く沈み、大変静かに

語る。「『めさまし草』に小説でなくてもよいので、何かお書きになったものをいただ

きたく、頼みに参りました」と言った。

 話すことはいろいろ多くあり、著作のこと、身の上のこと、世評はうるさいが取るに

足らないということを話し「大変お若いから面倒なので、早くお年を召したらよいです

が、と言って本当におばあさんになってしまうのも侘しいですね」などと笑いながら

言った。「合作小説を書こうという計画が前からあったのですが、まとまらないうちに

時間が経ってしまいました。どうでしょう、あなたも仲間に加わって役者となっていた

だけないでしょうか。もしご同意いただけたら、受け持ちの登場人物の性格をあらかじ

め決めて、大まかなあらすじを立てましょう。細かいところは各自思うままに任せます

ので筆の自由を妨げません。それぞれの文体で、思い思いに書けばとても興味深いもの

になると思います。地の文章をそれぞれの筆で書くとつぎはぎのように見苦しくなるで

しょうから書簡体にして、それに収まりきれない心のうちは日記体にするとおもしろい

のではないでしょうか。どういう役者を選びましょうか、筆と墨を貸してください」と

言うので指さすと、三木さんが私の机から取ってきた。

「『にごりえ』のお力といった役を樋口さんにお願いしたいな」と言うのは三木さん。

「いや、長文に向かない人には無理だろう」と露伴氏が退ける。

「では『心中天網島』の小春の役は」と芝居好きな三木さんが言う。

「まあ待ちたまえ、まずそれぞれの人物を決めて、それから役を振り、あらすじに取り

かかろう。樋口さんには女性の役をお願いすることになるが、身分のご希望はあります

か。中流か上流、商家か士族、官員など」と露伴氏に聞かれ、

「どれも難しいのでえり好みをするどころではありませんが、高級なご家庭のことは

全く分かりませんが、中流ほどの士族のことでしたら」

「では士族の娘にしましょう、まず一つ決まった。さて次は」と筆をなめると三木さん

があわただしく「僕の望みを言わせてください」と言う。「おとなしい女性というのは

面白味がありません。狂って山犬のようになった女性はどうでしょう、一度しがみつい

た男からは一生離れないというような」

「それを樋口さんにやらせようというのか」と露伴氏は顔をしかめる。

「いえ、それは菊五郎に見立てて正太夫に役を振ろう。おもしろいあらすじを思いつき

ました、学者で世間知らずの役人役を仮に立てて、それを兄の鴎外に受け持たせるのは

どうだろう。さて、樋口さんはその妹だ。学識が高いばかりに上司に憎まれ、浮世では

出世の道がなく苦悶の末、哲学に身を投じている兄を持って、一人物思いにふける妹役

などよく似合うではないですか。そしてその恋人役は露伴君、君しかいない。君は大酒

飲みの、乱暴者で放蕩家。正太夫の悪女とできてしまい、ゆすられて困っているという

役はどうだ、とてもおもしろいじゃないか」と調子高く扇を打ち鳴らして言う。

「私が恋人か」と露伴氏は頭をたたいて笑いながら「そのような役は私には不似合い

だ。私には、気短で癇癪持ちの、何かと騒ぎを起こすような乱暴者の役の方がよい。

さて一人一役では舞台にならない。二役目として子供に意見する老女の役を樋口さん、

受け持っていただけますか。それは正太夫の母親役です」

と言うと、三木さんが口をはさんで、

「ほかの役はどうでもよいが、君と樋口さんが両横綱として主演にならなければ、この

狂言は成り立たない、君は何としても樋口さんの恋人役だ、二役目は子役で樋口さんの

弟になりたまえ、それもまたおもしろいだろう」

露伴氏が言うには「まだ舞台が寂しいので、友達というような第三者役が必要だろう、

誰にするか」

「偏屈役人の友なら、鴎外に振ればよい。兄貴の友達に見本がたくさんあるから」と

三木さんが言う。

「事件に花を添える横恋慕役が必要だ、誰にしよう」と言えば、

「それこそ僕の役だ」と三木さんが言う。

「僕の考えを話してもいいですか。以前『たけくらべ』を読んだとき、龍華寺の信如は

露伴さん、田中正太は兄鴎外、横町の長吉こそ斎藤のはまり役、おどけ者の三五郎は

この僕、大黒屋の美登利は樋口さんだとひそかに決めていたのです。その割り振りで

行きたいものだ。さしづめ兄は市川団十郎、樋口さんは「新駒屋」と声がかかるべき

役回り(福助)、斎藤は菊五郎の向こうを張って、露伴さんは亡くなった中村宗十郎

いうところ。これを小説だけにおかず芝居にしなければと思ったものです。さぞおもし

ろいものになるだろう」と自分の好きな世界に持ち込もうとしているのがおもしろい。

露伴さんはしばらく静かに聞いていたが、おもむろに、

「場所についても納得いくところがよいですね。知らないところを書いても情がわかず

面白味もなくなるでしょう。西洋のことは鴎外君が受け持ち、田舎のことは私が書く、

というようにしたら実景が浮かぶことでしょう。どのようなことでもいいのでお心に

かなうところをおっしゃってください。これはもともとかりそめの遊びなのですから、

書いてみておもしろくなかったら途中でも止めればいいのです。誰も邪魔はしません

し、損することもありません」と言った。

「私たちがあなたに迫って『めさまし』に無理やり筆を取らせようとしているとお思い

かもしれませんが、そんな考えではないのです。同じ世界にいる者たちが文学の楽しみ

を分かち合い、知らないことを教わり、知っていることは教えて一緒に歩みたいと思っ

ているだけなのです。天明の昔、横谷宗珉と英一蝶という当代の名人と呼ばれた二人は

大変仲がよく、一つの額を二人で彫ったという美談が伝わっています。人には相違が

あるので、同じ額を二人で彫ったら違いも現れてしまうでしょうが、それを人が笑うで

しょうか。それに引き換え、無用な意地を張って「あの人が筆を取るなら私は書きませ

ん」などと言っていると世界が狭くなり、進歩の道の妨げとなるでしょう。今あなたが

我々と提携して出れば「文士の交わりはこういうものか」と世の人の迷いも晴れるでし

ょう。志のある人は心に壁を作らず、ゆったりと広い交わりを持つべきだと思っていま

す。あなたもはばかりは多いことでしょうが、このように考えてはいただけないでしょ

うか」と諄々と説くので、

「いえ、迫られているなどとは思ってはいません。ただあまりに筆が未熟ですので、

お歴々の方々と同じ舞台に上がることが心苦しいのです」と言った。

「それこそ無用の遠慮というものです。私も鴎外さんもどうしてこの道を卒業したなど

と言えましょうか。みなともに修行の道を歩んでいるのです。出来不出来はその時に

よるものです。まだお若いのにそんな弱気でどうします、人生は長いのです。これから

百編、二百編の失敗作を作っても取り返しはつきます。一生に一つよいものができれば

それでいいではありませんか。弱気はいけませんよ」と諭された。

「この合作が出来上がるまでこのことは漏らさないようにしてください。うるさく取沙

汰する人がいますから。出来上がったら『めさまし』の別冊として出してもよいです

し、出版するのはその時の都合でよい、各自の手元に置いて世に出さないのも自由で

す。ともかく気楽に考えることが一番です」

「これは長くなりました。あらすじができたらまた来ます」と言って立ち上がった。

話すこと3時間が過ぎていた。「これから鴎外さんを訪ねる」と、三木さんと一緒に

家を出た。十間(20m)も行かないと思われるうちに大雨が降ってきた。

 以上、7月21日の午前中に書いた。

 

 22日の夜更けて正太夫が来た。

露伴三木竹二が伺って『めさまし草』への寄稿を承諾したと聞いたが本当ですか」

と問われる。

「いえ、はっきり約束したわけではなく、私は例の遅筆なのでいつの号にとは言えま

せんから『もし書くことができましたらその時に』と言ったのです。いつのことになる

やらおぼつかないことですが」と言うと、

「いや、書く書かないにかかわらず、『めさまし』に必ず書くと約束したのかどうかを

伺っているのです。『書けたら出します』というのはその辺の新聞などに頼まれた時に

君がいつも言う無責任な言葉なのですから。はっきりしてください」と問い詰めるので

「そう言われてもそのほかに答えようがありません。責任論のような難しいことはわか

りませんから」とほほ笑んでいると、

「私が今夜ここへ来たのは込み入った事情があるからなのです。これは秘密に属する

ことなので、君の考えをはっきり聞かせてもらってから話すか、話してから君の決心を

聞くか迷っているのです」とためらっている。

「我が『めさまし』が作品が欲しいと言っているのは、作品ではなくあなたのお名前が

欲しいということなのです。『めさまし』の一員になることを承知してほしいからなの

です。もともと『めさまし』は盛春堂という出版社の企画ということになっていますが

内情は違うのです。鴎外、露伴と私が連帯責任を持って起こした雑誌なのです。しかし

全く考えの違う者の連合なので何かと考えが一致せず、いつも波風が立っているので

す。私も露伴もともすれば辞めて去ろうとしているので、鴎外が心を痛めていることは

よくわかっています。世の人から「『めさまし』の落城はもうすぐだ」と言われていま

すが、それは偽りではありません。露伴春陽堂の『新小説』の編集者になっている

し、紅葉は名前を貸してくれてはいるが硯友社が本拠で、『雪月花』を旗揚げしようと

している。森兄弟はそれに驚き慌てて、森田思軒や依田学海を勧誘して『めさまし』の

社員にしようとしているので私も傍観してはいられなくなったのです。こんな見苦しい

ことをしてまで取り繕わなけらばならないのか。我が社は我が社員に拠ってこそでは

ないですか。この私の説が受け入れられないのなら、私もやむなく涙を流して『めさま

し』を見捨てなければなりません。もし私がここを離れることになったら、たとえ3号

でつぶれるとしても必ず雑誌を創刊するつもりです。これほどまでに崩れたものをどう

したって取り戻せるものではないですが、他から人を呼ぶ勇気があるのなら、なぜあん

な老人を採用するのでしょう。『門を開くのなら若い人にこそ』僕は言ったのです。

『新しい人といって、誰がいる』と鴎外に聞かれたので、その時僕は君のことを話した

のです。しかしこれは窮地の策であって僕の志ではない。一昨日三木竹二露伴を訪ね

てどのように話したのか、一緒に君のところへ行った。そして昨日僕に知らせがあり

樋口一葉さんはいよいよ「めさまし」の一員になることを承諾し、合作の相談も整っ

た』と言ってきた。僕はとても怪しいことだと思ったが、これほどはっきりしているの

ならばあるいは承諾したのかと思いました。このことは秘密なのです。君が世間に漏ら

したりしないことを知っているのでこうやってはばかりなく話しているのです。隠さず

真実を言うならば、君が承諾することによって『めさまし』の害は大変大きいものに

なるし、君への害も同じことでしょう。今まで世のさまをよくよく見るにつけ、泉鏡花

の評判が絶頂に達した時、僕が最初の一撃をしたところ名声は急に落ちて、鏡花はどこ

へ行ったのかというほどになりました。君のこの頃の様子は、すでに全盛の頂上に立っ

ていると思われるので、今『めさまし』に入会したら世の人の憎しみを一身に受けて、

非難囂々となることだろう。『めさまし』同人にも同じことだろう。君の『たけくら

べ』を称賛して以来『早稲田文学』からばかにされること月ごとに甚だしく、僕が君を

訪ねたと聞けば『黒焼きを本家に行って求めた』などと言われて大変やかましいのだ。

これで君が入社したとなったらいよいよかしましく取沙汰されて、思わぬことや必要の

ないことまで引き出されてしまうので、ともかくも入社は見合わせた方がよいと僕は

思う。これはさえぎってまで止めているのではなく、ただただ君のため、僕のために

腹を割って話しているのです」と繰り返し繰り返し言う。この男の心中は多少なりとも

わからない私ではないのに、なんで今さら世評の取沙汰など…

 

 

 ああ終わってしまった。次は手紙か小説を読み直すか、通俗書簡文か、エミリ・ディ

ッキンソンに取り組むか、わー忙しい、楽しみだな。退職後になんとお座敷がかかって

いるが(スカウトされるなんて生涯最初で最後でしょう)本当は仕事したくない、て

いうよりその職場に飽きた。ありがたいけど…。でも家にはもう一人辞めるという人が

いて、せっかく貯めた涙金が消えてしまうのも困る。結局働くのか…あーでも不毛な

悪口とうわさ話、どーでもいいしょーもない家族のことやコロナ騒ぎが繰り返される。

田舎にも趣味人(むしろコアな)はいるはずなのだが、人徳がない私にはまったくご縁

がない。四国と違ってクソきっついのがいないだけマシだけれどうんざりだ…。