馬場孤蝶「落語」

  

               

                  一

 父祖三代以来も東京に定住して居られる純東京の人々に対しては、真にお気の毒な

ことだが、今の東京は、余程吾々田舎者に取って、住み好い土地になって来た。風俗

も、習慣も、それから、言語さえも、吾々田舎者が、そんなに不自由をせずに済むよう

な程度にまで変化して来た。されば、東京の寄席の芸術に対して、吾々田舎者の方の

感想を述べても、そう甚(ひど)く無遠慮にはならないだろう。

 固(もと)より、僕等のような田舎者には、東京の寄席の芸術は、善くは解って居な

いかも知れないのだから、僕の感想には、何か権威があるものだとして、これを提出す

るのでは、毛頭ない。唯だ、田舎者の一人である僕には、こういう風に思えるとだけを

云うに過ぎないのだ。

 僕は、度々寄席へ行く訳ではないのだから、今の落語家に対する知識は極めて狭い。

極く大略のことしきゃ云えない。

 それから、僕は、明治二十年以後から、この三四年前までの、落語界の形勢を殆ど

全く知らない。それで、今ここに、現時の落語界に対する感想を述べるに当っても、

その比較に取るのは、明治十四五年頃から精々同二十年頃までの落語界の大勢なのだ。

                   二

 現代の落語界を見渡すと、第一に感ぜられるのは、人の少いことである。今の有様で

は、中流どころの者が居なくなっても、甚く寂れが眼に立つ位なのだ。

 相当に熟達した位置に至った芸人には、大抵の場合、その芸に各々特異な風格が備わ

るものであって、その風格のみから云えば、そういう風格を備えた当の芸人が居なくな

ると共に、そういう風格は、芸壇から消え去って了うのであるから、そういう方から

云えば、まことに惜しむべきことであるのであるが、同力量の芸人が多く同じ芸壇に

居る場合には、そのうちの一二者を失ったということが、必ずしも同じ芸界の絶対的

損失になるという訳ではない。けれども、今日の有様では、相当な落語家が、一人居な

くなれば、一人分だけの損失、二人居なくなれば、二人分だけの損失が、直ちに落語界

全体の損失となって了うのだ。真に以て、心細さの限りである。

 先代の円遊は、才人ではあったろうが、落語家として、当時重きをなして居た人では

無かった。落語の品格、伝統を崩した人であった。さればと云って、そう新味な境地を

踏み開いた訳ではなかった。当時では、僕等は先ず中流どころの人だと思って居た。

が、その円遊さえ、今居るのであったら、第一流の大家として遇せざるを得なかろう。

『円遊でも惜しいと思われる時代だから』とは、僕等の、現代の落語界を思う毎に、

我知らず、胸に出て来る感なのだ。

 いや、それ所ではない、先代の遊三さえ惜しいと思う。元より、彼様(ああ)いう

わざとらしい話し振りは、彼れまでに練り上げても、未だ面白いとは思われなかったの

だが、それにしても、三十年程の高座の生活は、彼の人の芸にさえ、何らかの権威を

生じしめて居た。彼の人に代るべき者さえ、今の落語界には、そう多くない。

 況(いわん)や、橘家円喬の死は、現時の落語界に対する大打撃であった。円喬は確

に近代の名人であったように思う。恐らくは、所謂大円朝と共に、明治の演芸史上に、

併記さるべき人であろう。現時の大家、円右、小さんに比するに、第一芸の大きさに

於て、遥に円喬が優って居た。気力に於て、円喬が優って居た。円喬は前代へ突き出し

ても、第一流の上位に立ち得べき人であったと思う。

 円生は、円朝門下の高足(不明)であった。その芸には強みがあり、凄みのある話

は、得意であったようだが、今の円右に較べても、狭い芸であった。晩年の円喬の様な

縦横の芸ではなかった。

 団州楼燕枝は、前代の大看板であった。けれども、高座度胸の出来て居る人という

のみで、芸はそれ程でなかったように思う。位は十分に出来て居たが、話は下手であっ

た。円喬には到底及ばなかったろう。

 断って置くが、先代燕枝だの、先代柳枝だのを、下手というのは、余程高い標準から

云うのだ。今の柳派の大看板連とは、先代の人々は、下手は下手でも、下手さが違う。

 円喬は、確に、落語界という天における第一光位の星であった。この星が落ちてから

は、落語界という天は甚く暗くなったような気がする。

 円喬が死んだことを新聞で見た時は、何んだか甚くがっかりしたような気がした。

円喬が生きて居る時には、落語というものが面白いような気がして、円喬が出ない寄席

へでも、看板をロクロク見もせずに入った事もあったものだが、円喬没後には最早落語

もつまらないというような気がして、寄席の木戸口を入る気がなくなった。僕に取って

は、円喬が落語そのものと同じであるような気がしたのだ。

 其様(そん)なら、お前は、円喬を度々聞いたのかと云われれば、そうではない、

僕は三四度聞いた位であろう。而も、同じ女の仇討の話を、所々飛び飛びに聞いたのみ

なのだ。

                   三

 其様なら、今の落語家は皆駄目なのかと云われれば、僕は、必ずしも、そうではない

と答える。

 僕は、円右をば、優れた落語(はなし)家だと思う。近頃の円右の芸ならば、前代の

人々の中へ突きだしても、決して第二流には落ちまい。今の落語家の中で、お侍らしい

侍を、僕等の眼前に髣髴させ得るもの、円右を措いては、他に誰もあるまい。小さんの

お侍はどうしても官員さんだ。圓蔵のお侍も余程官員さんに近い。『巌流島』をば、

昔の事らしく話し得るもの、円右の外には、誰もなかろう。円右は老年になって、甚く

旨くなった人だ。若い時分は、それ程ではなかったように思う。いや、或はその時分に

は、他に大家の多い時分であったので、円右のまだ若い芸などは、それ程眼に立たなか

ったのかも知れない。惜むらくは、時々身振りが多過ぎることがある。話は言葉が主

だ、余り為方話にならぬように、工夫して貰い度い。

 小さんの芸は確に新味を帯びて居る。先代の『禽語楼』と称した小さんは、『殿様の

将棋』『殿様の蕎麦搔き』というような話では、古今匹儔(匹敵)を見ないのだが、

その他の話では、そう傑(えら)くはなかった。のみならず、人を笑わせるには禽語楼

小さんは、先天的優所を持って居た。それは、禽語楼の顔立であった。この不思議な顔

を見たばかりで、客は誰でも可笑しくなるのであった。が、今の小さんは普通(なみ)

の顔だ。今の小さんの、くすぐらず、訴えず、正々堂々として、話を運んで行くところ

は、賞賛に値する。『しめ込み』とか『粗忽長屋』とかいう話をあれまで面白く聞かせ

る落語家は、前代にはなかったろうと思う。なるべく説明を略して行くという工夫の

小さんにあるのは、その話し振りで聴客の方では十分に解し得られる。

 円右、小さんの二人の外には、円蔵を挙げても宜かろう。が、円蔵の芸は、もう少し

円熟させたい。もう少し尖りを除き度い芸だ。円右、小さんの後を受けて、全面を占め

得べきものは、今のところ、円蔵ではなかろうか。

 所謂若手では、小せんは病人だから、将来には最早望みは嘱せまいが、むらくは努力

さえすれば、可なりな将来はあると思う。

                  四

 人に対する評は先ず此様(こん)な事にしておいて、落語の今昔というようなことを

左に少し書く。

 前代の話は、説明的であった。即ち、地の所が対話の間に随分多く入ったものであっ

た。今の話方は一般に描写的になった。即ち、大抵対話ばかりで運んで、地の所をなる

べく少くして、やって行く。今の小さんの話を聞かれる人は、其処に一番善く気が附か

れるだろうし、円喬の続き物には、描写式が顕著に表れて居た。

 これは何(ど)の一座でも、出演者の数が近来では多くなったので、話を手短く切り

上げる必要から、自然とそうなって来たものなのか何うか明には知らぬが、何んにして

も今の描写式の発展は、話術の進歩だと思う。_併し、説明式の話術にはまったく面白

味がないというのではない。

 それから落語界全体の趨勢(なりゆき)から見ると、話術そのものの発達には大いに

都合が好い状態になって居るかと思う。広く云えば、寄席、狭く云えば、落語即ち色物

に対する客足の減少が、落語家の健闘と自覚とを促すべき有様に立ち至って居る。下町

は左も右(ともかく)、山手などでは、落語家はさまざまな商敵と苦戦しなければならなかった。初めには、娘義太夫、次には浪花節、今は大敵活動写真に、客を奪われて

居る。席亭(寄席の経営者)も、落語家も、今日では単に客の好奇心を煽る切りの俗悪

な新物を加える位なことでは、到底外敵と有利な戦を為ることは能きないという所に気

が附き、本来の専門たる話術を強固に発達させるより外はないと、自覚したらしく思わ

れるのだ。近頃になって起った、落語研究会は勿論のこと、有名会とか独演会とかいう

ものの、頻りに行われるのは、前節で云った傾向の現徴(不明)と云えよう。

 のみならず、僕の極く狭い経験から云えば、此の頃は、色物の寄席に素噺が多くなっ

て来るようで、十年位前にはよくあった芸者の真似をする女などは、滅多に見られなく

なった。

 世間には、色物の寄席に取っては縁なき衆生である人間が少くない。そういう者ども

を引き附けようとすると、勢い無理な俗悪な芸を加えなければならぬようになるのだか

ら、落語家は宜しく落語そのものに趣味を持つ人々を相手にすることにして、比較的

少数の客に甘んじて、その客だけを握って放さぬようなやり方で行くよりも外はなかろ

うと思われるのだが、落語界の識者の腹では、到底お客にならぬものをお客にしようと

するのは却って落語界瓦解の原因だという事位は、気附いて居るのではなかろうか。

 所が、そうなって来ると、お客を始終引き附けて置くだけの技量のある芸人の数が

不足して居る。

 けれども、今人を作ろうと云ったところで、そう容易に出来るものではない。それ

に、もう少し、大きい芸術だと、少しはチャンとした志願者が出て来るかも知れぬが、

何しろ、日陰の芸術であって見れば、ロクな志願者は先ず出て来ないものと見なければ

ならぬ。そうであって見れば、今までの連中だけで、何うにかやって行かなければなら

ない。今の所、十五日続けて打つところを十日にするとか、一週間にするとか、成るべ

く好い芸人を出し、真打が長く話をするとかいうような方法より外に為方がなかろう。

 落語の形式が古いから、もう少し改良して見たら何うだろうという議論はあることだ

ろうと思うが、第一、その改良ということが、一朝一夕に行くことではないし、又、

少し位改良したところで、元来話を聞くというのは、話し方を聞くという訳のもので

あるから、そう多勢客が来る気遣はない。

 その上に下手な改良などは、まずやらぬ方が宜い。

 落語は今の若い東京人の曽祖父位からの、民衆の知恵、常識、伝説及び趣味が知らず

識らずの間に鍛えなした平民芸術なのだ。何うして、生学問の改良屋などの煽動(おだ

て)に乗って、滅多に所謂改良などをやられて堪るものか。

 僕などには、女郎の話、博奕の話、長屋の夫婦喧嘩の話、ことごとく結構である。

安価な教訓談や、所謂武士道の講釈などを、銭を出して聞くのは、真平ご免だ。これか

らの落語家は、宜しく、落語が、常識ならぬ常識、知恵ならぬ知恵を、自然に含んで

居るのを自覚して、今までの人々がよく団結して、狭くとも自己の城郭に引き籠って、

十分に技を磨いて、少人数に訴える芸人として立って貰い度いものだ。

 尤も、話そのものの選択は余程よく為なければなるまいと思う。あまり旧式な話は

なるべくしないようにしなければなるまい。泥棒の話でも『出来心』というのは、余り

大阪俄染みた余りに幼稚な話である。『しめ込み』の方が余程位が上だ。同じ不自然な

ものでも『釜泥』の方が、『出来心』より面白い。