樋口一葉「別れ霜 三」

                                                七

 いらいらするのは、散会後に来ない迎えの車。待たせておいてもよかったが、他にも

待つ人が多いので遠慮して早めに来るように言いつけていったん返したものを、どう

しているのだろうか。まさか忘れてこないのではあるまいし家だっていつまでも迎えを

出さずにはいられまい、例の酒癖が出てどこかの店で飲み潰れて眠り込んでしまったの

だろうか。それならなおさら困ったことだ、家でも心配しているだろう。こちらのお宅

にもご迷惑だしどうしようかと思っている中、降り続く雪も心細い。

 蠟燭を灯した二階の部屋に一人取り残されているのは新田のお高、音楽の師匠の催し

に浮世の仕方なさ、断れないものでもなかったがつらいのは義理のしがらみ、是非にと

言われてこの日の午後から、着飾った心の内を聞かれれば涙しかないのだが、薄化粧を

して苦労の跡を隠し、友の無邪気なおしゃべりを笑いながら聞く心苦しさ、痩せた手首

をつかまえて「おうらやましい、お高様の手の細いこと、お酢でも召し上がって(当時

も痩せたい人は酢を飲んだらしい)いるのですか、教えてください」と真面目に聞くの

で、笑うどころかその無邪気な心がうらやましくなる。

 その人たちが帰ってしまってから一時間ばかり、待つには長い時間だがまだ車の音は

門口に聞こえない。放っておかれるならまだよいが「お茶をどうぞ、お菓子をどうぞ、

まだ夜も遅くないですからお迎えもそのうち来るでしょう、ごゆっくりしてください」

ともてなされるほど気の毒で耐え難くなり「いつまで待っても来ないようですので、

申し訳ありませんが車を頼んでいただけませんか」と女中に頼むと、「それはたやすい

ことですが行き違いにお迎えの車が来るかもしれません、もう少しお待ちください」と

渋々言うのは探しに行くのが面倒なのだろう。それも道理で雪の夜道を無理には頼めず

心ならずもまたしばらく、二度目に入れたお茶の香りが薄らぐ頃になっても音がしない

ので、「来るか来ないかあてになりませんし、あてにしていたら際限がありません、

行き違いになってもよいのでとにかく車をお願いします」と無理に頼み込むと、師匠は

もっともだと気の毒がって「でしたらもうお引止めしません、お帰りになるのにあまり

遅くなってもいけませんから車を大急ぎで呼んできなさい」と主人の命令には仕方が

なく階段を駆け下りて行ったが、勝手口を出た傘の上に雪の積もる暇なく帰って来た。

「出入りの車はすべて帰ってしまい、誰もいません、お気の毒ですが」と女中の言葉

を伝えて「どうしましょうか、このような日ですからお泊りになったらよろしいけれ

ど、お宅は大丈夫ではないですか、心配がなければ明日の朝お帰りなさい」と親切に

引き止められたがそうもいかず、「雪は降ってもまだ遅くありませんから」と帰り支度

をしていると「では誰かお供に連れてお行きなさい、歩かせるのが申し訳ないのですが

この辺では車を見つけるのはちょっと難しく、大通り近くまで行かないと無理でしょ

う。家にいても火鉢のそばを離れられないのに夜風に当たってお風邪を召さないでくだ

さい、失礼などといわずここで頭巾をかぶりなさい、誰か肩掛けをかけてあげて」と

総がかりで支度をしてもらいお礼を言う暇もなく「遅くならないうちにお急ぎなさい、

中途半端に引き留めなければこれほど積もらないうちに出られたのにお気の毒なことを

しました。お詫びはまたそのうちに」と送り出された。子犬の声も恐ろしいが、送って

くれる女中が大柄でたくましいので心強く、軒下伝いに三町ばかり行くと「ご覧くださ

い、あの提灯はきっとお車ですよ、もう少しのご辛抱です」と引く手も引かれる手も凍

り付くようだ。喜んで近づいて見ると相当にひどい車、声をかけた女中も後ずさりして

「もう少し行きましょう、あまりのこと」と小声で言う。降りしきる雪の中お高は傘を

傾けてふと見返ったとたん目に映ったのは誰なのか、ぼろを着て髪を伸ばし放題の若い

車夫、お高は夜風が沁みたのかぶるぶる震えて立ち止まり、「この雪では先へ行っても

あるかないかわからないので、何でもよいです、この車をお願いします」と急に足が

重くなった。「え、こ「んな車に乗るのですか、こんな車に」と言うが、お高は軽く

うなづいて黙っている。自分も雪の中難儀であるので言われるままにその車を頼んだ。

それにしても不似合いで、錦の上着につぎはぎの袴を着けたようだと心の中で笑いなが

ら「ごきげんよう車屋さんよく気をつけてくださいね」と見送った。

                   八

 走り出した車、しかし降り続く雪が車輪にまとわりつくのか、車の動揺の割には距離

ははかどらず、万世橋に来た頃には鉄道馬車のらっぱの音もすでに絶えて、京家(時計

店)が十時を報じる鐘の音が空に高く鳴った。「万世橋まで来ましたがお宅はどちらで

すか」と梶棒を持ってたたずむ車夫、車上の人は声低く「鍋町まで」とただ一言。車夫

はそれ以上聞くこともできずに力を込めて引き出した。

 霏霏と(激しく)降り暟々と(真っ白に)積もる雪の夜の景色に変わりはないが、

大通りはさすがに人足途絶えず、雪に照りかえる瓦斯燈の光は亮亮として(明るく)、

肌を刺す寒気の堪え難さからか車上の人は肩掛けを深く引き上げているので、見えるの

は頭巾の色と肩掛けの派手な模様だけ、車はどこから見ても破れ車、幌は雪を防ぐのに

は足りず、洋傘で必死に前を覆って行くこと幾町か、鍋町は裏の方でしょうかと見返る

と、いえ鍋町ではありません、本銀町ですと言う。ではと走り出してまた一町、曲がり

ましょうかと聞くと真っすぐにと答えてここにも車を止めさせないで、日本橋まで行き

たいと言うのでなんだかわからないまま言葉通りに行く、河岸に着いたら曲がってくだ

さいと言われても右か左か、左へ、いえ右へとまた一町、お気の毒ですがここを曲がっ

て真直ぐに行ってくださいと小路に入った。しかしそこは突き当たり、他に曲がるとこ

ろもないので、お宅はどのへんでしょうかと聞こうとしたところへ、なんとしたこと

間違えました、引き返してくださいとまた後戻り、大路に出れば小路に入らせ、小路を

縫っては大路に出て、どのくらい走ったか回ったか蹴る雪に轍が長く後を引いて、また

元の道へ戻ってきた。薄暗い街角で車夫は茫然として、仰せの通り参りましたら元の道

へ戻ってきてしまいました、お間違いではありませんか、ここを曲がると先ほどの糸屋

の前、まっすぐ行くと大通り、裏通りと仰せでしたが町名は何と言いますか、それ次第

ではわかりましょうと聞いても車上の人は言葉少なく、とにかく曲がってみてくださ

い、確かこの道だと思いますと梶棒の向きを変えさせた。御覧なさい、やはりここは

元の道ですがよろしいのですかといぶかしむ車夫の言葉に、あらここは違いました、

一つ後ろの横町がそれかもしれないとあいまいな返事、ではと引き返す一町、ここでも

ない少し先へと言う。提灯の火が消えて商家に火を借りたのも二度三度。車夫も道に

詳しくなく、またこの仕事に慣れてもいないので同じ道を行き返りして困り果てても、

強く怒って断りもせず、言われるままに走っている。夜はだんだん更けてゆく。人影も

ちらほらと稀になり、雪は一段と勢いを増して降りに降り、音といっては鍋焼きうどん

の細く哀れな呼び声と商家が荒く下ろす戸の高い音だけ。そして按摩の笛や犬の声が

小路一つ隔てて遠く聞こえるのもさらに淋しい。おかしな人だ、万世橋でもなく鍋町で

もなく本銀町を過ぎ日本橋にも止まらず、大路小路幾通りもどこへ行こうとしているの

か、洋行して帰朝すると妻を忘れる人があると聞いたが、この人も帰るべき家を忘れた

のだろうか。まだ年も若いのにばかばかしくもあるし不審でもある。今度は京橋へと

急がせる。裏道伝いに二町三町、町名はわからないが引き入ったところに二階建ての

看板の提灯がぼんやりと光っている。店主はいるのかどうか、入口には下駄が二三足、

料理番があくびをしていそうな店構えの割烹店があった。車上の人は目ざとく見つけて

ああ、ここです、ここへと急な指図に、はいと掛け声勇ましく車を引き入れて門口に

梶棒を下ろしほっと一息、中からは女中たちが口々にいらっしゃいましと出てきた。

                  九

 勢いよく入って客を下ろしてから気づいて恥ずかしくなった記憶にある店構え、今の

わが身には遠い昔ながら世の人にはまだ昨日というような昨年一昨年、同社中の組合や

会議、何某の懇親会に登った梯子段、それと知れば肩をすぼめてみる人もいないのに

急いで人から見られない暗がりへ車と身を隠して静かに考えてみると、自分が心やまし

いだけで、誰が覚えているものか、松澤の若大将と祭り上げられて上座に席を設けられ

た自分と、今のみすぼらしい恰好ではいくら顔に見覚えがあっても他人の空似、よく

あることだ、ましてや変わりに変わって雪と墨、いやもっと、雲と泥ほどかけ離れてい

るのだ、いかに有為転変の世とはいえこれほどの違いを誰がどう気づくものか。心の鬼

が(邪推)見知りの人目を厭って、わざと横町に道を避けて見られないようにする気遣

いしても他人には何とも思われず、すれ違って目が合ってもはっとするのは自分だけ、

わかってか本当に見忘れているのか知らぬ顔で行き過ぎてなでおろす胸にもむらむらと

感じるのは人情とはなんと薄いものか、吉野紙のように薄く見え透いた世の中だ。と

いって声をかけられれば身の置き場もないので声をかけて欲しくはないが、それでも

人情があるというものだ。声をかければ袖を振り切ろうとする構え、あざけるように

尻目にかけられることも悔しいがそれはひがみというものだろう。召使や出入りの者も

指折れば少なからずいるのだが誰一人として相談相手になろうと名乗り出る者はいなか

った。豊かだった時は親戚面をして押しかけて、幾代先の誰に何の縁があったとかない

とか、猫の子の貰い主までが実家のようにやってきて追従したものだ。槌(打ち出の

小づち)で掃く(金を振り出すので)庭石の周旋を手始めに引き込む工夫算段、そろば

んをはじけば知れているような割に会わない品にいくら上乗せしているのやら、上前は

懐中に入れ、ぬくぬくと絹物づくめなのは誰のおかげかとも思わず、おかげさまで建ち

ましたと空拝みした新築の二階建て、その言葉は三年先のアホウドリ(意味不明)か、

今の零落を高みから見下して大体意気地がなさ過ぎたのだと言ったとか、酷だと思うの

は心柄のせいで他人が聞けば適当な評だと言うだろう、分家に等しい新田にまで謀られ

るほど油断があったのは家の運の傾く時だったのだ。

 しかし憎いのは新田の娘、美しい顔に似合わぬ心、おそろいの紫袱紗(教科書を包む

のに当時流行った)で小学校に通っていた頃、年上の生徒とのけんかに負けて無念の

こぶしを握る自分と一緒に涙をためて悔しげに相手をにらんでいたこともあったのは

無心だった昔。自分は生まれつき虚弱で、軽くかかった風邪でも十日も二十日も新田を

訪問できなくなる。とあちらでも病人が出る、心配で食事ものどを通らずお稽古にも

行かないので、お前様一人のご病気で二人の病人が出るのですよと女中たちに笑われて

嬉しく聞いたものだった。今思えば取り立てて言ったのかしれたものではない。先日

錦野の玄関先で出会ったとき、美しく装った姿に自分からは言葉をかけられなかった

が、黙って通り過ぎたのは不埒ではないか、落ちぶれた身とはいえ許婚の縁は切れては

いないのにそのつもりなら立派にさっぱりと切ってやりたい。切れると言えば貧乏所帯

カンテラの油は今夜持つだけあるのだろうか、ただでさえ不自由にしている両親が

燈火が無くてはさぞお困りだろう、早く帰って様子を知りたいが、この客は気の長い

お方でまだ車代もくれずにいつまで待たせるつもりだろう。といって催促するわけにも

いかずどうしたものかとのぞいてみると、奥から廊下を歩く音がしたので顔を赤くして

思わずまた陰に入った。思えば待ちたいような待ちたくないようなことだ、車代を持っ

てくるのが万一知った顔の女中だったらどうしよう、言葉をかけられたらなんといえば

いいのか、恥の上塗りはしたくない、車代など知れたものだからもらわなくてもよい

このまま帰ってしまおうか、いやそれが欲しさにこの雪の夜に何時間も立っていたの

だ。恥も外聞も親に変えられるものではない。出てくるものなら誰でも来い、この姿に

何の見覚えがあるものかと自問自答していると、女中が金切り声で「池ノ端から来た

車夫さんはお前さんですか。」