樋口一葉「暗夜 二」

                   五

 行こうと思い立った直次郎は一時も待てず、弦を離れた矢のようにこのまま暇乞いを

と佐助を通じてお蘭に申し上げると、とてもではないと驚いて「鏡を御覧なさい、まだ

そのような顔色でどこへ行くのです、強情は元気になってからなさい。病には勝てない

のが人の身です。そのような気短かなことを言わずに心静かに養生をしなくては。最初

に言った通りこの家は心置きなく遠慮もいらず斟酌も無用、見直すくらいの丈夫な人に

なってくださったら嬉しいのです。袖すりあうも多生の縁と聞きますが、仮住まいでも

十日も見慣れたらよその人とも思われない、帰る家もないとの一言も気がかりです。

また悲しい境涯をさまようようになるのではないですか。私も見た通りの有様、荒れて

行く屋敷の末はどうなることか、同じはかない身に思われていよいよ心配なのは浮世の

波にもまれて漂って来た人の身の上です。女では力が足りず相談の甲斐はないでしょう

が、あなたと同じ心を満ち足りた世間の人よりも持っているのですよ。私に遠慮がある

なら佐助もそよもいます。年波寄っているだけに経験を積んで世渡りの道も知らぬこと

はない、それこそ相談のご相手になりましょう、家は化け物屋敷のようだけれど鬼の

住処ではないのですからそのようにおびえないでください」と少し笑いながらお蘭様が

言うのは、自分を意気地のない、くだらない奴と見て嬲っているのだろうか、本当に

自分はここを離れてはどこへ行く当てもなく、道で倒れても誰も助けてはくれずその

まま行き倒れだろうとわが身の弱さに心も折れて、直次郎は恥ずかしく思いながらも

初めの勢いに似ず、どうしてもとは言わなかった。

 老夫婦はお蘭の言葉に何倍も重ねて「もう少し体が確かになるまで二人で願って止め

ようと思っていたのに、お嬢様からそう言ってくだされば天下晴れての居候だ、肩身を

広く持って思うことをして、ここを助けて手伝いも大いにしてくれ、若者がぐずぐずと

日を送るのは何よりも毒なのだから」とできそうな用事をかれこれとあてがって家の者

のように扱えば、それに引かれて決まりの悪さも薄れ、一日二日、三日四日、ではお言

葉に甘えてとは言わないが、次第に根が生えて何とはなく日を送っていた。

 これほど広い屋敷なので手入れが行き届かず木は茂りに茂り、季節柄夏草も所を得て

広がり、忘れ草忍ぶ草はいうまでもなく刈るのもうっとおしい雑草の茂みをたどって

裏手に回ると幾抱えもある松の枝が大蛇が水に向かうようにうねっており、下枝を濡ら

す古池の深さはどのぐらいだろう、昔は東屋が建っていたという小高い岡は今も名残り

をとどめているが、真屋(東屋より格式の高い建物)の跡は浅ましいほど荒れており、

秋風が吹かなくても夕日が傾く夕暮れなどには、思ってはならないような怪しい心を

呼び起こすような見渡す限り荒れ果てた屋敷に、ただでさえ沈みがちの直次郎、明け

ても暮れても淋しい思いが満身を襲って、ますます浮世から遠ざかるようだった。

 月があってもなくても風情があるのが夏の夜、この屋敷も月の夜。京の五条辺りの

軒先ならば夕顔が華々しかろう。お蘭様の居間というのは廊下を幾曲がりも遠く離れ

て一人物思いしているのだろう、呼んでも答えても松風の音にかき消される奥の、その

また奥座敷である。

 直治は老夫婦と共に玄関に近い所にいるので、一家の内にいながらも隔たりが生ま

れ、病気の時とは違い打ち解けてものを言うことも少なくなり、佐助とおそよはお嬢様

を神のように奉り大事に大事に、自分の命を捨ててもという忠義振りなので、ただただ

恐れ謹んで、今が盛りの美しい花を散らさないよう、手折られないよう周囲にしめ縄を

張って垣根の外からお守りしているかのよう、慣れたり睦んだりしないので直治もいつ

しかそれに引き入れられて、自分は対等な食客でありながら主人のように思うように

なった。月夜の納涼だと言ってうちわ片手に世間話をしたり、昼の暑さを若竹の葉を

なびかせる風で払って声高く蚊遣りの煙を空になびかせるような軽々しい遊びもしない

ので、お蘭様の人となりもこの家の素性もただ雲をつかむように想像するだけで、虚実

はともかく佐助やおそよの話によると、松川何某という財産家が投資に失敗し栄華の夢

が消え果てて、残ったのはお蘭様の身一つと、痛ましくも負うに余る負債があってこの

屋敷もすでに人のものであること、わずかこれだけを知ったばかり。

                  六

 庭に置く朝露を連ねて吹く風の心地よいある朝早く、お蘭様はいつもより早く起きて

きて「今日はお父様の御命日なので花は私がとってお供えします」と花ばさみを手に

して庭に降りたので、「撫子なら裏の方が美しいですよ」と直治も後に続いた。

 いつかは聞こうと思っていたこの家のことをお蘭様の口から聞けるかもしれないと、

直次郎はいつになく気軽に声をかけるとお蘭様も機嫌がよく、百合や撫子をとった後も

自分の庭ながら珍しそうに見て歩く。嬉しくなって直次郎は何げない様子で「この花は

お父様にお供えするのですね、おいくつでお別れしたのですか」と聞くと「あなたも

早くからの独り者だとか、私によく似ていますね」とほほ笑んだ。「この坂を下りて

あちらへ行って休みましょう、疲れては話もできませんから」と言うので「ではお帰り

になりますか」いえ、もう少し遊びましょうと苔で滑りやすい小道を下ろうとするの

で、危ないですよと声をかけると「申し訳ありませんが肩を貸してください」と寄って

きて坂を下った。

 下りてきたのは例の池の岸辺、平らな切り株の上の塵を払って「ここにお休みなさ

い」と言うと「嬉しいこと、弟の世話になっているようです。あなたもここで休むと

よい」と半分譲ったが、もったいないことと直治郎は前の枯草にうずくまった。

 「あなたも早くにご両親が世を去ってしまったとか、私も母という人の顔を知らず

父の手一つで育てられましたので、恋しさや懐かしさを一段と覚えるのです。普段は

ともかくゆかりある日にはことさらに思い出されて、紛らわそうと思ってもできないの

が今日の命日です。あなたにも覚えがありましょう」と言うので直治もその通りですと

涙ぐんだ。「お父様は何年前にお亡くなりになったのですか、あなたのお父様ならば

まだお若かったのでしょう」と聞くと「いえ若くはありませんでした、お別れしたのは

八年前です。夢のようにはかない別れでした」と言うので「では急なご病気だったので

すか」と聞くと、「病気どころか。私の父はこの池に身を沈めたのです」

 驚いて青ざめた直治の顔を見下ろし、お蘭様は冷ややかな目元に笑みを浮かべて、

「水の底にも都があると歌を詠んで帝を誘った尼様の心(平家物語)はわかりません

が、父はこの世のつらさに飽きてどこでもよいから静かに眠るところを求めたのでしょ

う、表は波が騒いでいるように見えますが、底に行けば静かでしょうから。世がつらい

時の隠れ家には山も海も物足りず、この池の底だけが住みよいのでしょう」と静かに池

の表を眺めている。松の梢に吹く風の音が高くなり、やがて池にさざ波が立ち草も騒ぎ

背後が気になるような不気味さだが、お蘭様は立とうともせず「直治はなぜそのように

かしこまってばかりいるのですか、私ばかりでなくあなたも何か話して聞かせてくださ

い」と言われてもますます言葉に詰まってうつむくと、「困った人、女のような方です

ね」と笑われて、まだ消えない恐怖が顔色に出ているので笑われるのだ、自分の意気地

なさに比べてどれほどの強い心を持てばこのように落ち着いて平気で話を続けられるの

だろう、自分は聞くだけでも肝が冷えたというのにと黙って顔を見つめると、思いなし

かさすがに青白く見える。

 「でもこの話は誰にも言わないでください、口さがないのは世間とはいえ親のことな

ので悔しいですから。あなたもこれを知ってここが嫌だと思うようになりましたか、

では話すのではなかった」と少し色をなして言うので、「とんでもない、どうしてその

ように思いましょうか、ましてや口外するなど夢にもご心配くださいますな」と答える

と「弟のように思ったので心の底を聞かせてしまったことが恥ずかしい、聞き流して

ください、では行きましょう」と立ち上がったので、「花をお持ちしましょう」、いえ

それよりも手助けをと例の脇道にかかると白い美しい手を直次郎の肩にかけて「小柄に

見えますがさすがに男の人は背が高いのですね、あなたはいくつでした、十九はたち、

私よりもずっと年下でしょう、私がいくつに見えますか」「一つ二つ上でしょうか」

「とんでもない、もう枯れるといわれる三十に近い二十五ですよ」と言うので「本当で

すか、なんとお若く見えるのでしょう」と言うと「ほめているのですか、けなしている

のですか」と顔を赤らめた。

                  七

 女は素直で優しかったら十分だ。変に気骨を持ってしまってはよいことなどない、

浮世の逆風に当たって、分かれ道をこちらへ行くという決心した当時、不運のあおりに

炎はあらぬ方向へ燃え上がり、お釈迦様孔子様両方から手を取られてご意見されようと

も、無用の御談義、聞きませんと首を振る目に涙をたたえていてもそれは見せないこぼ

さない、これを浮世では強情我慢(人の意見を絶対受け入れない)という。天から与え

られた美しさは顔ばかりでなくだけではなく姿も整い人柄も見事、人の妻となったら

非の打ちどころもない潔白無垢の身であるのに、はかないのはお蘭の身の上だ。

 天地にただ一人の父を失い、しかも看病をして医薬を与えても天寿となれば諦められ

るが、世間から山師のそしりを受けたまま、あるべきことか自分から水底の泡と消える

とは。その原因はといえばさすがにお天道さまが無差別(公平)だとは言えないが、口

に正義の髭を付けた立派な方に本当の罪があるのに、手先に使われた父の身は哀れ露払

い(先導)であったのだ、毒見の膳に当てられて一人犠牲になったからこそ残りの人達

は枕を高くして春の花の夢を見ている。それほど恩のある人の忘れ形見に少しは情けを

かけてもいいものを、荒れていく門前に馬車の音は絶えて、行くのも恐ろしいとの噂、

汚いものは人の心。巫峡(長江にある困難な渓谷)に浮かぶ木の葉船のようなお蘭の

悲しさ怖さ悔しさが乙女心に沁み込んで、それならば私も父の子だやって見せよう、

悪なら悪でよい、元々善とはいいがたい素性の表面を温和に包んでいざ一働き、倒れて

止めばそれまでだ、父は黄泉路から手招きしている。九品蓮台(極楽浄土)ほど上等で

なくてもよき住処はあちらの世にもあるだろうから夢路に遊ぼうと決心した。これは

物好きな浮かれ心ではない、涙を胸に忍んで片頬で笑みつつ毎日見上げる軒(の釣り)

忍の露は哀れ風流とうそぶく身が人知れずこの内にある。

 しない方がいいのは恋、色ある中にしのぶもじずり、陸奥にあるという関の人目の

途絶えを侘びるのは優しい、懸けつ懸けられつ釣り縄の苦しきは欲からの間柄なり。

   みちのくのしのぶのぢずり誰ゆえに 乱れそめにしわれならなくに

    陸奥のもじずりの柄は誰のせいで乱れているのだろう 私のせいではないのに

     あなたのせいで私の心は乱れているのです。

   みちのくにありといふなる名取川 なき名とりてはくるしかりけり

    陸奥にあるという名取川 無い名が立つなら苦しいだろう

     根拠のない浮名を流されて苦しんでいます。

   伊勢の海の海人の釣り縄うちはえて くるしとのみや思いわたらむ

    伊勢の海の漁師のたぐる釣り縄のように 長く苦しむのでしょうか

     いつまでも実らぬ恋に苦しむのでしょうか 

 一人が真の心から慕っても寄り合わなかったらこれも片糸の思いである。

   河内女の手染めの糸を繰り返し 片糸にあれど絶えむと思へや

    河内女が繰り返し染めた丈夫な糸なので 一本でも切れないことでしょう

     私の片思いは一生続くのでしょう(片思いでもあきらめませんという意味

    らしいが、葉の心情を思うとこっちかな)   

 番町に波崎漂という衆議院で美男と評判の年若い議員がいた。近隣県から選出された

当時、騒がしかった世間沙汰(選挙違反)も世の習いなので傷にはならなかったが、

秘密は松川との間にあって、今日の財産もそこから出たとか、松川が生きていた頃の

水魚の(親密な)交わりを知らないものはなく、よい婿を得たと漏らした言葉を聞いた

者もいるが、浮き雲覆ってすなわち暗し扶桑(太陽)の影、なかったと言えばそれまで

だ。外国を渡り歩いて年月を経て帰ってきたときにはその人はすでに亡くなっていた。

今日の風で昔の塵を払って、またぞろ釣り出すのはその筋のゆかり(昔をなかったこと

にして政界に戻り)官僚風とやら女子供の知らない香りのする党には、駙馬の君(貴人

の婿)にとの要望も多く、演説上手で人を感動させるとのこと。それもそのはず口車が

うまく回るからこそ、もしもに引かされて二十五の秋までお蘭の一人寝の枕の、眠れぬ

夜の行方となったのだ。

 誰のために守った操か、松の常盤(永遠に待つと)も結局は甲斐なく捨てられた。

つくづくと観じたのは「もう浮世はいやだ、墨染の袖(尼)となる嵯峨野は遠いがここ

で世捨て人になることはできる、しかし憎いのは男心、不名誉に甘んじながら平然と秋

の色を独り見て、悟ったそぶりで仕方なく諦めるのはいやだ、狂って一世を闇(わが身

を犠牲)にして、首尾よく千載の後まで花紅葉床しの(長い年月を花よ紅葉よと遊び

暮らす)女になりおおせるか、千載でなくても一時の栄華を楽しみ末は野山の露と消え

てもよい、我ながら夜叉のような本性が恐ろしいが、こうなったのは波崎のせいだ、

 (かくなりゆくはこれまでの人なり:今までの自分なのでもう違って、となると後の

 文に続くのだけれど)

悔やむまい、恨むまい、浮世は夢」と恋がきっかけの浅ましい観念、恐ろしいのは涙の

後の女心。

                  八

 この夏も終わり、秋も萩の葉が風にそよぐ頃は過ぎた。松川屋敷の月日はどう流れた

か。お蘭様や佐助夫婦、直次郎に変わったこともなく、ただ熱心だった医学の修行への

望みが絶えたことだけがこの男の変化であった。

「なんとしてもやる、骨が砂利となってもやる、精神一倒すればできないはずはない、

自分も男なら言ったことを後には引けない、今までも村の奴らに散々侮られ、都へ出て

も軽蔑されて何もできない者だと貶められたのだから尚のこと、見事通して見せなけれ

ば骨も筋もない男になります、私がそのように見えますか」とこの話が始まる時は青筋

を立てて畳をたたくので、「なんと身の程知らずな男、医者になるのは芋や大根を作る

のとは違うのだ」と佐助は真っ向から強面で意見し、とてもできないことなどよして

しまえと言う。お蘭はそれをじっと聞いて「かわいそうに叱らなくてもよい、それほど

思い込んでいることならできないとも言えないでしょうが、増えたり減ったりは世の

習い、人もずいぶん多くなって年ごとに難しくなるでしょう、しかも学費の出所がなけ

れば一段と難儀、それを精神一倒というかもしれぬがお前の宝の潔白とやらは今の世で

は役に立ちません、このようなことは言いたくないけれど丸くならなければ思いを遂げ

ることはできないでしょう、その会得がついたら存分に思うことを貫くとよいですが、

そのあたりが難しいのではないでしょうか」

 国を出てからこの方一途に前後を顧みず、どうしても貫くと言った舌の根を引っ込め

たくはないが、打たれ、捨てられ、軽蔑され、果ては車の車輪にかけられて一歩間違え

ば一生不具になるようなけがをした。憐れんで拾い上げてくれた大恩あるご主人も同じ

憂き世で秋風に吹かれて、門は荒れ、美しい花も散りかかる悲しい暮らし、天はどうし

ても善人の味方になってはくれないのか、我が祖父我が母我が代までも羽虫一匹殺した

こともなく、里の子犬が飢えている時には自分の食事を分け与えたものだったのに世に

敵を作って憎まれ、居所もなくなるようになるとは思いもよらなかった。今更世に媚を

売って一念を貫くなどいやなことだ、泥草履を持って四つん這いになって追従するなど

とても辛抱できない、それで成り上がって医は仁術などともったいぶるなど汚いこと

だ、もうやめてしまおう、やめるべきだ、思いを断ってしまおう、私は浮世の能無し猿

にはなっても汚い男にはなりたくないと清く断念し、二度と口から出さなくなった。

 行くところはなし、世間は敵、夢を空に帰してこれから自分はどうしたらいいのか、

やるせない身の捨て所はどこかと聞けば、垣根は荒れて庭は野となった秋草の茂み、嵐

にさらされる女郎花のようなお蘭様の身の上が愛しいと思う、もともと自分は愚かだ、

お蘭様は女でありながら量りがたい意志をお持ちで自分のような弱虫ではない、強いと

は言っても頼む人のない孤独の身、大木が倒れるのに一本の細木で何として支えよう、

佐助もおそよも主人に忠実で身を捧げてはいるが、自分から見れば到底難しい、吹けば

飛ぶような花を覆うには狭い狭い袂、この人たちには前代からの縁があり、自分は昨日

今日の恩ではあるが、情の深さに年の長短はない、口はばったいが私はお蘭様に命と

いうこの一言を誓いとして浮世の様々を思い切ったので生死は主の心のままと、口には

出さないが様子に現れている。

 人の心はおもしろいもので、直次がお蘭を思うほどに佐助夫婦が直治を憐れむ気持ち

は薄れて行った。見ず知らずの男を連れ帰って介抱した親切は真心からで、今もそれが

衰えたわけではないが、一にも二にもお蘭様と我がもののように差し出た振る舞いに、

「なんと道理のわからぬ男だ、産湯の昔から抱いて育てたわしでさえ心に思うことの

半分は言わずに仰せに従っているのが礼儀というもの、宿なし男の行き倒れを救われた

恩を忘れてわしらのお嬢様の弟顔をする憎らしさ、あのような奴には真っ向から言わな

ければわからない」とつけつけと憎まれ口をはばかりなく言うようになり、ともすれば

年甲斐もなく争いの火の手も上がる始末、どちらにも軍配を上げられないお蘭が一人

気をもむようなこともあった。