樋口一葉「花ごもり 一」

                  一

 本郷のどことか、丸山町か片町か、柳や桜の垣根が続く物静かな所に、広くはないが

小綺麗にして暮らしている家があった。当主は瀬川与之助という昨年の秋、山の手に

ある法学校を卒業して、今はそこの出版部とか編集局とか、給料はいくらほどになるの

か、静かに青雲の暁(青空の朝=出世)を待っているらしい。五十を過ぎた母のお近と

お新と呼ばれるいとこは与之助より六歳ほど下の十八歳くらい、幼い時に二親を亡くし

てはかない身一つ、ここで養われている。この三人暮らしである。

 筒井づつほど古くはないが、振り分け髪の幼い頃から親しんでおり、

   筒井づつ筒井にかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹見ざるまに

    井戸囲いの高さに足りなかった私の背丈も 

     あなたを見ない間にそれを過ぎました

   くらべこしふりわけ髪も肩すぎぬ 君ならずしてだれがあぐべき

    比べ合ったおかっぱ頭は肩より長くなりました 

     あなたのほかに誰のために結い上げる(結婚)というのでしょう   

 どちらも兄弟ががいないので睦まじさはひとしお、お新はまして女の身で世の中に

友達も少ないので、与之助を兄のように思って、安心で嬉しい後ろ盾だと頼みにして

いる。「風がふいても波が立っても、与之助さまがいるのだから大丈夫」と頼る心が

哀れでかわいく、「この罪なく美しい人をおいて、少しでも他に向ける心があるのは

我ながらよくないことだ」と与之助には思うところがあった。

 お近も八歳の年から手塩にかけているので、自分の親族ではないが憎くはなく、

「二人の願いが同じなら一緒にさせて、二人の喜ぶ笑顔を見、二人の嬉しい素振りを

眺めて私も嬉しい一人になりたい、今まで思い描いた望みはすべて夢と思い切って、

いくらもない老いらくの最後をこのまま優しいおばあさんとなって送れば、お新はどれ

ほど喜ぶだろう。与之助も私をひどいとは思わないだろうが、かわいそうなもう一人の

方が涙の床に起き伏しして悲しく闇をさまよっていると思うと、どちらにせよ恨まれる

のは私だ。天から降ってきたかのような得難い幸せが目の前に湧き出したというのに

それを取らず、はかない一筋の情けに引かれたら恨みは私に残り、得難い幸せは空の

どこかへ行ってしまうだろう。与之助が女々しくて未練がましいのはまだ若いから。

目の前の花に迷って行く末に心配がなければいいが、私が一緒になって心弱くなって

しまっては、つらい浮世で成り上がる道を失い、塵の中でうごめくだけのつまらない

人生になってしまう。親子夫婦睦まじいのが人間の上乗(最上)の楽しみというが、

それはほかに望みを持つことがなく、自分で足りる人の言葉だろう。

 心は彼の岸(涅槃)をと願っても中流(煩悩)に竿さす船に寄る岸辺がなく、波に

漂う苦しさはどれくらいだろうか。自分は賢いと決めて人を頼まぬ思い上がりは、ちょ

っと聞くには尊くもあろうが、ついに何かをなすことはないだろう。玉と瓦を見分け

られなければ、恨みを骨に残してその下で泣くこともある。今は潔くないだろうが、

小を捨てて大につくのは恥というほどではない。この頃名高い誰それ、奥方の縁に頼っ

てって今の地位を得たと言われている、これを卑しいことだとそしる人もいるが、心浅

いことだ、男一匹にどれほどの傷がつくというのか、草に隠れてこぶしを握る(貧しい

暮らし)意気地なさよりも踏むべき懸け橋に頼って、雄々しく、猛く、浮世の舞台で

栄えある働きをする方がおもしろいだろう。

 お新など取るに足らぬが与之助の立身の機会はひとたび失えば次の日が来るかわから

ない、私は少しも優しさや脆さなど人並みの女の心を出すべきではない、今まで親しん

だ仲で互いに思うことも同じ、傷のない玉のような不足ない二人を鬼となって別れさせ

る心がどうして嬉しいものか。私だってわかっている、お新の乙女心は何の心配なく

はるかな嬉しい夢を見ているし与之助はなおさらだ。私の心に何が住んでいるのかも

知らないで、母の懐で乳を探っているような気持ちでいるようだが、たちまち目覚めて

驚き、恨みの言葉極まり、泣くにも涙も出ないだろう、世の中は罪深いものだ。

(お新の心を)汲むことができる私の心一つ、ひそめた眉を笑顔にして、平和な春の風

を家内に吹かせることもできるが、我が瀬川の家のため、与之助の将来のために、時の

運が我が子を迎えようとしているのだから、わかっていても私は敵となって、かわいい

娘を涙の淵に落としましょう。

 お新にはお新の運があって、与之助に連れ添う一生の喜びの願いはここで絶えても、

しかるべき縁があってしかるべき幸せも巡ってくるだろうから、私がお新のことを思う

ことはない、かわいいからといって、いじらしいからといって、振り返って抱きあげる

のは一時の親切でしかなく、結局右左に分かれて生きる運命ならば、私の一日の情けは

与之助に一日の未練を与え、もう一人の方の物思いの数を増やし、そのご両親が(子供

のために)闇に迷う悲しみを増やすほかに、いいことは一つもないのだから、鬼となろ

うと蛇となろうとつれなく憎い伯母となって、与之助の心をあちらに向けるようにする

のは私の役だ。嬉しい迎えが私の足元まで来ているのだからと、お近は瑞雲(幸運)が

我が家の屋根にたなびいているかのような思いに駆られて、八字の髭(政府高官となっ

た姿)で威厳の備わった与之助が、黒塗りの車に乗って栄華を誇る面影までありありと

胸の内に描いていた。

                   二

 世の人よりはるかに柔らかく、穏やか過ぎる夫を持って、万事がもどかしく歯がゆか

った年月、さすがに女の身で自分の考えを押し通せず、空しく胸の内に納めていた思い

はなかなか消えるわけもなく、ともすれば燃え出でて抑えがたい炎に身を焼いていた。

お近の願いは富士山の峯の上へと立ち上り、身は望みの夢の中にいるようだった。

   富士の峰の煙もなほぞ立ちのぼる 上なきものは思いなりけり

    富士の煙よりもなお高く上る、果てしがないのは私の思いです

 同じ身分の人々から見れば、優しく素直で勉強家と言われる子供を持って、姪とは

いっても娘に等しいお新が朝夕にいたわり仕えて、ゆくゆくは楽隠居様といううらや

ましい身の上なのに思い上がった心にはこの楽しみがいかにも小さく、取るに足らない

事のように思えて、与之助が自分の産んだ子でないかのように、一通りの働きをする

だけで世に抜きん出ようという考えもないことが恨めしく、

 「望みは高く大きく持ちなさい、落ちて流れて流水の泡となっても天命ならば仕方が

ない。垣根のひょうたんのようにぶらぶらとして、卯の毛の先ほどにも傷つかないで

五十年の生涯を送って何がおもしろいのですか、一人に知られるより百人に、百人に

知られるより万人の目の前に顕して、不出来も失敗も功名も手柄も、相手がたくさん

いる晴れの場所で取るべきです。人の読むべき本を読み、人の言うべきことを言い、

人の行いの跡を踏んで、糸で繰られる木偶のように、自分の心というものを持たず、

意気地なくつまらなく、失敗もなくそしられもしない人生など男の身として本意では

あるまい、事に挑むに母がいると思ってはいけない、家があると思ってはいけない、

取るべき道なら大きい方を向いて進みなさい」と常々言っていた。

「花に浮く露の恋(他愛ない色恋沙汰)とは何のことだか、ばかばかしい」と言いそう

なお近が、与之助に焦がれる故に命も絶え絶えになっているという取次ぎを聞いて、

この頃明け暮れに思いを砕いているのはこのような理由だった。花を散らす風などここ

では悲しくもないが、それよりも嬉しい使いがこの恋に乗ってやってきたのだ。父親は

有名な某省の次官、家は裕福な田原何某の愛娘ということだった。

 移り行く人の心にとらわれない花、今が春だと知った顔でほほ笑み始めた垣根の梅、

その一枝二枝を折って、お新は仲の良い手習いの師匠の所へ清書を直してもらいに、

伯母や与之助に挨拶してしとやかに出て行った後、たばこの煙のように晴れ晴れしない

思いでお近は茶の間の火鉢から離れて、三畳の小座敷に何の本か文机に広げたまま、

梅が香る窓の外を眺めながら、読んでいるようにも見えない与之助のそばに、灰がちに

なって肌寒い火鉢の火を掻き起して、自分で持ってきた座布団に悠然と座を構えて何か

言いたそうな素振り、また例の話かと聞く前からうるさそうな顔つきになったのを

見て、

 「与之助、お前はまだ子供ですね」と少し笑いながら近づいて、

 「まだ思案がまとまらないのですか、お前の胸一つで答えは嫌か応かの二つだけなの

だからどちらにでも決めて母の胸を安心させてください。親だって指図すべきではない

ご縁のことだから、無理にもと言っているわけではなし、嫌なら嫌で誰に遠慮のいる

ものではない、きっぱりと言ってよさそうなものだ。母はどちらが好きでも嫌いでも

なく、お新は幼い時から手元に置いていたとはいえ何か誓いがあったわけではないから

取り分けかわいいとは思っていません。まして田原の娘は会ったことも見たこともない

のだから、こちらに加担して是非にも嫁にと願う道理もない、ただ行く末を案じて、

明け暮れ胸を痛め思い悩んでいるのはお前の、かわいい大事な体ただ一つ。父様が早く

亡くなってしまってから知っている通り親戚はうるさいばかりで、力になってくれる人

はいなかった。望みは雲の上まで昇っても甲斐のない女手では学士様の称号も取らせる

ことはできず、さらに少なからぬ借金を身にまつらわれる苦しさ、そしてお前の行く末

を思えば楽しい夢を見る夜は少なく、眠れぬ毎日は歳を取ると殊につらいものです。

田原のこともはっきりしない筋からで、仲立ちの女も好きではないが、運は目には見え

ず天機は私たちには計り知れないことなので、年来願ってきた思いが叶う運が来たのだ

と愚かな母の胸に感じたから言うのです、無理にとは思わないでください」

 「もともとお前のためを思ってなのですから嫌と言われればそれまで。人の心は一つ

ではないのだから、危うい浮雲に登らなくてもあばら家に差し込む月を肘枕で眺めて

  蔬食を飯し水を飲み肘を曲げてこれを枕とすれば楽しみまたその中にあり(論語

自分一人が楽しければそれで事足りるということなら、母もその心になって高みを

願った今までを夢とあきらめて、二間三間の借家を天地と決めて洗いすすぎに、繕い

物、老眼がかすむ六十七十を孫の守りをして暮らすのもよし、どうなのですか与之助、

お前の胸の内は」と静かだが底にものある言い方なので癇に障り、

 「おかしなことを言いますね、私にはまったくわかりません、お手一つで育てていた

だいた厚恩の並々ならぬことを承知で、及ばぬ心に鞭打とうというのが朝夕の願い、

しかし縁にすがって舅の袖の下に隠れ、立身の懸け橋としようなどとはかけても思いま

せん。未熟ながら自分のことは自分でしたく、この綱がなければ世に立てないかのよう

なご心配はご無用です」ときっぱりと答えたので母はその顔をじっと眺めて、

 「やはりそうですか」とため息を漏らした。

                   三

 「それは本当ですか、何と幼い料簡でしょう。だからこそ母が行く末を案じて亡き後

までを気遣うのはそのためです。浮世を机の上の夢に見て、重いものは六寸の筆より

ほか持たず、本に読まれて自分の心がないのだから道理でしょう、その考えで生きて

行っては事が成就するのはどれだけつまづいてからになることか、東照宮様のご遺訓に

重荷を負って遠路を行くがごとしとありますが、おそらく半分も三分の一も行かない

うちに投げ出して、困ったことになるのですよ」

 「自分のことは自分でするとは立派なお言葉だが、聞きなさい与之助、お前程度の

学識は広い東京に掃くほどいて、塵塚にさえごろごろあることでしょう。誰もが立身

出世の望みを持たないものはなく、それぞれ出世の向きはいろいろあるだろうが、名を

上げ家を興そうというのは誰もの考え。お前が思うように一筋縄に願いが叶うのだと

したら世の中は悪人の巣となり、闇夜に鉢合わせたら大変だ。十分の九は屑で、心が

広く手段の上手な人だけがその一部の利を占めるのですよ。大と小との区別がつくなら

田原の婿になるのが恥などとは言える訳がない。その袖に隠れて操られると思うから

悔しいでしょうが、自分のための道具に使ってこれを足場にすれば何が恥ずかしいので

すか。かえって愚かなことですよ、非難は称賛の裏返し、村雀(世間)のさえずりが

いくらかしましくても、垣根の騒ぎは天上には届きません、雲を蹴り風に乗る大鵬

(英雄)の姿こそ素晴らしいではないですか」

 「例えを近くに、私ども女同志を見れば、かの田原様の奥方は祇園の舞妓で家柄は

はるかに劣った人だとか、普通なら前掛けと襷は離さず(働き通し)に井戸端で米を

洗い、勝手で菜切り包丁を持つ身ですよ。それが卑しい仕事から成りあがって、あの

髭殿を小さい手の内に丸めて、奥方にさえなりおおせたらたら、そしりは物陰に隠れ、

名前は公の席にも高くなって田原夫人を並び書いても爵位あるどの奥様にも劣りませ

ん。慈善会、音楽界で名前は聞いても見ることもないような人もいる中で幹事とか何

になったとか。まだそれは小さな仕事、事あるときには恐れ多い御前にも出るのです

よ。私たちから比べたら空に流れる天の川と、土に埋もれるどぶ川ほど違います」

 「浮世に幅が利くとはこのことです、小さな貞婦孝女などとうとう表舞台に立つこと

もない、死んだ人をあげつらうのはよくないけれど、お前の心根は父様に似ています。

自分で立つという心は美しいですが、人も世も一包みにする度量がなければ小さな節

(自分の心)につながれてわれとわが身を無駄にするのです。それはまだしもさっき私

が言ったように、何事も起きない憂き世に望みを捨てて、苔に降る雨をあばら家の軒先

で楽しむようなのどかな月日を送るのも、それはそれで面白いでしょうが、悲しいのは

どっちつかずの人だ、隙間風が吹く霜の夜、薄い着物で妻子のことを考えたらしみじみ

と身に沁みて一日も半夜も心安らかではないでしょう、身は汚れていないつもりで、

汚れた人に使われて、わずかな月給で日雇いと変わりないような仕事をして、短い人生

を月も花もなく終わることはお前だってわかっていることではないですか」

 「だからいくらお前の心根が清く尊く美しくご立派に聞こえてもしていることは父様

の二の舞で笑止、小さな結構人(お人よし)で終わるだけ、そう言ったら腹も立つで

しょうが、母はお前のためを思うから腹を立て、怒るのです。もうはばかりません、

もしお前の望みの判事の試験に首尾よく及第して奏任官の端くれに連なったとしても、

幾年も田舎回りをし、その上いろいろな規則に縛られるのだから、花の都で名を上げて

世間の耳目を集めるようなことなど、ないという保証の印をしかと捺しても間違いは

ない。一生を秤にかけ、物差しで測ってみればこれほど限りある図の中で、身は目に

見えない綱につながれ、人の言葉を守り、命令に従って働き、功績が後に残ることも

なく、死んだら知己に弔われて子孫に祀られるだけが区別で、犬猫とさほど変わりな

く夢と暮らして煙と消え、それでお前は満足か、夢ならば弥勒の世(この世の終わり)

までを夢に包んで、嘘も誠も美も醜も一飲みに飲みつくして、この世の中に高く飛ぼう

という気はないのか、どうなのです与之助、返事がないのは不承知か」

 「悔しい、我が子を思う半分も理解せず、お前はまだほんの少しの情に引っかかって

いると見える、その愚かな性情を知らずに思いを砕いたのは私の間違いだ、今はもう何

も言わないがお前の勝手だ、お新のための女々しさではないなどとは言い訳、これに

引かれる心でなければいつか一度は持つべき妻の、口約束など何が大事か、田原に不足

などと言えるはずがない」と責められて与之助は、自分を馬鹿にした母の言葉にかっと

して、「嫌です、田原もお新もいや、全て気に入りません」と幼い頃のわがまま、強情

を張った時の面影そのまま、せっかくのお近の談義をもみくちゃにしてしまった。