樋口一葉「花ごもり 二」

                   四

 これは瀬川様ようこそ、と玄関に女中の高い声を耳ざとく聞いて、膝に寝ていた子猫

を下ろし読みかけの絵入り新聞を茶箪笥の上に置き「お珍しい、何の風に吹かれていら

っしゃいました、谷中への道は忘れてしまったかと思っていましたのに」と、障子の内

から美しい声がする。「西北か南、天気予報にもなかった癇癪のもやもや雲が湧き上が

ったのでお辰様の扇で払ってほしく、こちらにまかり出でました」と、与之助がいつも

に似ずおどけたことを言ったので、お辰は立って迎えながら、「だいぶご機嫌ですね、

梅見のお帰りですか、橋本(料理屋)あたりのお名残のようでが、お土産がないのは

思いやりのないこと」笑うと、そんな勢いがあるものですかと与之助も笑いながら、

友禅の派手な座布団を引き寄せて火鉢の向かい側に座を占めた。「本当にお顔色がよく

ありませんね、ご気分が悪いのですか、それとも例の赤様のわがままで癇癪を起こして

お母さまをとても困らせて、足の向くままこちらにお越しになったのでしょう、どの

みちおもしろくないお顔ですね」と図星を刺されて、その通りとも言いかねた。

 昔を思わせる姥桜(年をとっても色気のある)ではないが、心惹かれる姿。元は美人

の四十女、切髪姿に被布の好みもなんとなく洒落て、夫亡き後の世渡りは昔覚えた三味

線、というとはばかりがあるので月琴の師匠をしているのがおかしい。お辰が長キセル

に一服吸って与之助に手渡しながら「瀬川様私の言ったことは当たりましたでしょう、

いい加減になさい、それでなくてもお母様のご苦労は山ほどあるのに、よい年をして

大供(子供に対して)様が髭を反らせて甘えるのは可愛いけれど、すねたりじれたりと

はなんです、お腹が立つなら寝かせておきなさい」と片頬で笑いながらたしなめると、

「意見はまっぴら、やっと逃げてきたのにここで二の矢はご免です。理屈は捨てて陽気

におもしろく、いつもの私を知り抜いているお辰様のさじ加減で、おもしろい話でも

聞かせてください」と言うと、「それは簡単なこと、春咲く墨(田川の)堤の桜より

美しく、秋の中州(隅田川にある名所)を照らす名月よりも清く、歌や舞の神様が手を

尽くす音楽も及ばない、お前様の好きな絵や歌など何のその、見れば嬉しく聞けば床し

く、癇癪も収まるような、思い出しただけでも魂がふらっとなるようなことがあります

よ」それは何ですかと聞くと、辺りにあった新聞を突き付けてほらここに、と指さした

のは新の字、わからないなあ禅僧の問答じゃああるまいしと笑うと、お辰はまじめに

なって、「真言の秘密(秘法)ですよ、この字を一目見てお胸に現われる姿は可愛い

島田に蛇腹の結び下げ、兄様この字は何と読んのですかとご本を前にかしこまった姿が

見えるはず、なんて嬉しいことでしょう」と言ってほほと笑うと、ばかなと一言苦しげ

に笑った。「冗談ですよ、お新様という幼馴染のかわいい方がいればほかにお心が向

ないのも無理ありませんが、あの方をどうするおつもりですか、お正月三日の歌がるた

でそのお美しいお顔をお見せしたのは私の罪ですが、本当の罪はどこやらのお人です

よ」と田原のことに話を変えると「その話は今日はなしにしてもらいたい、気分も悪く

頭も痛くてぶらっと家を出たけれどおもしろいところはない、ここならきっと胸がすく

ようなことがあると思ってきたのだからいじめられては何の甲斐もない」と迷惑がる

と、「赤様は猿蟹のお話でないとお気に召さないのでしょう、胸がすくようなと言った

って、そんな気の利いたもので一口(酒肴)などというところでもないですし、赤様、

これで我慢なさい」とお菓子に添えてお茶を出す、与之助の機嫌を取るのはお手の物だ

と知ってか知らずか。

                  五

 我ながらわからない心はどこへ向かっているのだろう、後にも先にも今日までに会っ

たのは正月三日、年始回りの屠蘇の酔いが目元に現われて、心は夢の中で転がり込んだ

谷中の宿に、美しい人たちが寄り合ってかるたの催しをしていた。迎えの使いをしたか

ったくらいでした、ようこそおいでと喜ばれ、若者の習いで与之助も悪い気はせずその

まま仲間入りをして源平合戦、三回組分けした三回とも一緒になったのがお辰の門下生

の中で随一の家柄の、例の田原様のご愛子お広様という、お父様に似て色は白くないが

娘盛りは番茶も出花、派手好きなお母様のお好みの華やいだ薄藤色の中振袖、八ツ口か

ら見える匂うような緋縮緬、人目を奪う着物に帯は繻珍、加納夏雄の彫金(一流)の帯

止めは瀧に鯉、はっきりした気性で言動が生き生きとしておもしろく、勝って喜び、

負けて悔しがり、わがままなのに憎からぬ人だった。与之助もそれを思い出せば母に

先ほど断ったほどには嫌ではないが男として嬉しくないこともあり、さらにお新の恨み

が気になるので胸の内にはっきりした答えが出ず、五里霧中に漂うようで、月も花も

はるか彼方にぼんやりみえるのに一緒にはできないところに煩悶が生まれ、人知れない

苦労がそこにあるのだった。といって真向からの母の意見には癇癪が起こり、ばかな

ことを、それなら自分の恋を立派に通して見せると奮い立ったのは一時のことだった。

今朝の勢いなら谷中に足を向ける筈がない。元々ここが由縁なのだから行けばその話に

なるのでうるさいからと行かなければよいのに、むしゃくしゃとして気持ちが晴れず、

少しでも苦を忘れたくその一件だけは面倒だがお辰の楽しいおしゃべりを聞きたくも

あり、もしその話が出たら頭から粉々にして巧みな言葉をどれほど並べられても知ら

ない知らないと乱暴狼藉に蹴散らしたら、いかにお辰でも閉口して二の句は告げまい

と、心構えをしたのやらしないのやら、自分にもわからない料簡で谷中の扉を叩いた

のだった。

 行く末は八重の潮路(はるか遠く)に浮かぶ大船(おぼろげ)だが、空と海しかない

大海原でも元は山路の苔の露(なので難しくはないだろう)。   

 なんとわかりやすいお坊ちゃんだと見ているお辰に何が見えたか、聞かなくてもはっ

きり与之助が迷っていることがわかったので、思っていたことを変えてお辰は田原の話

をやめた。案ずるより産むがやすし、気楽なもてなしに、日頃恐れて寄りつかなかった

自分のばからしさを笑って、母の前で起こした癇癪の雲がやっと散り、自分から話に花

を咲かせて声高く笑うようになったので時機を見てお辰は「ねえ瀬川様、人はいつどの

ようなことで苦労するかわかりません、憂き世から離れた私は今日この頃、わが身に

かかった浮き雲も大方払いつくして、心の月が高く澄むようにと願っていてもなかなか

そうはいかないもの、

   闇晴れて心の空に澄む月は 西の山辺や近くなるらん

    闇が晴れて心に澄んだ月が昇った 彼岸に近づいてきたのだろう

見る聞くにつれてかわいそうな人を知らん顔をして通り過ぎることもできず、酔狂です

が心配で体もやせて一人やきもきと気を揉んでいます。でも肝心のご本尊様がいたちの

道切で(途絶えてしまって)は困るではありませんかと睨まれて、与之助はそれはお気

の毒様と軽く済ませる言葉も出ずに、そういうことでもないがと言い訳をする。お辰は

いよいよ真面目に「弟子は子供と同じですから私も可愛いお嬢様のために早くらちを

空かせたいのですがそれでは一方的、お前様のお心も汲まなければいけません。まま

ごとの昔からお前様お一人が頼りのお新様が可愛いのはごもっとも、言い訳されるのは

おかしいけれど、そのような優しい心を喜んでいます。しかし田原様のこともそのまま

では済まされません、自分さえよければ人のことは勝手にしろというような無茶はいつ

もの御気質からして言う訳がないので、二つに迷ってご苦労されているのでしょう、

お母さまに言いづらいことでも私には遠慮はいらないのですから何事も打ち明けてご相

談ください」と、幼い子にかんでくだくように言い聞かせれば、さすがに乱暴に論破

することもできず、与之助も少し様子が変わってしばらく黙ってしまった。

 次第に自分の本陣に切り込まれて、どちらかの返事をしなければならないようになっ

たのでいつまでもだんまりを決め込まれず、思い切って与之助は「私ははお辰さんが

いつも言うように赤ちゃんなので、そのような義理立てのような難しいことはわからな

いが粋とか通とか、鶯を鳴かせた(昔もてた)人こそ奥深いことがわかるでしょう、

何とでも察してよいようにしてくださいませんか、私は小豆(幼児の)枕が相当ですか

ら」と上手にとぼけたつもりで言うと、「本当にそうですよ、海千山千の私に比べて力

負けしておかしいこと、知らないということを知りなさいとは言うのは生意気ですが、

赤様は小憎らしいまねをしなくていいのです。今後は何事も私の身に任せてお小言は

なしですよ」と言うと「万事よろしくお指図ください」と与之助はどこまでも冗談の

つもりだった。

                 六

 その次の日、お辰は田原殿へ車を走らせて何を申し上げたのか、奥方の愁眉が開けた

(悩みが晴れた)ようだった。帰るとそのまま呼び出し(商売女が書いた手紙)で人の

魂をふらつかせた昔から書き慣れている長文、書き滞ることもなく我ながらおもしろ

く、水入れの水を注いで磨る墨の跡は繊細で美しい。内容は成功を祝して「昨日は与之

助さまがおいでくださり、大変嬉しいことにしかるべく取り計らってくれと仰せがあっ

たのでただいま例の場所に参って奥方に詳細を申し上げましたら、お喜びのほどはお察

しください。お打合せしたいことがたくさんございますので伺いたいと思うのですが、

少し差し障りがあり今日明日は自由がききませんのでお運びいただきたいのですが」と

お近に送った。

 これを受け取ったお近の大喜びに呆れた与之助は、あまりのことに戯れとも思えず、

といって青筋立てて怒り出せばなおさら笑われて、茶化されるだろう、自分の言い分を

どこへもっていけばいいのか、母はもともと大賛成、望みに望むところなのでもし自分

が嫌と言い出したらお辰と同盟してどのような無理を言ってくるかわからない。あちら

こちらからくどくどと面倒を持ち込まれて長く苦境に身を置くよりも、今後のことは

また処し方もあるだろうと仕方なく諦めて、お辰の言う赤ちゃんの本領というものか、

うまうまと引き込まれたのを悔やみながら、手玉に取られて手も足も出なくなってしま

った。

 お近はもともとお辰とは気が合うという仲ではなく、亡き夫の親友の未亡人というだ

けの付き合いだった。日頃は与之助が好んで通うのを苦々しく思っていたが、この度の

計らいはどうやって口説いたのか、私の手には乗らなかったのをうまく乗せて嬉しく

順序を運んでくれたと、お新のことまで打ち明けて相談するようになった。「狭い家の

ことなので隠してもいずれ知ってしまうだろう、知られたからといって支障もないけれ

ど気まずい思いをさせるのが嫌なので、表立つようになるまでは何とかよい手段はない

ものか。お新のためにこれからも悪くないように縁談を持って行っても、まだ与之助の

ことを知らないお新がはいとは言わないだろう、行儀見習いもおかしいけれど、何とか

名前をつけて華族の大奥にでも一時奉公に出そうか、ともかく一二年ほど家から離した

ら、どちらも忘れてしまうようになるだろうから、その後婿を取るなり嫁にやるなり、

関係のない人になればもう心配はない」ということを言った。

 その中で与之助は、この期に及んで自分の身のゆるぎないことを知って、物足りず

惜しいという気持ちは十分あっても、どうしても我がものにしようという思いを今さら

出すべきではないので、無心で罪のない人を皆で寄り集まって陥れるようになったこと

を憐れんでいるが、自分がくちばしを入れたら怪しまれていよいよお新を邪魔ものに

する種になるかもしれない、どうなっても、話が始まってからいざというときにお新を

つついて嫌と言わせるほかに道はない、お新が嫌といえば誰も無理にとは言えないの

だから、自分もそこで理屈を作って時間を延ばせば、空に風雨の変があるように思わぬ

ところから思わぬことが起きて、いままでのことがめちゃくちゃになって田原も向こう

から破談を言ってこないとも言えないだろう」などと人が嫌う破談を天に願って、考え

もせずに始まった縁なのでなんだか冗談のようで本当のことでないようで、今の自分の

成り行きを夢のように思っている。「いつかは覚めて気楽で愉快な昔に帰り、お辰とか

田原という文字が脳裏を離れて、川で足を洗うようにさっぱりとしたいものだ」と思っ

ている。「かわいそうに、お新はいじらしく無邪気な様子で自分を少しでもよく見せよ

うという親切心から衣類の洗濯や縫物に追われ、少しでも自分たち親子の考えを知った

ならとてもできないような優しさ、その身には鬼ともいえる伯母にも何も知らないから

できる介抱、今日は谷中に行って足が疲れたと言えば、少しおさすりしましょうなどと

揉んでやる憐れさだ」普段なら気にかけないことが目に入って、何とも言えないような

いやな気持になった。

                 七

 (お新を)留めたいと思うのは与之助の心だけ、出したいと思う方が多数なので、

八方に回した手が届いてよい奉公口が二つ見つかった。一つはお辰の方から、霞が関

ある名高い旧大名の奥勤め、昔と違い表向きは質素だが、衣類や持ち物の支度は並の

嫁入りよりも立派なので、奉公人も小商人や小官吏などの娘などではなく、由緒ある家

のお嬢様が上の世界の行儀見習いに上がるほど。お行儀はもとより志があれば諸芸に

通じることができるうえ、三年五年の後には身代にも及ばぬほどの拝領品があるという

大変豊かな、結構なお屋敷だとのこと。もう一つは瀬川の旧知の人で、時々出入りの

ある黒澤何某という絵師、浮世に大家名流の聞こえはないが、この道に篤い志を持って

いるので、かえって大家などと言われることを嫌い自ずから隠逸(世俗から離れる)の

風のあるご隠居様である。家を譲った息子は律儀なので心配もいらず、先祖の故郷と

聞く甲斐の差手(笛吹川河畔:川でありながら磯に見える名勝)に行って、

   しほの山さしでの磯にすむ千鳥 君が御代をば八千代とぞ鳴く

    塩山の差手の磯に住む千鳥が御代が永遠にと歌っている

風景を探しながら嫌になるまでそのあたりの山に籠りたいと言っている。妻はこちらで

育った人なので話す人もいない山に入ればさぞ淋しかろう、家に留まって帰りを待つ方

がいいと思っているが、長年睦まじく月を見るのも花を見るのも一緒、つかの間も離れ

ることがなかったので今更一人で行かせたくなく、わがままだが手回りの女中を連れて

行きたい。お新さんによい口をと頼まれたが、あのようにかわいく従順な娘を我が子

同様に連れて行けるのなら、絵心のない(私の)山住みの憂さも慰められ万事嬉しい

連れなのですが、夫に従う私でさえあまり行きたいとは思わない山の中に、花の都を

捨てて若い人に行こうとも言い難いし、よい奉公先をと頼まれたのに貧乏絵師がおあず

かりしたいとは口はばったく、お願いしづらいのですがと壁訴訟(愚痴のような願い)

のように言うのだった。この二つが課題となった。

 一生の利益になると説得し、奉公を勧めても最初はいぶかしいと思い怪しんで、すぐ

には承知すまいと思っていたが、お新はそれほど驚きもせず、思っていたことのように

出ていくことを承知した。与之助が裏に呼んででさりげなく聞いてみると、「伯母様や

兄様のおそばにいつまでも暮らせられるものならそれに勝る喜びはありませんが、そう

はいかないのが世の習いと言われれば仕方のないこと、浮世というものの力がどれほど

のものかは目に見えませんが、喜びも悲しみも自分の決めることではないとあきらめて

いるので、つらい時はその時が来たと思い、嬉しい時はその時が来たろ思う、その他に

どしようもないではないですか」と言う思い切りのよさに、与之助も止めることができ

ず「ならば同じ奉公でも立派で美しい奥勤めの方が、多少気を張るだろうが遊んでいる

ような人たちの中で、絹物づくめで勤められる華族の奉公ならばその後の身の末もよい

だろうし、世間に聞こえもいいのにそう思わないのか」とお新に聞くと、「お言いつけ

なら仕方がありませんが、私に選ばせていただけるのなら華族様は嫌です」と答える。

「では黒澤の方がいいのか、心のままに気楽ではあろうけれど先々のことには頼もしく

ないところだ、せめて東京にいるのなら気安さに任せて奉公というよりは奥様に細工物

でも習うような気持で行くのもよいが、すぐにも田舎に籠って行く末のわからぬ雲水も

同様な人たちについてどこまで行くことになることやら、だからこそ向こうでも遠慮し

て欲しいとはっきり言わないのだ、なぜそんな奇妙な所を望むのか」と聞くと、「黒澤

さまは絵師ではないですか、お兄様も絵がお好きでしょう、私は絵を習いたいのです」

「絵を習ってどうするのか」と聞くと、「恋しい時にお姿を描いたら慰められますで

しょうから」と言うので与之助は後を聞くことができなくなり、一人胸の中で泣いた。

そうと決まればあとは猶予なく支度が整い、一日でも長く引き止めたいと思うのは与之

助だけ。黒澤の出発が近いと聞いて、田原の方では特に目立つこともないが裏の交通が

始まり、お近の胸がひやっとするようなこともなくはないので、一日でも早く出発させ

たい、このような時は是非無差別の日の影(是非善悪に関わりなく時が経つこと)で、

お近の思いが勝ち、いよいよ明日朝一番に上野発の汽車でというところまで来た。

 お新は何を思っているのか、言わない思いを誰も知る由もないが、一言でも意味ある

言葉が与之助には鋭い刀でえぐられたかのように胸苦しく、眠れぬ夜が過ぎ、明け方の

光が差し、やがて鳥が鳴く、鐘も鳴る、ではと敷居をまたいだ時、汽車の汽笛が響いた

時、とうとう煙の中に消え去って行った時、どうなるのだろうと思いやっている与之助

よりも、差手の磯で千鳥を友として悲しい恋の面影を描くだろう、お新の胸の内が不憫

だ。