樋口一葉「ゆく雲 二」

 お縫にしてもまだ年若いので桂次の親切が嬉しくないわけはない。親にさえ捨てられ

たような私のようなものを気にかけてかわいがってくださるのはありがたいとは思う

が、桂次の思いに比べるとはるかに落ち着いて冷静だった。「お縫さん、私がいよいよ

帰国したとなったらあなたはどう思ってくださるのか、朝夕の手間が省けて厄介が減っ

て楽になったと思うのだろうか、それとも時々はあの話好きのおしゃべりで騒がしい人

がいなくなって少しは淋しいと思い出して下さるのだろうか、どう思いますか」と

聞くと「おっしゃるまでもなくどんなに家中が淋しくなることでしょう、ここにいても

一月も下宿に行ってしまうときは日曜が待ち遠しく、朝戸を開けて早く足音が聞こえな

いかと思うほどなのに、お国にお帰りになっては容易に上京もできないでしょうから

どれほどのお別れになるのでしょう。それでも鉄道が通るようになりましたら時々は

遊びに来て下さるのでしょうか、それならば嬉しいですけれど」と言う。「私だって

行きたくて行く故郷ではないので、ここにいられるものなら帰るのではなく、出て来ら

れるのならばまた今までのようにお世話になりに来ます。なるべくちょっと立ち寄る

だけですぐにも上京したいものです」と軽く言うと、「それでもあなたは一家のご主人

様となって采配しなければならないのでしょう、今までのようなお楽なご身分ではいら

れないはずです」と押さえられて、「では本当に大難にあった身だと思ってください。

私の養家は大藤村の中萩原という見渡す限り天目山、大菩薩峠の山々、峰々に取り囲ま

れている。西南にそびえる白妙の富士の峰は惜しんで面影を見せないが、冬の雪下ろし

の身を切る寒さ、魚といっては甲府まで五里の道を取りにやってようやくまぐろの刺身

が口に入るくらい、あなたはご存じないがお父様に聞いて御覧なさい、それはそれは

不便で不潔で、東京から帰る夏の季節など我慢できないことがあります。そんなところ

に括りつけられて、おもしろくもない仕事に追われて、会いたい人にも会えず、見たい

土地にも行き難いままこつこつと月日を送らなければならないと思えば気のふさぐのも

道理だと、せめてあなただけは憐れんでください、かわいそうなものではありません

か」と言うと、「あなたはそうおっしゃいますが、お母様はうらやましいご身分だと

言っておりますよ」「何がうらやましいことですか、今自分の幸せということを考える

なら、帰国する前にお作が頓死するようなことになれば一人娘のことなので父親が驚い

てしばらくは相続沙汰は止むでしょう。そのうちに大したことはないとはいえ財産が

あるのを、みすみす他人の私にやるのが惜しくなるか、または縁者の中の欲張り共が

黙っておられずに運動することは確かです。そうして何か間違いを起こしたことにして

首尾よく離縁となって、独り立ちの野中の杉となればそれからは私は自由となるので、

その時こそ幸せという言葉をいただきたい」と笑うとお縫は呆れて「あなたはそのよう

なことを正気でおっしゃるのですか、いつも優しい人だと思っていましたのにお作様に

頓死しろとは陰ながらの嘘にしてもあんまりです、おかわいそうなことを」と少し涙ぐ

んでお作をかばうと、「それはあなたが当人を見ていないからかわいそうと思うので

しょうが、お作よりも私を憐れんでくれてもよいはずです。目に見えない縄につながれ

て引かれていくような私を、あなたは本当のところは何とも思わず勝手にしろという風

で私のことなど少しも察してくれないのですね、今いなくなったら淋しいだろうと言っ

たのはほんの口先のお世辞で、あんなものは早く出ていけと塩をまかれているのも知ら

ずに、いい気になってお邪魔して、長居をしてお世話をかけては申し訳がありません、

嫌でならない田舎へは帰らねばならず、情けがあると思っていたあなたにまでそのよう

に見捨てられるのならば、いよいよ世の中はおもしろくない頂点だ、勝手にやっていき

ます」とわざと拗ねて不服顔を見せると、「野沢さんは本当にどうかしていらっしゃい

ますね、何がお気に障りましたの」とお縫は美しい眉にしわを寄せて解し兼ねる様子。

「もちろん正気の人から見たら気が違ったのかと思われるくらい我ながら狂っていると

思うが、気違いだからといって理由もなく違うものでもない、いろいろなことが重なっ

て頭の中がもつれてしまったから起こること、私は気違いか熱病かわかりませんが、

正気のあなたなどが到底思いもよらないことを考えて人知れず泣いたり笑ったり、どこ

かの人(お縫)が子供の時に写したというあどけない写真をもらって、それを明け暮れ

出して見て、面と向っては言えないことを並べてみたり、机の引き出しに丁寧にしまっ

てみたりうわごとを言ったり夢に見たり、こんなことをして一生を送ったら人は大馬鹿

だと思うでしょう、そんな馬鹿になっても思う心が通じず、無い縁ならばせめて優しい

言葉をかけて私が成仏できるようにしてくれたらよいものを、知らん顔して情けない

ことを言って、おいでがなければ淋しいでしょうくらいの言葉ではひどいではないです

か、正気のあなたは何と思うかわかりませんが、狂気の身にしてみるとずいぶんきつい

と恨まれます。女というものはもう少し優しくてもよいはずではないですか」と一息で

立て続けに言うとお縫は返事をしかねて、「私は何と申してよいのやら、不器用なので

お返事のしようもなく、ただただ心細いだけです」と身を縮めて退いたので、桂次は

拍子抜けがしてさらに頭が重たくなった。

 上杉の隣家は何宗かのお寺様、寺の内には桃や桜を色々植えているのでこの家の二階

から見下ろすと雲がたなびく天上界のよう、腰衣の観音様が濡れ仏になっておられる肩

のあたり、膝のあたりにはらはらと花が散って、前に供えたしきみの枝に積もるのも

風情がある。下を歩く子守の鉢巻きの上にしばし宿を貸してくださいと春風が舞い込ん

でいる。霞む夕べの朧月夜に人の顔もほのぼのと暗くなって、風がそよ吹く寺の花の

中。昨年も一昨年もその前の年も桂次は(この時期には)ここを宿として、そぞろ歩き

に慣れた場所なので、今年はとりわけ珍しくもなくても、来年はもう立ち返って踏む

場所ではなくなると思えばここの濡れ仏さまにも名残が惜しまれ、夕食後の宵に家を

出て殊勝にお寺参り、観音様に合掌して我が恋人の行く末をお守りくださいと、その

お志のほどがいつまでも消えないとよいのだが。

 自分一人だけがのぼせて耳鳴りがするほど桂次の熱は激しいが、お縫というのは木で

作られたような人なので、ともかくも上杉に面倒は起こらず、大藤村にいるお作の夢も

のどかなものだ。四月十五日に帰国と決まって土産物を、時節柄の戦争画や大勝利の

袋物、ぱちん(帯留め)、羽織の紐、白粉や簪、桜香の油、親類縁者が多いのでそれ

ぞれに香水や石鹸のしゃれたものを買い、お縫は桂次の未来の妻にと贈り物の中に藤色

の襦袢の襟に牡丹の白抜きがあるものを入れたが、それを眺めているときの桂次の顔が

気の毒だったとは後で女中の竹が言ったことだった。

 桂次の元へ送られた写真はあるが隠し通して誰にも見せないのか、それとも知らない

うちに火鉢の灰になったのか桂次でない者にはわからない。最近葉書で所要とよこした

文面は男のもので名前も六蔵とあったが、手跡がだいぶ上がって見られるようになった

という父親の自慢から、娘に書かせたに違いないと奥様は人の悪い目でそうにらんだ。

 手跡で人の顔つきを想像するのは、名前を聞いて人の善悪を判断するようなもの。

当代の能書でも業平様(素晴らしい字を書いても美男)でない方もいらっしゃいます。

それでも心の用い方ひとつで、悪筆でも見目よい書き方があるべきだが、達者ぶって筋

もない走り書きで読みにくい文字では仕方がない。お作の手跡はどのようなものかわか

らないが、奥様の目に浮かんだのは幅広く丈の詰まった顔に、目鼻立ちはまずくもなか

ろうけれど髪が薄く首筋もはっきりせず、胴よりは足の長い女のように思えると言う。

やたらと筆を長く引いてみっともなくおかしい。桂次は東京にいても悪い方ではないの

で、大藤村の光源氏のお帰りとなったら機織りの女共が白粉を塗るのが目に見えるよう

だなどと勝手なことを言っている。小作人の子が一足飛びにお大尽になるのだから器量

の悪い妻を持つくらい我慢できるはずだと、実家までも暴かれて人は口さがない。伯父

伯母が一緒になってあざけるのを、桂次の耳に入らないからよいが、一人気の毒に思う

のはお縫ばかり。

 荷物は通運便で先に送ったので残ったのは身一つと軽くなった桂次は今日も明日も

友達のところへ馳せ巡って何かと用事があるものだ。わずかな人目のすきを求めてお縫

の袂を引き「私は君に嫌われて別れるけれども、決して少しも恨んだりはしない、君に

は君の道があって、その島田を丸髷に結い変える(人妻になる)折りも来ようし、美し

い胸をかわいい子に含ませる時も来よう、私はただただ君の身が幸せであるよう、健や

かであるようにと祈ります。この長い世を過ごすために親孝行してください、お母様の

意地悪に逆らうようなことは君にはないと思うが、それを第一に心がけてください、

言いたいことも思うこともたくさんあるが、私は一生君に手紙を絶えず出しますから、

君からも十通に一通くらいは返事を下さい、眠れない秋の夜に胸に抱いて幻の面影を

見ましょう」などと数々並べて男泣きに涙をこぼし、振り仰ぎながらはんかちで顔を

ぬぐう様子は心弱げであるが誰もこんなものだろう、これから帰る故郷のこと、養家の

こと、わが身のことお作のこと全て忘れて世にお縫一人しかいないように思うのも闇に

迷っているからだ。こんな時にはかない女心が引き入れられて、一生悲しい影を胸に

刻む人もいる。岩や木のようなお縫なのでどう思っているのかわからないが、涙がほろ

ほろとこぼれて一言もなかった。

 春の夜の夢の浮橋、たなびく雲が途切れるように東京を思い絶って、寄るところも

   春の夜の夢の浮橋とだえして 峰に別るる横雲の空

    春の夜のかりそめの夢から覚めて、たなびく雲が峰に途切れて別れてゆく

あるので新宿までは車がいいと言う、八王子までは汽車の中、降りるとやがて馬車に

揺られて小仏峠もほどなく過ぎて上野原、鶴川、野田尻、犬目、鳥沢を過ぎて猿橋近く

でその日の宿を取った。巴峡の叫びは聞こえなくても笛吹川の響きに断腸の音を聞き、

眠ることができない。勝沼からの葉書が一度届いて四日目には七里の消印がある封書が

二通、一つはお縫宛てで長かった。こうして桂次は大藤村の人になった。

 世に頼みがないのは男心という。秋空の夕日がにわかにかき曇って、傘を持たない

野道で横しぶきの難儀に出会ったものはみなそのように言うが、全て時のはずみであろ

う、波が越えるまでと末の松山(波が越えることはない)を約束したわけでもなく、

   ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは

    涙の袖を絞りながら(末の松山を波が越すまではと)永遠を誓い合ったのに

男が傾城(芸者)でもないのに空涙をこぼして何になったのか。昨日哀れと思ったのは

昨日のこと、今日のわが身にはなすことがたくさんあるので忘れるとはなしに忘れて、

人生は夢のようなものだ。露の世と言えばほろりとするが、はかないことこの上ない、

思えば男は許婚のある身、いやでも応でも浮世の義理を思い絶つほどのことをこの人が

できるものか。無事に高砂を謡い終われば、たちまち新しい夫婦が出来上がってやがて

父と呼ばれる身となろう、いろいろな縁に引かれて断ちがたい絆が次第に増えてゆけば

一人の野沢桂次ではなくなり、運がよければ万の身代を十万にして山梨県の多額納税者

となるのかはわからないが、契った言葉は後の港に残して舟は流れに従い、人は世に

引かれて遠ざかってゆくこと千里、二千里、一万里。ここはたった三十里の隔たりだが

心が通わなければ深い霞が山の峰を隠すようなものだ。

 花が散って青葉の頃までにお縫の手元に手紙が三通、こまごまと書いてあった。五月

雨で晴れ間がなく人恋しい時にあちらからも数々の思い出の言葉、嬉しく見たがそれを

過ぎてからは月に一、二度の便り、初めは三度四度もあったのに、その後月に一度に

なったのを悲しんでいたが、秋蚕のはきたてというものにとりかかってからは二月に

一度三月に一度、そのうちに半年、一年目には年賀状と暑中見舞いの付き合いとなり、

文章も面倒、葉書でもことは足りる。哀れおかしいと軒端の桜が笑って(咲いて)、

隣の寺の観音様もお手を膝に柔和なお顔、これも笑っているようで若い盛りの熱という

ものを憐れんでいる。ここにいる冷たいお縫は、えくぼを頬に浮かべて世に立つ(生き

ていく)ことができるだろうか、相変わらず父様のご機嫌や母様の気分をうかがって

我が身をないものとして上杉家の安穏をはかっているが、ほころび(縫の壊れかけた

心)が切れたら難しいだろう。