樋口一葉「五月雨 二」

                  四

 男も女も法師も童子も器量がよいのが好きだとは誰が言ったか色好みの言葉だろう。

杉原三郎と呼ばれる人は面差しが清らかで立ち振る舞いも優雅、誰が見ても美男子で

罪作りである。自分のために二人が同じ思いに苦んでいるなどとは思いもよらず、若葉

の露が風に散る夕暮れの散歩がてら、梨本の娘が病気になって別荘で養生しているのを

見舞おうと訪れたところでお八重に会った。会えば言おうと思っていた千の言葉も悲し

みもつらさも胸に飲み込んで恩とも義理とも言わず、湧く涙も自分事とせず、「ご不憫

なお嬢様の最近のご病気の元はほかでもない、おとなしいご気性から口にはお出しに

ならないので本当にいとおしい方ですが、お心はなかなか私が言えることではないので

この文をごらんになればお分かりになると思います。もしあなた様がつれないお返事を

なさったらあのままになってしまうご決心、見ていてどんなにつらいことでしょう、

久しぶりにお目にかかった私の願いはこれただ一つです。叶えてくださったらどれほど

嬉しいことでしょう」と文を取り次ぎ、思い切っても涙がほろほろと膝に落ちる。義理

というものがこの世になければ話したいことはたくさんある。別れてからの苦労、ある

時はあらぬ人から迫られて逃げ場がなく、操は重く命は鳥の羽のようなものだと雪の夜

に刀を手に取ったこともあり、ある時は行方を尋ねあぐねて大川の水に沈む覚悟を決め

たこともあったが、後ろ髪を引かれて、ひたすらに会える日だけを頼みにして今日まで

過ごしてきたと言いたい、お嬢様の恋にも我が恋にも浅さ深さがあるわけはない、私は

まだそのことを口に出さなかったが、ご存じない方がよいのです。ご恩返しにお望みを

かなえて喜ぶのを見ることが楽しみだと、自分を捨てての周旋なのだから、余計なこと

は思うまい、それにしても君様の心が気遣わしい」と仰ぎ見ると、思いがけなく男が

じっとこちらを眺めている。はっとうつむく櫨(はぜ:恥ずかしいにかけている)紅葉

の影、麗しき秋の山里にきのこ狩りをして遊んだ昔は蝶々髷(子供の頃)の夢となり、

優しい姿は都風になって誰にも劣らない色香があり、憂いを含んでいても愛らしい。

雨のなでしこがしおれて奥床しい。三郎の心はわからないが優子の文を手に取って、

「浅からぬお心をもったいないことだと三郎が喜んでいたとお伝えください、ほかなら

ぬ人の取次ぎがより嬉しいのでこの文はいただいて帰ります」と懐に入れてではまたと

座を立つと、ではお嬢様のお心を汲んでくれたかと嬉しいながらも心細く、立ち上がっ

た男の顔をそっとうかがってこぼれる涙を隠しながら「お嬢様もさぞお喜びでしょう、

私も同じです。お返事をきっとお待ちしております」と言うとうなづきながら出ていく

周り縁、軒端の橘が香り、いつしか月が中垣のほとりに昇って、若竹の葉がさらさらと

鳴り、初ほととぎすを待つような夜となった。降り立つ後ろ姿をお八重だけでなく、

優子も部屋の障子を細目に開けて見送る。言えない気持ちを三郎が帰り道に一人涼し気

に吟じる詩が聞きたいものだ。

                  五

 便りを待つ一日二日、嬉しいような気がかりな、八重に遠慮はいらないとはいえまた

言い出したと思われるのも恥ずかしくてじっと堪える返事の安否、もし(よい返事だっ

たら)と思えばもし(悪い返事だったら)になる。八重は大丈夫だと請け合うが、それ

は気休めの言葉だろう。あの文を受け取らずにそのまま突き返されたのを、私が力を

落とさないように八重が取り繕っているのではないか、いや八重がそのようなことを

するはずはない、人を疑うのは罪深いことだ。一日二日お待ちなさい、よい返事が来る

のに決まっていますと言ったことに違いはないだろうが、もしそうならどうしよう、

八重はこの上ない恩人となるのだから何でも気に入ることをして喜ばせたい、年は下で

も分別のある人なので言葉少なく願いがあるのかないのかわからないのでどうしよう。

さて人妻になるときの心得は娘の時とは違うもの、お気に入ればよいけれどもし飽きら

れたら悲しいことだ。それよりもおぼつかないのはあの文の返事、ご覧にはなっても

そのまま丸めてしまって、かえってご機嫌を損ねて愛想つかしの種になってしまったら

どんなにつらいことだろう、君様がつれなくても私が思う心に二つはない、親不孝かも

しれないがお父様やお母様がなんとおっしゃっても他の誰も夫に持つものですか。八重

は一生夫を持たないと言っているから私とは違って何も関係なく心安かろう、うらやま

しい、などと優子は自分がうらやまれているとは思いもせずにため息をついた。

 お八重はつくづく在りし日のことを思って、男心は頼りないものだ、取り持った身と

してはうまくいけば嬉しいが、優子さまの心はよくわかった、三郎が喜んだと伝えて

くれとはあまりのこと、昔を忘れたお言葉だと思うのは私の妬みだ。ご主人さまのため

には身を殺して忠義を尽くす人もいるのだから、私一人がつらさに堪えればすべてこと

なく収まるのだ。何も知らないお嬢様が八重八重と相談相手にしてくださるのに恨むと

は罪深いと恐ろしい。何事も残さず忘れてしまって、ご主人様こそ二代のご恩、杉原

三郎という人などもとより知らぬ人ましてや約束したことなど何もない、昨日今日会っ

たばかりで、しかもご主人様の恋人に未練があるはずもなく、首尾よく整って睦まじく

暮らすのを見るのがせめてもの楽しみ、自分は望みのない身なのだから一生この家に

ご奉公してお二人の朝夕のお世話をし、そして赤様が生まれたらそのお守り、心を苦し

めながら仕えるのか、それは何としてもできることではない。こんなにもつらい世なら

人の来ない山奥に籠って松風に耳を澄ませていればいいだろうが、それすらあの人を

見捨ててはできないだろうとつくづくうち嘆くが、人に見せてはいけない涙なので、

淋しい作り笑顔で心配している主人を慰めながら、自分も思い乱れる蓴(ねぬなは:

じゅんさい:長い根を手繰り寄せる:長く苦しむ)の恋とは苦しいものだ。うまくいく

とは思うが、待ち遠しい人の便りを待っているとは言わずに、「杉原さまは二十四と

か、年より老けて見えますがあなたはどう思いますか」などと朧げなことを言う心が

さすがに通じたのか、お八重がある日にこやかに「お嬢様お喜びになることがあります

よ、当ててごらんなさいませ」と久しぶりに冗談を言う。「それではあまりに広すぎて

どのあたりのことかわかりません」と言うと、「では少しお聞かせしましょう、あなた

様が何より嬉しいと思うことですよ」と言いながらすぐには言わないので、「わかって

いても知らん顔で、いつもの八重とは違いますね、すぐ言って聞かせてくれてもいいも

のを」と恨み言を言うと「そのようにお急ぎなさいますな」と笑いながら「彼の君から

お返事が参りました、これが嬉しくない事ですか」とささやかれて耳の根がかっと赤く

なり、胸がとどろいて噛む袖の下にそっとおく藻塩草(手紙)、すぐには手に取らない

のを八重は察して進めながら封を切らせると手紙ではなく一枚の短冊、

   茂りあう若葉に暗き迷いかな 見るべきものを空の月影

 この意味はどこにあるのだろう、暗き若葉の影がぼんやりとして迷いは茂るばかり。

晴れるはずのない空の月、それぞれ判じてみても何が真意かわからないので、喜ぶべき

か嘆くべきか。お八重はお八重、優子は優子でこう言われたらこう答えるという決心を

固くしていたが、思いのほかの返事に何を決めてどうすればよいのか、未練はさすがに

あり、見てはまた取って飽きず眺めてもため息ばかり。「八重はどう思います」と人の

言葉を待ってみる。何と気がかりな三十一文字なのだろう。

                  六

 不思議なことに三郎の便りをふっと聞かなくなった。待つには一日でもわびしいのに

不審な返事の後、今日来るか明日来るかと空頼みの日々を重ねて十日、半月、そうして

二十日、憂き身につらい卯月(うに掛ける)も過ぎて、五月雨頃の雨模様は、軒端の

忍ぶ草のように、池のあやめの根のように長く、思いは暗くなり(涙の)袖にも水かさ

が増すことだろう。

 ここは別荘で人気も少なく、気に入りの八重のほかには別荘番の夫婦だけ。最愛の娘

が病気とあって本宅からの使いは絶え間ないので、こと寄せて杉原のことを聞くと本宅

にも近頃来ないとのことで、「どうしたことだろう、私が幼稚にもいきなり文など渡し

たことをとても嫌がって、返さなくてはいけないのも情けないので、それとなく本宅に

来なくなったのではないだろうか。先日の歌の心はどういう意味なのだろう、若葉の今

は暗いけれども、時節を待てば空の月に会い見ることができるだろうという意味ならば

嬉しけれど、もしもの願いにそう思えるのだろう。いっそつらいことになるならはっき

りすればいいのに、望みがあるだけに迷ってしまう。しかし便りがないというのはなぜ

なのか、私を嫌ってここにおいでがなくても本宅まで疎遠になるとはおかしい、それほ

どまでに嫌われているならなぜ優しい言葉をかけてくれたのか、八重に恥ずかしいくら

いにあの時は嬉しかったのに、このまま見返りもされないならばもう顔も合わせられな

い、悲しことだ」と娘心が望みをかけて、もつれたり解いたり思案のより糸。

 八重の嘆きはまた異なって「茂る若葉の妨げとおっしゃったのは私のことではない

か。闇に迷ったと嘆じているが、私はそう悟ったからこそ取り持ったのだ。思い合う仲

のお二方に私の一生の望みも頼みも譲って、思い残すことは一つもないのに何をはば

ってご遠慮するのか、深く考えて恨みも未練も何もなく、お二人の首尾が整った暁には

潔く、さすが操を立てたと君様にわかっていただけたらそれを思い出に生きていく私

なのに、この身があるためにお嬢様の恋が叶わないとなったらどうしよう。私が身を

引くことを知らなくても義理があるためにこうなったとご存じになったら、情け深い方

なので自分さえよければとおっしゃることはない、ただでさえお弱いのにどれだけ突き

詰めた覚悟をするかわからない。最愛の一人娘だからお八重、なにぶんにも頼むぞと

気難しい旦那様でさえ自分風情におっしゃって下さるのは、大事なあまりだからこそ

なのに。それにしても気遣わしいのはあの人のこと、あの対面した日に「ここにいたと

は思いがけなかった、郷里のことは聞いていました。さぞご苦労されたと思うが、奉公

を大事に務めてください」とおっしゃったのが耳に残って忘れられない。あれほどお優

しくなかったらこれほど嘆きもしないのに、と絶ちがたい絆がつらい。人が見ていない

時には部屋に伏して打ち沈んでいる。

 いずれ劣らぬ二人の美人に慕われる幸せな身の、何が嫌で三郎は絶えて影も見せない

のか。疑念が重なる五月雨の雲は薄らぐこともなく、世を倦んだ(熟れた)梅の落ちる

音もそぞろ淋しい日が幾日、薄暗い窓の明け暮れに繰り返し鳴くホトトギス、涙で袖の

色が変わる同じ嘆きを知らない主従の思いはなんともはかない。

 優子は全く世間を知らぬ身、お八重の素振りに何も察することもなく「気の毒に、私

を大事にしてくれるあまり痩せるほど心配をかけたあなたの情を忘れません、それでも

どれほど尽くしてもらっても願いはかなわないとようやく諦めがつきました。それに

ついてはまた別にお父様お母様にお願いをしますが、お二方なりあなたなりを嘆かせる

ことがつらいのです」としみじみ語りながらお八重の膝に身を投げ出して、隠しもしな

い言葉に、お八重は我を忘れて抱き合って言葉もなく泣いていたが、「あなた様にその

ような覚悟をさせるほどならこんな苦労をいたしません、おいでがないのはおかしい

ですがつれないお返事というのではないのに、早まったことを考えるなどあなた様らし

くもない、もう少しのご辛抱です。その内には何としてもきっとお喜びになることが

あります、八重の一心を哀れと思ってそのような悲しいことをお聞かせくださいます

な」と力づけると、優子は喜んで手に手を取って「前世では何であったのか、姉妹でも

できないようなご親切。これからも頼みます、何事もあなたのご意見に従います、もう

今のようなことは言いませんから許してください」とお詫びされるのももったいなく、

「待てば甘露と申しますよ」と明るく言ったが義理は重く、袖の晴れ間も見えないが、

それにも限りがある。

 「今日は珍しく鳶が鳴き、雨の名残りの軒端に射す陽射しが新しく玉を磨いていま

す。庭の木陰も心地よさそうです。閉じこもってばかりいたのではお体に毒ですよ」

と、お八重がさまざまに誘って、「近くの野の景色や田んぼの庵が侘びているのもまた

風情があるので見に行きましょう」と柴の戸から珍しく伴い出た。人の心のうやむやを

知らずに茂る木立は涼しく、袖に吹く風が欲しい。植え終わった早苗が青々として、

蛙が鳴きかわしている声もさまざま、あれでも歌かしら、おかしいと笑う主人に自分も

嬉しくなって「あちらのかやぶき屋根やこの垣根などお庭に欲しいくらいですね、あの

花は何かしら」と小走りして進み寄り一枝手折って一輪は主人に、一輪は自分にかざし

てみたりしてご機嫌を取る。お互いの心を知り得ないままあぜ道伝いに行き返りして、

遊ぶともなく過ごした日、鳥も寝に帰る夕方の空の下を歩く雲水が一人、月の下でどち

らの門を叩くのでしょう、うらやましい身の上ですねと見送ると、こちらを見返った笠

が外れて二人の女は同時にあっと声を上げた。

 杉原三郎が雲水になったという結末からすると歌の意味はこうかな。

  茂った若葉の陰で迷っている、その上の月を見るべきなのに。

  美しい二人に迷いましたが、罪と欲から離れることにします。