樋口一葉「十三夜 二」

 父親は先ほどから腕組みをして目を閉じていたが、「ああお袋、無茶なことを言って

はならぬ、わしも初めて聞いてどうしたものかと思案に暮れる。お関のことだから並大

抵ではこのようなことを言い出しそうにない。よくよくつらくて出てきたと見えるが、

それで今夜は婿殿は留守か、それとも別に事件でもあったのか、いよいよ離縁すると

でも言われてきたのか」と落ち着いて聞くと、

 「夫は一昨日から家に帰りません。五日六日家を空けるのはいつものことで、あまり

珍しいことでもありませんが、出る時に召し物のそろえ方が悪いと言ってどれほどお詫

びしてもお聞き入れなく、それを脱いで叩きつけてご自分で洋服に着かえ、『ああ私

くらい不幸せな人間はあるまい、お前のような妻を持って』と言い捨てて出て行かれま

した。何ということでしょうか、一年三百六十五日もの言うこともなく、たまにかけら

れるのはこのように情けないお言葉。それでも原田の妻と言われたいのか、太郎の母で

ございますと顔をぬぐっていられるのか、我ながらなぜこれほど我慢しているのかわか

りません。もう私には夫も子もありません、嫁入りしない昔と思えばそれまで。あの

あどけない太郎の寝顔を眺めながらも置いてくるような心になったからには、もうどう

しても勇のそばにいることはできません。親はなくとも子は育つと言いますし、私の

ような不運の母の手で育つより、継母様でもお妾様でもお気にかなった人に育ててもら

ったら少しは父親もかわいがって、後々のこの子のためにもなりましょう。私はもう

今夜限りどうしても帰りません」ときっぱりと言いながらも、絶っても絶てない子の

かわいさに言葉は震えている。

 父親はため息をついて、無理もない、居づらくもあるだろう、困ったことになった

ものだとしばらくお関の顔を眺めていたが、大丸髷に金輪の根掛けを巻き、黒縮緬

羽織を惜しげもなく着けて、我が娘ながらいつしか身についた奥様振り。これを結び髪

に結い変えさせ、綿銘仙の半纏にたすき掛けで水仕事をさせるなど、どうして堪えられ

ようか、太郎という子もある。ちょっとした怒りから百年の運を取り逃がし、世間の

笑い物になり、身はかつての斎藤主計の娘に戻れば泣いても笑っても二度と原田太郎の

母と呼ばれることはなくなる。夫に未練はなくても我が子への愛は断ち難いのだから、

離れてはますます悩んで今の苦労を恋しがる心も生まれるだろう。美しく生まれた身の

不幸、不相応の縁につながれてずいぶん苦労をさせたものだと哀れみが増すが、

 「いやお関、こう言うと父が無慈悲で心を汲み取ってくれないと思うかも知れないが

決してお前を叱るのではない。身分が釣り合わなければ考えも違うものだ、こちらが心

から尽くしているつもりでも取りようによってはおもしろくなく思えることもあるだろ

う。勇さんだってあの通り物の道理を心得た利発な人であり、識者でもあるから無茶苦

茶にいじめ立てるわけではあるまいが、えてして世間に褒められるような敏腕家という

のは極めてひどいわがまま者、外では素知らぬ顔で切り回しても、勤め先の不満を家に

持ち帰って当たり散らすのだ。的になってはずいぶんつらいこともあるだろう、しかし

あれほどの夫を持つ者の務め、区役所通いの腰弁当(安月給取り)が釜の下を焚きつけ

てくれるのとは格が違うのだ。だからやかましくもあろう難しくもあろう、それを機嫌

のいいように整えていくのが妻の役目だ。表面には見えないが世間の奥様という人たち

誰もがおもしろおかしく暮らしているわけではないだろう、自分だけだと思うから愚痴

も出るがこれが世の務めなのだ。しかもこれほど身分に違いがあるのだから人一倍苦労

するのは当たり前。お袋が偉そうなことを言ったが、亥之助が今の月給をもらえるのは

結局のところ原田さんの周旋があったからではないか。七光どころか十光もいただいて

恩を着ていないとは言えまい、つらかろうが親のため弟のため、太郎という子もあるの

だから今まで辛抱してきたものをこれからだってできないことはないだろう。離縁状を

取って出てしまえば太郎は原田のもの、お前は斎藤の娘、一度縁が切れたら二度と顔を

見に行くことはできない。同じ不運に泣くのなら原田の妻で大いに泣け、なあお関そう

ではないか、合点がいったら何事も胸に納めて知らん顔で今夜は家に帰って、今まで

通り謹んで世を送ってくれ。お前が口に出さなくても親も察する、弟も察する、涙は

それぞれ分け合って流そうではないか」とよく言い聞かせて涙をぬぐうとお関はわっと

泣いて、「離縁をお願いしたのはわがままでした。確かに太郎と別れて顔も見られない

ようになったらこの世にいても甲斐がありません。ただ目の前の苦から逃れたといって

どうなるものでもありません。本当に私が死んだ気にさえなれば三方四方波風立たず、

ともかくも両親の手であの子を育てられるのです。つまらないことを思い立ってあなた

にまで嫌なことをお聞かせいたしました。今夜限り関はなくなって魂一つがあの子の身

を守ると思えば夫がつらく当たることくらい百年も我慢できましょう。お言葉に本当に

納得いたしました。もうこんなことはお聞かせしませんので心配しないでください」と

言いながらぬぐう後から涙が流れる。母親は「なんてこの子は不幸せなのだろう」と

ひとしきり声を立てて大泣きした。雲のかからない月がよけい淋しく、裏の土手から

亥之助が折ってきて瓶に差した薄の穂が招くように揺れるのも哀れな夜だった。

 実家は上野の新坂下、駿河台に向かうには深い森の木の下の暗闇が淋しいが、今夜は

月も高く澄んでいる、広小路に出れば昼のように明るいからと、雇いつけの車宿もない

家なので道行く車を窓から呼んで「納得したならともかく帰れ、主人に断りない外出を

とがめられても申し開きできまい。少し時間は遅いが車なら一飛びだ、話はまた聞きに

行こう、まず今夜は帰れ」と手を取って引き出すようにするのもことを荒立たせまいと

する親心、お関はこれまでの身と覚悟して「お父様、お母様、今夜のことはこれ限り。

帰るからには私は原田の妻、夫を謗るなど申し訳ありませんからもう何も言いません。

関は立派な夫を持って弟のためにもなった、ああ安心だと喜んでいてくだされば私は

もう思うことはありません。決して決して見当違いなことを持ち出すようなことはしま

せんのでもうご心配くださいますな、私の体は今夜を始めに勇のものだと思いまして、

あの人の思うままに何なりとしてもらいましょう。では私は帰ります。亥之さんが帰っ

たらよろしく言ってください。お父様もお母様もごきげんよう、この次には笑って参り

ます」と仕方なさそうに立ち上がったので、母親はなけなしの財布を持って駿河台まで

いくらで行くかと門口にいた車夫に声をかけると、「ああお母様それは私がします。

ありがとうございました」と穏やかに挨拶をして格子戸をくぐり、袖を顔に当てて涙を

隠して車に乗る哀れさ、家では父の咳払いする声もうるんでいる。

 

 澄んだ月に風の音がして、虫の声は絶え絶えになっているのが物悲しい上野に入り、

まだ一町行ってもいないはずだがどうしたのか車夫はぴたりと梶を止めて、「誠に申し

かねますが私はこれでごめん願います、お代はいりませんから降りてください」と突然

に言われ、思いがけないことなのでお関は胸をどきどきさせて「お前さんそのような

ことを言っては困ります、急ぎの用でもあるし割り増しをあげるから骨を折っておく

れ、こんな淋しいところでは代わりの車もないではないですか。それは(我おもしろ

の)人困らせ(人の迷惑を顧みない)というもの、ぐずらずに行っておくれ」と震えな

がら頼むように言うと、「割り増しが欲しいのではありません、私からのお願いです、

どうぞ降りてください、もう引くのが嫌になったのでございます」と言うので「では

お加減でも悪いのですか、どうしたわけでしょう、ここまで引いて嫌になったでは済み

ませんよ」と声に力を入れて車夫を叱ると、「ごめんなさいまし、もうどうしてもいや

になったのですから」と提灯を持ったまま脇に寄ったので「お前はわがままな車夫さん

だね、それならば約束したところまでとは言いません、代わりのあるところまで行って

くれればいいのです。お代をあげますからもう少し、せめて広小路までは行っておく

れ」と優しい声で機嫌を取るように言うと、「なるほどお若い方でもあるしこんな淋し

いところに降ろされてはさぞお困りになりましょう。私が悪うございました。ではお乗

りください、お供いたします。驚きましたでしょう」と悪者らしくなく提灯を持ち換え

たのでお関もやっと胸をなでおろし、安心して車夫の顔を見れば二十五、六の色黒で

やせぎすの小男、あ、月に背けたあの顔は誰やら、誰かに似ているとその人の名前が

のど元まで出かかりながら「もしやお前さんは」と我知らず声をかけると、えっと驚い

て振り向く男、「ああお前さんはあのお方ではないか、私をまさか忘れてはいないでし

ょう」と車からすべるように降りてつくづくと見つめると「あなたは斎藤のお関さん、

こんな姿で面目がない、背中に目がないので全く気がつかずにいました。それでも声で

気がつくはずなのに私もよっぽど鈍になりました」と下を向いて身を恥じている。お関

は頭の先からつま先まで眺めて「いえいえ、私でも往来で行き合ったくらいではまさか

あなただとは気がつかないでしょう、今の今まで全く知らない車夫さんだとばかり思っ

ていたのですからわからないのも当たり前、もったいないことでしたが知らなかったの

でお許しください。まあいつからこんなことをして、そのかよわそうな体に障りはあり

ませんか。おばさんが田舎に引き取られて、小川町のお店をやめたと言いう噂はよそな

がら聞いていましたが、私も昔の身ではないのでいろいろ差し障りがあっておたずねす

ることはもちろんお手紙を出すこともできませんでした。今はどこに家を持って、おか

みさんもお元気ですか、お子さんもできましたか、今でも私は時々小川町の勧工場を見

に行くたびに、元のお店がそっくりそのまま同じ煙草屋が能登屋というのになっている

のをいつ通ってものぞいてしまい、ああ高坂の禄さんが子供だった頃、学校の行き帰り

に寄っては巻煙草のこぼれたのをもらって生意気にも吸ったものだった。今はどこで何

をしているだろう、気の優しい人だったからこの難しい世の中をどのように渡っておい

でかと心にかかって、実家に行くたびに様子をもしや知ってはいまいかと聞いても猿楽

町を離れたのはもう五年も前、まったくお便りを聞くご縁がなくて、どんなに懐かしく

思っていたことでしょう」と自分のことなど忘れて話しかけると、男は流れる汗を手ぬ

ぐいでぬぐって、「お恥ずかしい身に落ちぶれまして今は家というものもありません。

寝床は浅草町の安宿の村田というところの二階に転がって、気が向いた時は今夜のよう

に遅くまで引くこともありますし、いやだと思えば日がな一日ごろごろして煙のように

暮らしています。あなたは相変わらずのお美しさ、奥様になったと聞いた時から、それ

でも一度は拝むことができるか、一生のうちにまたお言葉を交わすことができるかと夢

のように願っていました。今日までは入用のない命と捨ててきましたが、命あればこそ

お会いできました。ああよく私を高坂の録之助と覚えていてくださいました。かたじけ

ないことです」と下を向くのでお関はしみじみとして、「この憂き世に一人っきりだと

は思わないでください。でおかみさんは」とお関が聞くと「ご存じでございましょう、

筋向こうの杉田屋の娘、色が白いとか格好がどうだとかいって世間の人がやたらと褒め

た女です。私があまりに放蕩して家に寄りつかなくなったので、もらうべき頃にもらう

ものをもらわなかったからだと親戚の中のわからずやが勘違いをして、あれならと母親

が見定めてぜひもらえ、やれもらえと無茶苦茶にうるさく攻めたてられ、どうとでも

勝手になれと迎えたのはちょうどあなたがご懐妊と聞いた頃のこと。一年目には私の

ところでもおめでとうと人から言われて犬張り子や風車を並べたてるようになりました

が、そんなことで私の放蕩が止むわけはない。人はきれいな女房を持たせたら足が止ま

るとか、子が生まれたら気が改まるとか思ったのでしょうが、たとえ小町と西施を連れ

てきて衣通姫が舞を舞って見せてくれても私の放蕩は治らないことに決まっているのだ

から、乳臭い子供を見たってなんで心を入れ替えることができましょう。遊んで遊び抜

いて、飲んで飲み尽くして、家も稼業もそっちのけにして箸一本も(財産が)なくなっ

たのが三年前。お袋は田舎に嫁入った姉のところに引き取ってもらいましたし、女房は

子供をつけて里へ返したまま音信不通。女の子でもあり惜しいとも何とも思いませんで

したが、その子も昨年の暮れにちふすにかかって死んだと聞きました。女はおませな

ものですので死ぬときにはきっとととさんとか何とか言ったのでしょう、今いれば五歳

になるのでした。まあつまらない身の上でお話にもなりません」男は薄淋しい顔に笑い

を浮かべ「あなたとは知りませんでとんだわがままの不調法を、さあお乗りなさい、

お供いたします。不意のことでさぞ驚いたでしょう、車を引くというのも名ばかり、何

を楽しみに梶棒を握って、何を望んで牛馬の真似をするのか。銭をもらえたら嬉しい

か、酒が飲めたら愉快か、考えれば何もかもが嫌になり、お客を乗せようが空の時だろ

うが嫌となると容赦なく嫌になってしまいます。あきれ果てたわがまま男で愛想が尽き

るではありませんか。さあお乗りなさい、お供します」と勧められ、「知らないうちな

ら仕方がないけれど知って乗れるものですか。でもこんな淋しいところを一人行くのは

心細いですから広小路に出るまでは道連れになってください。話しながら行きましょ

う」とお関は小褄を少し引き上げて、これも淋しい塗り下駄の音。

 昔の友という中でも忘れられない由縁のある人、小川町の高坂というこぎれいな煙草

屋の一人息子。今はこのように黒く見られない姿になっているがその頃は唐桟揃いで粋

な前垂れをかけ、お世辞も上手、愛嬌もあって年も行かないのに父親がいた時よりかえ

って店が賑やかになったと評判された利口な人が、何と何と変わったことか。私が嫁入

りすると言う噂が聞こえ始めた頃から、やけ遊びで底抜けの騒ぎ、高坂の息子はまるで

人間が変わったようだ、魔でも差したか祟りでもあるのか、ただごとではないとその頃

聞いたが、今夜見ればいかにも浅ましい有様、木賃宿に泊まるようになるとは思いも

寄らないことだ。私はこの人に思われて、十二の年から十七まで毎日顔を合わせるたび

にゆくゆくはあの店のあそこに座って新聞を見ながら商いをするのだろうと思っていた

けれど、思わぬ人と縁が決まって、親の言うことならば何の異存があろう。煙草屋の禄

さんにと思ってはいてもそれはほんの子供心、向こうからも口に出したこともなくこち

らからはなおさら。取り留めのない夢のような恋を思い切ろう、諦めてしまおうと心を

決めて今の原田に嫁入りすることにはなったが、その際まで涙がこぼれて忘れかねた

人。私が思うほどにはこの人も思ってくれて、そのための身の破滅かも知れないのに、

私のこのような丸髷で取り澄ました姿を見てどれほど小憎らしく思うだろう、それどこ

ろか楽しいなどという身でもないのだけれどと思いながらお関は振り返って六之助を

見たが、何を思っているのか茫然とした顔をして、久しぶりに会ったお関に向っても

それほど嬉しそうには見えないのだった。

 広小路に出れば車もあり、お関は紙入れから紙幣をいくらか取り出し小菊の紙にひか

えめに包んで、「禄さんこれは大変失礼ですが鼻紙でも買ってください。久しぶりに

お目にかかって言いたいことはたくさんあるのですが、口に出せませんことをお察し

ください。ではここでお別れします。体をひどくいじめて病気になりませんように、

おばさんを早く安心させてあげてください、陰ながら私も祈っています。どうぞ昔の禄

さんになってご立派にお店を開くところを見せてください。さようなら」とあいさつを

すると六之助は紙包みを押しいただいて「お断りするところですが、お嬢様のお手から

いただいたものなのでありがたく頂戴して思い出にいたします。お別れするのが惜しい

と言ってもこれが夢ならば仕方ありません。さあおいでなさい、私も帰ります。遅くな

っては道が淋しくなりますよ」と言って空車を引いて後ろを向いた。その人は東へ、

この人は南へ。大路の柳が月の下でなびいて、力ない塗り下駄の音。村田の二階も原田

の奥もつらいのはお互いの世、思うことは多い。