樋口一葉「たけくらべ 二」

                  三

 解いたら足にも届くような髪の毛を根を上げて固く結び、前髪が大きく髷が重たげな

赭熊という名は恐ろしいが、これがこの頃の流行だと良家の令嬢も結うのだとか。色白

で鼻筋が通り、口元は小さくはないが締まっているので醜くはない。一つ一つ取り立て

て見ると美人というには遠いが、ものを言う声が細く涼しく、人を見る目元に愛嬌が

あふれ、身のこなしが生き生きして快い。蝶や鳥を柿色に染めた大柄の浴衣を着て、

黒繻子と染め分け絞りの昼夜帯リバーシブル)を胸高にして足には塗りぼっくり、

この辺でもあまり見かけない高いものを履き、朝湯帰りの首筋が白々として手拭いを

下げた立ち姿を、あと三年先に見たいものだと廓帰りの若者が言う。

 大黒屋の美登利といって生まれは紀州、言葉に多少訛りがあるのがかわいらしく、

第一にさっぱりした気性を喜ばない人はない。子供に似合わず財布の重いことも道理で

姉の全盛の余波、さらには遣り手や新造が姉へのお世辞もあって美ぃちゃんお人形でも

お買いなさい、これはほんの手鞠代などとくれて恩に着せないので、もらう身もありが

たくも思わずにばらまくこと。同級の女生徒二十人に揃いのごむ鞠を与えたのはおろ

か、馴染みの筆屋に店晒しになっていたおもちゃを買い占めて喜ばせたこともあった。

それにしても毎日の散財はこの年、この身分でできることではない、末は何になる身な

のか。両親はいながら大目に見て荒い言葉をかけたこともなく、楼の主が大切がってい

るのも不思議だ。聞けば養女でもなくもちろん親戚でもなく、姉が身売りした時に値踏

みに来た楼の主の誘いに乗って、この地に生計を求めて親子三人で旅立ったというわけ

だ。これから先はどうなることか、今は寮の管理をしながら母は遊女の仕立て物、父は

小格子の書(番頭)になった。自分は遊芸手芸、学校にも通わせてもらってあとは気の

向くまま、半日は姉の部屋、半日は町で遊んで見聞きするのは三味線に太鼓、あけ紫

(朱や紫)の華美な姿。最初は藤色絞りの半襟を袷(襦袢にかけるもの)にかけて歩い

て、田舎者田舎者と町内の娘たちに笑われたのを悔しがり三日三晩泣いたこともあった

が、今では自分から人を嘲って野暮な姿と露骨な憎まれ口を言っても言い返すものも

いなくなった。二十日はお祭りだから思い切りおもしろいことをしようと友達がせがむ

ので「趣向は何でもそれぞれで工夫して、誰もが楽しいことがいいじゃないか。いくら

でもいい、私が出すから」といつも通り勘定なしに引き受ける子供仲間の女王様。また

とはない恩恵は大人よりも利きがよく、「お芝居にしましょう、どこかのお店を借りて

往来から見えるようにして」と一人が言えば、「ばかを言え、それよりおみこしをこし

らえておくれ、蒲田屋の奥に飾ってあるような本当のを、重くてもかまわない。やっち

ょいやっちょいわけなしだ」とねじり鉢巻きをする男の子のそばから「それでは私たち

がつまらない、みなが騒ぐのを見るだけでは美登利さんだっておもしろくはないでしょ

う、何でもお前のよいものにおしよ」と女たちは祭りに関係なく常盤座をと言いたげな

口ぶりがおかしい。田中の翔太はかわいらしい目をぐるぐるさせて「幻燈にしないか、

俺のところに少しはあるし足りないのを美登利さんに買ってもらって筆屋の店でやろう

じゃないか。俺が映し手になって横町の三五郎に口上を言わせよう、美登利さんそれに

しないか」と言うと「ああそれはおもしろそう、三ちゃんの口上なら誰も笑わずには

いられまい。ついでにあの顔が映るとなおおもしろいのに」と相談は整って不足の品を

買うのは正太の役、汗をかいて飛び回っているのもおかしく、いよいよ明日となって

その沙汰は横町にまで聞こえてきた。

                  三

 鼓の調べや三味線の音色にこと欠かない場所でも祭りは別物、酉の市を除いたら一年

に一度の賑わいだ。三島様小野照様、隣同士で負けまいと競う心がおかしく、横町も表

も揃い(の浴衣)は同じ真岡木綿に町名くずし(模様化)、昨年より型が悪いなどとと

つぶやく者もいる。くちなし染めの麻襷も太いものを好んで十四五歳以下は達磨、みみ

ずく、犬張り子など様々なおもちゃが数多いほど見得として七つ九つ十一もつける者も

いる。大鈴小鈴を背中にがらつかせて、駆け出す足袋はだしが勇ましくもおかしい。

群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半纏を着て色白の首筋に紺の腹掛け。あまり

見慣れぬいで立ちだと思ってよく見れば、しごいて締めた水浅黄の帯は縮緬の上染め、

襟の印の仕上がりも際立ち、後ろ鉢巻に山車の花を一枝。皮緒の雪駄の音だけがして

お囃子の仲間には入らない。夜宮(前夜祭)は何事なく過ぎて今日一日の夕暮れ、筆屋

の店に寄り合ったのは十二人。一人欠けたのは夕化粧の長い美登利、まだかまだかと

正太は門を出たり入ったり、「呼んで来い三五郎、お前はまだ大黒夜の寮へ行ったこと

がないだろう、庭先から美登利さんと呼べば聞こえるはずだ、早く早く」と言うので、

「それなら俺が呼んで来る、万燈はここにあずけておけば誰も蝋燭を盗むまい、正太

さん番を頼む」と言う。「けちな奴め、無駄口を叩かずに早く行け」と年下に叱られ、

「おっと来たさの次郎左衛門」とあっという間に駆け出して韋駄天とはこれのこと、

あのすっ飛び方がおかしいと見送った女の子たちが笑うのも無理はない。小太りで背が

低く、才槌頭(前後に突き出ている)で首が短く、振り向いた顔を見ればおでこの獅子

っ鼻、反っ歯の三五郎というあだ名もわかる。もちろん色は黒く、感心なのは目つきが

いつもおどけて両頬にはえくぼの愛嬌があること。福笑いで見るような眉毛も何とも

おかしい罪のない子だ。貧しいので阿波縮の筒袖を着て、俺は揃いが間に合わなかった

と知らない友には言うのだろう。自分を頭に六人の子供を養う親は梶棒にすがる身

(車夫)だ。五十軒ある茶屋に得意を持ってはいても家内の車(やりくり)は商売者の

車とは違う。十三になれば稼ぎ手だと一昨年並木の活版所に通ったが怠け者なので十日

と辛抱が続かなった。一月と同じ職に就かず十一月から新春にかけては突羽根の内職、

夏は検査場の氷屋の手伝い、呼び声おかしく客を引くのが上手なので人からは重宝がら

れる。昨年は仁和賀の台引き(踊り屋台を引く人夫)に出たので友達は卑しんで、万年

町(貧民窟)などといまだに呼ばれるが、三五郎といえばおどけ者だとわかっているの

で憎む者がいないのは彼の徳である。田中屋は命綱で、親子で少なからず恩を受けてい

る。日歩という利息の安くない借金でもこれがなくてはやっていけない金主様、敵など

とはとんでもない。「三公、俺の町に遊びに来い」と言われれば嫌とは言えない義理が

ある。しかし自分は横町に生まれて横町で育った身、住む地所は龍華寺のもの、家主は

長吉の親なので表向きにはあちらに背くことはできず、こっそりこちらの用を足して、

睨まれたらつらい役回りだ。

 正太は筆屋の店で腰を掛けて待つ間の暇つぶしに〽忍ぶ恋路と小声で歌っていると、

「あら、油断ならない」とおかみさんに笑われて何となく耳の根が赤くなり、ごまかす

ために大声で、「みんなも来い」と呼んで表へ駆け出した出会い頭に「正太はなぜ夕飯

を食べないの、遊び惚けてさっきから呼んでいるのがわからないか、どなたもまた後ほ

ど遊ばせてください。これはお世話さま」と筆屋の妻にも挨拶をして、祖母自ら迎えに

来たので正太も嫌とは言えずそのまま連れられて帰ってしまった。後は急に淋しくなっ

て、人数はそれほど変わりがないのに「あの子がいなければ大人まで淋しい、ばか騒ぎ

をしたり三ちゃんのように冗談を言うわけでもないのに人好きがするのは金持ちの息子

さんには珍しい愛嬌者だ」「どう思います、田中屋の後家様のいやらしさ。あれで歳は

六十四、白粉をつけないだけましだが丸髷の大きいこと(若いほど大きくする)、猫な

で声を出して人が死んだって気にしない。大方最期は金と情死なさるやら」「それでも

こちらの頭が上がらないのはお金の御威光、まったく欲しいものですね。廓内の大きい

楼にもだいぶ貸し付けがあるように聞きました」など大路に立って二三人の女房が人の

財産を数えている。

                  五

 待つ身につらい夜半の置炬燵(端唄)、それは恋だ。吹く風の涼しい夏の夕暮れ、

昼の暑さを風呂で流して姿見の前で身支度する。母親が乱れた髪を繕って、我が子なが

ら美しいと立って見、座って見、「首筋(の白粉)が薄かったね」などと言っている。

水色友禅の単衣が涼しげで、白茶(ベージュ)の金襴の丸帯の少し幅が狭いのを結ばせ

て、庭石の下駄を(履くために)直すまで時間のかかったこと。

 「まだかまだか」と塀の周りを七度回って、あくびの数も尽きて、いくら払っても

名物の蚊に首筋や額際をしたたかに刺されて三五郎が弱り切った頃、美登利が出てきて

「さあ」と言ったのでこちらは言葉もなく袖をとらえて駆け出した。「息が弾む、胸が

痛い、そんなに急ぐならもう知らない、お前ひとりでお行き」と怒られて、別れ別れに

到着した。筆屋の店に来た時には正太は夕飯の最中のようだった。

 「ああおもしろくない、おもしろくない、あの人が来なければ幻燈を始めるのも嫌。

おばさん、ここでは知恵の板は売っていませんか、十六武蔵でも何でもいい、手が暇で

困る」と美登利が淋しがるので、女の子たちはそれならと鋏を借りて(板を)切り抜き

始める。男の子たちは三五郎を中心に仁和賀のおさらいをする。

 〽北廓全盛見渡せば、軒は提灯電気燈、いつも賑わう五丁町

と声を合わせてはやし立てる。記憶がよいので昨年一昨年までさかのぼって、手振り

手拍子一つも間違えない。十人余りが浮かれ立って騒いでいるので何事かと門口に人垣

ができた中から、「三五郎はいるか、ちょっと来てくれ、大急ぎ」と文治という元結

縒りが呼んだので何の用心もなく「おいしょ、よしきた」と身軽に敷居を飛び越える

と、「この二俣野郎覚悟をしろ横町の面汚しめ、ただでは置かぬ、誰だと思う長吉だ、

ふざけた真似をして後悔するな」と頬骨に一撃、「あっ」とびっくりして逃げようと

する襟髪をつかんで引き出す横町の一群、「それ三五郎を叩き殺せ」「正太を引き出し

てやってしまえ」「弱虫逃げるな」「団子屋の頓馬もただでは置かぬ」と沸き返る

騒ぎ、筆屋の軒の提灯は簡単に叩き落されて吊りらんぷも危ない。「店先で喧嘩はいけ

ません」と女房がわめいても聞くわけがない、人数は大体十四五人、ねじり鉢巻きに

大万燈を振り立てて当たるがままの乱暴狼藉、土足で踏み込む傍若無人、目指す敵の

正太が見当たらないので、「どこへ隠した」「どこへ逃げた」「さあ言わぬか、言わぬ

か、言わさずに置くものか」と三五郎をつかまえて打つやら蹴るやら、美登利は悔しが

り止める人を掻きのけて、「これお前たち、三ちゃんに何の罪がある、正太さんと喧嘩

したければ正太さんとするがいい、逃げてもいないしも隠しもしない、正太さんはいな

いじゃないか。ここは私の遊び場、お前たちに指を差させはしない、ええ憎らしい長吉

め、三ちゃんをなぜぶつ、あっまた引き倒した、恨みがあるなら私をおぶち、相手には

私がなる、おばさん止めないでください」と身もだえして罵った。「何を女郎め、つべ

こべ言うな姉の跡継ぎの乞食め、手前の相手にはこれが相応だ」と大勢の後ろから長吉

が泥草履をつかんで投げつけると、狙いたがわず美登利の額に泥ごとしたたかに当たっ

た。血相を変えて立ち上がるのを怪我でもしてはと抱き留める女房、「ざまをみろ、

こっちには龍華寺の藤本がついているぞ、仕返しにはいつでも来い、薄ばか野郎め、

弱虫め、腰抜けの意気地なしめ、帰りには待ち伏せしているから横町の闇に気をつけ

ろ」と三五郎を土間に投げ出したところに靴音が。誰かが交番へ注進したと知り、長吉

は「それ」と声をかけると、丑松文治その他の十人余りが方向を変えてばらばらに逃げ

足早く、裏通りに抜ける路地にかがむ者もいただろう。「悔しい、悔しい、悔しい長吉

め、文治め、丑松め、なぜ俺を殺さない、俺も三五郎だ、ただでは死ぬものか、幽霊に

なっても取り殺すぞ、覚えていろ長吉め」と熱い涙をはらはら流し、果てはわっと大声

で泣き出した。さぞ痛かろう筒袖の所々が引き裂かれて背中も腰も砂まみれ、勢いの

すさまじさに止めるにも止めかねて、ただおどおどと気を飲まれていた筆屋の女房が

走り寄って抱き起こし、背中を撫でて砂を払い「堪忍をおし、堪忍をおし、何と言って

も相手は大勢、こちらはみな弱い者ばかり、大人でさえ手が出しかねたのだからかなわ

ないのは知れたこと、それでもけががなかっただけ幸せだ。こうなると途中の待ち伏せ

が危ない。ちょうどよくいらした巡査様に家まで付き添ってもらったら私たちも安心、

このような事情ですので」と来合わせた巡査に筋を話す。「仕事柄だ、さあ送ろう」と

手を取ると、「いえいえ送って下さらなくても帰ります。一人で帰ります」と小さくな

る。「これ、怖いことはない。お前のうちまで送るだけのことだから心配するな」と

微笑して頭を撫でられるといよいよ縮こまって「喧嘩をしたと言うとおとっさんに叱ら

れます、頭の家は大家さんでございますから」としおれているのをすかして「なら門口

まで送ってやる、叱られるようなことはしない」と連れて行ったので周りの人は胸を

なでおろして見送ると、なんとしたことか横町の角で巡査の手を振り放して一目散に

逃げて行った。