樋口一葉「たけくらべ 三」

                  六

 「珍しいこと、この炎天に雪が降りはしないかしら。美登利が学校を嫌がるのはよっ

ぽどの不機嫌、朝ご飯が進まなければ後で寿司でも頼もうか。風邪にしては熱もない

から昨日の疲れというところでしょう。太郎(稲荷)様への朝参りは母さんが代理で

してあげるから失礼させてもらいなさい」と言うと「いえいえ姉さんが繁盛するように

と私が願をかけたのだから参らなければ気が済みません。お賽銭をください、行ってき

ます」と家をかけ出して、中田んぼの稲荷で鰐口を鳴らして手を合わせ、願いは何だっ

たのか行きも帰りもうなだれてあぜ道伝いに戻って来る美登利の姿。それと見て遠くか

ら声をかけ、正太は駆け寄って袂を押さえ、「美登利さん昨日はごめんよ」といきなり

謝ると「何もお前に詫びられることはない」「それでも俺が憎まれて、俺が喧嘩の相手

だもの。おばあさん呼びにさえ来なかったら帰りはしないし、あれほど三五郎をぶたせ

はしなかったのに。今朝三五郎のところへ見に行ったらあいつも泣いて悔しがった。

俺も聞いただけで悔しい、お前の顔へ長吉め草履を投げたというじゃないか。あの

野郎、乱暴にもほどがある。だけど美登利さん堪忍しておくれよ、俺は知って逃げたの

ではない、飯をかっ込んで出ようとするとおばあさんが湯に行くと言って留守番をして

いるうちの騒ぎだろう、本当に知らなかったのだからね」と自分の罪のように謝って、

「痛くはないかい」と額際を見上げると美登利はにっこりと笑って、「何けがをするほ

どじゃない。でも正太さん、誰に聞かれても私が長吉に草履を投げられたと言っては

いけないよ、もしお母さんが聞きでもしたら私が叱られるから。親でさえ頭に手を上げ

ないものを、長吉などに草履の泥を額に塗られては踏まれたも同じだから」と顔をそむ

けるのもいとおしく、「本当に堪忍しておくれ、みんな俺が悪い。だから謝る、機嫌を

直してくれないか。お前に怒られると俺は困るよ」と話しながら連れ立っていつしか

我が家の裏近くまで来たので、「寄らないか美登利さん、誰もいないよ。おばあさんは

日掛け(利息)を集めに出ただろうし、俺一人で淋しくてならない。いつか話した錦絵

を見せるからお寄りよ、いろいろあるから」と袖をとらえて離れないので、美登利は

無言でうなずいてもの寂びた折戸の庭口から入ると広くはないが鉢物をきれいに並べて

軒には釣り忍、これは正太の午の日の縁日の買い物のようだ。町内一の物持ちだという

のに家内は祖母とこの子二人きり(で不用心)なのでわけを知らない人は首をかしげる

が、(祖母は)下腹が冷えるほどたくさんの鍵を持ち歩き、留守にしても周りに見通し

の利く総長屋があるので、さすがに錠前を壊す者がいないのだろう。

 正太は先に上がり風通しの良いところを選んで「ここへ来ないか」とうちわであおぐ

心遣いは十三の子供にしてはませ過ぎてていておかしい。昔から伝わる錦絵の数々を

取り出して、褒められると嬉しく「美登利さん昔の羽子板を見せよう、これは俺のお母

さんがお屋敷に奉公していた時いただいたのだとさ。おかしいだろうこの大きいこと、

人の顔も今のとは違うね。ああ、この母さんが生きていたらよかったのに俺が三つの歳

に死んで、お父さんはあるけれど田舎の実家に帰ってしまったから今はおばあさんだけ

だ。お前がうらやましいよ」と不意に親のことを言い出したので、「ほら絵が濡れる、

男が泣くものじゃない」と美登利に言われ「俺は気が弱いのかな、時々いろいろなこと

を思い出すんだ。今頃はまだいいけれど冬の月夜なんかに田町辺りに集めに回って、

土手まで来て何度も泣いたことがある。寒いくらいで泣くのではないよ、なぜだかわか

らないがいろんなことを考えて。ああ、一昨年から俺も日掛けの集めに回っているよ、

おばあさんは年寄りだから夜は危ないし、目が悪いから判を押したりするのや何かに

不便だからね。今まで何人も男を使っていたけれど年寄りと子供だからばかにして思う

ようには動いてくれないとおばあさんが言ってたっけ。俺がもう少し大人になったら

質屋を出して、昔の通りでなくても田中屋の看板を掛けるのだと楽しみにしているよ。

よその人はおばあさんをけちだと言うけれど俺のために倹約してくれるのだから気の毒

でならない。集めに行く中でも通新町(貧民窟)や何かに随分かわいそうなのがいるか

ら、さぞおばあさんを悪く言っているだろう、それを考えると俺は涙がこぼれる。やっ

ぱり気が弱いのだね。今朝も三公の家に取りに行ったら、奴め体が痛いくせに親父に

気づかれまいと働いていて、それを見たら俺は口をきけなかった。男が泣くなんておか

しいじゃないか、だから横町の野蛮人にばかにされるのだ」と言いながら自分の弱さが

恥ずかしそうな顔色で無心に美登利を見る眼つきがかわいらしい。「お前の祭りの格好

は大層よく似合ってうらやましかった、私も男だったらあんな風にしてみたい、誰より

もよく見えたよ」とほめられて、「なんだ俺なんか、お前こそ美しいや。廓内の大巻

さんよりもきれいだと皆が言うよ。お前が姉さんだったら俺はどんなに肩身が広いだろ

う、どこへ行くにもついて行って大威張りに威張るのだけどな。一人も兄弟がいないか

らしょうがない。ねえ美登利さん今度一緒に写真を撮らないか、俺は祭りの時の姿で

お前は透綾の荒縞で粋な格好をして。水道尻の加藤(写真館)で写そう、龍華寺の奴が

うらやましがるように。本当だよ、あいつきっと怒るよ、真っ青になって。陰気な奴だ

から赤くはならない。それとも笑うだろうか、笑われてもかまわないから大きく撮って

看板に出たらいいな、お前は嫌かい、嫌そうな顔をしているね」と恨むように言うのが

おかしく、「変な顔に写るとお前に嫌われるから」と美登利は噴き出して美しい声で

高笑い、ご機嫌は直ったようだ。朝の涼しさはいつしか過ぎて陽射しが暑くなってきた

ので「正太さん、また晩に私の寮へ遊びにおいで、燈篭を流してお魚を追いましょう。

池の橋が直ったのでもう怖いことはない」と言い捨てて立って出て行く美登利の姿を、

正太は嬉しげに見送って美しいと思った。

                  七

 龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人とも学校は育英舎。過ぎた四月の末ごろ、桜は

散って青葉の陰で藤の花見という頃に春季の大運動会が水の谷の原であった。綱引き、

鞠投げ、縄跳びなどの遊びに夢中になって長い日が暮れるのも忘れたその時のこと。

信如はどうしたことかいつもの落ち着きに似合わず、池のほとりの松の根につまずいて

赤土の道に手をついてしまい羽織の袂が泥だらけになってしまったので、居合わせた

美登利が見かねて自分の赤い絹はんかちを取り出して「これでお拭きなさい」と介抱を

していると、友達の中のやきもちやきが「藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉しそう

に礼を言うのはおかしいじゃないか、おおかた美登利さんは藤本の女房になるのだろ

う。お寺のかみさんなら大黒様というのだ」などと騒いだ。

 信如はもともとこのようなことを他人事で聞くのも嫌いで、苦い顔をして横を向く方

なので自分のこととなると我慢がならなかった。それからは美登利という名を聞くたび

に恐ろしく、またあのことを言い出されるのではと胸の中がもやもやして何とも言えな

嫌な気持ちになった。しかしその(美登利から口をきかれる)たびに怒るわけにもいか

ないのでなるだけ知らん顔をして、平気を装って難しい顔をしてやり過ごすつもりでは

いるが、差し向って何か聞かれたりした時には途方に暮れて、大体は知りませんの一言

で済ませても、体には苦しい汗が流れて心細くなる。

 美登利はそのようなことを気にしないので最初の内は「藤本さん藤本さん」と親しく

話しかけ、学校帰りに一足早く道端に珍しい花を見つけると後から来る信如を待って、

「ほら、こんなに美しい花が咲いているけれど枝が高くて私には取れません。信さんは

背が高いからお手が届くでしょう、お願いですから折ってください」と一群の中の年長

を見かけて頼むと、信如もさすがに振り切って通り過ぎることもできず、といって人が

どう思うかとますます嫌なので手近な枝を引き寄せて、良し悪し構わず申し訳ばかりに

折って投げつけるようにしてすたすたと行ってしまう。何と愛嬌のない人だと呆れる

こともあったが、(そのようなことが)度重なった後にはわざと意地悪をしていると

思うようになり「人にはそうでもないのに私ばかりにつらい仕打ちをして、ものを言っ

てもろくに返事をしたこともなく、そばへ行けば逃げる、話をすれば怒る、陰気くさく

て気が詰まる、どうしていいのか機嫌の取りようがない。あのような難し屋は思うまま

にひねくれて怒って意地悪をしたいだけなのだから、もう友達だと思わなければ口を

きくこともないのだ」と美登利も癇に障ったので、用がなければすれ違っても物も言わ

なくなり、途中で会っても挨拶など思いもよらない。いつの間にか二人の間には大きな

川が横たわり、船も筏もここにはご法度、(それぞれの)岸に添って思い思いの道を

歩くようになった。

 昨日の祭りが過ぎて、そのあくる日から美登利は学校へ行くことをふっとやめたのは

聞くまでもなく額の泥の、洗っても消え難い恥辱が身にしみて悔しかったからだ。

「表町でも横町でも同じ教室に並んでいるのだから仲間に変わりはないはずなのに、

おかしな分け隔てをして常日頃から意地を張って、私は女だからとてもかなわないのを

いいことに祭りの夜の仕打ちは何と卑怯だったことか。長吉のわからずやは誰もが知っ

ているこの上もない乱暴者だけれど、信如の後押しがなければあれほど思い切って表町

を荒らさなかっただろう。人前では物知りらしく温順に見せて陰に回ってからくりの糸

を引くのは藤本の仕業に違いない。たとえ級は上でも勉強ができても龍華寺の若旦那で

も大黒屋の美登利は紙一枚もお世話になったことはないのだから、あのような乞食呼ば

わりしていただく恩はない。龍華寺はどれほど立派な檀家があるのか知らないが、私の

姉さんの三年のなじみ客には銀行の川様、兜町の米様、議員のちい様など身請けして

奥様にとおっしゃったのを気性が嫌いでお受けしなかったが、その人だって世に名高い

人だと遣り手衆が言っていた。嘘だと思うなら聞いてみるがよい、大黒屋に大巻がいな

ければあの楼は闇だと言われているのだ。だからこそお店の旦那様も父さんや母さん、

私のことも粗略に扱わずに常々大事にしてくれる。いつか床の間に据えている瀬戸物の

大黒様を私が座敷の中で羽をついて騒いで、隣にあった花瓶と一緒に倒して壊してしま

った時も、旦那様は隣でお酒を召し上がりながら「美登利、おてんばが過ぎるぞ」と

言っただけでお小言はなかった。他の人だったら通り一遍の怒られ方ではなかったと

女子衆に後々までうらやましがられたものだ。所詮姉さまの威光だけれど、私が寮住ま

いで人の留守番をしても姉は大黒屋の大巻。長吉風情に負けを取るものでもないし龍華

寺の坊さんにいじめられることなど心外だ」ともう学校へ通うことがおもしろくなくな

った。我儘の本性で侮られたことが悔しく、石筆を折って墨を捨て、書物もそろばんも

いらないと、仲のよい友達と勝手放題に遊んでいた。

                  八

 走れ飛ばせ(と急がせる)の夕方に比べて、夜明けの別れに夢を乗せて帰る車の淋し

さ。帽子を目深にかぶって人目を厭う人もいれば、手ぬぐいで頬かむりをしながらも

別れの一撃(別れ際に背中を打つ)の痛さを思い出す度に嬉しくて薄気味悪いにやにや

笑いをしている者もいる。坂本に出たらご用心、千住(市場)帰りの青物車に足元が

危うい。三島様の角までは気違い街道、どのお顔も締まりなく緩み、はばかりながら

お鼻の下を長々と見せて歩いているので、そんじょそこらで幅を利かせた御男子様だと

しても一分一厘の価値もないと、辻に立って失礼なことを言う人もいる。

 楊家の娘君寵を受けてと長恨歌を引き合いに出すまでもなく、娘というものはどこで

も貴重がられるが、この辺りの裏長屋にかぐや姫が生まれると特にそうだ。今は築地の

置屋に根を移して御前様のお相手をしている踊りがうまかったお雪という美人、お座敷

で「お米のなります木は」などとずいぶんあどけないことなど言っているが、元はこの

町の巻き帯党、花札の内職をしていたものだ。その頃は評判が高かったが去る者は日々

に疎く、名物が一つ消えても次の花は紺屋の末娘、今は千束の新蔦屋で子吉と呼ばれる

稀な美人の根も同じここの土。明け暮れの噂でもご出世したと言うのは女ばかり、男は

塵塚(で残飯を)探す黒斑の(犬の)尾のように、あっても用なしだと思われている。

 この界隈で若い衆と呼ばれる町の息子たちは生意気盛りの十七八から五人組や七人組

になって、腰に尺八を下げるような伊達者ではなく、何というのか厳めしい名の親分の

手下について揃いの手ぬぐいに長提灯。さいころを振ることを覚える前は冷やかす格子

先でも思い切った冗談もまだ言えない。自宅の家業を真面目に勤めるのは昼の内だけ、

一風呂浴びて日が暮れれば下駄をつっかけ七五三の着物(やくざ者が好む仕立て)を

着けて、「何屋の新妓を見たか、金杉の糸屋の娘に似ているがもっと鼻が低い」などと

いう風に頭の中をこしらえながら一軒ごとの(遊女との)煙草の無理なやり取り、鼻紙

の無心、打ちつ打たれつ、こんなことを一世の誉れと心得て堅気の家の相続息子が地回

りに改名し、大門際で喧嘩を買ってみたりする。女の勢いを見ろと言わんばかりに春秋

知らぬ(一年通して)五丁町の賑わい、送り提灯などは今は流行らないが、茶屋の回し

女の雪駄の音に、響き通る歌舞の音曲。浮かれ浮かれて入り込む人に何が目当てかと

聞けば赤襟に赭熊に裾の長い打掛、にっと笑う口元目元。どこがよいとも言い難いが、

花魁衆をここだけで敬って、立ち離れればもうどうなろうと知ることはない。

 このような中で朝夕を過ごせば環境に染まることは無理もなく、美登利の眼に男と

いうものは全く怖くも恐ろしくもない。女郎というものを大して卑しい勤めだとも思わ

ないので、過ぎた日に故郷を発つ姉を泣いて見送ったことも夢のように思われて、今日

この頃の(姉の)全盛は父母への孝行だと羨ましく、お職を通す(トップでいる)姉の

身のつらさ憂さの数も知らず、待ち人恋うる鼠鳴き、格子の呪文、別れの背中の手加減

の秘密までただただおもしろく聞こえて、廓言葉を使うのもそれほど恥ずかしいと思わ

ないのが哀れである。歳はやっと数えの十四歳、人形を抱いて頬ずりする心は華族

お姫様と変わりはないが、修身の講義や家政学のいくらかを学んだのは学校でだけ。

明け暮れ耳に入るのは好いた好かぬの客の噂。お仕着せや積み夜具、茶屋への付け届け

(遊女の馴染みになった客が贈る)などは派手に、見事に、それができなければみすぼ

らしいなどと、人のことも自分のことも分別を言うにはまだ早い。幼い心には目の前の

花だけが美しく、持ち前の負けん気だけが勝手に走り回って、雲のようにふわふわと

ふくらんでいる。

 気違い街道、寝ぼれ道、朝帰りの殿方の一巡が終わり、朝寝の町も門口の掃き目が

青海波を描き、打ち水をちょうどよく済ませて表町の通りを見渡すと、来るは来るは

万年町、山伏町、新谷町(貧民窟)辺りをねぐらにしている一能一術(の持ち主)。

これも芸人の名は逃れない。よかよか飴や軽業師、人形遣い大神楽、住吉踊りに角兵衛

獅子。思い思いのいでたちをして縮緬や透綾の伊達者もいれば、薩摩絣の洗いざらし

黒繻子の幅狭帯、いい女もいれば男もいる。五人七人十人の大群もいれば、一人淋しく

痩せ親父が破れ三味線を抱えて行くのもある。五つ六つの女の子に赤襷をさせて、あれ

は紀の国を踊らせているのもある。お得意様は郭内に居続けの客(のなぐさめ)や女郎

(の憂さ晴らし)。一生芸人を止められないのはよほど利益があるのだろう。来るとは

いってもこの(町の)辺りでは貰いが少ないので誰も心に留めず、裾に海藻のような

ぼろを下げた乞食さえ門口に立たず行き過ぎてしまう。

 器量のよい女太夫が笠に隠れて奥床しい頬を見せながらのど自慢、腕自慢。「あの声

をこの町では聞かせてくれないのは憎い」と筆屋の女房が舌打ちをして言うと、店先に

腰かけて往来を眺めていた湯上りの美登利が、はらりと下がる前髪を柘植の鬢櫛でさっ

とかき上げて「おばさんあの大夫さんを呼んできましょう」と走り寄って袂にすがり、

投げ入れたものが何かは笑って誰にも言わないが、好きな暁烏をさらりと歌わせて、

「またごひいきを」という愛想よい声。これはたやすく買えるものではない、あれが

子供のすることかと寄り集まった人は舌を巻いて、大夫よりも美登利の顔を眺めた。

「伊達に(心意気を見せるため)通る全ての芸人をここにせき止めて、三味線や笛や

太鼓で歌わせて踊らせて、人のしないことをしてみたい」と正太にささやき聞かせる

と、驚き呆れて「おいらは嫌だな」。