樋口一葉「たけくらべ 五」

                  十二

 信如がいつも田町に通う時に、通らなくても用は済むが近道となる日本堤の土手の

手前に間に合わせの格子門がある。のぞくと鞍馬石の石灯篭と萩の袖垣がしおらしく

見えて、縁先に巻いたすだれの様子も懐かしい。中がらす障子(中央がガラスになって

いる)の内では今風の按察の後室(若紫の祖母:未亡人)が数珠をつまぐり、おかっぱ

頭の若紫が出て来そうな構えの建物、それが大黒屋の寮だ。

 昨日も今日も時雨の空、田町の姉から頼まれた長胴着ができたので少しでも早く着せ

たい親心、「ご苦労だが学校前のちょっとの間に持って行ってくれまいか、きっと花も

待っているから」という母親に言いつけを、いつでも嫌とは言わないおとなしさではい

と小包を抱えて鼠小倉(木綿)の鼻緒をすげた朴歯の下駄を履き、雨傘を差して出た。

 お歯黒溝の角を曲がって、いつも行く細道をたどり大黒屋の前に来た時運悪く、風が

大黒傘の上をつかんで宙へ引き上げんばかりに激しく吹いて、取られまいと踏ん張った

とたんに思いもよらず鼻緒がずるずると抜けて傘よりも一大事になった。信如は困って

舌打ちをしたが今更どうしようもないので大黒屋の門に傘を立てかけ、庇で降る雨を

よけながら鼻緒を繕うが、常日頃し慣れぬお坊ちゃまなので心ばかりあせってどうして

もうまくすげることができずに焦れて、袂の中から作文の下書きをしていた半紙をつか

み出し、びりびりと裂いてこよりを縒るが、意地悪な嵐がまた来て立てかけた傘がころ

ころと転がり出す。「いまいましい奴め」と腹立たしげに言って止めようと手を延ばす

と、膝の上に乗せておいた包みはひとたまりもなく落ちて、風呂敷も袂も泥だらけに

なってしまった。

 見るのも気の毒なのは雨の中の傘なし、途中で鼻緒を切るばかりではない。美登利は

障子の中からがらす越しに遠く眺めて「あれ、誰か鼻緒を切った人がいる。母さん布を

やってもいいですか」と尋ねて針箱の引き出しから友禅縮緬の切れ端をつかみだし、庭

下駄を履くのももどかしく走り出て、縁先の洋傘を差すより早く庭石の上を伝って急ぎ

足で出た。それと見るなり美登利の顔は赤くなり、大変なことに出会ったように胸の

動悸が早く打つのを誰かに見られるかと背後を気にしながら恐る恐る門の側に寄ると、

信如はふと振り返ったがこちらも黙って冷汗が脇を流れ、裸足になって逃げたい思い。

 いつもの美登利なら信如が困っている姿を指さして、「あの意気地なし」と笑い抜い

て言いたいままの憎まれ口、「よくもお祭りの夜は正太さんをやっつけると言って私た

ちの遊びの邪魔をさせ、罪のない三ちゃんを叩かせ、お前は高いところで采配していら

したね。さあ謝りなさい、私のことを女郎女郎と長吉に言わせたのもお前の指図、女郎

でもいいではないか、塵一つお前さんの世話にはならない。私には父さんもあり母さん

もある、大黒屋の旦那も姉さんもある。お前のような生臭の世話にはなりませんから

余計な女郎呼ばわりは止めてもらいましょう。言うことがあるなら陰でこそこそ言わず

にここでお言いなさい、お相手にはいつでもなります。さあ何とか言いませんか」と

袂をとらえてまくしたてる勢いのはずが、いくら当たりづらいとはいえものも言わず

格子の陰に隠れて、といって立ち去ることもできずにただうじうじと胸をとどろかせ

て、常日頃の美登利のようではなかった。

                  十三

 ここは大黒屋だと思った時から信如は恐ろしく、左右も見ずに一心に歩いていたが

あいにくの雨、鼻緒までも切ってどうしようもなく門前でこよりを縒る心地はあまりに

つらくてどうにも耐えられないものだったのに、飛び石を渡る足音は背中に冷や水

かけられるかのよう。ふり返らなくてもその人だと思ってわなわなと震え、顔色も変わ

り、後ろ向きになって鼻緒だけに心を尽くしているように見せながら半ば夢の中、下駄

はいつまでかかっても履けるようにはならなかった。庭の美登利はそれをのぞいて、

「えぇ不器用な、あんな手つきではどうにもならない、こよりは婆撚り(へなへな)、

わらしべなど前壺に差し入れたって長持ちしないのに。それ羽織の裾が地面について

泥になっているのに気づかないのか。あっ傘が転がる、畳んでから立てかければいいの

に」といちいちもどかしく歯がゆく思っても、「ここに布があるからこれでおすげなさ

い」と呼びかけることもせず、これも立ち尽くして雨が袖にわびしく降っているのを

避けようともせず、隠れてうかがっていることを知らない母が向こうから声をかけて、

「火のしの火が熾りましたよ、美登利さんは何を遊んでいる、雨が降るのに表へ出て

いたずらしてはなりません。またこの間のように風邪を引きますよ」と呼び立てられ、

「はい今行きます」と大きく言い、その声が信如に聞こえるのも恥ずかしく胸がどきど

きしてのぼせ、どうしても開けられない門のそばの見逃せない難儀。さまざまに思案し

て格子の間から手に持った布をものも言わずに投げ出すと、信如は見ないように見て

知らん顔をしている。「ああいつもの通りだ」とやるせない思いが目に集まり、涙と

なって恨み顔。「何を憎んでそんなにつれない素振りをするのだろう、言いたいこと

はこっちにあるのにあんまりだ」と思い詰めたが、母親の呼び声が度々になって仕方が

ないので一足二足、「えぇ何をしているのか、未練がましい、恥ずかしい」と身を翻し

て庭石をかたかた伝っていくのを信如は今、ひっそりと振り返った。紅入りの友禅が

雨に濡れて美しい紅葉の柄が足元近くに散っている。何となく床しい思いはあるが手に

取ることもせず、空しく眺めて淋しい思いをしている。

 自分の不器用を諦めて羽織の長いひもを外し、下駄に結わえ付けてくるくると巻いた 

みっともない間に合わせをして、これならと踏んでみても歩きにくいのは言うまでも

なく、この下駄で田町まで行けるのかと今さらに難儀を思うが仕方ない。立ち上がった

信如は包みを片手に二足ばかりこの門を離れたが友禅の紅葉が目に残り、捨てて過ぎる

のも耐え難く心残りで見返った時、「信さんどうした。鼻緒を切ったのか、そのなりは

どうだみっともないな」と不意に声をかけるものがあった。

 驚いて振り返ると暴れ者の長吉。廓の(朝)帰りのようで浴衣を重ねた唐桟の着物に

柿色の三尺帯をいつもの通り腰の先に巻いて、黒八丈の襟のかかった新しい半纏、屋号

の入った傘を差し、高足駄の爪皮もおろしたてとわかる漆の色が際立って誇らしげだ。

「僕は鼻緒を切ってしまってどうしようかと思っている、本当に弱ったよ」と信如が

意気地のないことを言うと、「そうだろう、お前に鼻緒など立てられっこない。いいや

俺の下駄を履いて行きな、この鼻緒は大丈夫だよ」と言うので「それでもお前が困る

だろう」「なに俺は慣れたものだこうやってこうする」と言いながらあっという間に

粋な七分三分の尻端折りにして「そんな結わえ付けなどするよりこっちがいいよ」と

下駄を脱いだので、「お前裸足になるのか、それは気の毒だ」と信如が困り切っている

と「いいよ、俺は慣れたことだ、信さんなんかは足の裏が柔らかいから裸足で石ころ道

は歩けない。これを履いておいで」と揃えて出す親切。人からは疫病神のように嫌われ

ながら、げじげじ眉を動かして優しい言葉が出てくるのがおかしい。「信さんの下駄は

俺が持って行って台所に放り込んでおいたらいいだろう、さあ履き替えてそれをお出

し」と世話を焼き、鼻緒の切れたのを片手に下げて「それなら信さん行っておいで、

後で学校で会おうぜ」と約束した。信如は田町の姉の元へ、長吉は我が家の方へ別れて

行ったが、思いの留まる紅友禅はいじらしい姿を空しく門の外に置いていた。

                 十四

 この年は三の酉まであって、中一日は雨だったが前後は上天気だったので大鳥神社

賑わいはすさまじく、それにかこつけて(普段開かない反対側の)検査場の門から乱れ

いる若者たちの勢いといったら、天柱砕け地維欠ける(天を支える柱が折れて地をつな

ぐ綱が切れる)かと思うほど笑い声がどよめく。仲ノ町の通りは急に方角が変わったか

のように思えて角町、京町のところどころの跳ね橋から、さっさ押せ押せと猪牙(船、

吉原に客を運ぶ船)の掛け声で人波をかき分ける群れもある。河岸の小店の百囀り

(遊女の呼び声)は大店の三階建ての楼上まで聞こえ、弦の音歌の声、さまざまに沸き

返るようなおもしろさは、ほとんどの人に忘れ難い思い出となることだろう。

 正太はこの日日掛けの集金を休ませてもらって、三五郎の大頭(ふかし芋の縁起物)

の店を見舞ったり、団子屋の背高の愛想のないお汁粉屋を訪れて「どうだ、儲けはある

か」と聞くと「正さんいいところへ来た、あんこが終わってしまって今は何を売ろう。

すぐに煮始めてはいるのだがお客は断れないし、どうしようか」と相談されて、「知恵

なしだな、大鍋の縁に無駄がたくさんついているではないか。それに湯をかけて砂糖で

甘くさえしたら十人前や二十人前はできるだろう。どこでもみなそうするのだ、お前の

店ばかりじゃない。何この騒ぎで良し悪しなど言う者があるか、お売りお売り」と言い

ながら先に立って砂糖の壺を引き寄せると、片目の母親が驚いた顔をして「お前さんは

本当にあきんどにできていなさる、恐ろしい知恵者だ」とほめると「なんだこんなこと

が知恵者なもんか、今横町のひょっとこのところであんが足りないってこうしていたの

を見てきたのだから俺の発明ではないよ」と言い捨てて、「お前は知らないか、美登利

さんのいるところを。俺は今朝から探しているのだがどこへ行ったのだろう、筆屋にも

来ないと言うから廓かな」と聞くと、「うん、美登利さんはさっき俺の家の前を通って

揚屋町の跳ね橋から入って行った。大変だぜ正さん今日はね、髪をこういう風にこんな

島田に結って」とへんてこな手つきをして、「きれいだねあの子は」と鼻を拭いながら

言うと、「大巻さんよりもっといいや、でもあの子も花魁になるのはかわいそうだ」と

下を向いて正太が答えると、「いいじゃないか花魁になれば。お俺は来年から際物屋

(季節商売)になってお金をこしらえるからそれを持って買いに行くのだ」と頓馬を

表したので、「生意気なことを言ってらあ、お前はきっと振られるよ」「なぜさ」

「なぜでも振られるわけがあるのだもの」と顔を少し赤らめて笑いながら「それじゃあ

俺も一回りしてこよう、また後で来るよ」と捨て台詞をして門に出て、〽十六七の頃

までは蝶よ花よと育てられ、と怪しげな震え声でこの頃のはやり歌を歌って 〽今では

勤めが身にしみてと口の中で繰り返していつもの雪駄の音高く、浮き立つ人の中に交じ

って小さな体はたちまち隠れていった。

 人波にもまれて出た廓の角で、向こうから番頭新造のお妻と連れ立って話しながら

歩いてくるのを見れば間違いなく大黒屋の美登利だが、本当に頓馬が言った通り初々し

い大島田に結い綿のような絞りをふっさりと掛けて鼈甲の簪を差し、房付きの花簪を

閃かせ、極彩色の京人形を見るようで正太はあっとも言わず立ち止まったまま、いつも

のように飛びついたりせずに見つめていると、こちらから「正太さんか」と走り寄っ

て、「お妻どんお前、買い物があるならここでお別れにしましょう、私はこの人と一緒

に帰ります。さようなら」と頭を下げると「あら美ぃちゃん現金な、もうお見送りは

いらないのですか。それなら私は京町で買い物をしましょう」と小走りに長屋の細道へ

駆け込んだので、正太は初めて美登利の袖を引いて、「いつ結ったの、今朝かい、昨日

かい、なぜ早く見せてくれなかった」と恨めし気に甘えると、美登利は打ち萎れて口

重く、「姉さんの部屋で今朝結ってもらったの、私は嫌でしょうがない」とうつむいて

往来の人目を恥じている。

                  十五

 もの憂く恥ずかしく気の引けるようなことがあったので、人が褒めても嘲られている

ように聞こえ、島田髷の慕わしさにふり返って見る人たちも自分をさげすんでいるのだ

と受け止めて、「正太さん私は家に帰るよ」と言うので「なぜ今日は遊ばないの、何か

小言を言われたの、大巻さんと喧嘩したのではないか」と子供らしいことを聞かれても

答えようがなく顔が赤らむばかり。連れ立って団子屋の前を通ると頓馬が店から「お仲

がよろしゅうございます」と大げさな言葉をかけた。聞いたとたんに美登利は泣きそう

な顔になって「正太さん一緒に来ては嫌だよ」と置き去りにして一人足を速めた。お酉

様へ一緒にと言っていたのに美登利は我が家へ急いでいるので、「お前一緒に来てくれ

ないのか。なぜ帰ってしまう、あんまりだぜ」といつものように甘えてきても振り切る

ように、ものも言わずに行こうとするので、なぜだかわからない正太は呆れて追いすが

り、袖を留めて不思議がるが、美登利は顔だけを赤くして「何でもない」と言うのも

わけがあるのだった。

 寮の門をくぐって入ると、正太も前から遊びに来慣れていて遠慮のない家なので、後

から続いて縁先からそっと上がるのを母親が見て「おお正太さんよく来てくださった。

今朝から美登利の機嫌が悪くてみなもてあまして困っています、遊んでやってくだ

さい」と言うので正太は大人らしくかしこまって、「加減が悪いのですか」とまじめに

聞くと、「いいえ」と母親は怪しい笑顔で「少し経てば治るでしょう、いつもの決まり

のわがまま様、さぞお友達とも喧嘩しましょうね。本当にやりきれないお嬢様だこと」

と見返ると、美登利はいつの間に小座敷に布団と掻巻を持ってきて、帯と上着を脱ぎ

捨てただけで突っ伏してものも言わないでいる。

 正太は恐る恐る枕元へ寄って、「美登利さんどうしたの、病気なの、気分が悪いのか

い、一体全体どうしたの」とあまり近くにはすり寄らずに膝に手を置いて心を悩ませる

が、美登利からはさらに答えがなく押さえた袖から忍び泣く声、まだ結いこめなかった

前髪が涙で濡れるわけがあるのだろうとはわかるが、子供心の正太には何の慰めの言葉

も出ずただひたすらに困るばかり。「いったい何がどうしたのだい、俺はお前に怒られ

るようなことはしていないのに何でそんなに腹が立つの」とのぞき込んで途方に暮れて

いると美登利は目をぬぐって、「正太さん、私は怒っているのではありません」「それ

ならどうして」と聞かれても、つらいことはたくさんあるがこれはどうにも話せない。

隠したいことなので誰にも言うわけにもいかず、何も言わなくても頬が赤くなり、特に

何だとは言えないがだんだん心細くなる。昨日までの身には覚えのない思いが生まれ

て、恥ずかしいのは言うまでもない。できるなら薄暗い部屋の中で誰からも言葉をかけ

られず、顔も見られずに一人気ままに朝夕を過ごしたい。そうしたらこのようにつらい

ことがあっても人目を気にせずこれほど悩むこともないだろう。いつまでもいつまでも

人形や姉様(紙人形)を相手にしてままごとばかりできたらどんなに嬉しいだろうに、

ええ嫌々、大人になるのは嫌なこと。なぜこのように年を取るのか、もう七月十月、

一年も元に戻りたいと年寄りじみた考えをして、正太がここにいるのも考えられず、

何か言いかけると全て蹴散らせて「帰っておくれ、帰っておくれ正太さん、お願いだか

ら帰っておくれ。お前がいると私は死んでしまう、何か言われると頭痛がする、口を

きくと目が回る。誰も誰も私のそばに来ては嫌だからお前もどうぞ帰って」といつもに

似合わぬ愛想尽かしを言う。正太はなぜかわからずに煙の中にいるようで、「お前は

どうしたってへんてこだよ、そんなこと言うはずないのにおかしい人だね」と少し悔し

い思いで落ち着いて言いながらも目には気弱な涙が浮かんでいるが、それにも心を留め

られず、「帰っておくれ、帰っておくれ、いつまでもここにいるのならもうお友達でも

何でもない、嫌な正太さん」と憎らしげに言われて、「それなら帰るよ、お邪魔様で

ございました」と風呂場で湯加減を見る母親にも挨拶もせず、ふいっと立って正太は

庭先から駆け出した。                  

                  十六

 一直線に駆けて人中を抜けてくぐって筆屋の店に躍り込むと、三五郎はいつの間にか

店を閉め、腹掛けの隠しへいくらかをじゃらつかせて、弟妹を引き連れて好きなものを

何でも買えと大兄様、大愉快の最中に正太が入って来たので、「やあ正太さん今お前を

探していたのだ。俺は今日はだいぶ儲けがある、何かおごってあげようか」と言う。

「ばかを言え、手前におごってもらう俺ではない黙っていろ、生意気言うな」といつに

なく乱暴なことを言ってそれどころではないとふさいでいると、「なんだなんだ喧嘩

か」と食べかけのあんぱんを懐にねじ込んで、「相手は誰だ、龍華寺か長吉か、どこで

始まった廓か鳥居前か。お祭りの時とは違うぜ、不意でさえなければ負けはしない。俺

が承知だ先棒は振らあ、正さん肝っ玉をしっかりしてかかりねえ」と勇み立ったので、

「ええ、気の早い奴め、喧嘩ではない」とさすがに言いかねて口をつぐむと「お前が

すごい勢いで飛び込んだから俺は全く喧嘩かと思った。だけど正さん、今夜始まらなけ

ればもう喧嘩は起こりっこないね。長吉の野郎、片腕がなくなるもの」と言うので、

「どうして片腕がなくなるのだ」「お前知らないか、俺もたった今、家の父っさんが

龍華寺のご新造と話していたのを聞いたのだが、信さんはもう近々どこかの坊さん学校

へ入るのだとさ。衣を着てしまえば手が出ねえや。あんな袖のぺらぺらした恐ろしく

長いものをまくり上げるのだからね。そうなれば横町も表も残らずお前の手下だよ」と

おだてると、「よしてくれ、二銭もらえば長七の手下になるようなお前みたいなのが

百人仲間にいたってちっとも嬉しいことはない、つきたい方へどこでもつけよ。俺は

人は頼まない。自分の腕で一度龍華寺とやりたかったのによそへ行かれては仕方が

ない。藤本は来年学校を卒業してから行くのだと聞いたが、どうしてそんなに早くなっ

たのだろう。しようのない野郎だ」と舌打ちしながらそれは少しも心に留まらず、美登

利の素振りが思い出され、正太はいつもの歌も出ず、大路の往来のおびただしささえ

心が淋しいのでにぎやかだとも思えず、火を灯す頃に筆屋の店で寝転がった。今日の

酉の市はめちゃくちゃ、こちらもあちらも変なことになってしまった。

 美登利はその日を始めとして生まれ変わったような振る舞いをするようになった。

用がある時は廓の姉のところへ行き、決して町で遊ぶことがなくなった。友達が淋しが

って誘いに行っても今度今度と空約束ばかり。あれほど仲のよかった正太とさえも親し

まず、いつも恥ずかしそうに顔を赤らめて、筆屋の店先で手踊りした活発さは二度と

見ることができなくなった。人々は不思議がって病気のせいかと心配する者もいるが、

母親一人だけがほほ笑んで「今におてんばの本性は現れます、今は中休み」とわけあり

げに言って、知らない者には何のことはわからず、女らしくおとなしくなったと褒める

者もいれば、せっかくのおもしろい子を台無しにしたと謗る者もいる。表町はにわかに

火が消えたようになって、正太の美声を聞くこともまれになり、ただ夜毎の弓張提灯、

あれは日掛けの集金だとわかる、土手を行く影が何となく寒そうで、時々お供をする

三五郎の声だけがいつもと変わらずおどけて聞こえる。

 龍華寺の信如が自分の宗派の学校に修行に出るという噂も美登利は少しも聞かなかっ

た。あの時の意地をそのまま封じ込めたまま、ここ最近自分に起こった怪しいことを

自分ごととは思えずにただ何もかも恥ずかしいばかりでいたが、ある霜の朝、水仙

造花を格子門の外に差し入れた者があった。誰がしたことかは知るよしもなく、美登利

は何となく懐かしい思いがして、違い棚の一輪挿しに入れて淋しく清い姿を愛でていた

が、聞くともなしに伝え聞くには、その翌日は信如が何某という学林で袖の色を変えた

日であったということだった。