馬場孤蝶の手紙 一

 相変わらずお麗しいお筆の跡がありがたく幾度か繰り返し(読みました)。さてあの

日藤村と天知に戦いを挑みましたところ、天知は在京中でしたので決闘状は鎌倉に虚を

突き、藤村は箕輪の家で病臥中、私に一矢報いる勇気もないとのことで、すこぶる失望

しておりました折、思いもかけず御許様よりお手厳しいご反撃にあずかり、大いに狼狽

の至りでした。もとより手紙などで人様の大事な秘密を伺おうなどという心得違いなど

はないのですから、何事も知らぬ存ぜぬと仰せられても決してご無理なお答えだとは

思いません。それにしても私の天機を漏らせとの仰せは世慣れぬ蝶の身にとっては、何

ともお答えに苦しみます。先日の天機云々はただ他の人のことで、蝶の身のことでは

ないのです。流れの柳もあえてお文に関係のないことと存じますがどうでしょう。別に

元も末もなくただ雪が降って夕暮れの景色が大変美しかったので頭に浮かんだとりとめ

のないことを書きつけただけで、これと開き直って申し上げたものでもないのです。

何事も世間知らずの蝶の口、筆ではくだらないことを書いておりますが、実際はごく

ごく意気地なしなのです。今さら申し上げても野暮な貧乏書生なのは古い昔からご存じ

のことと思いますのに今更のご質問、これはほんのおからかいお遊ばせになったのだと

存じます。

 申すには差し障りが多いですが「闇夜」の直次郎殿の粉本(モデル)は長谷川某氏だ

ということは先日のお話しでご承知いたしました。ならば波崎という方もどこかにいら

っしゃるのではと金の草鞋を履いてでも尋ねたいと心はやる者もここにはいます。お蘭

様とはどこのお方なのか伺いたく、また毎度の参上の折ごとに。話のついでに片恋の

ことに及ぶと蕭然(淋しげ)とお顔を改め給い、慨然(憂い嘆く)として説き出す御許

様のご様子はどうやらただの文学者としてのご同情だけではあるまじく存ぜられ、ある

人の如きは例のアワビ貝(磯の鮑の片思い=一枚貝であることから))とやらのご解釈

を御許様に伺ってくれと申し出たほどですが、まだうら若く、ご愛嬌深い御許様がこれ

ほどまで世に背いて悟りを開くなどなかなかただごとではないと、蝶は恐れ入りながら

お見上げしているのです。しかし何かお含みがあるのでしょうが、それを理由もなく

一通や二通の手紙で人に打ち明けるご性質ではありませんでしょうし、またそのような

ことをすべき事柄では本来なかるべきことです。さて、また万が一それを伺ったとして

ご同情を寄せることができるような身でもありませんので蝶は決してお心の底を伺った

りはしません。ただ遠方より何か深く物思いしているのかとご案じしているのです。

 さて、これはお笑い種までに申し上げますが、今日は箕輪の里に藤村を訪ねたとこ

ろ、処女の純潔などという問題が出て人々は盛んに論じましたが蝶などにはそのような

難しいことは少しもわからず、ただ耳を走らせていました。世には聖愛とやら何とやら

くだらないことを申して、影のような心のみを当てにしている人が多いようです。臭骸

を包む皮ですが人間である以上はそれに迷わないのは噓でしょうか、憎きは色に迷わぬ

方でしょう。「色と薫りがあっての花よ、あれさ姉さん心にゃ惚れぬ、朝湯帰りの半纏

姿、濡れて艶持つ洗髪」ご一笑までにご覧に入れます。何かおもしろいお心意気があり

ましたら紙上にてご教示くだされたくお願い申し上げます。それではあまりに(たびた

び参上して)ご清思を妨げますのが心苦しいからです。まずこの度はお返事まで。

                  三月十七日夜十一時したため かつや 百拝

お蘭様

 

 昨日は知り合いと東台の丘の上、朧月の光に白雲のような花の眺めに浮かれ、今日は

また花は都のみではなく、田舎の垣根や道端の人知らぬあたりにもなお捨て難い香りの

よりどころもあるかと脚絆草鞋の装いでまずは笹目の天知庵を叩いて快談し、昼過ぎる

頃霞を衝いて長谷寺に花を探し、また江の島の方へ向かいながら道辺のすみれを摘んで

紙に挟み、天女の祠に身の行く末を祈り、みさごが飛び交う霞の彼方に足柄箱根の山々

を望み、飽くまで春景を貪り、夕暮れを告げる鐘の音に送られて、今はここ湘南に落ち

着きました。

                    樋口夏子様 相州小田原鴎盟館にて 孤蝶

 

 先日は土足のままで参上し、そればかりかご来客があったのにも関わらず、例の長居

をして申し訳の言葉もなくただ頭を地に着けて百回拝むよりほかありません。さて昨日

は禿木をのぞいた文学界の七人男が打ち揃って小金井の里に桜狩りとしゃれこんだとこ

ろ、どうしたことかお天道様のお気に障ったようで、列車が国府寺停車場に着いた頃に

は非常な降りとなったので一同大いに弱りこみ、田んぼの横の茶店の二階で村の酒を

飲んで少し騒いでいたら幸い一時過ぎには天気ががらりと変わったので、ようやく一行

は泥濘の中を歩き、田んぼの中を踏んで小金井の岸いっぱいの桜を賞することができま

した。酒もなく菓子も尽きたのでぼんやりと花の下をたどり、秩父の山々は白雲の上に

鋭く青々として、芙嶽(富士山)は白皚皚(真っ白)として群れる山を抜いて卓然(ひ

ときわ抜きんでている)としています。舞う人あり唄う人あり、さすがに泣く人がいな

いのは幸せです。白雲のように咲き乱れた桜の間に松の緑が美しいのを見て天知が万歳

して祝そうとたわむれ、ろくでもないご面相をいとも大事そうにこうもり傘で包んで

いるふとっちょの姫君を見ては抱腹し、午後四時ごろに停車場から列車に乗り信濃町

下車し、徒歩で本郷に帰って藪蕎麦で一杯飲み、洒竹の百面相に一同背中を痛めるほど

絶倒し、洒竹、天知、夕影、藤村を伴って若竹に小清の玉三を聞きました。ここでは

申し上げるほどの事件にも出会わず遺憾の至りでございます。

 雨が降ったため俗客の多くが去って花の下は比較的静かでしたが、もし雨が降らなか

ったら美人も見られたでしょうし大変な大騒ぎの光景も目に入ったことでしょう。今さ

らながらお天道様がつんぼだったことを恨みます。国分寺のあたりでは襦袢姿の女が

湯巻の裾を泥にして歩いている者を多く見受けました。都でさえ花の頃はさすがに警察

の注意もゆるむのに、まして田舎の事故ならずいぶん醜態といえば醜態、盛んといえば

盛んな光景をも見い出せましたろうに、雨のためにそれを見られなかったことは我々

俗物にとってはすこぶる遺憾の至りでした。一行は桜を賞せず山を賞し雲を喜び、ある

者は堤のすみれを摘み、ある者はぼけの花を摘み、ある者は笑い、ある者は黙り、ある

者はしゃべる。その句の内には左のようなものもあったとか。

  行く水や何に流るらん山さくら 洒竹

  花の山何に水車急ぐ春 同

  峯いくつ超えて行くらん春の雲 藤村

  雪の峯秩父を抜いてぬっと高し 孤蝶

  蝙蝠をのぞいて通る(洒竹)色目かな(孤蝶)

  前見てびっくり(洒竹)腰抜かしけり(孤蝶)

 ここに堤で摘んだすみれがありまのであなたにご覧に入れます。せめて桜の一輪とは

思いましたが、高い梢に卑しい男は甲斐もないと諦め、それだけをかき集めた次第で

ございます。

                   まずは右まで 敬具 四月十五日 こちょう

一よう様

 すみれ草に寄す

  いざ語れ露を添い寝の花の夢。

  すみれ咲く野に眠りけり朧月。

  香りなく野に咲き出でてし見なれども(と夢にささやく声の聞こえる)

   色なき君が手には摘まれじ

 

 出発の際は手厚いご餞別をいただきありがたく、厚くお礼を申し上げます。お礼に

ちょっと参上したいと思いながら何かと取り込みがあり心ならずもご無沙汰してしまい

ました不精をなにとぞお許しのほどお願いいたします。

 去る二日午前六時二十分、涙と共に都を走り出で、下車したのは大磯駅。病気の姪と

その娘を見舞い、これも別れが惜しいのを思い直して停車場へ行けば、西行きの列車に

は秋骨、藤村、夕影の三人がいて共に小田原へ行きましたところ、ここでは悪疫が流行

して休業中でしたので直ちに箱根の塔の沢へ行き、例のいで湯で汗を流して夕涼みに

麦酒をすすり、鮮魚をさばかせての酒席で近頃の関心ごとなど話しました。あっさりと

した装いの少女たちが美しいように白水青山(李白の友を送るにかけている)の眺めの

ほかにもおもしろおかしく思えたこともあり、思いのほか杯を重ね夕影と私は二時間

くらい酔い伏しましたが十二時前までは花を戦わせて大騒ぎし、不器用な戸川や島崎

などが梅松桜をいかにする、さては青丹などと苦労している様子は(あなたの)豊富な

ご想像で直ちに浮かび出すでしょう。翌三日午後二時、上の友と悲しい別れをして私

一人箱根を越えました。山は翠で水は白くにわか雨の降る中夕日がようやく富嶽の雲を

染める頃沼津に着きました。久しぶりに伯父を訪ねましたが、芙蓉の姿は雲に包まれて

見えず、愛鷹山の山脚が長く伸びて田子の浦に至るところのみ朧げに見えました。ここ

も七時には走り出て、薩陲の山に田子の浦三保の松原あたりを月下に過ぎました。

雲は東海の逆さ白扇子にかかって巨鳥となったり舞姫となったりさまざまな奇怪な形に

なりながら月を包み、月を吐き、孤独な旅人の淋しさをさらに深くしました。夢のよう

に伊豆辺りの山々が浮かんでいるかのように遠く眺められる海の面の秋霧の間に漁火が

点々としているのはとても風情がありました。掛川あたりで月が暗くなって雨が降り、

淡く見える野の景色を眺めながら浜松の町に着いたのは午後十二時近くになっていた

ようです。花屋という宿に半夜の夢をそこそこに結んで、七時過ぎにはもう浜名の湖を

渡るその景色は絶景で心憎いばかりでした。地元のお百姓と話すのも物憂いので一人何

を思うこともなく時刻表を手にしてただただ行く手が近くなることを祈っていました。

〇時五〇分ごろにようやく彦根に着き、校長先生に伴われてはれて校舎を見ました。

大変清らかでした。古城からの眺めが素晴らしく湖は翠鮮やか、竹生島は浮かび上がる

よう、山は青々として立ち並び、景色はこの辺りが一番とされているとのこと。うっと

りして立ち去りかねるくらいの眺めです。宿の楽々園というのは旧井伊家の別荘だった

とか。湖水の入江の葦の多い辺りに蓮を多く植えたところで酒をとって夜まで話をしま

した。町家の感じは京都を模したのか狭苦しく、どこもただ暑苦しいです。土地は低く

湿気が多いのでわらわやみ(寒気と高熱を繰り返す)が流行っており、一度はかからな

ければならないとのことなので今から支度中です。いまだにおもしろいことはなく、

ただ箱根で聞いたところでは、私の(抒情詩)「みをつくし」の主人公お文すなわち

末神おくらは先日嫁いだのですが、慕う人があったのか飛び出して横浜辺りをさまよっ

ているうちに熱病にかかり、最近村に帰りむなしく煙になったとか。友はみな私に

みをつくしの後日譚を書けと言います。

 この辺には特別おもしろいこともなさそうですが上京するときにはお笑い種に何か

持って行きますのでお待ちください。まずは無事着いたご挨拶をかねてあらましを書き

ました。敬具

九月五日 勝弥

おなつ様

 夏子様は野暮なのでこれからはおなつ様と申し上げます。中島歌子さまご社中の高弟

樋口夏子様より、女流詩人樋口一葉様より、おなつ様と申す方が適当と存じますから。

なにとぞ皆様によろしくお伝え願います。宿はいまだ定まりませんので当分は

近江国犬上郡彦根町北組 今井恒郎氏方馬場勝弥としてご送付ください。