孤蝶の手紙 四 と最後の返事

 文体が統一されていないが、何となく候文の時は敬語にして、そうでないときはでき

るだけそのまま訳している。

 

 先日は長々とご親切なお手紙をありがとう、その後はますますご清栄なことだと存じ

る、秋骨が度々伺ってお邪魔をするとのこと、当人も夜分などはさぞお家のお方など

ご迷惑なことであろうとすこぶる恐縮のあまり僕よりよろしくお詫びを申し上げてくれ

と言ってきた、彼もああいった人物である、お見捨てなくお引き立てくださればいつか

ご恩の万分の一をも報じる機会もあるべし、僕よりは幾重にも当人に変わってお礼をも

お詫びをも申し上げておく、当人もこの頃大に家のことも考えて学校をやめて僕と同じ

ようになろうと思った様子であるが、これもどうやら思いとどまった。小生は区々たる

(とるにたらない)一家の事情に支配されて今大切な勉強の好機会を彼が失うのをすこ

ぶる遺憾とするのである

 僕は彼が行きがかり上今の学校を卒業せねばやまぬという決心で進むことが一家の

ためまた彼自身のために利なることをあくまで主張するのである、稼ぎながら学ぶとい

うのはだめな話なり、世の中のことは皆買い方と売り方との戦いである。買い方の方で

はなるべくたんと働く機械をなるたけ安く買いたがるのだ。そこでつまるところは我々

売り方は大いに値切られて安く安く負けなければならないようになる、ずいぶん情けな

い話である。

 秋骨にしてもし今の機会を逃したらば、彼が真正に勉強する時はなくなると覚悟しな

ければならぬ、暇がなくとも、学校へ出ているだけでも大した利益だと僕は考える、

どうしても秋骨は学校をやめるべからずと僕は信ずる、その内お宅へ出たらば、貴下か

らよろしくお話しくだされたし、彼は不平を聞いてくれる人はあなたと眉山だと言って

いるから、あなたのお話しならずいぶん利き目があると思うからよろしく願うのであ

る、僕もずいぶんおもしろくない境遇にある、山野の猛獣が檻の中へ捕らえられたと

同様である、この間二三日寝た、それは胃痛であったからである、しかし沖天の翼を籠

の中へ押し込まれたのであるから時々はやけになるのである、狭い狭い土地だから、実

は大きな声では笑うこともできないのである。人生は生まれて教師になるべからず人に

は木の端か石の切れのように思われる教師ばかり楽しからぬものはない。時々は自分

ながらばかばかしいことがあるが、いつでも考えるのは売り方と買い方の哲理である、

銭が欲しければ、踏み倒されを承知で、売らなければならぬ身である、まァまァ笑って

小声で鼻歌でも歌っておればその内にはどうにかなるだろうと思っている、鬼の目を盗

んで、こっそり風流をも決めてみた。しかし謀反の企みがうすうす姑の耳に入ったよう

だからこのところ一二か月は跳梁を控えめにするつもりだ。何こそこそやればよかった

が例の癖で大げさにやったから悪かったのである。これからは細く長く低く静かに騒ぎ

ましょう。この四月初めにはぜひ一度帰京したいと思っているその時には少々はお土産

を持って行くつもりだ、色男はどこでも色男である、つらきは女にたやすからず思われ

る身の上だとつくづく恐れ入っているとまず大にのろけておく、おもしろいことは都に

は多からん、何か少しはお裾分けを願いたい、京都へも大阪へも行けるのであったけれ

ども、義理合でやめた。くだらぬ仁義だても、社会上のお付き合いだと思って辛抱する

より外に仕方がない、東京の親戚からはいろいろな難しい注文が舞い込むし大に閉口の

至りでいる。特に大に恐れ入って後に瞠若たりしは、結婚のことを言われたのである

「やがて来ることとはかねて知りながら昨日今日とは思わざりしに」と明治の業平は詠

じた、二年の後は知らず三年の後は知らず、まだこそこまでにはと内々安心しておった

に今日ただいまもう女房を持つことが必要で、あまり猶予はよろしかるまじなど短兵急

に切り込まれては、あにいずくんぞ驚かざるを得んやである、早速。ほかのことならば

何でも仰せに従うが、この儀ばかりは真っ平ごめんこうむるべしと返事を書いてやっ

た。小児がお灸をすえられるのを逃げるのと同じで僕は逃げられるだけ逃げるつもりで

ある。女房を持つということがただおかしくてなんだか抱腹絶倒してみたいような心持

がするけれども、一人で笑ってきちがいと間違えられると困るからまず差し押さえてい

る、秋骨なり藤村なりが澄ましこんでやってくると丸髷頭が茶を捧げてぬっと出現まし

ましたとするとずいぶん妙なものだと思われておかしくておかしくてたまらず、これは

近頃の愛嬌種だと思うから、わざと紙尾に書き加えたのであるもォくたびれたからこれ

までにする左様なら

二月二十三日 勝弥

お夏様

 

 汽車の出るたび都が恋しいです。この頃の朝夕の生計はいかがですか。ご病気は近頃

はよくなりましたか。

 特に忙しいこともないのですが、いわゆる倦怠の時代というところでしょうか、筆を

取るのも物憂く昨日今日と延び延びになって、心にかかりながらお見舞いも申し上げ

遅れて何とも恐れ入るばかりです。湖畔の花に浮かれて都を忘れたかなど、例のお口の

よろしいところは平にご容赦いただきたく、前の山の新緑を霧に埋める初夏の雨が降っ

ては止み、止んでは降る朝夕の思いがおかしいくらい沈んでいるところにご高作「われ

から」確かに拝読いたしました。例のご哲理がありありと現れて、まるで君の声を聞く

ような思いがいたしました。世のいわゆる罪なき罪人に寄せられるご同情のほど、近頃

の女性の中で稀に見るところで、すこぶるわが党の意を強くするに足ると深く感じまし

た。まずまず、あまり意固地なことを仰せられず、ますますご奮進されることを希望

しています。それと同時に私は君のお体のご健全なることを祈っています。君も私も共

に非常なる責任を担う身です。死んでも死ねない身です。孝行な君の覚悟は私も常に

知るところですが、なおご自愛の上にもご自愛を重ねることを願っております。眉山

は健康問題を論じましたが彼はこんなことくらいは何とも思わないようです。彼は実に

超絶意見論なので、あなたの家へまかり出る機会があればよろしくご意見してください

ますようお願いいたします。

 こちらではただただばかばかしいことばかりでございます。去る四日筑紫より姉が

来て当地に一泊してから若狭の方の妹を訪ねるため北国路へ向かいました。誠に五年ぶ

りの出会いでしたので何となく喜ばしく、敦賀の町まで送って行って敦賀の松原という

ものを一見いたしました。内海が深く入り込んで碧波は畳のよう、岬角は蒼々と長く伸

びて外洋の波と戦っているようでした。古松が青々としている中に一人立てば、松籟

(音)がもの寂びて、この身が他界に運ばれるような思いがしました。そこにすみれが

ありました。これはその時の形見です。(あなたの)座右に送りますので、無理にも

一首給わりますよう願っております。

 帰途敦賀の停車場では駅長と間違えられ、特別下等の汽車内では生意気な商人体の男

に生徒と間違えられ、中学は地方の方が得であるなどと説教を食らいました。制服で

米原の停車場の中などにいればいつでも汽車の時間を聞かれますが、それも無理からぬ

ことでしょう。新入りの下級の生徒などは、あれは上の級の生徒だからなどと申して

敬礼しない者もあって大笑いです。

 最もおかしいのは前に書いた姉が来ました時、生徒間並びに職員のある部分に、私の

女房が来たという評判が立ったとのことで、ある者のごときは私の許婚が来たとまで

解釈つきで取り沙汰したようです。当年取って三十九歳の妻をしょい込んでは大迷惑の

至りだと姉共々抱腹いたしました。都もずいぶんのことながら田舎ときてはたまったも

のではなく、男と女がいれば何かわけでもあるように取り沙汰するのです。特にこの辺

の人間は自分共が卑劣であるから他人もみなおのれらと同じものだと憶測しているよう

です。ひたすら呆れるよりほかなく、あまりのことでばかばかしいです。 

 何か書いてみようとは思いながらも筆取る勇気はさらになく、といって読書もせず、

家の中はつっかえるような気がして気持ちが悪いのでいつもいつも戸外をさまよってい

ます。湖上の眺めはおもしろく、雪が残りなく消え失せた比良の高峯は大変濃い藍色の

空に風情ある曲線を描き、竹生や多景の島々は泉水に遊ぶ亀のように見える中、白帆が

二つ三つ、悠々と過ぎ行くのを見るたびに心が身を離れるように思います。このような

所にいて、一文一句も出てこないとはいよいよ私には詩想がないのだと諦めます。まァ

たかだか英語の教師くらいが相応であるのにわけもなく非望(分を越えた望み)を抱い

ていたことは かえすがえすも汗顔の至りに堪えません。

 汽車の音が西より来て東に去るのを聞いては、さまざまなことを思います。あわれ、

この汽車はどのような悲しみある人を乗せてゆくか、どのような喜びある人を乗せて去

るか、数間四方の車室の中肩を連ね、膝を並べる人たちの中でも千里の差がその心の中

にあるだろう。その心こそ世であり、ああ、泣く人と笑う人が隣になり、しかも一枚の

肉の垣根一重を隔てて互いにその心の秘密を言わず語らずして別れて行く。誠に人の世

の姿です。汽車の車室はこの理を全く明らかに解き明かすものであるなどと考えたり、

まして車燈の油が尽きようとしているほの暗い車室に一人座って、蛙の声や虫の声が

淋しい中走り行く夜半、心に悲しみのある人はどれほど悲しいことだろう。汽笛の音が

悲しい響きを空に漏らし、車輪の音は何となくうら枯れて聞こえるなど、悲しからぬ身

でも旅の心にはひしとこたえるものを…。名曲クロィツェル・ソナタの主人公ボズヌイ

セフが影暗き燈火で語った光景が目に浮かんで身の内が寒い心地がします。こんなこと

を書き続けるうちに汽車はまた西から来ました。今夜はどこまで行くのか、名古屋か

浜松か、一歩でも都に近い方へ行くと思えば懐かしさ耐え難く、はかない人の話にも耳

を傾けて、都に近い響きがないかと聞いても聞いてもその甲斐はなく、私が死ねばほと

とぎすとなって都に帰るか、それとも鳰の海に浮かぶ水鳥となって都恋しと鳴くのか、

隔たっても同じ亜細亜の月を見ると近所の少女は歌うが、友は、親はどうしているのか

と思っては、この頃の星なき闇に思いはかきくれるばかりです。

 鳰の海の景色は素晴らしいですが、私はあの箱根路の海から見換えようとは思わず、

真鶴か崎大島の煙と思い続け、ただ翼なき身を朝夕恨み続けています。恋草の茂り合っ

た夢は昔ですが、海の面の浩蕩たる景色はいつまでも我らの心に消えないでしょう。

白波は立っても辛くない(湖)水などなにもなりません、広いとはいっても数里に限ら

れ、山はあっても床しくもなく、鳥は浮かんでいても楽しくもなく、海でなければ私の

心は慰められません。

 

 いや正に私の心!大きな湖などなんにもならず、どっちに行っても三時間もかかる海

に焦がれるばかり。それだって人口の浜か、波の花舞う灰色の海。私の願うエメラルド

グリーンの海、松が残る浜ではない。閑話休題

 

 敦賀の入江がどれほど楽しかったかは君もわかってくれることと思います。死んだよ

うなこの職業は遂に私の精神を殺すのではないかと疑います。流れる水に似た光陰が

どうして私を待ってくれるのか、今年もはや半ばを過ぎて、来し方を眺めれば汗が背中

に満ちることばかり、ろくろくなすところのない老書生の身はどうなるのだろう。やが

て見ろ、二頭馬車でと自ら歌ってもその馬車は獄裏(牢獄)に行くものではないのかと

私の心の暗い側があざ笑う。明日は、明日はと思いながらいつしか墓場に入るのか、

めでたくもあり、めでたくもなし。夜更けて蛙の声が遠く近く聞こえます。進まぬ筆に

喝してこれまで愚痴をこぼしました。真面目なものもいい加減なものもありますので

お笑いくださいますよう。末ながらご家内様御一同へよろしくお伝え願います。

五月十二日夜 敬具

勝弥

一よう様

 折節はお麗しい水茎の後を拝ませてください。すねたものでもございますまい。謹言

 

 

 あまりに久しくご無沙汰してしましました。今日は今日はと思いながら、毎日頭痛が

ひどくて何するのも物憂く、本も読まねば習字などなおさらできず、人にものを言うの

も嫌になって暮らしています。それで怠っておりましたら毎日母と妹の左右から馬場様

にお返事を書け書けとせきたてられていたのに、空しい返事ばかりして今日になってし

まいましたところ、今朝は雨が降ってもの淋しさ耐え難く、小石川の稽古に出るべき

なのですがそれも憂くつらいので、とりとめのないことをしたためることにします。私

は春にお目にかかった頃からの病気が全くよくならず、気もふさぐようで困り入って

おります。文学界の「うらわか草」が27日に発行されるため何か書く約束をしたのです

が、とうとうできませんでした。誠に筆を持つことが本当に嫌になり果てました。先日

人が訪ねて来て、あなたは近頃のように筆を取るのが嫌々と、言うほどに全く物が書け

なくなりますよと言われましたが、そうなるかもしれません。おもしろいと思うことも

なく、筆を取って何かを言おうなどと力を入れることもなく、もしそのようなことが

あっても私のような者が何をつべこべと何の役に立つのか、無用なことをしたり顔で

いるほどくだらないことはありません。といってこれを捨てたらほかに何もおもしろい

ことがあるというわけでもなく、移ろうと思うものもありません。誰かの歌に、   

 しかりとて背かれなくに 事しあれば まず嘆かれぬあなう世の中(小野篁

 だからといって世の中に背を向けることはできないのに、何かあればまず嘆きが出る

つらい世の中だ。とありますが、断つことができないからこそほだし(束縛、絆)で

あるというわけではないと私は日々考えているのです。何を(言うか)はおっしゃら

ないでください、ただ考えているのです。大抵の人に思うことを打ち明けても笑いごと

にされてしまうので、私は言わない方がしゃれていると一人決めしています。たかが女

というものは、いい着物を着て芝居でも見たいくらいの望みがかなわないから拗ねてい

るのだろうなどというような推察をされて馬鹿にされ、嘲弄されて50年の命をごたごた

と生きて死ぬのだと思えば、その死ということがおかしくてやっとほほええまれると

いうものです。こんなことはどうでもよいのですが、心安さでくだらないことを書きま

した。お前様はますますお奮いになって、二頭立ての馬車のご威勢を見せてくださいま

すことを待ち望んでいます。こちらの平田さんは「男爵末松」などというあだ名をもら

って揚々としていますし、戸川さんもなにかと病がちだと聞いていましたがこの頃少し

ご気力が出たようで、ご同人としてしばしば文通していらっしゃることでしょう。今度

の試験が終わったら、そちらに遊びに行きたいと思っているようです。暑中の休みには

必ずご帰郷されることと待たれます。いつ頃からお休みになるのですか、筆では思う

こともかけないので悔しいまま、お目もじの時をお待ちしております。

 このたびはお心のこもったすみれをいただき、筆では伝え足りないほど嬉しく、よく

読む本に挟んで長く余香をとありがたがっています。久しぶりにお姉さまとお会いに

なったとのことでお嬉しさのほどは陰ながら推し量ってもさぞかしと存じますが、奥様

に間違われたとのことで、さてゆかりのお文さまやお広さまが行った日にはどんなこと

になるでしょう、さぞかし蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろうとおかしくて、

どうやらそのようなことになったらいいのにと願う心地も致します。

 あの絵のことはどうなったでしょうか。あの子は今もお近くにいるのですか。鳰の海

の近くにも風流はあるのだからみるめなき浦などと言わないで、箱根は箱根、近江は

近江としてお二方に分けて、同じようにお情けをかけてくださいますよう。

  みるめなきわが身をうらと知らねばや 離れなで海士の足たゆく来る(小野小町

   海藻のない浜だと知らないのでしょうか、いつまでも足がだるくなるまで海士が

  やって来ます。

   ※ 見る目(会うこともないのに、または美しくもないのに)

    傲慢にも謙遜にも取れるが、小野小町なので美女の常として…

 

 この文をしたためているうちにおかしなことがいろいろ湧いて来て、なお申し上げた

い心地ですが、時たましか文を差し上げないのにまた口の悪いことを言い出したなどと

お陰口されては侘しいのでここで終わりにいたします。そのうち、そのうち かしこ

(五月)三十日 なつ

馬場様 御もとに

 

 これは29年5月30日の手紙である。「二頭馬車」うんぬんというのは、一葉君がよく

自分の身の上を悲観したようなことを言うので、「僕はどうしても落ちぶれるのは嫌

だ、馬車に乗るつもりでやる」などという冗談を言ったことがあるからだ。当時九州に

いた私の姉が上京する途中彦根に寄ってくれたことがある。私より10歳ほど上なのに

どう間違えたのか中学校の関係者の間で私の婚約者が訪ねてきたという噂が広がって

大笑いしたことがある。姉と昼食をとった楽々園という料理屋の女中にその話をしたら

「あれがあなたの奥様では、あなたには重すぎましょう」と笑われた。お文は隣家の

小間使い、お広は箱根の温泉宿の女中であり、絵というのは同じ中学校で教諭をして

いた鹿子木孟郎君の筆になった彦根の舞妓の肖像で、その後38年か9年に太平洋画会に

出したことがある。笑顔のかわいらしい14、5歳の娘だった。