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 猫に起こされれば仕事中の屈辱を思い出し、見えない将来の不安に駆られる毎深夜。

1時6時5時前後に必ず起こしに来るので寝た気がしないまま、6時半起きからの洗濯弁当

朝食支度片づけ身支度、フルタイム職はきつい。

    

 平日休みの今日こそ糸通しに行こうと思っていたが、午前中はぼんやりと、やっと

2回目読破の上林暁全集17巻(うっかり読んでもおもしろいので13巻を何度も読んで

しまった。14巻からの随筆部分は字が小さいのと小説に重なるのでざっとしか読めず)

を読み、支払い(今日届いた「宇野浩二回想」代と、来月仕事を辞める前提で記念に

買った「立原道造全集」代(もちろん古い版の最低価格)なので楽しい散財である)と

買い物に出て、一週間分の夕食や弁当の副菜(平日は帰ってすぐ飲んで何もしない!)

を作ればもう夕方。頭はフラフラ。毎日の深酒のせいでもあるが。

 

 ストレスのため2年止めていた煙草も再開、明らかに老眼になり白髪がどっと増え

た。このまま屈辱に耐えてがんばるのか、バカで変な人だったと思われたまま辞めて

転職してまた同じ思いをするのか(今までもずっとそうだった)どちらも希望のない

選択である。甘えではあるが専業主婦でいたかった…。それどころが親の介護のため

南国と北国にとうとう別離の可能性もある。今から自立をしなければならないとは…。

自立できてりゃ結婚なんかしないわ、役場で事務取っていられるようなまっとうな人間

だったら、転職繰り返したり放浪したり地域おこしなんて仕事に応募したりなんかしな

いわ!と自分の仕事のできなさ、人付き合いのダメさを棚に上げて一人いらだつ毎日。

私だけではない、と思っても私みたいな馬鹿者はまだ見たことないよ…。みなそれぞれ

の場所で何とも思わずに生きている。

 

 上記は2017年最後(8/30)にぼやいたもの。その後本当につらくて書けなかった。

 来なくてもよいと言われながら、元気な母を四国に置いて北国に来て3年目。懲りず

になんとまた同じ職種に就いてしまって(違っても一緒)屈辱の日々を送っているので

ある。毎日辞めたる!と帰ってきて寝落ちするまで飲んで、愚痴言えば優しくなくなっ

た家人からいなくてよいとたびたび言われ、猫は1時には起こさなくなったが3時~5時

はほぼ寝られない。

 

 関東出身の自分は西日本ではまず敵扱い(人徳の低さはさておき)であったが、東

日本に戻って標準語で話してもなんとも思われないのだけが救い。かわいくないだけで

男性から蛇蝎のごとく嫌われた時代(「もてない女」書く資格十分だが文才なし)も、

日常会話ができないせいで女性から憎まれた日々も過ぎ、おばちゃんらしく構えること

忘れて人と話していることもある。上司に嫌われるのだけは変わらないが…。

 

 一葉日記は変更中の光回線が全然進まないので、訳してためている。一葉理解には

徒然草が必須となったので読み始めている。枕草子も、源氏物語も…(全部長らく

長らく持っている)

 

 

 

 

 

 

 

 

につ記

27日

 小石川稽古日。強風吹いて寒気はなはだしい。早朝より行く。前田様から来た歌に

返歌を送る。三田弥吉夫人が入門した。4時頃帰宅。

 

28日

 早朝図書館に行く。今日も強風はなはだしい。荻野さんの旅館に書物を返しに行く

と、おとといより原町田に行っており奥様だけがいた。しばらく話して図書館へ。館内

で新潟の田中みをのという方と知り合い、禅の話など聞く。この人は長岡町長の跡取り

娘で、ご主人は洋画家だということ。禅学への志は深いのだが、地方のことなので女子

に教育の機会はない。近所の寺で布教はしていても田舎向けの浅はかな教えばかりで、

大乗の真理には遠く及ばない。望洋の思い(荘子・大海を前にどうしようもない思い)

であるという。「この度上京の機会があったので、原坦山先生の教えを受けに行って

みようと思う」とのこと。そのための書物を調べていた。一緒に出て池之端の彼女の

お宅に寄り、再会を約束して帰る。着いたのは日没少し前だった。野々宮さんが見えて

いたとのこと。

 

29日 こと無し。

 

弥生1日

 田中さんより手紙が来た。先日私の小説の斡旋を、新聞社の人にお願いしていただい

たところ、読んでみてから相談しましょうとのことで、すぐに小説を送れとのこと。

すぐに「棚なし小舟」に取りかかり、1回分を書き終えた。邦子が「1日からこんな嬉し

い便りがあるのだから今月はきっとよい月ね」などと言った。

 

2日

 午前中髪を結い、午後から新小川町へ行く。田中さんは歌会の各評を終えたところ

だったので、ゆっくりくつろいで話していると一日はあっという間で、明かりをつけて

話を続けた。夕食をごちそうになり、車を雇ってもらい帰る。もう暗くなっていた。

この夜は何もせず、ただ田辺さんの受け持ちの難珍を2題詠んで就寝。

 

3日

 雨。朝田辺さんに手紙を出す。各評が回って来たので選んで長谷川さんに送る。姉が

遊びに来て、今日はお節句なので白酒や豆炒りなどを用意してみなで祝う。「棚なし

小舟」の続きを書く。ほかに事無し。

 

4日

 雨だが暖かい。和歌7題、15首ほど詠み、小説の下書きに忙しかった。

 

5日

 雨。早朝小石川へ。来会者は10名ほど。水野さんが「氏神の菊間神社に奉納する歌を

詠んでほしい」とのことでそれを今日の点取り歌とした。ほかに「有松喜色」のお題が

あり、終わってもう1題詠んだ。11日に梅見に行くことになった。みの子さんより、

ある人が私の小説を読みたいと言っており、今夜1回分送ってほしいとのことで「あま

り考えもないのですが、何とかなるでしょう」と引き受けた。みなが帰ったのは4時

頃。泥道で大変難儀をした。前島さんから「女学雑誌」を借りたので、帰宅早々日没

まで読んでから小説を書き始め、徹夜で「みなし子」第1回を書き上げた。雨戸の隙間

が明らむのを見て少し寝た。

 

6日 

 雨。7時に起きて原稿に目を通してから郵便で送る。著作、詠歌、習字の日課を務め

て、夜は読書。12時就寝。

 

7日

 連日の雨が夜の間に晴れて、うららかに霞がかかり、大変のどかな朝だ。あたたかい

春風に庭の梅の花が香る雪のように舞い、それを惜しむうぐいすの声が聞こえるこの家

の春を世の人に見せたいものだ。「今日は半井先生を訪ねるので」と母に髪を結って

もらった。その後母は籠を持って庭に下り、夕飯の足しにと新芽を摘んでいる。世には

立派な御殿に住む人もおり、豪華な絹ものをまとい誇る人もいる。木綿の着物を3年も

着続けて、壊れかけた小さな家に住んでいても、美しい春の光、春の香は私の身にも

心にも、家中に満ち溢れている。私たちほど楽しい親子がいるだろうか。

 

 さて午前中はなすこともなく終わり、昼食後すぐに平河町へ向かう。「私が先生の

ところへ行く日は雨か風でないことがないから、今日もそうなるでしょうね」などと

笑い合っていたが、家を出る頃から急に雲が立ち始め、九段の辺りからあられ混じりの

雨が凄まじくなった。先生の家に着いたのは1時過ぎだったが、戸が固い。「いつもの

寝坊だろうか」と思ったので無理に開けて入ってみると、火鉢に火がついていて鉄瓶も

たぎっているが先生の姿はない。「これは失礼なことをした、留守中に」と思ったが

帰るのも惜しいので待っていると、そのうちに帰って来た。「風呂に行ったので」と

お詫びされる。先日いた人も一緒だった。「むさしの」の話になり「同人にいろいろ

事情があって発行の日が延びてしまったが、みな意気盛んで、柳塢亭寅彦などは「原稿

に金を添えるので載せてほしい」などと言うほどだ。ほかに右田年方は挿絵の寄付を

してくれるし、版木師も「版木代だけでよい」と言ってくれたがそれでは悪くて固辞し

たのだ。小説雑誌の発行は毎月毎日のように増えて海の砂ほどにもなるが、君たちほど

熱心なものはまだ見たことがないと出版社も言うのですよ。こうなったら諸新聞が広告

料なしで宣伝してくれて、印刷会社もただで請け負ってくれて、数万人のお客さんが

定価に上乗せしてくれたら『むさしの』は安泰だ」と大笑いするので、私もお客さんも

笑いが止まらない。先生はまた「『都の花』が2千5百部、『難波がた』も2千5百部売れ

るということなので『むさしの』は5千部位世に広めたいなあ」と言うと、お客さんが

「それなら寅彦に口上を作らせて、声のよい者を選んで、縁日や百貨店など人手のある

所で目立つ格好でおもしろおかしく宣伝させたらいい」と言う。私が「もっといい方法

がありますよ、万世橋のたもとに立って、通る人にただで配れば5千どころか5万も世に

広められますよ」と言ったので一同で大笑いしたのだった。「君の『闇桜』を小宮山君

に見せたら、『もう「むさしの」は一葉さんのものだ、1つ2つ言いたいことはあるが

今後の世評のために言わないでおく』とのことだよ」と先生が言った。「挿絵は寅彦の

意匠で年方に描かせるつもりなのでご承知を。君の名は出さないので世の人がどんな人

だろう、見てみたいと騒ぐのが楽しみだ」などと冗談を言う。「むさしの」は15日発行

の予定なので次号の原稿は20日過ぎまでに送るようにとのことだった。

 昨日のこと邦子が「『いつはりの無き世なりせばいか計人の言の葉うれしからまし』

(偽りのない世の中でしたら、どんなに人の言葉が嬉しいでしょう)の歌を反対に詠ん

でみて」と言うので「『偽りのあるよなればぞかく計人のことの葉うれしかりける』

(偽りのある世だからこそ、こんなにも人の言葉は嬉しいのです)と言えば言える

かしら』などと笑ったものだったが、今日のおしゃべりに当てはまるようでおかしい。

3時になったので「ではまた」とおいとましようとすると「もう少しよいではないです

か、何かご馳走するつもりだったのに」と引き留められたが、「雲行きも怪しいので」

と振り払って出た。帰る道々晴れて、家に着く頃には一点の雲もなくなっていたのは

不思議なことだった。奥田のおばあさんが来ていたので夕食を出す。関場さんより葉書

が来て邦子に来てほしいとあったが「何があったかわからないけれど明日にしたら」と

言う。難珍が回って来たので書き写して伊東さんに送る。夜頭痛がひどかったので早く

寝た。森川町に失火があった。

 

8日

 午前中邦子は関場さんへ行き、昼食をごちそうになって帰る。(関場)悦子さんの

10歳になる妹を中島先生に入門させたいので紹介してほしいとの依頼だった。「御伽

草子」上下を貸していただく。何もせずに灯を点す時間になってしまった。風がとても

強く吹いている。

 

9日

 晴天。早朝より支度をして小石川に行く。月次会。しばらくして田中さんが来た。

今日の来会者は38、9名だった。島田政さんが見えていた。点取りのお題は「野鶯」

で、重嶺先生、恒久先生、信綱先生、安彦先生が点をつけた。恒久先生の甲は重嶺先生

安彦先生の甲が恒久先生、重嶺先生の甲が安彦先生だったので「これではしょうがな

い」などと言う。信綱先生の甲は御本人だった。11日は梅見と決まっていろいろな相談

をした。日知没に一同帰宅。関場さんの件は異議なく整う。

 

10日

 曇天。「武蔵野」次号に出す構想のあらましを半井先生に書いて出す。石井さんに

葉書を出す。明日の天気はどうなるだろう。人は「よい天気になれ」と願っているが

私は降ってほしいのだ。学友とはいえ心に隔てのある、上流階級のご婦人方に追従し、

おかしくもないことに笑いつまらないことを喜ぶような真似は、私が最もしたくない

ことだ。植半、八百松(料亭)のお料理も、私が食べるのでは甲斐がない。母と妹を

ボロ屋に残し、一切れの魚肉さえめったに食べさせることができないのに、亀戸の梅林

の香りを分け入って食べる鯉こくがおいしいわけがない。人が楽しいと思うことは私に

とって涙を呑むようなことばかりだ。「天の神様、私を憐れんで降らせてください」と

嘆くばかり。一日心を悩ませて何もせずに日が暮れた。邦子は関場さんに入門の件を

知らせに行って報知新聞を借りてきた。夜になっておもしろい小説を母に読み聞かせて

いるうちに雨が降り始めた。万歳を叫びたいほどだった。稲葉奥様が正朔君を連れて

相談に来てそのまま泊った。12時就寝。

 

11日

 起き出てみると雨戸の外が白い。雪だ。「梅見の約束をした人達はどれほどがっかり

しただろう」と思う。10時には空は晴れ渡り、雪も煙のように溶けてしまい、昼には

道も乾きそうだと思っていると前島さんより手紙が来て「今日の梅見は中止でしょうが

明日はいかがでしょう、道が悪くても行きたいものです。(先生には憚られるので)

あなたにお伺いします」とのことなので、これを持って中島先生を訪れ、返事を書く。

「晴れたら明日行きましょう」という内容。初心者の添削をして帰り、関場さんに葉書

を出す。しばらくして同家から葉書が来たので行き違いになったようだ。

 

12日

 薄日ながら晴れたので梅見が実施される。家を出たのは9時だった。直前に三枝信三

郎さんが来た。中島先生宅に集まり、車を連ねて向島へ向かう。私は先に出て小梅村の

吉田さんを誘いに行くともう出た後だった。臥龍梅や六花の清楚な姿を見たあと歩いて

江東梅に向かう。庭園は広大で、梅の枝ぶりも素晴らしく、花は少し過ぎていたが香り

が袖に移って、罪もないのに疑われる人もあろうかとおかしい。東屋で番茶をいただき

ゆで卵でお腹をふさぐことを、上流階級のご婦人方は珍しがって喜んでいる。楽しんで

いるはしゃぎ声や、笑顔を見ていると、こういう時に人の心がわかるものだと思う。

ここから車に乗って木下川に向かう。澄んだ流れがきらめき、広大な水田はまだ耕して

おらず、ところどころに麦の芽が青い。自然の造形美の極致の中を進んでいくと、大き

く繁った老松の間に紅白の色香が垣間見えてきた。着いてみると入口に鉄の門がついて

いたのでこれがなかったらと恨まれる。先に行った2つの庭園に劣っているようにも

思わなかったが、進んでゆくにつれ全く勝っていることがわかってきた。花も香りも

今が盛り、色のついていない木はなく雨上がりの冴え冴えとした美しさ、風もなく暖か

で人は明日の日曜をさぞ楽しみにしていることだろう。花の下で杖を振り回す無風流者

も、果物の皮など投げ捨てる不届き者もおらず、たまに見るのは1瓢携えた風流人か、

猟銃を背負った若者ばかり。東屋のほとりで三宮様がご夫人を連れて散策しているのを

見た。しばらくして出るが、片山さんがしきりに名残惜しんでいたのもおかしい。この

庭園については伊東さんが「紋付裃みたいだ」と評したがそれは当たっている。もう

少し乱雑に植えられていてもよいと思う。狭いあぜ道を何筋も歩いて向島の新梅屋敷に

着く。ここの梅は少し早かった。出る頃には黒い雲が空を覆い始めたので車を急がせて

木母寺植半楼に行った。ここで1酌している間様々な遊興があった。日没になって家路

につく。堤で先生に別れて家に着くころには大雨盆を返すようになった。

 

13日

 大雨。午後から晴れた。中島先生の仕立物にかかり、徹夜で従事。この日稲葉様が

小石川柳町に引っ越した。

 

14日

 曇天。縫い上がった着物を持って小石川へ行き、先生と少し話して帰る。稲葉様が

来ていた。夕方号外が出て、陸奥農商務大臣が依願免官し、河野敏鎌氏が後任となった

とのこと。陸奥氏は宮中顧問官に任ぜられた。

 

15日

 晴天。今朝の新聞を見ると内閣の動勢が定まらないようだ。品川内務大臣は色を副島

伯に譲って宮中顧問官に転じたとか、後藤政審大臣は辞職したとか、何某大臣が辞表を

出したとか、様々な情報が入り乱れて、記者の筆の振るいどころといったところか。

 午後母は森さんへ行く。その留守に稲葉様を訪ねて本所から渡会という人が来た。

元々千村さんのところにいた職人とかで様々な話があったが、稲葉様が大嘘つきである

と延々話すので、驚いたことは一度や二度では済まず、邦子も私も呆れ果ててしまっ

た。しばらくして柳町に行った。母が帰ったのでその話をしていると、また本所からと

言って一人来て稲葉様の話をした。そうしていると村松のおじいさんがあわただしく

やって来た。本所からの二人がここに来る前に村松で話していったので、驚いて家に

知らせに来たのである。しばらくいて帰る。母と邦子が風呂へ行った後お鉱様が来て

いろいろ聞かれたが、何を話してよいかわからないので詳しくは言わなかった。母が

帰ってきて「今後おいで下さらないよう、あなた達のおかげで家が迷惑するのです」と

言うと、お鉱様は涙を流して言い訳をするので母も気が弱くなり一緒に泣き出した。

私は堪えかねて別室へ行った。今日も怠けてしまった。

 

16日

 晴天、一点の雲もなし。本妙寺で種痘を打つとのことで邦子と二人で行こう支度を

する。母は二人の髪を結ってくれてから奥田に用があって行った。私は「聖学自在」を

読む。午後秀太郎も連れて種痘を打ちに行った。ほかに何事もなし。

 

17日

 晴天。みの子さんの発会なので10時頃から支度。渡会が来てまた稲葉様の話しをして

いると西村さんが来たので渡会は帰った。私はすぐに家を出て中島先生のところへ行き

少し話をした。田中さん宅に着いたのは11時頃だった。今日の来会者は予定より多く

26、7名だった。点取りのお題は「朝雲雀」。重嶺先生と鶴久子先生の甲は伊東さん、

三艸子先生の甲は私だった。解散は5時だった。私も車を雇ってもらって帰る。この夜

は何もせずに寝た。

 

18日

 曇天。10時頃から雨になった。姉が来た。午後関場さんと中島先生から手紙が来た。

中島先生の依頼で近所に住んでいる先生の元の女中今野たまを訪ねた。その返事を書い

ていると思いがけず半井先生が訪れたので、辺りを片付けるなど大騒ぎした。我が家に

来るのは初めてだったので、母と邦子に初見の挨拶をしたりと煩わしいことだった。

先生は本郷西片町に引っ越し、その知らせがてら武蔵野について話に来たとのこと。

「延び延びになっていたが、いよいよあさって20日に出版されることになった。校正が

回ってきたのだが引越しと重なって君に送る時間がなく私が直してしまった。誤字脱字

があったら許してください」と言う。茶菓をお出しして2時間ほど話して帰った。私も

「もう少し」と言いたかったが急いでいたので止めもしなかった。母と邦子がそれぞれ

にうわさした。母は「まあ立派な方だこと、死んだ泉太郎にも似ているようで温厚そう

だ。誰が何といっても悪い人ではなかろう、若旦那とでもいいたいような風格のある人

だったね」と言うと邦子は「それはお母さんの目違いでしょう、見た目は優しげで微笑

む口元なんかかわいい位だけれど、それは陰謀を働く人の手の内ですよ、心許しては

いけません」などと言う。母は「何はともあれ先生が、近くになったことだし行く所も

ないので、夜でも運動がてら寄らせていただきたいとおっしゃったのには困ったわね。

人目に立って何を言われるか」と心配する。邦子は「とにかく家が狭いのが不都合ね、

もう一間あったらこんなに気を遣わなくてもいいのに。隣の家はここより少し広いから

引っ越したらどうかしら」と言う。私は「そんな無駄なことをしなくても、私を友と

思ってくれる人は家の広さや狭さ、着ているものを問わず、飾りのない言葉と心を持っ

ておつき合いしてくれているのよ。もし、あの家は狭くて人は古びた着物を着ていると

言ってつき合いを絶つ人がいても惜しむに足りないこと」と言ったが邦子は「それは

そうだけれどあまりにむさくるしいじゃないの」と笑った。今日の先生は八丈の下着に

茶と紺の縦縞の紬を重ねて、白ちりめんの帯を緩やかに締めて黒八丈の羽織を着こなし

ていた。「下品だと聞く新聞記者にもこんな立派な人がいるのか」と素人目にも思われ

ることだ。秀太郎が来て少し話して帰る。日没後邦子に「日本外史」の素読をさせて

から「聖学自在」の「愚者の弁」一章を読んで聞かせる。母の肩をもんで寝かせる。

1時就寝。

 

19日

 雨。早朝小石川へ行く。先生はまだ朝食前だった。首藤陸三氏のお嬢さんが小間使い

としてきょうから勤めることになった。初対面の挨拶をしたが何やら気まずい感じだ。

今日は難珍の日なので龍子さんもてる子さんも来た。東さんと大造さんは来なかった。

午前中1題詠じて午後、いつもは口述なので思うままに言うことができず、みな口ごも

りがちなのだが、今日は文で表すことになったので議論盛んとなった。「春の夕べ」は

みの子さんが高点を取った。「恋の喜憂」は私だった。4時に散会。龍子さん、みの子

さんとあさって22日に上野の図書館で待ち合わせをした。帰りに稲葉様について聞こう

と思い西村さんの店に行く。釧之助さんはおらずお常さんが留守をしていたのでしばら

く話す。夕食をごちそうになり提灯を借りて帰った。道がドロドロで困難を極めた。

この夜は何もせず寝る。関場さんより、今日入門のはずだったが差しさわりがあって

来られないと断りの葉書が来ていた。

 

20日

 晴天。今日は「武蔵野」の発行日なのと春季皇霊祭なのでお寿司をあつらえ、近所両

三軒に配った。伊東さん宅に今日行く約束をしたので支度をしていると、山本直一さん

が来た。「早稲田文学」9、10号を持ってきてくれた。同じ方向なので、帰る時に私も

出て同行した。いろいろ話しながら歩いていると車屋が「ご一緒にどうですか」などと

と言ってくる。普通の人ならば恥ずかしいことなのだろうが、何とも思わずに一緒に

歩けるのは邪心がないからである。恥ずかしさは恋情から生まれるものだとおかしい。

御茶ノ水橋で別れ伊東さんへ向かう。何時間も心を打ち割って話したので本当に楽しか

った。「帰らなければ」と言いながら日が暮れてしまった。夕食をごちそうになっても

まだ話は尽きないが、きりがないので「さあ行きましょう」とおいとましたのは8時

だった。帰宅して母に相談したが、彼女と約束したこと(一緒に国学を習いに行くこ

と)がかなわなくなったのでその手紙を書いた。何もせずに寝た。

 

21日

 晴天。望月さんの奥様が来たので昼食をお出しした。私は半井先生のところに話が

あって行く。今度の家はとても近く、這ってでも行けるくらいなので嬉しい。表口は

いつものように固く閉じているが、庭先から自由に出入りできるようになっている。

先生は「前日引いた風邪が治らない」とひどく咳をしている。家で相談していたことが

あったので、「私の小説がもし世に受け入れられないものだったら、はっきりとおっし

ゃってほしいのです。私は自分の心を信じるように人の言葉を信じてしまいます。先生

がお世辞にほめて下さったことをそれが嘘だと見抜く知恵がないのです。先生の本心が

わからず、言ってくれた言葉だけを頼りしている私の愚かさはともかくとして、先生が

どれだけ迷惑していることでしょうか。世の中にお見せできるものでないなら、すぐに

心を改めて分相応な身過ぎをしようと思います」と繰り返し言うと、先生はひどく呆れ

て、「何を言っているのです。僕はふがいないとはいえ男ですよ。引き受けたことに

嘘はない。毎日案じ考えて君の幸せを願っているのだ。一緒にがんばって行こうと思っ

ているのになんで君はそんなに疑うのだろう。でももっとよい方法があるのならおやめ

なさい、そうでないならもう少し耐えてください。僕の考えでは君の小説は『武蔵野』

があと3回も出たら必ず評判を得るに違いない。そうなったら君を朝日にでもどこに

でも紹介することができるのですよ。生活のことが心配ならば私が何とかしましょう。

『武蔵野」初版が2千分以上売れたら利益が出ることになっている。僕の分も君に差し

上げるつもりでいるのだ。これほど思っている心を信じてほしい」とおっしゃった。

 

 

 

 

 

 

 

 

につ記

 如月10日

 朝から机の前にいる。午後母が奥田にお見舞いに行く。日没前に小石川より手紙。

先生が風邪を引き、一人で歩けないほどなのですぐに来てほしいとのこと。早速支度し

て行く。先生はとても喜んで「のぼせがひどくて、正気を失いそうになるのですよ、

心配で今後のことなど託しておきたいと思って」と心細そうに泣く。様々な話をして

「あなたが来てくれたので心も落ち着いて、気分もよくなってきたようだ」とおっしゃ

った。薬を飲ませて10時頃になったので「明日また」と泊る。

 

11日

 快晴。先生は大変よくなった。女中を伊東家に頼んだが、前にいたおけいが戻るか

聞きに使いに行くことになった。おけい次第では伊東家に相談に行く予定。岩松から

車に乗り伊東さんへ行ってしばらく話をした。夏子さんは出かけていた。帰り道佐々木

医院に寄って薬を取りに行く。昼過ぎ水野せん子さんが来た。3時頃家から邦子が迎え

に来て、最近入った女中が私と見間違う珍事があった後、おいとまして帰る。4時だっ

た。上野房蔵さんが来ていたとのこと。邦子は吉田さんのところに出かけて日没後に

帰り、梅と水仙の生け花をもらってきた。この夜邦子が日記の書初めをしたと見せて

くれた。2時就寝。

 

12日

 雨。父の命日なので母がお寺に行く予定だったが見合わせた。15日までに小説を先生

に送るための期限が近づいてきているのに、まだ上しか書いておらず、中下が残って

いる。明日の稽古はお断りしようと中島先生に葉書を出した。夜母に小説を少し読んで

あげた。思うようなこともできず、今日も随分怠けてしまった。

 

13日

 晴天。朝から小説にかかる。終日従事し夜も徹夜。明け方少し眠る。

 

14日

 大雨。終日小説に従事し、明かりが点くころに完成。半井先生に明日伺うと葉書を

出した。重荷を降ろしたように本当に安心した。

 

15日

 雨は止んだが寒い。昼前に家を出て先に中島先生のところへ行く。伊東夏子さんの

お母様が帰ろうとしているところだった。先生はこれから佐々木医院に行く所で、ちょ

っと待っていてくださいと言われたが、2時近くなるまで戻らない。平河町に心が急ぐ

ので、留守番の女中に用があるからと断って出る。九段坂上から車を雇って行く。先客

がいるようなので軒下で待っていたら、先生が窓から顔を出して「お入りなさい、私の

弟のような人だから心配ありません」と言う。入ると何という人かはわからないが、

若くて色の黒い人だった。小説を見せると大変褒められた。客もいろいろ言ってくれ

る。雑誌の名前は「むさしの」とつけ、遅くても来月一日までには発行する見込みだと

のこと。「男子は隔月だが、君は毎月連載してくれたまえ」と言う。先生の原稿を見せ

てもらうと「小笠原艶子嬢」という人物が出ていたので、実際にいる人の名前ですから

覚えておいてお直しくださいと注意した。しばらくいて帰る。芝の兄が病気で困窮して

いるとのこと。先日金を少々書留で送っていたがもう少しほしいと葉書が来た。「では

明日私が行きましょう」と話す。久保木さんが来た。私と邦子はかもじを買いに行っ

た。出かけている間に母が腹痛を起こしていて、帰る早々手当てをしたが一晩中悪かっ

た。この日は総選挙の日だったので市中は何となく動揺しているように見えた。

 

16日

 大風が吹いて寒気はなはだしい。母は森照次さんに金を借りに行き私は芝へ向かう。

万世橋から鉄道馬車に乗って、先は車で行った。貧しさときたら思っていた通りだった

が、病気はそれほどでもないようでとても安心した。持って行った金を渡しいろいろ

話す。昼食を一緒に食べて3時頃出る。新橋からまた馬車に乗り帰ったのは日没近かっ

た。母も森さんの首尾はよかったとのことでみな喜んだ。この夜原町田の渋谷さんから

返事が来た。

 

17日

 早朝髪を結って家を出る。仲御徒町の旅館に荻野さんをお伺いしいろいろ話をした。

本を借り、図書館に行く。3時に帰宅し習字をした。日没後風呂に行く。魚を買うと

いう奇談(めったに買えなかったから)があった。

 

18日

 晴天。寒風が顔を切るようだ。森さんへお礼と、お金を借りに行くため支度をする。

母と一緒に家を出たのは9時。歩いて林町まで行く。森さんは留守だったが奥様と話を

した。借用書を書いて8円借りた後、昨日小林さんが来たとか、盗難に遭った話や栗塚

国会議員が同じ災難に遭ったことなどの話があった。それから小説の話になり、画家の

竹内桂舟が奥様の甥の先生だとのことで、「時々見えるのですよ、竹内さんは硯友社

同人なので、山田美妙斎や尾崎紅葉巌谷小波さんとも親しいのです。もし必要なら

紹介いたしますよ」とおっしゃってくれた。様々な話をしておいとましたのは11時に

なった。「梅を見ながら藪下を通りましょう」と根津神社を抜けて帰る。風は冷たいが

春は春で、うぐいすの初音も聞こえてつい足を止めることもあった。紅梅の色の美しさ

に目を奪われることもたびたびあった。家に帰ったのは12時頃だった。それから新しい

小説にかかる。稲賀さまが正朔君の着られるような物をいただきたいと来た。日没前に

三枝さんから出産祝いのお赤飯が届いた。夕食をにぎやかに食べ終えた後、有名作家の

おもしろい小説をいくつか母に読んであげた。邦子の日記を見てやって「よく書けて

いる」と褒めた。夜更けに雪が降り出した。寝たのは2時頃だった。

 

19日

 母が先ず起きて雨戸を開け、「まあ積もったこと、1尺以上ありますよ。まだ降り

そうだ」などと言っているのは雪のことだと嬉しくなり、すぐに起きた。邦子を起こし

一緒に見てみると、天も地も、木立も軒先も白くないところはない。綿を投げるように

降る様子も心が奮い立つようで、「隅田川に舟を浮かべて見たいものね」などと風流を

言って笑われる。朝食を終えた後も降りやまず、来る人もないがせめて入り口だけはと

邦子と格好だけは勇ましく雪かきをした。1尺に加えて2、3寸はあるようだった。

「最近ないことね」などと話す。終わってから習字をしようとすると手が震えてどうし

ようもない。力仕事をする人が物を書くのを厭うのも道理である。荻野さんから借りた

雑誌と山東京伝「くもの糸巻」を読み、朝日新聞を少し見て昼食。午後早稲田文学の中

の「徳川(江戸)文学」「しらるる(シルレル)伝」「まくべす詳訳」「俳諧論」4、5

冊を読む。岩佐さんが来る。母は新平さんへ行き日没後帰る。1時就寝。

 

20日

 晴天。寝過ごしてしまった。朝のうちにくもの糸巻きを読み終え、雑誌を少し読む。

それから習字。姉が来て雑談する。午後髪を結って中島先生へ向かう途中、田町で田中

さんが橘道守先生の発会に出かけるところに会う。しばらく立ち話をして先生の具合が

よくないと聞いたので、急ぎ小石川に行くと先生が大喜びしてくれた。明日の手伝いを

いろいろして、お汁粉をいただいて帰る。荻野さんが来ていた。夕食を出して、邦子と

仲町に買い物があるので先に出た。日没後帰宅。この夜は短冊をしたためて寝た。

 

21日

 晴天。10時に家を出て小石川へ。先生と車を連ねて会場に出かける。みの子さんは

すでに来ていておしゃべりする。文雅堂さんが来て4人で食事。そのうちに加藤先生が

見えた。来会者は40名ばかりの予定だったが、おいおい増えて50名にもなった。この日

の点取りのお題は「雪後春月」で黒川真頼先生、三田葆光さん、小出粲先生が選者だっ

た。黒川先生の甲はかとり子さん、小出先生の甲は佐藤東さん、三田さんの甲と黒川

先生の乙が私だった。景品をいただく。みなさんが帰宅後別に小宴を開いて佐藤さん、

井岡さん、田中さん、先生と私で歌の話をした。終わったのは8時だった。車を小石川

に停めて会計の話などをし、お菓子をいただいて帰宅。何もせずに布団に入る。夜遅く

に雨が降り出す。

 

22日

 雨天、寒い。午前中は何もせず午後から著作。しかし紙に向っていても筆を取って

書くまでに至らない。歌を5題ほど詠む。風邪のようで、頭痛耐えがたく早く寝た。

 

23日

 曇天。朝の間に江崎さんと兄に出す手紙を書き、小説に取りかかる。この夜は早く

布団に入り、小説の構想を立てた。

 

24日

 曇天、とても暖かい。朝から昨夜考えた小説を書く。田中さんより手紙が来て「明日

数詠みの歌会をするのでお越し願いたい」とのこと。日没後母に小説を2、3冊読んで

聞かせる。夜になって強風。

 

25日

 風止まずとても寒い。髪を結って家を出た。戸田さんが先に来ていた。伊東さんは

何か用事があって来ていなかった。数詠みのお題は30。小説の話などしていると田中

さんが自作の小説を2つ見せてくれた。夕方車を雇ってもらって帰る。11時就寝。

 

26日 晴天。

 

 

 

 

よもぎう日記

 9日

 早く起きて、小石川の初稽古に急いで出かける。「西村のおばさまはもう帰ってしま

っただろうか、通り道なので寄ってみよう」と行くと「今日帰ろうかどうしようか」と

おっしゃっていた。少し話して先生のところへ行くと「昨日お会いしなかったから大変

ご立腹ですよ」と女中が言う。長さんがもう来ていた。先生に昨日帰った理由を述べて

お詫びをした。来会者は10名ばかり。みなが4時前後に帰った後、2階で自分の話をし、

半井先生のことも話した。それについての心得を助言していただいた後、「小説を見せ

てごらんなさい、私にも考えがありますから」と親切におっしゃった。日没後おいとま

する。この夜から自分の普段着の綿入れの仕立てにかかる。1時就寝。

 

10日

 晴天なので「今日は安達さんのところに年始のご挨拶に行こう」と邦子と一緒に支度

をする。「お父さんのお墓にも年始のお参りをしないでいて気にかかるから、今日こそ

行きましょう」と、まず安達さんのところへ行ってから、築地本願寺へ墓参りに行っ

た。すぐに帰って、姉にも挨拶に行った。帰宅後、小宮山さんとおぶんさんが2人で

来た。日知没前までいた。この夜はすることが多くて布団に入ったのは1時になった。

 

11日

 晴天、寒い。母は四谷の上野さんのところに行く。半井先生から手紙が来た。旅行

など行っておらずあの隠れ家にいるとのこと。やっぱりねと笑う。それにしてもあの

手紙を出さないでよかった、よくも書き損じたものだと嬉しかった。母は午後帰宅。

その前に久保木さんと田中さんが来た。今日も一日なすことなく終わってしまった。

布団に入ったのは12時頃。

 

12日

 早起きした。雪がちらちらとしていたが見る間に一寸も積もったので、大雪になり

そうだと言っていると10時頃にはすっかり晴れて陽の光も差し、昼過ぎには雪は消え、

軒先から雨だれの音が絶えない。暮れてからまた雨。小説にかかる。今まで怠けてしま

ったものだ。

 

13日

 晴天。図書館に行くため9時頃家を出た。「太平記」「大和物語」を借りたが、大和

物語は読まず太平記だけ読んだ。3時頃出て家に帰る。母にあんまを呼んだ。旧幕臣

人とかで当時の話を聞いた。日没後母はまだよくないと言うので私があんまをした。

12時就寝。

 

14日

 晴天。母は神田の方に年始に行く。午前中綿入れを縫って午後から小説を書く。日没

後は歌を詠む。宿題の5題を10首。12時就寝。この夜は隣家の浜田何某の夜逃げの奇談

があった。

 

15日

 早朝節句の小豆粥を炊いて祝う。午前中髪を結って午後から小説を書く。夕方吉田

さんが年始に来たので夕食を出した。8時頃まで話して、邦子がマッチ屋通りまで送っ

て行った。

 

16日

 小石川の稽古日なので早く行く。みの子さんが既に来ていた。「以前誘ったかるた会

にあなたが来てくれないと張り合いがないから、嫌と言わずに来てください」と何度も

頼まれ、先生も「行っておあげなさい」と言うので、家に連絡の手紙を出してみの子

さんと一緒に出る。来会者は17人ほど、無礼講の会だったのでいろいろ煩わしかった。

終わったのは午前3時。この夜小地震があった。今日堤よし子さんが入門した。

 

17日

 9時頃まで寝てしまう。朝食をいただき、雇ってくれた車で帰る。母は大変怒ってい

るとのことで、ひたすら後悔。母は小林さんから三枝さんまで年始に行って留守。山下

直一さんが来たので昼食を出す。広瀬ぶんに葉書を出す。3時頃母帰宅。山下さんから

借りた早稲田文学を読む。昨日夜更かしをしたので風邪を引いた。咳が出てつらかった

のでお断りして早く布団に入った。3時頃大震があった。

 

18日

 いい天気。みの子さんの親戚の縁談について吉田さんに葉書を出す。母は望月さんへ

行った。広瀬ぶんさんが来たので昼食を出した。いろいろ話をして3時頃帰った。この

夜も早く寝た。

 

19日

 今日もいい天気。母は下谷に年始をと朝から出かける。風邪がひどくて寝込む。服薬

したが、夜高熱が出た。

 

20日

 快晴。母はおぶんさんに会いに常総館という旅館に行った。私は布団から出られずに

一日過ごす。母帰宅し、おぶんさんがもう監視替え(引っ越しに伴う管轄警察署の

変更)をしたこと、常総館の店主が替わっていたことなど話した。食欲がなくこの夜も

薬を飲んで寝る。浜田さんの妻子が来て9時頃帰宅。

 

22日

 快晴。とても寒い。明日は小石川の稽古日なのに、今日寝ていたら母に行くのを止め

られるので早くから起きた。昼食も味はしないが何とか食べた。御歌会始めの日で、

天皇御製や予撰の歌が新聞に出ていた。何もせず寝た。

 

23日

 快晴。ゆっくり髪を結って、10時頃家を出た。すでに来会者は10名ばかりいた。伊東

夏子さんも風邪で休んでいた。小出先生と小笠原政徳先生が参会して、歌の話をした。

吉田かとり子さんが車から落ちる災難があったとのこと。今日は来会者がとても多かっ

た。日没に終回。先生から鮭の甘酒漬けを一箱いただいて帰る。田中さんより新刊の

小説を借り、帰ってすぐから一晩中読んでしまう。

 

24日  快晴。朝手紙を2通書いた後習字。午後から読書。

25日 こと無し。

26日 こと無し。

27日 曇天。午前いつものように習字をした後小説の下書きを始めた。この夜はなす

   ことなく就寝。

28日 早起きした。曇天、暖かい。主日小説に従事。

29日 曇天。

30日 晴天。小石川、歌合せがあった。日没後帰宅。上野親子が来たとのこと。

31日 書くほどのこともなし。

如月1日 無事。

2日 無事。

3日 半井先生に「明日伺います」と手紙を出す。しばらくして先生からも「明日お目

  にかかりたいが、来られますか」との葉書が来た。これは私が出した手紙より早く

  出したようだ。「こんなに気が合うなんて不思議だ」と笑みが出た。

 

4日

 早朝から空模様が悪く「雪になるよ」とみなが言う。10時頃よりみぞれ混じりの雨が

降り始めた。晴れては降り昼になった。「雪になるならなれ、何を恐れるものか」と

家を出た。真砂町の辺りから綿をちぎったような雪が大小きりなく降ってきた。壱岐殿

坂で車を雇って行く。前の幌が邪魔なので掛けさせなかったが、吹雪のように降る雪に

耐えきれず傘を前に差したがとても苦しかった。九段坂を上がると堀端通りが白くなり

つつあった。平河町に着いたのは12時過ぎた頃だったろうか。声をかけても返事がな

い。おかしいと何度も声をかけたが変わりないので留守かと思い、上がり框に腰を掛け

て待っていると雪はどんどん投げるように降って来る。格子から風も吹き入ってきて

寒いことこの上ないので耐えきれずに上がって障子をそっと開け、玄関前の二畳ばかり

の部屋に入る。ここには新聞2紙(「朝日」と「国会」)が配達されたままになって

いて、朝鮮釜山からの手紙が1通あった。ふすまを開けれは先生の部屋なので、いるか

いないかがわかるのだが、いつもの遠慮から開けることもできず、ふすまのそばによっ

て耳をそばだててみると、まだ寝ているようでいびきの声がかすかにしているようだっ

た。どうしようと悩んでいるところに、「小田さんからです」と女中が郵便を持って

きた。これは、先生は今世から隠れて人に居場所を知らせていないので、親戚など遠く

からの手紙は小田さん宛に送ってもらっているからなのだ。女中もそれらを持ってきた

まま先生を起こしもせずに「よろしく」と言って帰ってしまった。1時の鐘が鳴った。

心細くなり咳などしていると起きたようで、跳ね起きる音がしてふすまが開かれた。

「これは失礼を」と忙しく広袖の羽織を着けながら、「昨夜は歌舞伎座に呼ばれて遊ん

できて1時頃帰り、今日送る小説を書いてから寝たので寝過ごしてしまった。まだ12時

頃かと思っていたら2時近くではないですか、何で起こしてくれなかったのですか。

遠慮が過ぎますよ」と笑いながら雨戸を開ける。「ああ、雪まで降って、さぞ困ったで

しょう」と言いながらお勝手の方に行くのは顔を洗いに行ったのだろう。「独り暮らし

は気楽だが、起きるそこそこ井戸で水を汲んだりしてなんだか侘しい」と思っている

と、十能に消し炭を入れた上に木っ端をのせて持ってきた。火桶に火を起こし、湯沸し

に水を入れてくるなど、見ているだけでは申し訳ないので「私も何か手伝わせてくださ

い、何をどうしてよいか教えてください。まずお布団を片付けましょうか」とたたもう

とすると「いやいや、お願いすることは何もないから、そのままでいてください」と

迷惑そうなので無理もできなかった。枕元に歌舞伎の番付や財布などが散らばり、紋付

の羽織や糸織りの小袖などが床の間の釘につるしてあったりして、乱雑極まりない。

「昨日手紙を出したのは、今度若い人のために、と言うと私が大家のように聞こえます

が、小説を書き始めた人達の勉強がてら、雑誌を出そうと思っているのです。世に知ら

れた作家には頼まず、我々の腕の限りを尽くして倒れて止まんの決心で、原稿料はなく

てもよい、素晴らしい作品を書いて名誉を得たいという計画を立て、おとといその相談

をしたのです。君にもぜひ加わってほしいので、15日までに短編一作をお願いしたい。

最初の1、2回は原稿料が出ない覚悟をしてもらうが、売れだしたら誰を置いてもまず君

に配当しますから」と熱心におっしゃる。「そうはおっしゃっても、私のような未熟な

ものが最初から顔を出したら雑誌の不利益になるのではないでしょうか」と言うと、

「なんでそんなことがありますか、いまさらそんなことを言われると間に立った私が

困ります。みな君を当てにしているのですよ」と言葉を尽くして下さるので「ではよろ

しくお願いいたします、実は今書きかけている小説をお見せしようと思って今日持って

来たのです。まだ完成していませんが」と書いたものを出して見ていただく。「結構で

すよ、これをお出しなさい。僕は前に話したものを小説にしてみようと思っています」

と話す。そのうちに先生は隣家に鍋を借りに行った。若い奥さんが「半井様お客様です

か、お楽しみでおうらやましいこと」などと言っている。垣根一つ越しなのでよく聞こ

えた。「いや別にお楽しみということでもないが」と先生が答えている。「先日おっし

ゃっていた方ですか」と聞かれ「そうです」と言いながら駆け戻ってきた。「雪が降ら

なかったら大ご馳走してあげるつもりだったのに、絵に描いた餅になってしまった」と

お汁粉を作ってくださった。「申し訳ないがお盆もしまい込んでいるし、箸もこれで

失礼」と餅を焼いた箸を出した。様々な話をして、先生の自慢の写真など見せていただ

いた。帰ろうとすると「こんなに降っているのだから、家に電報を出してここに泊まり

なさい」と言う。「とんでもない、許しも得ずに人の家に泊まったら母に大層怒られる

のです」と真剣に言ったので先生は大笑いして、「そんなに怖がらなくても、僕は小田

さんのところに泊まるのだから君一人ここに泊まっても何も起こりませんよ、いいじゃ

ないですか」と言うが、頭を振ってうなずかなかったので、それならと重太さんに車を

呼ばせた。先生の家を出たのは4時頃だっただろうか。白皚皚たる(杜甫・真っ白)雪

の中、凛凛とした寒気の中を帰るのもおもしろい。堀端通り、九段の辺りは吹雪で顔も

上げられなくなり頭巾の上に肩掛けをすっぽりかぶって時々目だけのぞかせるのもおも

しろい。様々な感情が胸に迫って「雪の日」と言う小説の構想が浮かんだ。家に帰った

のは5時。母、妹との話は多かったので書かない。

5日

6日 小石川稽古日。

7日 こと無し。ただし山下さん、石井さん、西村さん、荻野さんが来た。

8日 こと無し。

9日 奥田のおばあさんの病気の知らせが来たので母がすぐお見舞いに行った。その

ことについて邦子といろいろ損團する。荻野さんが朝日新聞を持ってきた。原町田の

渋谷さんに葉書を書いてほしいとの依頼。日知没後母帰宅。おばあさんはそう悪くは

ないらしい。夜姉と秀太郎が来て10時頃まで話して帰る。母も邦子も今日は眠くないと

2時頃まで起きていた。

 

 

 

よもぎう日記

 また続きを書く。ひまですねえ。

 

 …しようと手紙を出したとのこと。ほかにも「とても言いにくいことだが」と長々と

前置きして何のことだろう。手伝いを頼んでいた奥さんを断ることにして家政を改革

するという話もあった。私はすぐに帰った。平河町から車を雇い1時に帰宅。その後母

は神田の年の市に出かけた。夜食の奇談があった。その夜西村小三郎さんが妹と別れの

あいさつに来た。

 

師走22日

 曇天。暖かい。午後より晴れた。なにもなし。

 

23日

 晴天。国会議事録一覧。海軍大臣の演説によって議会が紛争したとのこと。要する

に、今年の議会は政府も民党も去年以上に決心が固いようだ。解散か総辞職、どちらに

なるだろうか。午前中吉田さん(邦子の友達)のお母さんと実さんが来て、仕立てを

頼みたいとのことで、邦子は断れず引き受ける。お母さんと母が元町まで仕立物を取り

に行く。邦子と私は髪を洗った。昼頃母帰宅。夕方中島くら子さんが来てしばらくして

帰った後3丁目に買い物に行く。三枝で女の子が生まれたと宮塚(親戚)から連絡が

あったのでお祝いを用意するため。帰宅すると岩佐さんが来て10時頃まで話して帰る。

12時就寝。

 

24日

 明け方強震があって、外に出ようとしているうちに止まった。晴天。午後より母は

三枝さんへ行き日没前に帰宅。ほかにこと無し。

 

25日

 晴天。寒さがひどい。午前中髪を結い、母は安達さんにお歳暮を届けに行った。佐藤

梅吉さんがお歳暮に来て、塩鮭を一本いただく。今日は半井先生が約束していたお金を

持ってきてくれるので迎える支度をする。庭先の梅一輪…(以下散失)

 

 最初の謎の文は、孝子を嫁にやり女中を解雇して手の足りない桃水が、嫁か手伝いを

斡旋してもらおうとしていたのが、弟の事件により女性を家に入れることを当分やめて

自分で切り盛りすると話したらしいとのこと。そこに一葉に来てもらいたいような匂わ

せがあったとかなかったとか…。25日は隠していた桃水からの借金が垣間見えた日。

前後がいろいろ気になります。

 

 待つ人、惜しむ人、喜ぶ人、憂う人さまざまな新年である。天の扉が開いたように光

が差し、今年明治25年という年の姿がはっきり見えて、心がさらに改まる気がするのも

快い。人より早くと急いで起きて若水を汲みに行くのも楽しい。昨夜は雨がひどく、風

もすさまじかったのに名残なく晴れ渡って、真っ青な大空に凧が上がるのも勇ましく、

羽根つきをしているのどかな声も聞こえるのも嬉しい。昨日と全く違う天気で、気味が

悪いほど暖かいので、地震の予兆ではないかと気になる。火鉢から遠く離れて軒先に

行くと梅の香さえする風がふわりと吹く。「これほどの新年はまだ迎えたことがない」

と人々は喜んでいる。いつも雪のように降る霜も、今朝は気配さえなかったので、

 いか計のどかに立し年ならむ 霜だにみえぬ朝ぼらけかな

お雑煮、お屠蘇などで例年通り祝って、化粧をし、まずは書初めをする。邦子は「日出

山」と書き私は、

 くれ竹のおもふふしなく親も子も のびたゝんとしの始とも哉

というようなことをしたためる。山下直一さん、久保木秀太郎が年始に来る。母も近所

にごあいさつに行く。午後藤林房蔵さん、西村釧ノ助さん、志川とくさんが来た。

岩佐さんは玄関先であいさつして帰る。その後姉、田部井さんが来た。少しいて帰る。

小宮山弁護士から年賀を兼ねたおぶんについての葉書が来た。喜多川さんからも年賀

状。日没後邦子は裁縫、私は読書をする。「お宝」と呼ぶ声(よい初夢を見るために

枕の下に敷く宝船の絵)が聞こえるのも風情がある。初夢というからには今晩見る夢の

ことだが、昔から明日見る夢となっている。それを今日売るとは、進む世のしるしだろ

うか、夢を先取りさせようというのか、おもしろい。布団に入ったのは12時頃だった。

時計を修理に出しているのでわからない。

 

2日

 曇天。早朝より年始の会に着る三つ揃えの仕立てにとりかかる。訪れる人もない家

なので、もはや新年とは思われないほど静かだ。求めなくても閑静である。昼過ぎに

小宮山弁護士が来て、おぶんの話を4時頃までする。今日年始に来た人は土田恒之助

さんと以前中島先生に仕えていた玉と呼ばれていた人とあと2、3人。今夜も裁縫で夜

更かしをした。

 

3日

 曇天。昨夜は雨が少し降ったが、今日はそれほどでもない。午前中綾部喜亮さんが

来た。午後は上野のおじさんと三枝新さんが来た。三枝さんは母とおじさんにお年玉を

下さった。様々な話があった。伯父さんは一足先に帰る。日没前に新さんも帰宅。この

夜もゆうべと同じく遅くなってより雨が降った。

 

4日

 曇天。年始に来たのは藤田さん、菊池さんだけ。野尻さんと渋谷さんから年賀状。

野尻さんには出していたのでよいが、渋谷さんは昨年新潟に赴任されてから住所がわか

らず、といって人に聞くのも間の悪いことがあってご無沙汰していた。返礼せねばと

すぐに返事を書いて出す。午後山梨の後屋敷村からおかしな年賀状が来た。今日までに

来た年賀状は、熊谷の山下さん、甲府の伊庭さん、岐阜からまき子さん、音羽の前島

さんからなど。こちらから出したのは15通位だったので「あと4、5通は来るだろう」と

話し合った。今日も一日裁縫、夜更けまでした。

 

5日

 曇っていたが10時頃から晴れた。佐藤梅吉さんが来た。一杯飲んで帰宅。午後から

田部井さんが来た。昨日と同じく裁縫で夜更かしして一番鳥の声を聞いてから布団に

入った。

 

6日

 曇天、時々雨。風も大変寒かった。寒の入りと聞けば道理である。三つ揃えに綿入れ

をした。この夜も同じく3時まで縫物。

 

7日 

 曇天、寒い。「明日はきっと降るわよ」と邦子が言う。私が明日年始回りをする予定

なので嫌味なのだ。今日はこれといった客もなし。稲葉様親子と奥田のおばあさんの

2組のみ。邦子と銭湯に行った。半井先生にお年玉として差し上げるものを買いに本郷

3丁目に行った。空はよく晴れて風が少し吹いている。山崎さん、横山さん、雨宮さん

から年賀状が来た。この夜綾部喜亮さんが、久保木についての話に来た。私は明日の

支度のため夜更かしした。

 

8日

 早く起きて空を見れば、とてもよく晴れて塵ほどの雲もない。かすみがかっているの

がなんとも春のようだ。出かける支度をしていると綾部さんと久保木さんが連れ立って

きて話は済んだとのこと。帰った後すぐに邦子は神田へ、私は車を頼んでまず西村さん

へ行く。茨城から伯母様が来ていてあいさつした。「明日帰るので、これから菊坂

(一葉宅)に行こうと思っていたところです。あなたが来てくれなかったら会えなかっ

たところでした」と喜んでくれた。辞して中島先生のところへ行く。「具合が悪い上、

お客様がいます」と女中が言うので、「無理に会うことはないですね、ではお母様は」

と聞くと今眠ったところだと言うので、残念だが「また来ます」と出た。新小川町の

みの子さんを訪ねる。「上がりなさい」と言ってくれたが「先があるので」とおいとま

した。車を急がせて平河町の半井先生の本宅に来てみると、門戸を固く締めて「貸家」

の張り紙があった。びっくりして寄って見ると「半井氏お尋ねの方は6丁目22番地小田

何某まで参られたし」とある。そちらに行って「半井先生はいらっしゃいますか」と

聞くと女中のような女がにやにやして家に入った。替わって出てきたのはその家の主婦

のような30歳くらいの人で「先生は旅行に出ていらしてお留守です。ご用があったら

承りましょう」と言うので「どこに行ったのですか」と聞いても「地方へ」としか答え

ない。これ以上聞いても仕方がないので「私は樋口と申します。特に用ではないのです

が、年始のご挨拶に来たとお帰りになったらお伝えください。またお手数ですが、お帰

りになったら連絡くださいますようお伝えください」と言って出た。「旅行ではあるま

い、いつもの隠れ家ではないだろうか、頼みごとがいろいろあるのでどうしても会わな

ければ。失礼を覚悟で行ってみよう」と例の家に行った。庭先からのぞくと障子が張り

替えられ、なんだか改まって見えたのでここも引っ越したのかと思いながら、格子戸の

前に行って何度か声をかけたが返事がない。留守かとも思うが火鉢に鉄瓶の湯がたぎっ

ている音がして人がいないようにも思われない。格子戸を開けようとしたが栓が固く

差してあった。ここまで来て入れてもらえないのは残念で、どうしても会いたいと思っ

たのでさらに声をかけたが返事はなかった。勝手口の戸が開いていたので勇気を出して

入ってみた。恐る恐るのぞいたが人の気配はない。留守に上がっては人聞きが悪いので

急いで出たが、せっかく持ってきたお年玉だけは置いていこうと思い、台所の板の間に

土産の箱を置いて出た。車に乗って帰る道すがら「なんとおかしなまねをしてしまった

のだろう、昔の私はこんな軽はずみなことをするなんて思いもよらない。年を取ると

面の皮が厚くなってはしたないことをするものだ。こんなこと人が知ったら何と言うだ

ろう。怪しまれて、したこともないことまで言われてしまうのではないだろうか、どう

しよう」などと考えて身を責めて苦しんだ。家に帰ったのは2時頃だった。宮塚のおば

様が来ていてしばらく話す。西村のおば様も来て私が早く帰っていたのに驚いていた。

日没まで話しているうち邦子が帰る。この夜は日頃の疲れもあり、遠出をしたので疲労

困憊し何もしたくなかったが、先生にだけは手紙を出さないと気が済まないので書い

た。何度書き直しても気に入らなかったが何とか書き終え、読み返すと後々災いの種に

なりそうで恐ろしく、封をしたまま出さずにほかの用事をした。母は9時頃帰宅。12時

まで歌を詠む。

蓬生日記

31日

 小石川の稽古日。朝あまりに寒いので出てみると、霜が真っ白に降りていたので「初霜だ」と話す。8時頃家を出て中島先生のところへ行く。最初のお題は「暮秋の霜」。

 めずらしく朝霜みえて吹風の 寒き秋にも成にける哉

「実景」であると10点いただいた。次のお題は「紅葉浮水」。

 龍田川紅葉みだれて流るめり 渡らば錦中や絶えなむ(古今集

 (錦の川が断たれるので、渡ってはいけませんよ)という歌を本歌にして

 いさゝ川渡らばにしきと計に 散こそうかべ岸のもみぢ葉

 (さあ岸の紅葉よ、散って浮んであの歌の様な錦の川になりなさい)

と詠んで先生にとても叱られた。「本歌取りと言いながら、それを受けた詞がないです

よ」とのこと。「それはそれとして、叱られても怖れずにこのような歌をお詠みなさ

い、その内に少しは見られるものもできるでしょう」とおっしゃった。みなが帰ったの

は4時半で、私も帰ろうとすると先生が「ちょっと待ちなさい」と言って小紋ちりめん

の、三つ紋付き着物をいただく。「これはお歳暮にしようと思っていたのですが、早く

渡した方が都合がよいでしょう。新年のあちこちの会に出る時に紋付でないとおかしい

ですから」とおっしゃった。紋付などもったいなく、感謝してもしきれない。暗くなっ

てきていたので途中まで母が迎えに来ていた。夕食後に明日の景品を買いに行くため

本郷二丁目の信富館という百貨店に行った。いろいろ揃えて帰ったのは9時頃だった。

少し書き物をして早く寝た。

 

霜月1日

 朝から快晴。非常に穏やかな、まさに小春日和だった。10時頃まで歌を見て、髪を

結い、化粧をして12時半に家を出る。中島先生を訪うと「今行きますから少しお待ち

なさい」と支度をし、一緒に出る。「帰りは家から車を出すのであなたの車は返しな

さい」ということで私の車は返す。島尾家の様子や庭園のことはまた別に記すことに

する。先生が選んだ歌は、鳥尾さんの「初冬紅葉」「恋」私の「隠家」だった。私は

柿を5ついただく。鳥尾さん宅を出たのは日も暮れ切った頃だった。先生の家に帰ると

「よい歌を作ったご褒美に」とお菓子をいただく。車を呼んでいただいて家に着いたの

は6時だった。今日の来会者は水野さん親子、つや子さん、歳子さん、きく子さん、

みの子さん、い夏子さん、かとり子さん、のぶ子さんだった。19日は前島さんのところ

で難珍歌合せをすることになった。電信が全通したので江崎牧子さんに手紙を出す。

稲葉様が来た。

 

2日

 快晴。裁縫をした以外何もなし。日没後読書し、歌を10首ほど詠む。習字を1時間

して12時就寝。

 

3日

 天皇誕生日なので、例年通りお餅を少しついてもらう。山下さんが来たのでお汁粉を

出す。雑誌を借りて、次は「早稲田文学」を貸していただく約束をし昼過ぎに帰った。

午前中上着を仕立てて、午後は下着の裾直しをした。各評の歌が回ってきた。みの子

さんから滝の川(石神井川紅葉狩り)への誘いの手紙が来たので、断りの返事を出し

た。夜読書した。

 

4日

 晴天。午前中は裁縫に従事。午後から習字と読書をした。今日から小説を1日1回分

ずつ書くことを決めた。書けなかった日には黒丸をつけることにする。といっても自分

の心で決めただけのこと。日没後邦子と一緒に中島屋で紙を買い、心正堂で筆を買おう

としたが、日没には閉店とのことで仕方なく帰る。久保木の姉が来る。稲葉様に葉書を

送る。12時就寝。

 

5日

 曇天。朝から小雨が降ったが昼から晴れる。安達さんに預けたものを取りに行った。

女坂下の心正堂で筆を買い、三河屋に洗い張りを頼んで昼前に帰宅。今日も一日何も

せず終わる。全く怠惰だ!まき子さんから葉書が来て無事とのこと。

 

6日

 午前中奥田のおばあさんが来て、「震災義援金を出した」と言っていた。私もわずか

でも出したいが母が許さないのでしかたない。昼食を出し1時頃帰った。机に向っては

いても何もできず、我ながら情けない。日没後小林好愛さんの母上が亡くなったという

知らせが青山さん、師岡さんから来た。母の下駄を買いに行く。

 

7日

 晴天。早朝母は小林さんにお悔やみに行く。私は小石川の稽古なので8時半頃家を

出る。着いたのは9時。今日は慈善音楽会があったので、来会者はとても少なかった。

家の都合があり2時に許しをもらって帰る。母は帰宅していた。4時頃強震があった。

急いで母を庭に出したりしているうちに収まったのは、先日の騒ぎで懲りたのだろう

か。日没後母はまた小林さんへ一晩お通夜するために行った。姉が来る。話している

うち「泊まりましょうか」と言うが、あちらにも人がいないので帰した。9時頃だった。

 

8日

 早朝母帰宅し、すぐに寝てしまう。私は図書館に行く。まだ開館していなかったので

桜木町から根岸布田のお稲荷さんまで散歩し、有名な御行の松を見物した。ほおずき屋

の奇談があった。戻って開館を待ち入る。「太平記」「今昔物語」「東鑑」を借りた

が、東鑑は読まずに太平記と今昔物語を借り替えては読んだ。図書館を出たのは日が

傾きかけたころだった。向ヶ丘弥生町の坂で、17、8歳と14歳くらいの若い書生が、

菊の鉢を縄でぶら下げて歩いていたが、縄が切れて困っていた。着けていた腰ひもを

抜いてあげようとしたら、通りかかった学生が変な目で見ていたこと、書生たちの

こと、西片町で別れたことなどあった。日没少し前に帰宅。その後母はまた小林さんの

ところへ行った。11時就寝。

 

9日

 うす曇り。母は早朝に帰宅。今日は小石川の稽古日なので髪を結う。突然田辺有栄

衆議院議員が訪ねて来たのでどたばたした。意味深な話をして帰った。その後私も母も

出かける。遅れる人が多くて先生は不機嫌だった。来会者は19人くらい。小出先生と

みの子さんの噂があった。井岡太造先生に初めて会う。片山てる子さんの母上に会う。

先生が泊っていくよう勧めてくれたが、家に許可をとっていないので帰ると言うと車を

呼んでくれた。帰ると、母が私を迎えがてら西村さんの新しい家を見に行くと言って

出たそうで、行き違いになったようだ。私を探しているだろうと心配で私もまた出た。

先生が車を呼んでくれたほど危ないという夜道を、明かりも持たずに一人で歩くとは、

私も母もなんてうかつなのだろう。表町というところで母を見つけて一緒に帰った。

8日の月が雲間に見え隠れし、夜霧が道も見えない程たちこめて、幻燈を見ているよう

だった。帰ったのは9時だった。12時就寝。

 

10日

 うす曇り。この頃物入りが多く、いつものこととはいえ困窮極まっているが、しかた

のないことである。15日には小出先生が桜雲台(料亭)で薊園の追善会を催すので、

その日の着物を縫わなければならないが、それどころではないので小説に従事。14日

までに仕上げなければならない。昼前に稲葉様が正朔君と来て仕立物の依頼をされたの

で、断れずに引き受ける。午後大根を買った。14、5本で3銭5厘だというので安さに

驚く。4時頃から雨が降る。母は血の道で寝込んでいる。この夜小林さんより明日の

初七日逮夜の招待状が来た。

 

22日

 半井先生に明日在宅か問う手紙を出す。書くものが多く3時過ぎまで執筆した。

 

23日

 半井先生より「幸い暇につき来訪されたし」と返事が来た。昼過ぎに行こうと支度を

していると、急に空が暗くなり盆を返すような大雨が降って来た。母も具合が悪く寝込

んでおり、「行くのも大変だし、このような日に訪問されるのも迷惑だろうから今日は

やめにしなさい」と言う。私もいつもの怠け心で行くのをやめた。日が暮れても降りに

降った。今日も3時就寝。

 

24日

 起きると空高く澄み、朝日が華々しく昇り、濡れた梢や軒先が光り輝いている。

とても嬉しい。昨日約束を破ったので母も「朝ご飯が済んだら行きなさい」としきりに

言う。9時半に家を出て、着いたのは11時だった。本宅を訪うと「いつもの隠れ家に

いますがまだ寝ているので起こしてきましょう」と言う。「いえ、少し早すぎたので

起きるまでここで待たせてください」と言うが「大丈夫ですよ」と女中は行ってしまっ

た。すぐに戻って「もう起きていましたのでどうぞ」と言う。なるべくこちらの方が

いいのだが言い出せずについて行く。先生は木綿の古びた綿入れの上にどてらを羽織

り、白のような灰色のようなしごきの帯をつけた普段着でくつろいでいるので、さし

向かうと汗が止まらないような心地だ。女中も戻ってしまった。人のいない小部屋で、

長火鉢をはさんで男性と話をするなんて、友達や親せきが聞いたらどれだけ責められる

ことか。許しがたいことだ。まして男性と互いに話し合うなど、今度書こうと思う小説

の筋立てを話して教えを乞うためとはいえ、きまりの悪いことだ。先生が先ず「どんな

構想か聞かせてください」と言う。心に決めてきたことなのに恥ずかしくて爪を噛む

ような気持だった。「お伺いするのはとても無礼なことですので、一度はやめようかと

も思いました。でも手紙ではうまく伝えられないものですから来ることにしました」と

話し始め、「主題は片想いです」と筋立てを話す。先生は「いいと思いますよ、その

くだりはこう、ここはこのようにしたらよい」など教えてもらっているうちに話が弾ん

できて、「恋ほど不思議なものはないですね、身分の上下や、頭のいい悪いの区別なく

訪れるものです。これを悪用して人をたぶらかしたり世を騒がせたりすることも大変

多く、それは城を傾けるという女性(遊女)ばかりではありません」と、美少年が貞淑

な主婦をたぶらかしたり、紳士が良家の処女をもてあそぶ話をした。そして「このよう

な人は相手を愛しているのではなく害しているのです。真実の愛というからには、相手

の一生を思って幸せに暮らせるよう努力しなければならないのではないでしょうか。

『世の人の言う愛は自分の思うほど深くない。世の人が敬と思うものも私の敬愛の心に

かなうものではない。世の中がどんなに広く、人が多いとはいえ、この人を思う気持ち

は自分以上のものはない。この人の一生を幸せにするのは自分しかいない』とまで思い

尽くすことが真実の愛というものではないでしょうか」そうこうしているうちに12時に

なり本宅から昼食を持ってきた。断りかねて一緒に食べていると、「君はなぜそんなに

打ち解けてくれないのですか、私は粗野な男だけれども怖れるほどではないでしょう」

と言う。「いえ、そうではないのです。これは私の本性で、長い付き合いの友達はみな

知っていますが、このように固苦しいのが私なのです」と答えると先生は少し笑って、

「そうなのですか、私もこんな男ですが心根はあなたと変わりないのですから、なおの

こと、心を解いてください」と言う。「私は最初から先生を信じていますし、師匠では

ありますが兄とも思い、慕っているのです」と言うと先生は少しの間黙って、そのうち

に、「私ほど不幸な者はないのです…」以下散失

 

 何を話したのでしょうね…。結婚1年で失った大変美しい奥様の話だったのではと推測

されている。桃水は一葉に対する態度(女が小説を書くことをばかにしない)からみて

フェミニストのようだが、時代なので花柳界で遊んだようだ。一葉処女説、違う説ある

が、処女説は一葉を奉るあまりのようだし、そうじゃない説は自分の所業を重ね合わせ

ているようだ。私はからきしもてない人なので所業と重ね合わせて(←どうでもいい)

処女派である。上記にあるように、かたきにかたい人である上、母仕込みの誇り高き

武家娘なのだ。ただし桃水にせまられたら断れたかどうかはわからない女心。花柳界

出入りして、素人娘に手を出すような野暮な人ではないからせまったとは考えられない

が…。この後騒動になったように男女が一緒にいただけでも罪とされた時代、まして弟

の事件もあり身を戒めていたはずだ。 

 

蓬生日記

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5日

 晴天。終日机に向かって例のつまらぬことなど書き連ねる。西村さんが来た。近い内

に文房具店を開く準備ができたとのこと。小田病院での怪事件について話す。昼食を

出して、帰ったのは3時頃。滝野様より庭で採れたという栗をいただく。今日は甲子の

日なので母はいろいろ用意して大黒様にお供えをした。日没後母に邦子とあんまを少し

してあげた。今日は怠けてしまった。

 

6日

 快晴。朝から母は着物の洗い張りをした。姉がちょっと寄った。午前中に単衣を3、

4枚洗った。午後から例のごとく机に向かう。

 

7日

 快晴。髪を結う。昼過ぎから机に向かうが、気に入ったものが書けずに破り捨てる事

10回にもなる。いまだに1つの小説も書き上げられないとは、本当に情けない。最初に

書いたものを中島先生に見てもらったので、その続きを書こうとしているのだが、我な

がらつまらなくて破るばかり。どうしても成し遂げたいので、違う趣向を考えて書いて

みるがどれもこれも拙い。今昔の有名な物語、小説を読むたびに自分の才能のなさが

悲しくてもう放り出してしまいたいとも思うが、やはり思い立ったことなので止めたく

ない。勘違いをして分不相応なことをしているのかもしれないが、また書き出した。

「あさってまでに必ず完成させる。できなかったら死んでしまおう」という覚悟だ。

気が小さいと笑う者は笑うがいい。

 

8日

 快晴。午前中清書して、午後からまた書く。「十八史略」「小学」を読む。お鉱様が

来た。明日の会のための景品を作る。日が暮れてから母と一緒に薬師様にお参りに行

き、百貨店を見学した。植木屋に菊が見え始めた。露店が6丁目辺りまで出ていた。

帰り道に姉と会う。帰宅し土産の粟餅を食べた。母が寝た後姉が家に寄り、お土産に

また粟餅をもらった。同行者がいたのですぐに帰った。風が強くなり空模様が凄まじ

い。11時頃就寝。

 

9日

 早朝より小石川に行く支度をし、9時頃家を出る。風が大変強かったが空はよく晴れ

ている。先生に約束していた茄子を持って行くと大変喜んで、昼食に煮て食べようと

おっしゃった。春日まんじゅうを焼いて食べようとしていて、半分いただいた。話を

しているうちに昼になり、昼食をごちそうになってみなが来るのを待った。かとり子

さんが最初に来て、来会者は12名くらい。点取りのお題は「秋烟」。小出先生の乙は

私で、短冊をいただいた。「おかしいな、私の点は樋口君にばかり取られてしまうよ」

とおっしゃり「歌には才能も必要だが、さらに勉強しなさい。進むのは難しく退くのは

たやすい、私が後見しましょう」と笑いながらおっしゃると先生が、「さあ夏子さん、

小出先生にお酌なさい、ここまでおっしゃってくれるのは冗談ではありませんよ」と

一緒に笑う。例のひがみ者なのでとても恥ずかしく、部屋の片隅に潜むばかりなので、

愚かだと笑う人もいただろう。みなが帰った後小出先生も帰る。みの子さんと少し話を

した。帰ったのは日が落ちた後だった。母が迎えに来ていて途中で会う。奥田のおばあ

さんが来たので果物を少し持たせ、邦子が送って行った。この夜和歌を20首ばかり詠ん

だ。布団に入っても眠れないのでまた起きて本を読む。12時就寝。

 

10日

 晴天。湯島の天神大祭の日で、母は昼前からあちこちに遊びに行き4時頃帰宅。

「私も年を取ったものだ、こんなに気楽に遊び歩いたりして」と笑う。日が暮れて邦子

と一緒にお参りに行く。山車は切通坂に一つあっただけだった。神社を抜けて新花町の

方に出て、吉田さんの家の前を通ったので邦子が寄る。しばらくして一緒に帰る。7時

頃だった。どうしようか悩んだが机を出していると手紙が来た。今朝兄に季節の挨拶を

出したのでその返事だろうと思って開けると、色々なことが書いてあり「さて、こちら

は春から不都合が多く、どうしようもないまま負債を抱えてしまった。そしてとうとう

差し押さえとなり、明日の期限に破産することになった。また話をしに行く」とあり、

「3円あったら何とかなるのだがそれさえ用意できない」と書いてあった。大変驚いて

母と相談する。「ここに4円あるが、これを貸したら家も困る。どうしましょう」と

言うので「公権の剥奪となったら大変な恥ですよ。家のことは私の稽古用の着物を売っ

たらいいのですからこれを持って行き、どういうお金か説明して渡してきてください。

暗くなっているけれど、明日といっても今夜一晩中心配しなければなりませんから」と

車を呼んで母を行かせる。邦子と心配しながら待っていると11時頃帰って来た。

「だいたい片がつきそうですよ」ということで少し安心した。この夜邦子が腹痛を起こ

し、一晩中苦しんで朝になった。

 

12日 

 邦子はまだよくならない。今日は本願寺の取越祭(親鸞忌)なので母は9時頃お参り

に行く。10時ごろ稲葉の奥様と正朔君が来たので昼食を出した。秀太郎が来たので頂い

た赤飯を食べさせる。今日は法華宗の十夜講ということで、あちこちから配り物があっ

た。今日もとても怠けてしまった。

 

13日

 晴れ。兄はどうなったのかと心配しているのに来るどころか手紙もよこさない。沖縄

県から依頼された沖縄名所の歌を見ていただこうと先生のところに行ったが、留守で

無駄足をした。またと思って帰る。

 

14日

 特になし。晴れ。

15日も同じく。午後用足しに出る。

16日 同

 

17日

 稽古日。晴天。お題はいつもの通り二つ、一題で十点頂いた。い夏子さん二つ、島尾

さんも二つだった。松井節哉さんが入門した。明治女学校の学生で、田辺さんの知り

合いとのこと。見たところ大変おとなしそうな人だ。日暮れ前に帰る。岡田さんより

仕立物の依頼があり母が断ろうとしたが、遠路来てくださったのだからと私が引き受け

た。

 

 今日は旧菊月十五日である。空は見渡す限り雲もなく、くずの葉のうらめづらしき

(出典不明)夜だ。「今日御茶ノ水橋が開通するそうだから見に行きましょう」と邦子

に誘われ、母も「見て来なさい」と言うので家を出た。鐙坂を登り終わる頃月が昇って

きた。軒先も歩く道も霜が降ったように白く光り、そう寒くもなく、月と道連れで歩く

ことがおもしろい。とうとう橋のたもとに着く。駿河台がとても低く見えて風情があ

る。月が水を白く照らし、行き交う舟の灯影も美しく、金の波銀の波がかわるがわる

打ち寄せては砕け散る、穏やかな光りが夢のようだ。森が水面に逆さまに映り、その上

に雲が一群かかっているのもよい。薄霧が立って遠くがほのかに見え、燈火がかすかに

揺らぐのも美しい。「さあ帰ろう」と口では言っても離れがたくてしかたがなかった。

こんな素晴らしい夜をまた見られることがあろうかなどと話しなが、駿河台から太田姫

稲荷の坂を下りて行くと、下から昇ってくる若者が4人ほど、簡素で爽やかな格好を

して漢詩を謡いながら登って来る。「ああ悲しい、男だったらあんなことができる素敵

な夜なのに」と邦子がうらやましそうに言うのでおかしかった。馬車がけたたましいの

で、小道に入って「神田の森で月を見よう」と坂を登るがとても苦しかった。登り切っ

て見返ると月はいつのまにか高く上がり、2本ある杉の木に隠れてしまってよく見えな

かった。こんな月夜に歌を詠まなければ悔しいので思いを巡らせてみても、月の光が

邪魔をするのか何も出てこない。「歌など詠むなということね」と笑ってやめた。

本通りに出、帰り着いてしまうのがとてもとても惜しいのだが、母を待たせるのも気が

咎めるので急いで帰った。8時前だったが、母は時計を手元に置いてのぞき込んで待っ

ていた。あれ以上遠くまで遊びに行くのはいけないことだった。母を寝かせて手紙を

少し書く。この日は秀太郎の小学校で運動会として鎌倉への歩行遠足があったので、

「さぞ疲れただろう」などと案じた。

 

18日

 晴れ。午前中母は出かけて、私は依頼の仕立物を始めた。山下直一さんが来る。

下宿を替えたとのこと。少し話をして家にあった新聞を貸した。昼過ぎに菊子さんが

来た。卒業試験が終わってとても喜んでいた。「おととい半井先生のところに遊びに

行って昨夜帰ったのですが「夏子さんはどうしておられるのか」ととても心配していま

したから、お伺いしてみてください」と言う。私もずっと行きたいと思っていたのだ

が、差しさわりもあり行かずにいていつも心苦しかったのに、そのような親切な言葉を

いただいて恥ずかしい限りだ。様々な話をした後帰る。この夜隣の中島さん宅でとても

不思議なことがあった。くら子様に手紙を書く。11時頃布団に入ったがいろいろ考えて

眠れなかった。夢の国に行ったのは1時頃だっただろうか。

 

19日 

 晴天。何もなし。

20日 

 晴れ。何もなし。図書館に行った。

21日

 晴れ。同。

 

22日

 晴れ。明日半井先生を訪ねようと思い手紙を書く。といって前に書き直すよう言われ

た原稿にも手を付けておらず会う立場ではないと思うが、手紙は出した。銭湯に行った

りして用意する。空はとても晴れて塵ほどの雲もないが、先生のところへ行く日に雨の

降らないことはなかったから「明日はどうなるかな」と邦子に言うと「お祈りしても

どうかしらね」と笑っている。夜になって半井先生より手紙が来る。孝子さんが27日に

嫁入りするのでその後に来てほしいとのことだった。急な話で本当のことのように思え

ない。おかしなことだ。12時就寝。

 

23日 

 早朝布団を出ると大雨が降っている。「やっぱり降ったわね」と言っているうちに

朝日が昇る頃にはどんどん晴れておかしかった。稽古のお題五つ、評を一題、難珍を

三題詠んで昼食。午後望月さんが来た。新平さんが来て、邦子の作った蝉表が欲しいと

熱心に言うので2枚売った。百あってもこれほどいい出来の物はないと言う。私の歌の

ことを思うと肩身が狭くて穴にも入りたい思いだった。11時就寝。

 

24日

 晴れたが大変寒い。8時頃家を出たが、先生は昨日からいつもの病で大変苦しそうに

していたが「近衛家の令夫人が亡くなったのでお葬式に行かなくては」と私に留守を

頼んで出て行った。前田利嗣様の妹で美しい盛りの23歳、お子様の誕生日だったと

いう。来会者は多くはなく、伊東夏子さんもとても遅れて来た。前島むつ子さんが入門

した。10時頃先生が帰った。お題は二つだった。先生が近衛篤麿様の歌を披露した。

 なき数に母の入しもしらぬ子の ゑがほ見るさへかなしかりけり

真心からの歌は人の心を動かすものだと先生は感嘆していた。午後4時ごろみな帰る。

先生はとてもつらそうですぐに寝込んでしまった。私が帰ったのは日暮れ前。邦子が

野々宮さんを訪ねて「女学雑誌」ほかの本を借りてきた。孝子さんにお祝いを持って

行った方がいいのではないかという話になり、明日早朝行くことにする。しばらく行か

ない間に変なことがいろいろあったらしいが、先生がそれを私に知られないように苦心

していると聞いてほほえましかった。12時就寝。

 

25日

 朝から曇り。8時に家を出て半井先生を訪ねる。門の前に車が停まっていたので、お

客さんが来ているのかと思っていたらそうではなく、親戚や知り合いにお別れを言いに

行くためのものだとのこと。私が玄関先でお祝いを述べて帰ろうとすると孝子さんが、

「兄もいますので上がって行ってください」と言う。先生も出てきて上がるように言っ

たが「また来ます」と言って帰る。「27日に福岡まで妹を送りに行きますが、その後

必ずいらっしゃい。話したいことがありますから」とのこと。帰りに、中島先生が昨日

あまりにつらそうだったので様子を見に行くと、ちょうど佐々木先生に受診しに出かけ

るところだった。用を頼まれて先生は出た。手紙を2、3通書いて出し、すぐに帰る。

昼からは読書し、12時に布団に入る。

 

26日

 晴天。邦子は関場さんのところへ行って、半井先生には借金があるという話を聞いて

来た。尾崎紅葉の不品行なことなどいろいろあった。岡田さんが仕立物を取りに来て、

またお願いしたいとのことで承る。午後鳥尾家に難珍歌合せの二題を詠んで送る。頭を

悩ませて詠んだがあまりよいものではなかった。12時就寝。思うようなことができない

自分が憎らしい。

 

27日

 ゆうべ雨が降ったので庭が湿っていた。7時頃地震があった。亡き兄の命日なので

精進煮を作って供える。鳥尾さんの会に行く日に着るため洗い張りしてあった着物を

縫う。昼前はつぎはぎに取りかかる。下前の襟を5カ所、袖に2カ所あった。

 宮城のにあらぬものからから衣 なども木萩のしげきなるらむ

(萩の名所の)宮城野でもないのに 私の着物に萩が生い茂っているのはなぜだろう 

などと言って笑いが止まらなかった。日が暮れてからは習字をする。今夜は筆の運びが

思うように進むので、いつもより多く書いた。1時就寝。

 

28日

 曇天。6時頃強い地震があった。今年は安政の大地震から37年と言ってとても心配

する人もいる。10時頃坂上という洗濯屋さんが来て、明日の昼頃までに綿入れを2枚

仕立ててほしいと言う。断ることもできず引き受ける。午後持ってきたので邦子と二人

で日没までに平縫いだけ仕上げる。暗くなってから空が晴れ、風が少し吹く。習字を

2時間ほどした後小説に取りかかる。

 

29日

 早朝届いた新聞を見ると、昨日の地震は東京では何事もなかったが、各地の電報に

よれば愛知、岐阜辺りから伊勢、浜松辺りまで災害があったとのこと。横浜でも家屋の

倒壊はなかったが電柱が倒れて電気が点かなくなっているという。東京にも来るのでは

ないかとおびえる人もいる。2時頃依頼の縫物が終わって、半井先生に「明日伺いま

す」と葉書を出す。書きかけの小説の続きを書く。夕方朝日新聞の号外が売りに出て

いた。地震のことだろう。この夜布団に入ったのは1時半だった。夜半から強風が出て

明け方森川町神社の近くで失火、12、3軒焼けた。

 

30日

 風が止まず、空も曇ってとても寒い。新聞が来るのを待ちかねて見ると、今度の地震

で一番被害があったのは岐阜県の大垣、笠松などだそう。特に岐阜市は全焼らしいが

詳しいことはわからない。接近した加納、笠松、関、大垣辺りは死傷者や家屋の焼失、

倒壊数知れないという。江崎牧子さんは上加納高岩町に住んでいるが、どうなっている

だろうと思うと涙が止まらない。鉄道も電信も郵便も不通なので安否を問うこともでき

ず、空しく空を眺めて嘆くばかりだ。

 12時頃家を出て半井先生のところに行く。2番地の家に行ったところ「込み入った話

もあるので最近借りた隠れ家に行こう」と一緒に1丁ほど行ったところにある家に行っ

た。座敷は4部屋あり、書斎と思われる6畳間には机を置き、原稿用紙や硯などが散ら

かっている。障子が4枚あり外は縁側だろう。入って右側の小窓は風が強いので閉めて

ある。左側に三尺の戸棚があり、並んで床の間があった。私は近眼なのでよく見えなか

ったが風景写真の額が掛けてあった。先生と長火鉢をはさんで座ると、いつものように

にこやかに「もっとお寄りなさい」と言う。7歳にして席を同じうせずとまではいかな

いが、とてもできないことである。こんな人気のないところでと思うと後ろめたくなっ

て冷や汗が流れる。言うべきことも口から出ずにハンカチを握りしめていると「孝子の

嫁入りの際にはずいぶん苦労しました。世の母親が娘を縁付けるのにやせる思いをする

というのは本当で、私もやせたような気がしますよ」と言う。そして龍太さんと鶴田

民子さんのこと(妊娠させた)について、面目ない様子で「先日野々宮さんから話が

あったと思うが、我が家にあんな醜聞が立つなど夢にも思わないことで、全く知らずに

いたことは私の過ちです。さらに君が急に来なくなったので、誰かが私に罪があるよう

に差し出口をしたのではないか、潔白なのに疑われたのかと大変心苦しかった。その上

小宮山君まで私が何かしたのではないかと怪しむのでつらかった。また前の様に君に

来てもらいたくて、言いにくいことだったが野々宮さんに詳しい話をしたのです。私は

粗野な男だが女性を傷つけるような考えを持ったことなどありません。弟の醜聞では

あるが、あなたのお母様も心配して引き留めているのではないのですか。もうその心配

はないのでまた来てくれたら嬉しいのです」と言う。私はそこまで疑ってはいなかった

のに、やましくてこんなにも言うのだろうか。小説の話をしばらくし、前に送ったもの

を変名で出しましょうと言うので「恥ずかしい限りですが、よろしくお願いいたしま

す」と頼んだ。小説を4、5冊借りて「また来ます」と立つと、いつものように「もう

少し」と言ってくれたが長くいるのも心苦しいのでそのまま帰った。九段坂で車を

雇い、家に着いたのは5時前だった。難珍の歌合せが回ってきたのでその判定をする。

布団に入ったのは11時。