怒涛の一か月

 島に来て一か月半、旅行に行った時から嘘のような展開で話が進み、なんと今、糸を

染めて絣も括って整経して織り始めている。ブログを更新できなかったのはそのため

ではなく、すぐにあった台風によりひかり回線が切れてしまい一か月以上修理してもら

えなかったからですが。なんと行動的な人でしょうと人は言うが私は決してそんな人で

はない。人と接することが下手で、何か始めることにも積極的ではない。ただ我儘ゆえ

に嫌いなことから逃れるのに必死だったのと、ここではみなフレンドリーであるからだ

ろう。長らく一緒に放浪した家人が先に仕事を決めてくれて、島に本当に行くのだろう

かと思いながら荷造りをし送りに送って、軽自動車に小さい冷蔵庫と洗濯機と猫を積ん

で旅立ったのだった。毎年通るはずだった北陸道はコロナのため4年ぶり、四国の母の

家に寄ってから、楽しい思い出のある鹿児島まではあっという間だったが、あまりの

暑さに猫連れでは何もできずに通り過ぎただけだった。不愉快な生活を送る中で腐りき

ってしまい、鹿児島や徳之島の友達にも連絡を絶やしてしまったので懐かしく思っても

どうにもならなかった。私は長い放浪生活で、数少ない友達をこういう形でいつも失な

ってしまっている。

 夢は夢でしかないと諦めていた私だが、今はそうじゃないと言える。というか夢は夢

として持ち続け、機会があれば、動けば(それが難しいのだけれど)叶うということ。

今後はどうなるのかわからない、いまのところ不思議なくらい注文があるようだが、

反物の需要の見通しは暗いし、いくら優しい人たちの中でも、我儘の地金が出ていつも

通り嫌われることになれば居づらくなる。でも奄美の人とはうまくできたしその感覚に

近いので、輪を持とうとする人に甘んじないようなんとか頑張っていきたい。

 こちらに来る前ステロイド断ちをしてみたのだが、旅の間どんどん悪化しとうとう

浸出液まで出たので残しておいた薬で何とか収めた。結局こちらでも中程度のステロイ

ドを出してもらって一日おきに塗っていたが、絶えず汗をかいていても多少陽に当たっ

ても調子がいいので、また様子を見ようと止めてみたらさっそく首がぼこぼこに。島の

病院は出張の若い先生なので患部など見ず、言われるままに薬をいっぱい出す型。オン

ライン診療と一緒。まあ、よい先生に当たらない限り皮膚科も同じこと。自分で管理す

るするよりほかないが、物資の少なさから野菜不足になりがちだし、緑内障予備軍なの

ステロイドは止めたいし困った…。