会津から離島へ

 やっとWi-Fiが開通した。来てからは部屋を抜ける風を喜んだり、その風が強くなって

雨が降るとほぼ台風なのでびっくりしたり、蒸して29℃80%だともう無理(おととい)

で、30℃75%(きのう)なら大丈夫だとがわかったが、そのまま一晩経過したこの朝は

高知以来の熱帯夜でちょっとへばっている。アトピーは四国を出たタイミングで首から

浸出液が出始めて、一晩中(なぜか夜出る)ティッシュやタオルで押さえ、寝ぼけて

かきむしった後猛烈に痛むし、タオルで回りを汚さないようにしたり、それを洗った

り、においが気になって気分はダダ下がり。到着して湿気や心理で変化があるかと思っ

たが汗や暑さにより悪化の進度は変わらず、とうとうとっておきのステロイドを塗っ

た。全くステロイド様様でその晩から浸出液は出なくなり、ぼこぼこで真っ赤になった

首は治まってきた。脱ステロイドはあきらめてこちらの病院で続けていくよりほかなさ

そうだ。皮膚科は町立病院で週に一度、良心的な先生であることを祈るばかり。

 覚悟はしていたがほとんどの物資が輸入で、那覇からどころではなく本土からなので

物価は約1.5倍、今は野菜はゴーヤだけで暮らしている。お豆腐と豚肉はさすがにおいし

いのでチャンプルーばかり。卵牛乳はゼータク品となってしまったので卵なし。気を

つけないと鶏肉や野菜が外国産。野菜を選んで食べられないのはつらい。

 船が着くたびに港の忙しさを見ていたが、コンテナがむんむんのフェリー船底から

炎天下に置かれるのも見た。生鮮以外の食べ物が多少のことでは傷まないようになって

いる=添加物どんだけー、ということを知った。それに生鮮食品高いはずだとも。

 本土から軽自動車に積んで来た冷蔵庫(ちなみに洗濯機も)は家にあった小さい方

でも入らないのでわざわざ最小のを中古で買った。をやりくりして何とかなっているが

台風によっては1週間フェリーが来ないこともあるそうで、そうなったら数年前から買

い込んだ結果貯蔵品の乾麺生活だ。この湿気で虎の子のスパイスや輸入豆も心配。でも

歩いて買い物へ行くとか、要るものだけ買って二日過ごす工夫をするとか久しぶりだ

し、今は暇なのでおもしろい。

 

   思い出せる限りの引越しの記録

7月15日

 朝から荷物が来ると飲み物を用意して待つが来ない。こりゃ今日のフェリーで来るの

かと気づきやっぱてーげーだなあと思う。午後電話あり、人手がないので夕方になると

言うので取りに行くことにする。できるだけして残りは頼もうと思っていたが電話では

すごく申し訳ながって無理せずに残りはこちらでと言っていた人がいなくなっていて、

荷物をじゃんじゃん積まれるので家人の性格もあり、全部大汗かいて持って上がった。

3階まで運んでもらうのは悪いので局留めにしようかと思ったが、土日取りに行けない

と私一人でやることになるので難しく配送にしたのだが結局そうなったわけだ。4㎞を

6、7往復したがもちろん何の連絡もなかった。人の迷惑を慮れば損するばかり。

7月14日

 部屋からのぞくと相変わらずダッシュボードで寝ている。フェリーで島へ。昼過ぎ

着、不動産屋へ行って契約。時間がない中でも速達でできたと思うがこの辺がてーげー

だ。てーげーついでに鍵渡され自分でアパートへ。猫置いて役場ごとして家人は会社に

あいさつ、自動車ナンバー変更手続き。ビールといか天ぷら買って今日は終わり!

7月13日

 奄美の黎明。携帯忘れ撮れなかった。フォークリフトが忙しく働くのを眺める。徳之

島。知り合いがいるので電話してみたかったが長く連絡とっていないのでやめる。沖永

良部島。ここで芭蕉布を習いたいと思ったこともあった。与論島。行ってみたかったが

まあないな。本部港で見ていたが外人さんが降りる様子はない。那覇に入る前ペットル

ームに行くとうちのだけになっており、下船時気にしていたがやはりわからなかった。

前の旅行で入った船員会館の居酒屋で飲んで港で車中泊するつもりだったが船員会館に

泊まれることに気づき、雨模様で暑くならなそうなので猫にはもう一日車中に耐えて

もらうことに。窓を出られない程度に開けて出すとダッシュボードにのうのうと寝ころ

んだ。昔どこかで泊まった時も朝見に行くと朝日の当たる助手席で寝ていた人である。

(前の猫は必ず見えない座席下にいた)見上げるとカラスくらいの蝙蝠が、電線にぶら

下がっている。そんなの知ってはいても見たことない!居酒屋は10時に終わるとのこと

でシャワーも浴びずに駆けつけ4杯。やぎ刺身付き定食と野菜不足なのでゴーヤチャン

プルー(後でスライスがあったのに気がつき無念)。定食の内容は忘れたがいろいろ

あっておいしかった。汚すので首回りに洗い回しの生臭いタオルを敷いて寝る。

7月12日

 そのまま行くと言うので、一晩かけて臼杵から途中2ヶ所くらいで仮眠を取りながら

鹿児島へ7時頃入ったが、高速を降りて私が道を間違え市内には9時過ぎ着。ホテルに

休憩に入りシャワーを浴び、母が炊いてくれた牡蠣ご飯を食べて少し寝る。暑い暑い。

駐車場は日陰だが猫が心配で早目に出る。フェリーの手続きをし早く入れたので、懐か

しい鹿児島だったがなにもできなかった。ペットルームがありほっとしたが残念ながら

相客あり。外人さんが2匹の猫ちゃんを連れて来ていた。旅慣れているテントに移った

2匹が静かにしている上の棚で大騒ぎ。途中見に行くと砂もフードもめちゃめちゃに

かき出してトイレの中に座って大号泣。それにしても静かな2匹、アメリカ人は猫の爪

を抜くと聞いたことがあるので声も抜いちゃったか~などと失礼な冗談を言うくらい。

夕暮れの開聞岳は雲に隠れて見られなかった。楽しみにしていた食堂は生ビールがなく

定食だけ。定食の唐揚げをもらう。オレンジフェリーでは飲めたが時代が違うね…。

お風呂もなくシャワーを浴びて横になる。島唄にある七(吐噶喇列)島の灘を感じたか

ったが、天気もよかったし全く感じることなく爆睡。といっても浸出液と痛みと不快と

闘いながらではあった。船の箱枕は首に当たらないのでよき。

7月11日

 母を連れて風呂にでも行きたいがそれどころではなく、12日朝出れば鹿児島に行ける

はずでも心配で夜に発つことにした。最後の100円ショップで要りそうなもの物色した

り、フジで服を見たり。いろいろ作ってくれたので外食すらさせてあげられなかった。

いやこの日はリンガーハットに行った、ってそんなの…。6月に東京で高級トルコ料理

らぬケバブを喜び、エスニック料理食べ、猪苗代に来た時にそばと温泉には行ったけれ

ど天気が悪く好きな山には行けなかったし。ともかく文句も言わず元気でありがたい人

だ。8時別れを告げて出る。八幡浜から臼杵へ。船で寝られない私も寝たが、初めて首

から浸出液が出てショック!絶えず拭いていた気がする。

7月10日

 家に送っていた物などの片付けに追われる。前の引越し時私のものをけっこう置いて

いたので夏服や皿を2箱送る。友達が牡蠣を送ってくれたのでバター焼きにして飲む。 

7月9日

 朝行くと猫は足元で鳴いていたがフードは完食、トイレ済み。8時半発、残り9時間で

愛媛に着くはずだが初めての軽での高速走行なので休み休み行く。懸念の豪雨には当た

らず幸運だった。丹波篠山で休憩。黒豆ご飯と猪卵とじなどという高い割においしく

なさそうなものを頼む人、私は無難に肉うどんにして正解。関西ではうどんに限る。で

も出たら向こうにフードコートがあって大後悔。大雨になったのでひと眠り。遅れて

いるので瀬戸大橋をやめて明石海峡大橋に変更。4時半に徳島に入る。7時半着。11時間

かかった。猫も閉じ込めっ放しでお疲れ様でした。

7月8日

 三日がかりで全ての荷物を送り(37個と25個と3個)出るばかりだと思っていたが、

遠方の親戚が片付けに来てくれて一日潰れ、近所の親戚へあいさつ回りに多少の時間が

かかったので片付かず、一日がかりでゴミ出し。ほぼ捨てたつもりがいくらでも出て

くるので元職場の別荘地に頼めて本当に助かった。冷凍品が減らず、覚えていないが何

やら食べたり作ったりして冷蔵庫を空にする。5時まで出かけられずイライラ、掃除も

そこそこに出る。家残して行くのできれい好きな叔母がしてくれるだろうなのでありが

たい。まだ必要ないが試しに車の冷房をつけると、ガス入れてもらっていたがもちろん

抜けていて無駄だった。9時半頃富山でアトピー部分が耐えられなくなったので高速道

路を下りて泊まることにする。シャワーを浴びて人心地。作ってきたズッキーニとえび

の炒め物、バッファローウイングで飲んで涼しい部屋で爆睡。