2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

樋口一葉「暗夜 三」

九 秋は夕暮れ、夕陽が華やかに差して、ねぐらに急ぐ烏の声が淋しい日、珍しく車夫に 状箱を持たせて波崎様より使いという人が来た。おりしもお蘭は垣根の菊に当たる夕日 が美しいのを眺めていたが、おそよが取り次いでお珍しいお便りですよと差し出すと、 …

樋口一葉「暗夜 二」

五 行こうと思い立った直次郎は一時も待てず、弦を離れた矢のようにこのまま暇乞いを と佐助を通じてお蘭に申し上げると、とてもではないと驚いて「鏡を御覧なさい、まだ そのような顔色でどこへ行くのです、強情は元気になってからなさい。病には勝てない …

樋口一葉「暗夜 一」

一 塀に囲まれた屋敷の広さは幾坪か、閉じたままの大門はいつかの嵐の時のまま、今に も倒れそうで危ない。瓦に生える草の名の忍ぶ(草)昔とは誰のことか。宮城野の秋を 移そうと持ってきた萩が錦を誇っているが、殿上人の誰それ様が観月のむしろに連なっ …

樋口一葉「別れ霜 五」

十三 「覚悟したのだから今更涙は見苦しい」と励ますのは言葉ばかりで、まず自分がまぶ たを拭う、はかなくも露と消えようとする命。ここは松澤新田先祖累代の墓所、昼なお 暗い樹木の茂みを吹き払う夜風がさらに悲痛の声を添え、梟の叫びも一段とすさまじ …

樋口一葉「別れ霜 四」

初めて見る蝶を撮って調べたらサカハチチョウというものらしい。 十 「それは何かのお間違いでしょう、私はお客様とは知り合いでもなく、池ノ端からお供 したのに間違いはありませんが、車代をいただくよりほかにご用はないと思いますので それを伝えて車代…

樋口一葉「別れ霜 三」

七 いらいらするのは、散会後に来ない迎えの車。待たせておいてもよかったが、他にも 待つ人が多いので遠慮して早めに来るように言いつけていったん返したものを、どう しているのだろうか。まさか忘れてこないのではあるまいし家だっていつまでも迎えを 出…

樋口一葉「別れ霜 二」

海、海 四 他人はともかく、あなただけは高の心をご存じだと思うのは空頼みだったのですか、 情けないお言葉を。あなたと縁が切れて生きていける私だと思うのですか、恨みといえ ばそのあなたのお心が恨みです。お父様の悪だくみを責められたらお返事もでき…

樋口一葉「別れ霜 一」

海がない世界はほんとイヤ 一 胡蝶の夢のように儚い世の中で義理や誠など邪魔なもの、夢の覚め際まではと欲張る 心の秤に黄金の宝を増やすことばかり考えて、子宝のことを忘れる小利大損。今に始ま らない覆車のそしり(戒め)(ひっくり返った車の轍を見て…

樋口一葉「雪の日」

四万十川の雪景色 見渡す限り地上は銀沙を敷いたようになり、雪は胡蝶の羽のように軽やかに舞って いる。枯木に花が咲いたと見立てて世の人は歌に詠み、 雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之) 雪が降れば冬籠りしている草木が …

樋口一葉「経づくえ 二」

四 園様はどうされました、今日はまだお顔が見えませんがと聞かれて、こんなことが あって次の間で泣いておりますとも言えないので、少しばかりお加減が悪かったのです が今はもうよろしいのです、まあお茶をどうぞと民はその場を取り繕った。学士は眉を ひ…

樋口一葉「経づくえ 一」

一 一本の花をもらったがために千年の契り、万年の情を尽くして誰に操を立てての一人 住まい、せっかくの美貌を月や花からそむけて今はいつかも知らぬ顔、繰る数珠に引か れて御仏の世界にさまよっている。あれはいつの七夕の夜だった、何に誓って比翼の鳥 …

樋口一葉「うつせみ 二」

四 今日は用事がないとのことで、兄は終日ここにいた。氷を取り寄せて雪子の頭を冷や す看護の女中に替わって、どれ少し自分がやってみようと無骨らしく手を出すと、恐れ 入ります、お召し物が濡れますよというのを、いいさ、まずやらせてみなさいと氷袋の …