樋口一葉「経づくえ 二」

                   四

 園様はどうされました、今日はまだお顔が見えませんがと聞かれて、こんなことが

あって次の間で泣いておりますとも言えないので、少しばかりお加減が悪かったのです

が今はもうよろしいのです、まあお茶をどうぞと民はその場を取り繕った。学士は眉を

ひそめて、「それは困ったものだね、大体丈夫な質ではないのだから季節の変わり目

などにはことさらに注意しなければならない、お民さん不養生をさせないように。とこ

ろで私に急に白羽の矢が立って遠方に左遷が決まったので、その話を兼ねてお別れに

来たのです」と言うので、お民は驚いて、ご冗談をおっしゃらないでくださいませ、

「いや冗談ではない、札幌の病院の院長に任じられ、都合次第では明日にも立たなけれ

ばならなくなったのだ。もっとも全く突然と言うわけではなく、こうなりそうなことは

わかっていたのだがあなたたちを驚かせるのが苦しくて、言わねばならないことを今日

まで黙っていたのだ。三年か五年で帰るつもりだがどうなるかわからない、まずは当分

お別れの覚悟です。それにしても案じられるのは園様のこと、余計なお世話ながらなぜ

か初めからかわいくて、本当を言うと一日見なくても心配になるくらいだった。しかし

いつ来ても喜ばれず、あれほど嫌がっているのに気の毒だと思わぬこともなかったが、

どうにかして立派な淑女に育ててみたくて、うぬぼれだと笑われようがともかくも今日

まで嫌がられに来ていた。学問といっても女の子ならまああの程度、理化学や政治など

を学んではお嫁さんの口がさらに遠ざかるからね。第一上っ面だけの学問では枯木に

造花をつけたようで、真実ある人の心は満たされないものだ。深山に隠れていても

天然の美しい花は都人の憧れとなるのだから、これからは優美さを伸ばして徳を磨く

ように教えてください。私がここにいたってさっぱり話し相手になれないのだから、

これからはいよいよお民さんの役どころだ。前門の虎、後門の狼、右も左も恐ろしい輩

ばかりの世の中、せっかくの宝石に傷をつけてはなりませんよ。園様にも言い聞かせた

いことがたくさんあるが、私の口からでは耳を塞いでしまうだろう、不思議なことに縁

なき人に縁があるのか、ばからしいことだが、置いていくのが嫌な気持ちなのだ」と

笑ってのける調子は、いつものように冴えては聞こえない。

 お民のさんざんの意見に、やっと少し自分の間違いを知り始めたとたんにその人は

急に旅立つと言う。幼い心には自分のした失礼やわがままが憎く、そのために遠くに

行ってしまうように感じられて悲しく、お詫びがしたいのに障子一枚を開くきっかけが

つかめずにいたので、お民が呼んでくれた時も少しひねくれてしまい、拍子抜けがして

今更飛び出すことができなかった。「そのうちに帰ってしまったらどうしよう、もう

会っては下さらないだろうか」と敷居の際にすり寄ってお園が泣いているのも知らず、

学士はつと立って、「今日はお名残に、せめて笑顔を見せておくれ」と障子を開けると

「おや、ここにいたのですか」 

                 五

 「そう泣いては困る、お民さんもそうだ、大したことはない、もう会えないという訳

ではないのだから心細いことを言わないでおくれ。園様は何も詫びることはない、あな

たのことはお民がよく承知しているのだから何の心配もいらない。ただこれまでとは

違ってだんだん大人になるのだから、世間との付き合い方を学ばないといけませんよ。

難しいのは人の機嫌だ、といってへつらうことは誉められたものではないが、そのあた

りを工夫しなければいけません。無垢で潔白のあなたには右を向いても左を向いても

憎む人などいなかろうが、それでは世は渡れない。私も同類で世渡りには向かないが、

流石に年の功というものであなたよりは人が悪いからなんとかしている。悪くなり過ぎ

ても困るので、過不及(過ぎたるは及ばざりし)のかじ取りは心ひとつでできるのだか

らよく考えてするのですよ。実は出発は明後日だが、支度も大体できたのでもうお目に

かかりません、体を大事にして気患いしないように。この上のお願いとして、お見送り

などはしないでください、ただでさえ泣き男の私です。友達の手前もあるし変に思われ

てはお互いつまりませんから。ただしお写真があったら形見に一枚くださいませんか。

次に上京する頃には立派な奥様になっているかもしれませんが、それでもまた会って

くださいますか」と顔をのぞくと、膝に泣き伏して正体もない。それほど別れるのが

お嫌かと背中を撫でられてうなずくかわいさ。三年目の今日になっていまさらに、別れ

のつらさが増す。

 優しい人ほど心は強いもので、学士は涙の雨に道止めされず、今夜初めて捉えられた

袂を優しく振り切って帰って行った。お民は、何か盗まれたかのように力を落とし、

「例え千里が万里離れても本当の親兄弟ならまた会う楽しみはあるが、ほんの親切と

いう細い糸を頼りにしていたのだから、離れれば最後、縁の切れたとおなじこと、取り

付く島も頼りない」と自分が振り捨てられたように嘆くので、お園はいよいよ心細く、

母との別れで悲しみを知り尽くしてはらわたが千切れるほど泣きに泣いたものだった

が、今日はそれとは違って、親切のありがたさ、残念さなどの気持ちが右往左往に胸の

中をかき回して、何が何やら夢の中にいる心地。その夜はとても眠るどころではなく、

無理に寝床に入りはしたものの寝間着にも着替えず、横にもならず、つくづく考えると

目の前に昼間の光景がよみがえり、自分では気がつかない間に胸に刻まれた学士の言葉

は半句も忘れてはいない。帰り際に袖を捉えると、「待つとし聞かば今帰り来む」と

笑いながらおっしゃったあの声をもう聞くことができない。明日からは車の音も止む

だろう。思えばなぜあのようにあの人が嫌だったのかと長い袂を打ち返し打ち返しして

いると、紅絹の八ツ口からころころと転がり出て燈火に輝くのは金の指輪。学士の左の

薬指に先ほどまで光っていたものだった。

                  六

 つぼみだと思っていた梢の花も春の雨の一夜の後に急に咲いて驚かせるものだ。時期

というもののおもしろさで、お園の幼い心でも何を感じたか、学士が出立した後からの

行いはどことなく大人びて、今までのようにわがままも言わず、針仕事や読み書きの

ほかは、以前に増して身を慎んで、誘う人があっても寄席や芝居などの浮いたものには

足を向けず、時々は今まで見たこともなかった日本地図を、お民がお使いに行って留守

の時に広げて見ていることもある。新聞に札幌とか北海道とかいう文字があると、いち

早く目につく様子。ある日お民はお園の右の指に輝くものを見た。

 秋風の桐の葉(秋を知る、衰退の初め)は人の身だろうか、知らないからこそ雪仏の

堂塔厳めしく作るとか立派にするとか(雪だるまを仏に見立てて立派なお堂を作る)、

くたびれもうけになることが多い。文化開明とやらで、何事も根っから掘り返し、昔の

人の心の中まで解剖する世の中で職業柄の医道を極めても、自分の天命はどうにもなら

ない。学士は札幌へ行った年の秋に診察したチフス患者に感染して、惜しいことに三十

にもならぬ若い盛りで北海道の土となってしまった。風の便りにこれを聞いたお園の心

は。

 空蝉の世を捨てたと思って墨染めの衣を着なくても、花も紅葉もない暮らしをして、

豊かな黒髪を切ったとしても人は、仮の発心、人目のための後家姿であろうと見るもの

だ。投げ島田の元結から切り離した洗い髪姿は、色好む人にはまた格別の美しさと讃え

られ、婿に行きたいの嫁に取りたいの、家名相続はどうするのかと言い寄る者は一人

二人ではない。ある時学士の親友という何某、医学部の有名な教授様が人を介して申込

んできたのを、お民はこの上なきご縁と喜んで、お前様も今が花の盛り、散りそうに

なってから呼んで歩いても売れませんからお心をお決めなさいませ、松島様に恩はあっ

ても何の約束があるでなし、もしあっても再縁する人だって世の中には多いのです。

どこにはばかることがありますかと説くが、お園はにこやかに、口先の約束は解くも

解かれぬもありません、真実の愛がなかった誓いなら捨てて再縁する人もいましょう、

もともとあの人と約束した覚えもなく操の立てようもありませんが、何となく沁み込ん

だ思いはこの身がある限り忘れられるものではありません。もしその教授様からどうし

ても妻にと仰せがあったら、形だけは参っても心をお召しになることはできませんと

お伝えくださいと、こともなく言ってお民の言うことを聞き入れる様子はないので、

お民も観念したのがこの経机の由縁である。

 ある口の悪い人がこれを聞いて、なんとまあひねくれた女だ、もし今学士が生きて

いて札幌にも行かずに昔の通り優し気に通っていれば、虫唾が走るほど嫌がっていたに

違いないと苦笑いしながら言ったものだ。

 ある時はありのすさびに憎かりき、無くてぞ人は恋しかるける

  いるのが当たり前だった頃は憎らしかった人がいなくなると恋しいものだ

 とにもかくにも意地の悪い世である。