明治23年1月12日(伊東夏子宛)
新玉の年の初めの御寿、言い古されたことではありますが、いつもいつもこの上ない
御ことでございます。さて今度のお稽古始めには、誰はおいてもお前様は必ずお出での
ことと思っておりましたのにお前様のみか、みの子の君もご不参でしたので集まりの座
に光のない心地がして一日中もの足りないように思われました。そんなことで、例の
景品や歌合せのご相談も昨日はできず、十八日のお歌合せの時になりますからこの日
は必ずお出でをお待ちしております。昨日のお代と宿題を申し上げます。
当座
貴賤迎年 新年の鶯 新年の月 雪似花 海辺の鶴
砂浜の砂の数ほど尽きないおしゃべりを猶春永と申し述べ、まずは右申し上げたく
ざっとしたことのみ。かしこ。
一月十二日
夏子君 御まえに
1月21日(樋口夏子宛)
前略、お歌合せは当季恋雑でございます。私も歌の景品を考える間に、歌ができれば
持って行こうと思っています。しかし当季は春の歌だと存じます。お前様とは敵味方に
なることと思いますので先は討ち死にの覚悟でございます。
樋口夏子様
伊東夏
8月12日(樋口夏子宛)
(隠在所恋)
十 いつの間に人は宿さえ替えつらむ わが身を憂しと厭うばかりに(みの子)
いつの間にあの人は住みかを替えてしまいました、わが身がつらいと厭うばかりに
十一 世の中に忍ぶ宿りぞ とばかりに包む心の疑われつつ(樋口夏子)
世を忍ぶ宿だからといって隠すお心を疑います
十二 隔てなき我にさへなと包むらむ 隠れたる住み家なりとも(小川のぶ子)
隔てのない私にさえなぜ隠すのでしょうか、隠れ住まいであっても
私の写した中に十三番というのはなかったのですが、私が書き落としたのかと思いま
す。せっかく仰せ下さったのに一番足りなくて誠に恐れ入ります。抜け字や間違いは
ないつもりですが、もしありましたらお許し願い上げます。例の通り恋の評には困り切
ります。お前様は主になるので評しにくいこととお察し申し上げます。私は自分の歌は
必ず名歌ではないとわかっていますのでどんな評に遭おうとも決してお恨みも取り付き
もいたしませんからご十分にお願いいたします。
夏子様 なつ拝
御前に
明治25年3月22日(樋口夏子宛)
お文拝見いたしました。過日は久々に海山のお話しを尽くし誠に嬉しく思いました。
どうぞ私がお話ししたことはお胸にのみお納めして、必ず必ずご他言はご無用にお願い
いたします。ご他言されましたら後の世にかけてもお恨み申します。さてかの一件に
お母様のお許しがないとのこと、ご老人がお前様のおためと思うあまりのことですから
ごもっともだと思います。私の母には前からそのことを申しておりましたのでお前様と
ご相談していることをこまごま話したところ誠に喜んで明日にも許してくれましたが、
お母様のご心配はただ先生のことだけでしょうか、またはほかのことをご案じなのかも
しれませんが、故障(差し障り)の次第はこの次お目もじの節に詳しくお話しください
ましたら、その故障次第ではまたその相談のいたしようもあることでしょう。ただ先生
の方へのみのご心配でしたら、もし知られた時には私から申し出たことですので、何と
言ってもお前様を悪く思わないように申し上げますので、そのことは決して決してご案
じなさらないようお母様へお話ししてください。思い立ったが吉日といいますので、今
を逃したらこの願いをかなえることは一生できないでしょう。そうなったらお前様も私
も死ぬまでこのことを心残りとすることになると思い、思い立ちをくじくことは嫌だと
はいっても私一人ではどこへも出る勇気はなく、そのためお前様におすがりしたので
す。誠に手前勝手のようですが、お前様も私に音もなく(その)一件をご熱望だと思い
ますのでひたすらに申し上げます。私の知っているという人は久米もと文(もとはどの
もとという字か知れず)という人で、歌は大変下手ですからもし妙なことを申されて歌
に妙な癖がついた時には先生に申し訳ないので、歌のことでは少しも世話にならないよ
う、どうぞそのようなことがない先生だと願いたいと存じます。もしつてがありました
ら、この久米という人は歌はともかく国学にはよほど達しているということですので、
お問い合わせください。この人ならば簡単に頼むことができるのです。三十余りの娘が
いるそうなのでかなりの老人だと思われますから、中島の…などと誇り顔で人に申した
りはしないと思います。しかしなるべくは危なげなく…先生にお願いできましたらこの
上もないことなのですが。何はともあれお母様のお許しがなくては先生がお受けになっ
てくださっても甲斐がないので、どうぞお母様のお許しが出えるよう私も骨を折ります
から故障の逐一をお目もじの節にお話しください。
先はお返事まで 乱筆お許し願い上げます ご覧になったらご火中へ願い上げます
夏子様
なつ
他見無用
6月18日(伊東夏子宛)
五月雨の空、いかがお暮しですか。こちらではことさら折とはいえ晴れ間のない袖が
よそ眼にもとても心苦しい頃です。日を数えるとそれほど久しくお目もじしていない
のではないのですが、土曜日という定期がなくなったからでしょうか、何となくいらっ
しゃったことが恋しく日々思い出しています。とくにこの二三日はさまざまお話しした
いことが重くなり、天の下四つの海広しといえど心を知る友の少ない世なのでどこに誠
を打ち明けても何の甲斐もなく、苔の下までこの浮名はそそがれないのでしょうか。
とはいえ百人の友に疑いを受けても、一人の真の友に誠を知ってもらえたら微塵も恨み
はありません。あなたでなければこの無実の名を訴えるところがありませんので、この
ように書き続けてお目を煩わせます。
まず何を置いても十日祭りの時のお心づけは、私の命ある限りご恩を忘れまじく、
お前様だからこそあのようにおっしゃっていただきましたが、どれほど世の人が噂して
あざ笑ったことだろうと思うととても恥ずかしく、あのお言葉を聞くまでは人々の当て
こすりもからかいも、全く全く気がつかず、何心なくいましたが、ふと思い当たること
もあってにわかに心配になったので先生に残らず打ち明けて相談しましたところ、何た
ることか、先生からして十分疑いを抱いていたのです。それのみならずどこの誰が言い
ふらしたのか知りませんが下々の人までその噂を知らないものはないとのこと、あまり
のことに驚くこともできず、なおよくよく聞き合わせますと例の桃水という人がその
友人某に私を妻だと話したから広まった噂だと言うのです。先生が申すにはこのことが
もし真実なら速やかに手を離れて田辺さんがいつかおっしゃっていた都の花に依頼した
方が将来の身のためだと諭されましたことと、お前様の先日のお言葉にもその方がよい
だろうとのお心づけもあり、私は今日までひとえに桃水への義理を思うばかりにせっか
くのご親切を無にしましたが、先方にそのような野心があるのみか、跡もないことを
言いふらすようなことがあっては何分暫時も師として仕えるわけにはいかないと思い、
先生のご高論に従って一昨日先方へ行ってお断りしてきましたのでなにとぞご安心願い
たく、実は今日田中さんが来ましたので右のわけをお話ししましたが、いまだお疑いが
去りがたいようなふしもあるのが、何となくお言葉のご様子から見えることが心苦し
く、胸の痛みに耐えています。先日おっしゃられたとおり女子の身の傷はこれを置いて
ほかにあるまじきことで、私に何の罪があってか、このような浮名を取ったことは終世
の恨みで、これ以上の悔しさはありません。しかし余人はともかくお前様だけには事情
を少しは察していただき、曇りのない心のほどをご覧に入れたく、誰が何を申しても、
わかってくれる人に知っていただいたら心が清らかになりますし、うやむやした胸が
すっきりしますので筆にまかせて悔しさの積み重ねをも、恨めしさの積もりをもお目の
あたりにしていろいろお話いたしたく、そのうち伺いますが先にあらましを申し上げ
ました。 かしこ
これはおとく様に
島田のかもじを長々と拝借しまったく申し訳ありません。頭からは返上したのですが
いまだに持参することができずさぞかしご立腹だと思いますがお許しくださいますよう
お願いいたします。拝顔の折に打つなり蹴るなりご十分にお責めくださいませ お詫び
十七日夜 なつ子
伊東さま