半井桃水との手紙 三

   4月(投函していない)

 浮世は花の盛りとなりましたがご気分はいかがですか。心はおそばを去っていないよ

うですが身は自由ではありませんので明け暮れ胸を痛めております。一日も早く回復さ

れ、笑顔を拝みたいと思います。お知りの通り友にも知り合いにも心合う人のない身、

天地の間にお前様一人だけが力ですので、すぐれないご様子がどれほどどれほど心細く

悲しく、今日この頃はただ御身だけを案じております。笑わないでください、心に偽り

なくお会いした時にいつかは申し上げたいと幾度も願いながら、いつものように申し

そびれて、そのうちに思わぬことからよそよそしくなってしまったことをお許しくださ

い。私一身のためではなく、惜しんでも惜しい御名を思うからでございます。たとえ

十年二十年お会いできなくても私はいつもお兄様だと思っておりますが、お前様がどう

思っているのかはわかりません。あれほどまでにやつれるようなご病気だったことを

知らなかったとはいえ、連絡もせずに過ごしたことをさぞかし恩知らずだとお蔑みにな

ることでしょう。お前様に憎まれるくらいなら私はこの世にいる頼みがありません。

夢にもおもしろがって申すのではありません。初めてお目にかかった頃から真実の兄様

のように思えて、何のお隔てもないお孝様の身の上がうらやましく、もしそれほどでは

なくてもその片端にでも思ってくださいましたらどれほどどれほど嬉しいことでしょう

か。もとより私の心は拙く愚かしいのですからお前様の妹になどと思ってはくださらな

いことは覚悟しておりますが、もしやにひかされてこの願いが身を離れないのです。

今さらながら我が身が女に生まれたことが悔しいのです。哀れ(と思い)この憂き世に

頼る方もなくすがるべき袖もない男の身を捨ててのお願いだと思ってくださり、お前様

がただお一言、兄弟の列に加えてやるぞとおっしゃってくださいましたら、それを思い

出にしてもう生死を厭うことはないでしょう。

 一昨年の七月以来よそよそしくなる月日が経つに従ってこの願いがはるか遠くになっ

ていく悲しさ、一日も御身を忘れたことがなく一夜も思い出さないことはないけれど、

心を日々の日記に(書き)とめて、少しばかり心を慰めているだけのはかない月日を

察してください、とはいえかねてよりご気質もわかっておりますのでこのようなくだら

ないことを申し上げていよいよ疎ませる種となって再度お目にかかることができなく

なってしまったら取り戻せない悔いはどれほどかと心に込めて暮らしているのですが、

この心細さに昨日今日堪えかねるあまり我が身は狂ってしまったからこそ笑われても

厭わず、お腹立ちになることも考えず筆を取りました。

 私の心を汲んでいただけるでしょうか、前にもくれぐれもお話ししましたように

  

    4月(下書き)

 上野も墨田川も花はこの頃と聞きますが、こちらの廓はまだ盛りとは申し上げ難いで

すが、昨日今日の人出はおびただしいことでございます。少しお出まし遊ばされてはい

かがでしょうか、こののどかな空の下、お引き籠りがちでは、とても心の晴れようもな

くお毒ではないかと案じられます。このほどは久々にお姿を見て、嬉しさが先立って

何事も申しそびれてしまいろくろくお詫びも申し上げずにお別れしてしまいました。

 

 上野も墨田川も花はこの頃と承ります。こちらの廓ではまだ盛りとは申し難いです

が、昨日今日の人出はおびただしいです。少しお出まし遊ばされてはいかがでしょう

か、こののどかな空の下、お引き籠りがちではとてもお心の晴れることもなく、お毒で

はないかと案じます。このほどは久々にお姿を見て、嬉しさが先立って何事も申しそび

れてしまい、ろくろくお詫びも申し上げずお別れとなってしまい、とても胸が休まらな

い思いで暮らしております。

 

 上野も墨田川も花はこの頃と承ります。廓の桜はまだ盛りとは申し難いですが昨日今

日の人出はおびただしいことです。少しお出まし遊ばされてはいかがでしょうか、この

のどかな空でお引き籠りがちではお体のためには大変よろしくないと案じております。

このほどは久々にお姿を見て嬉しさが先立ってしまい、何事も申しそびれろくろくお詫

びも申し上げずお別れとなってしまいとても胸が休まらない思いで暮らしております。

   

   明治27年7月

 暑さ激しいところいかがいらっしゃいますか、ご様子を伺いたく、朝鮮(のこと)も

ようやく様子がわかってきましたのでもしかするとお立ちになっているのではないでし

ょうか。近くにいながらいつもお姿を拝見することができませんので人の噂にさまざま

に驚かされ、胸とどろかされております。弱虫と笑わないでください、ひたすら兄上様

と頼っている身の心細さからなのですから。

 その後もしかしてお立ち寄りくださるのではないかと待っておりました日数も、今日

で何日になりましょう、お目にかかったらしみじみとお話し申し上げ、お教えにもあず

かりたいとかねてより願っておりますのに、先日のように他人行儀にお義理でおいでに

なるのでは何を申し上げられるでしょう。なんとお恨みしてよいのか、お心もわからず

お言葉一つを頼みに私一人が妹気取りの愚かしさで、たとえ世間の憂きも辛きもお前様

がいるから心丈夫だと決心して大海を小舟で渡るような境涯をお見捨てになっては、波

の下草になってしまいます。

 はるかになった月日を数えれば、私はお前様のお怒りに触れるようなことばかり重ね

てしまいました。罪は心浅い私にありますので今さら誰をも恨みませんが、後悔の思い

でかき暮らしている朝夕、せめて思うことをお耳に入れてお詫びが叶うなら嬉しいので

すが、それも難しいのでよそながら私の心の内でだけ兄上様と頼っていることをお許し

いただきたいのです。といって夢にも怪しい心があってではありません。かねてより

ご気質を知っておりますので何でそのようなことを申し上げましょう。ただただ隔ての

ない兄弟の中になれたらとそれだけが終生の願いなのです。今日この頃のお考えが測り

難いので思い侘びております。

 夕風が涼しくなりましたらそぞろ歩きのおついでにと申すような折にお運びいただけ

たらと願っておりますが強いては申し難いことで、これは欲の上の欲というものです。

かしこ

夏子

師の君 御前

   

   8月30日(葉書)

 かねてよりお心にかけていただきました弟茂太の脚気が再発し、去る二十三日に当地

を出発し福岡に残しましたところ同二十六日彼の地にて衝心(脚気による心臓障害)に

つき死去の報に接しました。右にご通知いたします。

八月二十七日 半井洌

 本月三日の夜及び五日の夜お伺いしましたが、ご来客とお見受けしましたのでご門で

帰宅いたしました。

 

   9月18日(葉書)

 相変わらずご無沙汰いたしております。留守中何度もお訪ねくださいましてお礼申し

上げます。本日ようやく帰京いたしましたのでとりあえずご通知申し上げます。頓首

九月十八日 半井洌

 

   9月19日

 今朝早速試しましたところすでに時機が遅れていかんともしがたく甲斐もない次第、

他のご方便をなしていただくほかすべがありません、まずは右まで匆々 頓首

(金繰りのことと思われる)

 

   11月13日(戸田博士死去の新聞報を見て送った手紙の返事)

 ご親切にお尋ねいただきありがとうございます。戸田は妹婿と老人婦女ばかりですの

で小生は本日出発し同地へ赴きます。心中ご諒察願い上げ、また帰京の上申し述べるべ

く。 拝答

十一月十三日 半井洌

 

   12月(?)

 ご無沙汰申し上げます。先頃はご迷惑をお願いし、ご心配をおかけしましたまま過ご

してしまいお許しください。あのことはどうやら片を付けましたのでご安心ください。

その後ご病気はどうでしょうか。ちょっとお姿を拝見したいとは思いながらも例の通り

まだ浮き草の根が定まらず、いつもおもしろくもない愚痴ばかりお耳に入れることも

ないと差し控えております。お前様はいつものようにお勉強しておられることでしょう

が、あまりお夜更かしなどするのはお毒です。吹く風が寒くなりましたこの頃ですので

殊にご病後のお体が思われます。お大事の上にもお大事になさってくださいますよう神

かけてお祈りしております。行く年の名残もあと幾日と惜しまれますのでその内にお目

にかかりたいと思いますが、それは欲としていずれ新年はと楽しみにしております。

何もかもご無沙汰のお詫びや、いつかのお礼をざっと申し上げました。かしこ 

なつ

なから井様 御前

 

   明治29年8月1日

 この頃の暑さは耐え難く思えますがお前様はご機嫌よく(いらっしゃいますか)、

相変わらずのお客にお困りのご様子、さぞとお察しいたします。野々宮様へも申し上げ

ておりましたように私どもは二階に宿を借りましたのでお越しになりませんか。隣に

鍛冶屋ができて毎日の騒がしさは蝉や蛙の声とも聞こえず、ぞめき(ひやかし)客の

きざな会話を聞かないだけまだましかと嘆いております。お心に変わりがなければまさ

しく兄の家なのですから、お構いしません代わり露ほどのご遠慮もないようくれぐれも

お願い申し上げます。ただ一筋真実を申すほかとりえのない男で、薬にならないほどの

者、毒にもならないと自らを頼みにしておりますのに、正太夫が申し当る(考える?)

小説家の中の風説家は存外の買いかぶり、毒の一味かと思われます。ひとまずはあられ

もなくご迷惑をおかけしましたが今は皆々様のお疑いももはや解けたと思いますので、

そのことがお嫌でなければいつでもお越しくださいますようお願いいたします。野々宮

様もお荷物だけ引っ越ししてきました。

 後先になりましたが先日は思いがけなく贈り物をいただき、手厚さに過ぎて痛み入り

ます。このようにわざわざのお心遣いは今後ご無用にされたく、この度はご芳志に背か

ずいただいておきます。まずはお礼かたがた、かしこ

八月一日 桃水

一葉様