伊東夏子との文 二

明治26年4月5日

 過日は雨の中お邪魔して、お脳を長い間拝借いたしましたことありがたく、厚く厚く

御礼申し上げます。おかげさまで間に合いましたことありがたく、これまた御礼申し上

げます。とみれは(讃美歌の訳を一葉が手伝い「と見れば隔つる死出の流れ」の部分)

 Death like a narrow sea devides This heavenly land from ours

 死は狭い海のよう 我々の地と天とを分けて流れる

は千金(に値する)と誰も誰もが申します。はからずもお母上様お妹様にお目もじでき

ましたことを嬉しく存じます。静かな雨中はお前様のおためには一時一万金のお値打ち

だと存じながら俗人がお妨げいたしましたこと誠に心ない技でございましたが、なにと

ぞお許し願い上げます。都の花の花の香り(都の花に掲載した「暁月夜」)、あの巻の

内に似たものはないと思いました。ただ私の欲目というだけでなく誰もそう申しており

ますので私は実に嬉しく、嬉しく、嬉しく、嬉しく、むさし野にも萌え出した一葉が、

この林の花も紅葉もしのいで繁りゆく日も遠くはないと思います。その一葉は誰あろう

おのれの親友だと思えば私の低い鼻も一丈ばかりになります。哀れ日本の女文学の花だ

と末の世にも御名の残りますよう、実のあるお作がでることとひとえに念じておりま

す。暁月夜のお力があれば、長編も何でもないことでしょう。暁月夜の評判はどこへ

行ってもよろしいのでその嬉しさを今日申し上げ、また先日のお礼も申し上げ、過日は

車夫にまで誠に恐れ入ります。末ながらお母上様お妹様によろしくお伝え願いいたしま

す。お目もじをお待ち申し上げます。 かしこ

尾花より

一葉の君

御まえに

   明治26年8月(?)

 この間帰宅いたしました。お前様のこの頃のお考えは、私にはうすうす想像できます

が他の人はどうでしょうか、問われた時に答えに困ります。お前様のお考えも深く伺い

たく思いますのでお暇の節はお立ち寄りください。明日と日曜には留守にしますので

ほかの日においで願いたく、私が参上いたしてもよいのですがご都合はいかがかと思い

差し控えています。必ず母へのご心配はご無用にお願いいたします。智というものは

憎いものとの仰せは誠にごもっともさまでございます。しかしさすがにこれからは公の

ことは薄らぐことと存じます。雨降って地固まると言います、これがまたある点では

幸いになるかもしれませんから、あまりお心を苦しめないようお念じしております。

たとえ…社会をお退きになるお心づもりであってもどうぞ私には今まで通りに願い上げ

たく、いろいろなお話が山ほどありますからお目もじを楽しみにしています。お体お大

切に。にわかに涼風が立ちましたのでご用心願い上げます。

市中の かくれずまい したまう 君へ

秋野 尾花より

   

   12月9日

 過日は久々にお目もじして嬉しかったです。その嬉しさのあまり龍子君、みの子君へ

漏らしてしまったところ両方から嫌味を雨のごとく(言われました)。私一人だけに

あなたが訪れてくれたことを誇っております。龍子君の嫌味は、

 駿河台までおいでにて番丁へ出ないとはお足惜しみというもの、いたちの道(交際を

絶えること)はあまりひどい

みの子君のは、

 夏子さんのところへおいでにて私どもへお顔をお見せ遊ばないのはひどい、そんなに

人分けを遊ばすものではない

右のごとくです。私はお前様が多町までお出かけのためそれで私どもへお立ち寄りに

なったので、わざわざのお出でではないとお前様の申し訳をいたしました。しかし内々

はうぬぼれております。先日は嬉しさのあまり我を忘れていろいろなことを申し上げて

後で恥ずかしくなりました。決して私は立派な考えを抱いてはおりません。ただ私の心

にあることは聖書から学んだことのみです。何か特別に私が高尚な理想を抱いているも

のとお思いにならないでくださいますようくれぐれもお願いいたします。もしもお前様

に申し上げた考えの内に高尚らしきことがありましたなら、それは決しておのれ自身の

思想ではないのです。みな聖書に教えられたことです。それからお前様は私をお嬢様

ぶったものだとお思いのようですが、決してそのようなことはなく、人間はいつ落ちぶ

れて困るかもしれないからその時困らないようにしておかねばならぬと言うのが母の

教えですので一つにはそれを覚えており、また多くの人が少し困らないような身分で

あれば貴族然と構えて下々のものへは手も触れないようなことが悔しく思いますから、

できるならばそれを習わないつもりです。これらのことをお前様がお帰りの後思い出し

ましたので申し上げます。

 さて今日郵便を頂戴いたしましたまま、中島先生へ参りましたところに十三日にお稽

古納めでお歌合せをするとのことで、お題は夕雪二首、詠景物二つ、ご持参五銭限り、

十六日に人数を見て組を分けるとのことです。先生はお忙しいので誰か樋口君のところ

へ郵便をとのお頼みがあり、私はどうせお前様に前話したことを申し上げなければなら

ないと思っていましたので郵便を出す役を引き受けました。二十三日にはくれぐれも

お出でくださいと先生のお頼みです。判者は先生の都合によりほかに一人頼むかもしれ

ず、何にしても一人だけでお直しはないでしょう。末ながらお母様お妹様へよろしく。

お前様、寒夜のご書物は三時四時までなさいませんよう念じております。

らん筆 御はんじ かしこ

なつ

夏子様 御前に

十二月九日

   

   12月(?)

 日々お忙しいことと存じます。お体をお大切にお願いいたします。お肩の凝りはいか

がかと案じております。お前さまと年の内に今一度お目にかかりご名論を伺いたく、

また私の名説もお聞き入れたく思いますので、お暇の時夜、お泊りがけでお出かけくだ

さりたく、昼の内はお忙しいことと思いますので夕方よりお気安めかたがたお出で下さ

いませ。さてこのようなことを申して差し出がましいものだとお蔑みされるかもせれま

せんが、例のこと(借金)はご心配なさらないようお願いいたします。誰のところでも

暮と申すものは物入りが多いですから、その上あのようにご心配をされてはお体の毒に

なりますからどうぞご心配はご無用にお願いいたします。母も左様申しておりますので

ご心配なく、お暇の時お出で願います。あれを何しなければ暮れの内は行かれぬなどの

心配は必ずご無用にお願いします。そのためこのような先走ったことを申して失礼とは

存じますが、お前様のお蔑みも顧みず申し上げます。悪しからず思し召し下されたく、

 先は用事まで

 お寒さ強くなりましたのでお体お大切にくれぐれも念じております。

夏子様 なつ

 他見無用

   

   明治27年3月(?)伊東夏子への返事

 浮世に才子というものがいて、言葉巧みで文辞美しく、することが上手なら見る人の

十の内九までが誠と信じて嬉しく頼もしい人と申すことでしょう。私ごとき八重むぐら

の露にすがり、果ては塵塚の隅に捨てられて浮世に施すべき知恵も持たぬ身は、こうだ

と思う心をすぐに言葉にして述べることが難しいので、黙々として過ぎる月日に、心か

らは愛も信も離れてはいませんが、表に現れないからこそこの度のようなお恨みを承る

のでしょう。あなたが思う十分の一も私に思う心がないとはなんと情けないお言葉、

あなたも知っての通りかたくなな私はこの広い世に心合う友もなく、あなた一人こそと

思っているのにそのあなたからさえこのように疎まれては、私の運命は誠にはかないも

のです。あなたは富家に生まれ、私は貧裏に人となりましたが、そもそもここから異な

っていて学ぶところも違い、あなたは宗教の門に入り、私は虚無の空理に酔って骨を

野外にさらそうとしています。平常の持論が違うからとあなたは見返りもしないのです

か、私は宗教家たるあなたが一生を道に尽くして終えることを望んでいます。取る道は

違っても親友は親友です。どこに隔てる心があってなおざりにするのでしょう。あなた

の病の床を訪ねなかったのは私の過ちですが、それは誤りです。私の病を訪ねてくれた

あなたに深い心があって、訪ねない私を心浅いと責めることはむごくはないでしょう

か、私はあなたに…浴したこと(借金)もありそもそもこのようなことを信じられない

友に語るでしょうか、それとも私を軽佻浮薄の輩とみなして慈愛深いあなたの心を欺い

たと思うのですか。あなたを欺くほどの才子ならばあなたに恨まれるような愚かなこと

はしません。私は愚人です。私は思う心を筆にも口にも表せないほどの愚人です。そう

思うなら思ってください。信じる心は誰にも劣りません。私があなたを思うか思わない

かは私が白骨となった後批判を加えてください。表し難い誠を表そうとするのは人力の

及ぶところではありません。捨ててもよい、疑ってもよい、私は一筋にあなたを頼みに

心の友としているというのに哀れ、行水に数書く(跡形もなくなる)よりはかない片恋

に似ています。

 ありし堤の若草もろともに摘みもはやさばいかばかり嬉しからん(また一緒に萩の舎

に通う)のお返しをとの仰せですが、憎いお恨みを忘れられませんからこのことはまた

後にしましょう。それにしても

 若草のつまにもあらぬ君ゆえに 我はきぎすの音をさへぞなく

 妻でもないあなたのために 私は雉のように(恋うて)泣いています ?

漏れたら浮名が恐ろしいことです。 かしこ

樋 夏子

伊 夏子様 御前。

   

   4月末(樋口夏子より)

 以前お前様から友情とは深いものだというお言葉を伺いましたが、それほどでもない

と私はけなしたものでした。さて昨日のお歌に「いぶせき中を」と仰せられたあれを

拝見しました時、私は誠に涙をこぼしました。うぬぼれが強いと笑われればそれまで

ですが、嘘ではありません。お前様の実情から出たものと思えば嬉しいようなもったい

ないような、何とも言えず悲しいもののようにも思われて、ただただ私はお前様がかわ

いくてかわいくてお文を抱いてむせび泣いたのです。笑わないでください、花色(俗

人)の衣、浮世の恋は知りませんが、枯木死灰のような私でも涙はあります。思えば私

の恋の本尊はお前様です。私は浮世の誠を認め得たからには今日からの小説もしくは歌

や文章のどれにも貴女の面影を胸に浮かべて筆を取ることをお許しください。私はお前

様の御名を思い出す時、心が生きるように思えるからなのです。

 藤見のことはもちろん大不賛成です。よく先生と相談してあれはやめにするようお勧

めください。いろいろお話は多いけれど仰せの通りの場所柄ですのでお会いすることも

心のままにはできず、お宅へお伺いすればいいのですが、お知らせしましたように遠路

ですので行き来もままならず、いずれ近くその辺りへ引っ越しいたしますので、夕顔が

垣根に絡み、蚊遣りが軒に煙る侘び住まいの破れひさしから月を眺めてゆっくりお話し

いたしましょう、空論放言や、世を罵るのもまた一興と今から楽しみにしています。

 私は近々商人を止めることにします。そもそも始める時に多くの人に笑われましたの

で、やめる時にはもっと人は笑うことでしょう。笑う人は笑うべく謗る人は謗るべく、

どうでもよいのです。葦の一葉に乗って舟遊山をした達磨太師さえあったのですから。

   行く水の浮世はなにか木の葉舟 流るるままにまかせてをみん

 このように歌う時私は笑っているのか泣いているのか、あなたこそ思いやってくださ

るでしょうが、ともかく商いが失敗したのではなくいよいよ隆盛のようにはなっていた

のです。我ながらよく売り込んだと思うほどの店にはなったのですが、私に秋風が立っ

たのかまた例の持病がここにも起こって縁を切りたくなったのか、貞操がないととがめ

られたらそれまででございます。かしこ                 なつ子

夏子様

   

   8月8日(樋口夏子より)

 ・・・拝しました。いよいよご機嫌よさげなお筆の跡、まずは何よりのことと嬉しい

です。誠に絶えてお便りのなかったことを少しはお恨みも申し上げます。みの子様と会

うたびにお噂をしておりました。そちらではお母様もご一緒ですか。暑さはどこでもと

申しますが土ぼこりの激しい都の内はもうお話しにもなりません。雨の一滴もなく、空

蒸しの日和が続き、青人草(人民)もいかがかと危ぶまれるようです。それに引き換え

お前様は高山流水、そして旅の宿でどのような思いをしているのでしょう。お妾のくだ

りを拝見しましたが、それは定めしお気の悪いことでしょう。とはいえ時たまはその

ようなものもご覧になるのがよろしいのです。

お日記を必ずお書きになりますように。お歌なども例の題詠の狭苦しいのを離れてこの

ような時にこそご十分に天地の美を歌えるはずだとはるかに(遠くより)おうらやんで

おります。朝鮮事件、総選挙などの騒ぎはその道ではどのようなお噂をしているのでし

ょうか。女の我々に関係は薄いですがさすがに胸が騒ぎます。中村さんにその後お会い

になる時もあるでしょうか、もしありましたらよろしくお伝えください。ご帰京後の

集会を楽しみにしております。その地は先生もいつか避暑にとお考えでしたがあいにく

病魔に襲われて佐々木病院へ入院することになりました。とはいってもこれはほんの

ご持病の療治のためで、一週間後にはご全癒しますので心配はご無用です。おもしろい

こと、おかしなこと、悲しいこと、悔しいこと、申せば筆が足りませんがお話しはご帰

京の後、何にせよ早くお姿を見ることを待ち望んでいます。ご返事。かしこ  なつ

夏子様 御前

お母上様ご一緒ならばよろしくお伝え願い上げます。

 

   9月6日

 拝見いたしました。一昨日参上した折車までいただいて何とも恐れ入ります。お母様

おくに様へよろしくお礼申し上げます。

 お文を拝見し、実に実にお察しいたします。お話しの時にもしやそのようなことが

あるのではと胸に浮かびましたが、あまりに失礼なことなので伺わずそのままにいたし

ました。さて、母にとの仰せですが、そこに少し苦しいところがあり、必ず必ず私の

申すことですからご立腹なさらないでください。何も頼りのない身に免じてくれぐれも

お許しください。私と母とは一つですが、母の心と私の心には少し違いがございます。

この度のことを母に話すことは簡単ですが、母は何と思うでしょうか。私はそれが心配

で話すことができません。自分の大切な友を一人の母に何とか思わせることは私の身と

してつらいことです。母を不実な奴と思ってくださいませんよう。しかし母は私ほど

あなたに対しての同情は持っていないと思われます。(母は母の心同士で)あなたの母

に対しては私よりも深い同情を持っていると思いますが、あなたへの同情は私の方が

はるかに勝っています。また、引っ越しで物入りが多く植木屋の手間代を(本)店から

出してもらうのはあまりに気の毒なのでこちらで何とかしようと心配しているところ

に、いくら母でもどうも申し出しにくく、あなたのお頼みですが私はあなたの名を悪く

するのがどうしても堪えられません。母の耳へ入れることだけはお許しください。私が

施しやまたほかの、母に申さぬ入用に使おうと思っているものが少しありますので、

それで間に合わせてくださいませんでしょうか。さてそれが入っている引き出しの鍵を

この(引っ越し)騒ぎで失い、昨朝よりいろいろなものでがちゃがちゃしても開かず、

今田中さんのところへ行って鍵を借りて参って試みましたがよく合わず、折も折なので

実に困っています。金物屋を呼びに行きましたのでそのうちに来ることと思いますが、

お前様がさぞさぞ返事をお待ちになっているだろうと思い、大急ぎで右のわけを申し上

げます。私の持ち物をどうにかしましたら入用よりも少しは余分にご用立てすることが

できますが、ご存じのようにそれもならず実に私は心の貧民でございます。いつもあな

たが言い訳をするたびに私は針で心を刺されるかのように思っているのです。いつも

仰せの半分もできずご入用に十二分に尽くせないのに、お世話になったなどとのお言葉

を伺いますが、いつもご入用のお間に合わせもできない私の悔しさ、あなたに心でお詫

びこそすれ、あなたの言い訳を聞くわけはさらにさらにありません。娘のために五十円

をなげうつ人を実にうらやましく思い、これからは私をかわいそうと思し召して、必ず

済むの済まぬのとのお言葉お聞かせくださいませんよう。私はあなたに面目がないくら

いですので事情をお察しの上お許しください。八つあれば幸いですが、引き出しに確か

それだけは、どうでしょうか誠に不安で、何にせよ取り出しましたら私が持参します。

何とか考えますので、何分にもこの度は母の耳に入れたくないのです。

なつ

夏子様

内用

   

   明治29年9月6日(副島八十六の紹介状)

 ご病気が追々ご快方とのこと嬉しいです。いずれその内お伺いしたいと思っていま

す。さてこの手紙持参の人物は私が葉山の松村氏宅で初めてお会いした人で、いかなる

人物かよくはわからないのですが、ただ少し人と異なる人と思うばかりです。今日私の

家に来てお前様の小説を見、お前様が下等社会へ同情を表すお方だと信じてお目にかか

りたいと申しております。右の段、もしご面会してくださいましたら喜ぶことだろうと

存じます。いかなる人物かはいまだ私にはわからないままその旨くれぐれも申し上げま

すが、悪い人ではないと思います。かしこ

樋口夏子様

夏より