半井桃水との手紙 二

    

 自分だけの時はすっと開けるが、誰か中にいる時はあくまでも鳴いて開けてもらう人

 

   8月10日

 暑さでお障りなく(いらしておりますか)お大事になさってください。

 なんともやきもちの多い世の中、人々は自分のまま(勝手)の目で見て心で推察しま

すので清い衣も汚き色に見えたのでしょうが、結局は私の不徳がいたすところで、自ら

恥じ入るよりほかありません。といってお互い心が潔白だということは心こそが知って

おりますから私は安んじております。この上はしばらく人の口にまかせるほかないでし

ょう。いつかは汚しましたお名を清め、元の曇りない玉として見せる時もあるだろうと

諦めておりますが、さて、お目にかかる時はいつになるのだろうなどと一筋に考えると

ひたすらお慕わしい心地がいたします。元々行き届かぬ私はご相談にも乗れず深く恥じ

入っておりますが、仰せに甘えてふつつかながら兄と思っていただく勿体なさも忘れて

妹(と思い)睦んでおりました。たまにお会いする機会がありましたらどれほど嬉しい

ことでしょう、それが叶わなければお歌でも拝見して心の悩みを涼しくしたいと愚かな

がら願っていたのは昨日までの心でした。今晩野々宮さんがいらして色々とご丁寧な

おことづけやほかのお話を伺いましたところ、仲間の口から伝わった源は私が申した

ことだとある方がおっしゃったとか。このような疎ましいことを言ったとか言わないと

か、なまじ洗い立てしても恥に恥を重ねるとお思いになり、だからこそあなたのお口

から聞くことができず野々宮さんからおぼろげに伺うこととなったのでしょうが、さぞ

お恨みのことでしょう。このような重大なことは伝えた者がわかったらじっくりと問い

正して、どうしてもないことはないと申し清めたいものです。野々宮さんの口ぶりでは

お前様もいくらかお疑いになっているとのことなので誠に驚き入って病後精神が大変衰

えて長くない命と覚悟し医者もそう申しておりましたが、かつて発狂した覚えはなく、

発狂などしていない以上右のようなことを誰が口走るでしょうか、ともかくもその人が

誰なのかお知らせ願いたく、ちょっと問い合わせれば万事明白となりお互いの身が晴れ

るのです。筆よりも口でとは思うのですが差し障りもあると考え書中で申し上げます。

病中はご親身にお見舞いくださったご厚情を忘れ難く、お伺いしてお礼を申し上げたい

と思っていたのですが避けられぬ用事が起こり旅に出てやっと一日に帰京、久々に社に

駆り出され、思いながらもご無沙汰してしまいました。ものをわきまえない男だと皆様

お思いでしょうが、このような成り行きですので身が晴れる時までやむを得ず差し控え

ます。ご尊母ご令妹へもお前様よりよろしくおとりなしくださいますようお願いいたし

ます。 かしこ

八月三日 半井洌

樋口夏子様

  

    8月10日

 このほどは思いもよらぬ贈り物をありがとうございました。ちょうど不在でしたので

茂様にお目にかからず、お前様のご近況を詳しく聞くことができなかったことがとても

とても残念です。特に、鎌倉へご旅行と伺いましたがもしやご病気なのではないかと

案じています。ご様子伺いがてらお礼を申し(に行き)たいと思いますが憚るところが

ないとはいえませんので心ならずも日を送っておりましたところ、今日珍しくお手紙を

いただき久々にお目にかかった心地で嬉しくもまた、お恨みのお言葉が恨めしいです。

私は愚鈍の身ですから人様を謗るなどかけてもできませんが、師の君とも兄君とも思う

お前様のことは誰が何と申し伝えてもそれを誠と聞くわけがなく、もともと作りごとだ

と知っておりましたからわざわざお耳に入れなかったのです。私さえ知らないことを

知る世の中、聞かないことを聞いたと申すくらいさして怪しいことではないでしょう

からお捨て置きになれば、消える時には消えてしまいます。このようなことからお目に

かかることができなくなったのはやむを得ないことと私は諦め、今さら人の口に耳も

立てずただ身一つを慎んでおります。とはいえその源は誰でもなく私から起こったこと

ですし、この一事だけでなく暇さえあれば陥れようとする落とし穴が設けられている身

ですのでどう逃れようと何かの罪を着せらせずにはいられないのだと悲しい決心をして

います。ただただ先日野々宮様におことづけ願いました通りお前様のご厚恩はみなみな

身にしみてありがたいと日夜申し暮らしているのです。そのご親切をあだにしてお名前

を汚しましたことが何よりも心苦しく、つらいのはただこの身なのです。申し上げたい

ことはたくさんございますが、それほどは(と思い)お返事をいただくことだけること

だけを願っておりますので、どちらへご転住なさってもなにとぞご住所をお知らせく

さい。時々は一片のお便りをと、それだけを苦中の楽しみに待ちわびております。

かしこ

 折しも初秋の風が立ち始め、虫の声も時知り顔、月でも闇でも夜こそものを思われま

す。露けき秋とは常々申し古された言葉ですが、袖の上に置く(涙)を、今日この頃は

誠にそうだと思い知り、何事も話し合う人もないように思われて世の中の心細さは限り

なく、私こそ長からぬ命かと思われます。先日より頭痛で家に帰っておりますが、それ

をまた人々が悪く言っているようです。

 とにもかくにも憂き世はいやでございます。

八月十日夜

御兄上様 御前

なつ子

   明治25年10月末

 何よりまず申し上げるべきことは、筆のたてども(いつ書いたか?)覚えていないほ

どのご無沙汰、その後はいかがいらっしゃいましたでしょうか。だんだん冷え冷えして

きましたが雨につけ風につけお噂を申し暮らしながら、お伺いするのは例のはばかりが

多く、お文でもと思いましてもそれさえお前様がご迷惑かもしれないと差し控えて心細

い日数を重ねてしまいました。先日(出かけている)途中でふとお女中にお会いして、

ご様子をお伺いしましたら何かとすぐれないとか、お目にかかることができませんので

ことさらに案じられます。なにとぞなにとぞご自愛してくださいますよう、長年のご習

慣でしょうがあまり夜更かしもよろしくありませんからお勉強もほどほどになさって

いただきたく、とはいえ新聞にお前様のお作が見えない時はいよいよ心細く、もしかし

てご体調が悪いのではないかなどと胸を痛めております。何事にも頼りない身なので

いろいろなことを考えるとどうすればいいのか本当に途方に暮れております。あの後

田辺という友の世話で(空白)にお頼みしてようやく少しばかりのものを来月下旬から

都の花へ出ことになりました。そのお話しも申し上げたくお目にかかることができたら

とばかり思いながら自然とよい時が来るのを待ち暮らしております。葦分け舟の(差し

障りの多い中を行く)世の中だからこそこのようなご無沙汰を申し上げなければなりま

せんが、大変深いお恵みにあずかったことは私のみならず母も妹も身にしみてありがた

く思っており、お噂に出るとみなで憂き世を嘆いております。まずはご無沙汰のお詫び

ながら右申し上げます。あらあらのみかしこ

   

   秋頃(投函していないと思われる)

 冷え冷えしくなってきましたがいかがお過ごしですか。その後絶えてお便りがなく、

陰ながら案じ暮らしておりました。新聞にお作を拝見した時だけ少し慰められる心地で

ございます。こちらは、身には障りがありませんがさまざまに責められることが多く、

お話しは浜の真砂のように尽きませんが、大変お耳障りとなりますので差し控えます。

お孝様からはさぞかし絶え間なくお便りがあることと、誠に誠におうらやましく思って

おります。私とて心はお孝様と全く違わないのに色眼鏡の世のうるささがあるので、

時々軒下を通りながら空しくお二階を見上げて行き過ぎるばかり。それにしても幾年の

後に表立ってお目通りがかなうのか、思えば悔しい世の中です。申すまでもなくご如才

ないとは思いますがおわずらい後は寒暑が身にしみるものとか、だんだん夜寒の秋と

なりますので常々お慣れでいらっしゃいましょうが、夜更かしはお毒ですからなにとぞ

なにとぞご自愛してくださいますよう陰ながらお祈りしております。ご様子を伺いたい

のは山々ですがこの手紙も実は内々にしたためているので、家の者が見る目が苦しく、

手前勝手ながらお返事でないようなお文をお待ちしております。まずはお伺いまで。

あらあらかしこ

なつ子

半井兄上様 御前に

   

   12月7日

 夢らしき夢も見ないうちに今年ももう余日少なくなりました。さぞ何かとお忙しくな

さっておられることでしょう。都の花を飾った錦繍のお作をいまだ拝見しておらず、何

かとごたごたとしております。さて拙作「胡砂吹く風」が来春早々売り出すこととなり

ました。お忙しいところご迷惑とはお察しいたしますが、かねがねお願いしておりまし

た歌を、匿名でもよろしいのでぜひ一二首お恵みくだされたく、またご都合によっては

知らない人から送られた体にしてもよいのです。できましたら十三四日までにいただき

たく、これは参上してお願いしなければならないところまかり出てよいものかはばかり

の関を据えられている身はとんと困り果て、まずは書面をもってお願い申し上げます。

十二月九日 桃水生

一葉女史 玉案下

  

   27年3月25日(葉書)(26日に訪問)

 相変わらず病気で床に就いておりますが、お気になさらければご来訪お待ちしており

ます。 拝啓