馬場孤蝶の手紙と一葉の返事

明治28年3月15日

 

 雪の降る中たびたびお邪魔してさぞご迷惑でしたろうと恐れ入っております。お母様

もさぞおうるさくお思いでしたろうとこれも気がかりです。私の大声は友達の中での

評判はもとより、一度二度伺ったある家でも名前は言わずにあの高調子な人と覚えられ

てしまうような次第で、近々私の家の近所では釜の価値が狂ってしまわないかと心配す

るほどです。何事も浮かれものの無遠慮だと大目に見てくださいますようお願いいたし

ます。

 次にしたためますのは「雪の降る日は浮かれこそすれ」今日あわただしく書いたもの

で、雑誌に載せるものではありませんがご覧に入れます。拙いものですがなにとぞご一

笑くださいますよう。ただしこの調子は文学士上田万年先生が帝国文学に乗せた、

 -学者ー

 せっかく楽しい世の中を、堅い理屈でむがむ(無が無?むやみ?)に刻む。野暮じゃ

先生ちょっと振り向いて、こちらの花も見やしゃんせ。というのをもじったものです。

うまいかまずいかそれはさておき、大浮かれの熱をとくとご覧ください。

寄秋骨

泣くな秋骨浮世は花だ、お山の百合の一輪が散ろが凋(しぼ)もが諦めさんせ、梅も

咲いたし柳も芽ぐむ。こちら向かんせ無粋殿。

寄藤村

どうせ一度は死ぬ娑婆に、これさ藤村気が狭い、藤ばっかりが花かのように、くよくよ

せずに酒でも呑んで、春の雪にも転んでみやれ

寄天知

目出た目出たの若松様よ、今日の雪には常盤(常緑樹)の色が、いとど増しましょ鎌倉

に、さはさりながら天知さん、縁の操のそのほかに、須磨や明石の浦近く、月に恨みの

数々を忘れさんすは罪じゃぞえ

寄禿木

嘘か誠か誠が嘘か、禿木元来枯れ木じゃないが、木(気)が知れぬとは此方様か、瓢箪

なまず(とらえどころがない)はよしてもおくれ、薄紅梅の花や泣くらん

寄柳村

黄金のやじりも何のその、柳村先生勉強すぎる、百尺竿頭一歩を進め、ミューズの神を

見るもよい

寄洒竹

古池の蛙ばかりか鳥さえ鳴くに、洒竹宗匠庵裡に籠り、句案ばかりも気が尽きる、

出てみやしゃんせ、花が降る

寄夕影

夕の影は静かに清く、すまし給うも理(ことわり)ながら、たまにゃ外を見やしゃん

せ、つれなしとこそ花や泣くらん

御許様へ参らす

これさ姉さん、すねちゃあ野暮だ、まだ二葉なる此方様の、一葉に秋を知りなんす、

ご発心(出家しよう)とは何が種、柳の糸の結ぼれぬ、縁(えにし)薄き片思い、人に

言われぬご苦労か、笑い給うも何とやら、凄き調べも籠るなり、せめては春の夕暮れ

に、散り行く花の木の下に、聞きたや君が胸の乱を

  柳の糸は西の国(イギリス)では遂げぬ恋の印に用いるということです。

  ただしこの句にお腹が立ったら幾重にもお詫びつかまつります。

 近頃の我々の道義心はどうなっているのかなどと仰せの方もあることですから。

雪は払っても袖にとどまり、花は散っては衣にとまる、向こうのおじさん野暮ざんす、

丸い浮世に四角な月は、拝みたくにも無じゃまで。(拝みたくてもありません?)

  国民の友の八面楼(宮崎湖処子)と言う人が眉山の「大盃」を評して、聖愛にあら

  ずと言われる。何とやら、暁の瓦斯燈のように思われるので、

これさ兄さんどうしたもんだ、聖愛純愛こちゃ知らぬ、麻の上下(裃)で腰元口説く

三太夫ではあるまいし

   惚れるに理屈がいるものか

   小説家徳議論を喋々し給う方様へ

これさ髭さん理屈は措いて、こちら向かんせ、これ、もぉし。

柳は緑花紅に、鳥も歌えば月も照る、お酒あげよかお茶召しますか、渋いお顔をなされ

まい、さても堅いお言葉や、地球の丸いということにお気がつかぬか野暮らしい。

   〇偶吟

達磨さんさへ此方を向くに、これさ先生ちと堅すぎる

流れの身でも柳は柳、折ってみさんせ花もある。

まだこのほかにもありますが天機(神秘)を漏らす恐れがありますので、この度はまず

これにてお暇をいただきます。またそのうちに御意を伺いましょう。さらばさらば

                        三月十五日 うかれし孤蝶 百拝

すね給える一葉の君へ

 お暇がありましたら「青葉」「大盃」についてのお考えをもう少しはお聞かせくださ

れたくお願い申し上げます。なお申し上げます、ここでは少々軍機の漏洩(となりまし

たが)よろしくお取込みくだされたく。

 

 花にばかりかと思っておりましたら雪にもお心浮かれるのですか。春野の蝶はお心が

多いものだと驚きました。天知様、秋骨様、とくに禿木様のお額のしわが見えるようで

おかしいです。中でもお礼を申し上げたいのは、柳の糸の結ぼれは解けないのかという

お疑い。女子に片恋はないものだとおっしゃったあなた様のお心に、それほど情けが

あるものとご覧になっているのかと真実嬉しく思います。申し開きをする折もいずれ

あることでしょう。波のぬれぎぬなどと言うのも古いので、

 ひたすらに 厭いは果てじ 名取川 なき名も恋のうちにざりける

 (名を立てることをひたすら嫌っていますのに)立たない浮名も恋の内でしょうか

 野暮は禁物ですからありがたくお受け申し上げます。さて、そのあたりの天機なども

少しはお漏らしになってよいでしょう。人を呪わば何とやらと申します。お浮かれ心の

本末、それこそ伺いたいものです。流れの身でも柳は柳のあたりに、思いなしかお文様

の面影がちらつきます。近いうちにぜひぜひ夢語りをお聞かせください。ものつつみ

(隠すこと)は重罪に当たるとは、さる法官のお話しでございます。かしこ

                          二十八年三月十七日 夏子