につ記

 如月10日

 朝から机の前にいる。午後母が奥田にお見舞いに行く。日没前に小石川より手紙。

先生が風邪を引き、一人で歩けないほどなのですぐに来てほしいとのこと。早速支度し

て行く。先生はとても喜んで「のぼせがひどくて、正気を失いそうになるのですよ、

心配で今後のことなど託しておきたいと思って」と心細そうに泣く。様々な話をして

「あなたが来てくれたので心も落ち着いて、気分もよくなってきたようだ」とおっしゃ

った。薬を飲ませて10時頃になったので「明日また」と泊る。

 

11日

 快晴。先生は大変よくなった。女中を伊東家に頼んだが、前にいたおけいが戻るか

聞きに使いに行くことになった。おけい次第では伊東家に相談に行く予定。岩松から

車に乗り伊東さんへ行ってしばらく話をした。夏子さんは出かけていた。帰り道佐々木

医院に寄って薬を取りに行く。昼過ぎ水野せん子さんが来た。3時頃家から邦子が迎え

に来て、最近入った女中が私と見間違う珍事があった後、おいとまして帰る。4時だっ

た。上野房蔵さんが来ていたとのこと。邦子は吉田さんのところに出かけて日没後に

帰り、梅と水仙の生け花をもらってきた。この夜邦子が日記の書初めをしたと見せて

くれた。2時就寝。

 

12日

 雨。父の命日なので母がお寺に行く予定だったが見合わせた。15日までに小説を先生

に送るための期限が近づいてきているのに、まだ上しか書いておらず、中下が残って

いる。明日の稽古はお断りしようと中島先生に葉書を出した。夜母に小説を少し読んで

あげた。思うようなこともできず、今日も随分怠けてしまった。

 

13日

 晴天。朝から小説にかかる。終日従事し夜も徹夜。明け方少し眠る。

 

14日

 大雨。終日小説に従事し、明かりが点くころに完成。半井先生に明日伺うと葉書を

出した。重荷を降ろしたように本当に安心した。

 

15日

 雨は止んだが寒い。昼前に家を出て先に中島先生のところへ行く。伊東夏子さんの

お母様が帰ろうとしているところだった。先生はこれから佐々木医院に行く所で、ちょ

っと待っていてくださいと言われたが、2時近くなるまで戻らない。平河町に心が急ぐ

ので、留守番の女中に用があるからと断って出る。九段坂上から車を雇って行く。先客

がいるようなので軒下で待っていたら、先生が窓から顔を出して「お入りなさい、私の

弟のような人だから心配ありません」と言う。入ると何という人かはわからないが、

若くて色の黒い人だった。小説を見せると大変褒められた。客もいろいろ言ってくれ

る。雑誌の名前は「むさしの」とつけ、遅くても来月一日までには発行する見込みだと

のこと。「男子は隔月だが、君は毎月連載してくれたまえ」と言う。先生の原稿を見せ

てもらうと「小笠原艶子嬢」という人物が出ていたので、実際にいる人の名前ですから

覚えておいてお直しくださいと注意した。しばらくいて帰る。芝の兄が病気で困窮して

いるとのこと。先日金を少々書留で送っていたがもう少しほしいと葉書が来た。「では

明日私が行きましょう」と話す。久保木さんが来た。私と邦子はかもじを買いに行っ

た。出かけている間に母が腹痛を起こしていて、帰る早々手当てをしたが一晩中悪かっ

た。この日は総選挙の日だったので市中は何となく動揺しているように見えた。

 

16日

 大風が吹いて寒気はなはだしい。母は森照次さんに金を借りに行き私は芝へ向かう。

万世橋から鉄道馬車に乗って、先は車で行った。貧しさときたら思っていた通りだった

が、病気はそれほどでもないようでとても安心した。持って行った金を渡しいろいろ

話す。昼食を一緒に食べて3時頃出る。新橋からまた馬車に乗り帰ったのは日没近かっ

た。母も森さんの首尾はよかったとのことでみな喜んだ。この夜原町田の渋谷さんから

返事が来た。

 

17日

 早朝髪を結って家を出る。仲御徒町の旅館に荻野さんをお伺いしいろいろ話をした。

本を借り、図書館に行く。3時に帰宅し習字をした。日没後風呂に行く。魚を買うと

いう奇談(めったに買えなかったから)があった。

 

18日

 晴天。寒風が顔を切るようだ。森さんへお礼と、お金を借りに行くため支度をする。

母と一緒に家を出たのは9時。歩いて林町まで行く。森さんは留守だったが奥様と話を

した。借用書を書いて8円借りた後、昨日小林さんが来たとか、盗難に遭った話や栗塚

国会議員が同じ災難に遭ったことなどの話があった。それから小説の話になり、画家の

竹内桂舟が奥様の甥の先生だとのことで、「時々見えるのですよ、竹内さんは硯友社

同人なので、山田美妙斎や尾崎紅葉巌谷小波さんとも親しいのです。もし必要なら

紹介いたしますよ」とおっしゃってくれた。様々な話をしておいとましたのは11時に

なった。「梅を見ながら藪下を通りましょう」と根津神社を抜けて帰る。風は冷たいが

春は春で、うぐいすの初音も聞こえてつい足を止めることもあった。紅梅の色の美しさ

に目を奪われることもたびたびあった。家に帰ったのは12時頃だった。それから新しい

小説にかかる。稲賀さまが正朔君の着られるような物をいただきたいと来た。日没前に

三枝さんから出産祝いのお赤飯が届いた。夕食をにぎやかに食べ終えた後、有名作家の

おもしろい小説をいくつか母に読んであげた。邦子の日記を見てやって「よく書けて

いる」と褒めた。夜更けに雪が降り出した。寝たのは2時頃だった。

 

19日

 母が先ず起きて雨戸を開け、「まあ積もったこと、1尺以上ありますよ。まだ降り

そうだ」などと言っているのは雪のことだと嬉しくなり、すぐに起きた。邦子を起こし

一緒に見てみると、天も地も、木立も軒先も白くないところはない。綿を投げるように

降る様子も心が奮い立つようで、「隅田川に舟を浮かべて見たいものね」などと風流を

言って笑われる。朝食を終えた後も降りやまず、来る人もないがせめて入り口だけはと

邦子と格好だけは勇ましく雪かきをした。1尺に加えて2、3寸はあるようだった。

「最近ないことね」などと話す。終わってから習字をしようとすると手が震えてどうし

ようもない。力仕事をする人が物を書くのを厭うのも道理である。荻野さんから借りた

雑誌と山東京伝「くもの糸巻」を読み、朝日新聞を少し見て昼食。午後早稲田文学の中

の「徳川(江戸)文学」「しらるる(シルレル)伝」「まくべす詳訳」「俳諧論」4、5

冊を読む。岩佐さんが来る。母は新平さんへ行き日没後帰る。1時就寝。

 

20日

 晴天。寝過ごしてしまった。朝のうちにくもの糸巻きを読み終え、雑誌を少し読む。

それから習字。姉が来て雑談する。午後髪を結って中島先生へ向かう途中、田町で田中

さんが橘道守先生の発会に出かけるところに会う。しばらく立ち話をして先生の具合が

よくないと聞いたので、急ぎ小石川に行くと先生が大喜びしてくれた。明日の手伝いを

いろいろして、お汁粉をいただいて帰る。荻野さんが来ていた。夕食を出して、邦子と

仲町に買い物があるので先に出た。日没後帰宅。この夜は短冊をしたためて寝た。

 

21日

 晴天。10時に家を出て小石川へ。先生と車を連ねて会場に出かける。みの子さんは

すでに来ていておしゃべりする。文雅堂さんが来て4人で食事。そのうちに加藤先生が

見えた。来会者は40名ばかりの予定だったが、おいおい増えて50名にもなった。この日

の点取りのお題は「雪後春月」で黒川真頼先生、三田葆光さん、小出粲先生が選者だっ

た。黒川先生の甲はかとり子さん、小出先生の甲は佐藤東さん、三田さんの甲と黒川

先生の乙が私だった。景品をいただく。みなさんが帰宅後別に小宴を開いて佐藤さん、

井岡さん、田中さん、先生と私で歌の話をした。終わったのは8時だった。車を小石川

に停めて会計の話などをし、お菓子をいただいて帰宅。何もせずに布団に入る。夜遅く

に雨が降り出す。

 

22日

 雨天、寒い。午前中は何もせず午後から著作。しかし紙に向っていても筆を取って

書くまでに至らない。歌を5題ほど詠む。風邪のようで、頭痛耐えがたく早く寝た。

 

23日

 曇天。朝の間に江崎さんと兄に出す手紙を書き、小説に取りかかる。この夜は早く

布団に入り、小説の構想を立てた。

 

24日

 曇天、とても暖かい。朝から昨夜考えた小説を書く。田中さんより手紙が来て「明日

数詠みの歌会をするのでお越し願いたい」とのこと。日没後母に小説を2、3冊読んで

聞かせる。夜になって強風。

 

25日

 風止まずとても寒い。髪を結って家を出た。戸田さんが先に来ていた。伊東さんは

何か用事があって来ていなかった。数詠みのお題は30。小説の話などしていると田中

さんが自作の小説を2つ見せてくれた。夕方車を雇ってもらって帰る。11時就寝。

 

26日 晴天。