しのぶぐさ

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24日

 半井先生の依頼で畑島先生に見せる、尾崎紅葉先生への紹介の断りの手紙を出す。

26日の夕方帰宅。邦子が言うには23日に半井先生が家の前に来ていたが、来客があっ

たので何も言わずに立ち去ったとのこと。この夜は家に泊まった。

27日

 今日は亡き兄の命日。西村さんが見えたので茶菓を出してしばらく話し、私は小石川

に行く。

文月1日

 中島先生が急に思いつかれて鎌倉へ行く、田中さんが同行した。小笠原さんと伊東さ

んも誘われたがどちらにも都合があった。10時に家を出た。留守番は西村鶴さんと私。

女中2人と池田屋の奥さんが家事の大部分をして、鶴さんは針仕事をする。私は接客の

他することもないので著作に従事した。今日は終日先生の旅路についての話などして夜

になった。早くに戸を閉めてひとところに寄り集まって話をした。

2日 先生から無事着いたと手紙が来た。宿は長谷の三橋だとのこと。

3日 田辺さんから手紙が来た。いろいろな話、歌もあった。

4日 先生から宿替えをしたと手紙が来た。八幡前の三橋の支店とのこと。3日ほどで

  帰ると言っていたので明日か明後日かと指折り待つ。

5日 午後2時に帰宅後、大雷雨。夕方暇を取って家に帰った。

6日 小石川に戻る。途中河村家の女中に会ったので半井先生はどうしているか聞く

  と、河村のご主人が亡くなったとのこと。先生一人で全てを取り仕切るために奔走

  しているとのこと。伊東さんに手紙を出す。

9日 鍋島家に行幸天皇が来る)があり中島先生も参上、午後10時頃帰宅した。半井

先生に手紙を出す。

10日 同じく行啓(皇后)があり中島先生参上。私は明日家に用事があるのでその

   支度に帰らせてもらう。西村礼さんが来たので後を頼み、出てすぐ伊東さんに

   お金を借りに行った。

11日 亡き父の祥月命日の逮夜。菊地の奥様と上野の伯父様、久保木の姉を呼んで

   茶飯を出す。芝の兄は来なかった。一同日没に帰宅。

12日 

  早朝邦子と築地の墓所へ行く。墓参りを終えると中島先生から頼まれた使いで伊東

しき子さんを訪ねる。昼前に帰りすぐ半井先生にお中元の挨拶に行くと、先生は今日

引越しをするところだった。話すこともなく帰る。昼過ぎから大雷雨。3時頃思い立っ

て田辺さんを訪れるが、途中人の往来が絶えてすさまじいまでに雨が降った。彼女の家

に着いてからなおはげしくなった。数時間話して夕食をごちそうになる。お父上にも

会った。日が暮れてから帰宅。

14日 中島先生を訪ねたがすぐに帰宅。

16日 小石川へ行く。

21、22日は陶器のことを調べに図書館に通った。

23日 稽古日。みなが帰った後頭痛がはげしくなったので、暇をいただきお灸に行く

   途中で大雷雨になり、表町の西村さんのところで雨宿りさせてもらった。ここ

   から家に帰ることにしてお灸はやめ、中島先生に葉書を出して帰宅。何事もなく

   夜になった。

24日 雨。

25日 同じく。

26日 曇り。図書館に行くつもりで支度をしていると吉川さんの奥さんが来た。話を

   していると昼になり、夫人が帰った後も時間が少ないので図書館行はやめた。

27日 図書館に行く。中島先生が病気見舞いに女中をよこした。明日は鳥尾さん

   ところで数詠みがあるが頭痛でどうしようもないので断りの手紙を出した。

28日 こと無し。山梨県に水害があったと甲府の伊庭さんから手紙が来たのでその

   返事と親戚4、5軒に手紙を出す。

29日 晴天。今日は暑さが厳しく頭痛も激しかったので午後しばらく寝た。久保木の

   兄から昨日網にかけたという川魚を送ってきた。

30日 晴天。早朝安達に書画骨董類を取りに行き、盛貞さんと数時間話して昼前に

   帰宅。虫干しをした。日没後中島先生を訪ねた。帰り道雨が降ってきたので西村

   さんに寄って傘を借りた。上州北条穴沢の老人が刺客に切られた話や、常さんの

   病気がおもわしくなく樫村病院に入院した話などがあった。8時帰宅。この日の

   新聞によると「河野、大隈両君に爆弾を送ったものがいた」とのこと。

31日 雨。昼前から野々宮さんが来て終日歌詠みをした。半井先生のことをいろいろ

   話す。

葉月1日 曇り。昼前田中さんが私の見舞いに来てくれて、入谷で購入した朝顔一鉢を

    いただいた。甲州の貞治より手紙が来た。

2日 山崎正助さんが来た。芝の兄と奥田の老人から葉書が来た。伊東夏子さんからも

  手紙。「むさしの」3号を買った。

3日 甲州後屋敷より手紙が来た。図書館に行く。母は山崎さんで金を調達し奥田に 

   持って行った。この日浅草に竜巻があった。

4日 晴天。田辺さんに手紙を出し夕方返事が来た。

5日

6日 小石川の稽古日、不調だったが行く。不平は言うまい。この日重太君の使いで

  半井先生より茶筒を送られた。

7日 

 野々宮さんが来て終日歌を詠んだ。半井先生を訪ねた際私の話があったとのこと。

  私の歌(ただし心の中でだけ詠んだ)

   吹風のたよりはきかじ荻の葉の みだれて物をおもひぞする

    風の便りは聞かないことにしよう、心が乱されるから

 この夜は満月だったので邦子とお茶の水に月を見に行った。

8日 

 晴天。早く起きて歌を詠む。6首。鬱勃たる心でも稀には光が見えることもあるのか

爽快。今日号外が出て内閣総辞職とのこと。伊藤博文が総理大臣になったとのこと。

各新任大臣の名もあった。夜山梨の源吉より手紙。

9日 

 晴天。早朝新聞を見ると、内閣総理大臣伊藤博文、内務大臣井上氏、外務大臣陸奥

氏、司法は山縣氏、逓信は黒田氏、陸軍は大山氏、海軍は仁礼氏、農商務は後藤氏、

文部は河野氏、大蔵が渡辺氏となった。松方氏は麝香間祗侯(功労者への優遇措置)と

して大臣待遇となる。

10日 

 晴天。朝風祭甚三の旨云々。半井先生から長い手紙が来て返事をしたためる。昼過ぎ

から小説に従事。奥田から夜葉書が来た。この夜はすることが多くて12時過ぎてから

布団に入った。

11日 夜からの雨がすっかり晴れて初秋の空がとてもよく澄んでいた。何事もなし。

12日 晴天。前島むつ子さんのところで数詠みをした。お題は30。

13日 

 小石川の稽古日。この日は龍子さんも見えたのでいろいろ話をした。我が萩の舎に

ついての噂が取りざたされているとのこと。前島さんも加わって話をした。みなが帰っ

た後田中さんと残って話をした。私はさらに日没までいて先生の相談を受けた。

14日 晴天。野々宮さんが来て終日歌を詠む。

15日 

 晴天。かなり暑い。昼前に三枝の奥さんが来て庭で採れた果物をいただく。お昼を

出して帰す。母は日没後奥田にお見舞いに行く。中島先生から手紙が来てその相談に

田中さんを訪ねようと思ったが「明日にしなさい」と言われた。

16日 

 中島先生から依頼されたことで早朝田中さんを訪ねる。先生はこの度の萩の舎の噂の

出どころとして田中さんを疑っているようで、田中さん宅を出入りする書生のことを

聞いて来いとのことだった。私も田中さんはまともな人だとは思ってはいない。花柳界

にいた人らしく浮いた噂があると聞いているのだ。しかし萩の舎のことはここから出た

こととは思わないが様子を見て、そのうえで考えることもあるかと覚悟している。話を

していると「今日は一日ここで遊んでいきなさい」と昼食を出してくれた。うわべは

親切だがその下では師匠をどう思っているのか、いろいろ不平を言っては、何かと小出

先生を引き合いに出すので、何ごともないとはいえないと思った。一日話して帰り中島

先生のところへ行ったが、何もかも話してしまっては間に立って難しいことになるの

で、ただ書生は新聞社に出入りしていないとだけ言った。先生は常日頃の疑い深さで

ひたすら田中さんを仇だと思っているが、名前は出さずに「この人が利欲のために噂を

流して私の萩の舎を乗っ取ろうとしているのだ、そのためには手下もいるに違いない

が、水原みさこなども入っているのだろう」と自分の想像を本当のことのように思って

しまっている。「明日はひそかに田辺さんに行ってこの相談をしてほしいのです。相談

できるのはあなたと田辺さん、天野さん以外にいないのですから。伊東さんに話しても

いいけれど、漏れるかもしれないから」とは田中さんにということだろう。一晩中語り

明かした。私もいろいろ考えたが田中さんの仕業だとは思えず、といって島田さんや

首藤さんでもないだろう。先生にもよろしからぬ行いがあることが世に漏れ出したの

は、もともと不品行な田中さんや島田さんをかわいがっていたことから同じ人種だと

いうことが現れ出てしまったということではないだろうか。そんなことは言えないので

一人思うことは多い。

17日

 晴天。9時頃から田辺さんを訪ねる。このことについていろいろ話す。彼女も「田中

さんの仕業とは思えない。たいていのことは自然にわかってしまうものでしょう」と

言った。「巌本善治さんや植村正久さんのような、世間に信用のある人がなぜか言い出

したことなので、どうにかすることは難しいでしょうが、話の元を探って行けばわかる

こともあるのではないかしら、元さえわかれば枝葉は何とでもなるのだから」などと

話す。「とにかく今日は家で遊んで、帰り道に天野さんに一緒に行って話しましょう

よ」と誘うので「そうしましょう」と昼食をごちそうになる。小説家の話になり、つき

合いの広い人なのでおもしろい話、おかしい話がたくさんあった。嵯峨野屋御室や梅花

道人が発狂したなどの話、内田不知庵や桜井方寸志のこと、明治女学校の教育方針、

また高等女学校の浮説が世の中に流布した原因や田辺さんのお友達の話など、暑い日の

一日を語り暮らした。夕方より天野さんを土手三番町に訪ねた。家は土手のすぐ近く

で、詩人の住み家のように木立の多く、三曲合奏が響き渡っていた。山登何某先生が

出稽古に来ていたとのこと。西洋間で少し待つ。やがて三曲を練習した部屋を片付けて

そこで話をし、日没少し前においとました。市ヶ谷見附で田辺さんと別れ、車で小石川

へ行く。先生はお灸に行っていて留守だったので待っている間、泊っていってほしいと

伝言があったので家に連絡の手紙を出した。夜になって小出先生が来たので話している

と中島先生が帰って来た。小出先生が帰った後もしばらく話をした。田中さんのこと、

高田さん、首藤さんの娘のことなどもあった。

19日

 朝早くに家に帰りたかったがすることが多くて9時になった。さあ帰ろうとしている

と鈴木しげねさんが来たが私は帰った。母は西村に行っていて留守だった。久保木さん

が来たが少しいて帰る。今日は各評の歌と、小説を少し書く。夜早く寝た。

20日

 早朝小石川へ。稽古日でお題は2つ。今日は伊東さんも私も10点が一つも取れなかっ

た。「湖月抄」の講義もあった。田辺さんが昨日田中さんを訪ねたとのこと。私が田辺

さんに会いに行って、一緒に天野さんを訪れたことを知っていたそうだ。秘密だと言っ

ていたのになぜ話したのだろうかと首をかしげる。中村さんのところで明日数詠みの会

がある予定だったが都合ができて24日に延期となった。田辺さん、天野さん、片山さん

の会では難珍をすることになり、井岡太造さんと佐藤東さんも呼ぼうとのこと。先生は

お灸に行くとのことなのでみな昼過ぎ早々に帰る。帰って小説に従事。

21日

  晴天。午前中野々宮さんが来て歌の添削をした。とても素晴らしいものもあった。

点取りを2首詠じた。終わった後にいろいろな話をした。彼女の友達が4月に嫁に行っ

たが、その後便りがないので手紙を出そうと友達の実家に聞きに行ったところ本人が

いたので喜んで、なぜ帰っているのか聞くと涙を流しながら悲しい話があったと、野々

宮さんも涙ぐんでいた。どうしたのかと聞くと、その人は最近の新聞記事にもなった

沢木何某氏の奥様で、ご主人は将来有望であったが、仕事が思うようにいかずに神経を

病んで自殺を図ったのだ。傷は深くて助からないだろうということだった。その兄弟の

無頼漢の話や親友の柳何某という「時事新報」の記者の話など話は多かった。「半井

先生に野口さんという人を奥様に紹介しようとしたら、間に入った人が変に話を延ばし

て『もう一人いるのですがこちらをぜひ』と言うので気は進まないけれど、頼まれたの

で仕方なく写真を預かってきた」と見せてくれたが、そう醜い人でもなかった。その人

は半井先生の「胡沙吹く風」をとても愛読するあまり嫁に行きたくなったらしい。

世の中にはいろんな人がいるものだ。野々宮さんは半井先生を訪ねるといって4時頃

帰った。彼女から借りた絵画の手本を今日から始める。日没後邦子と散歩し、三崎町

辺りから九段下まで行った。半井先生のお宅をよそながら見て、帰ったのは8時頃だっ

た。それから小説に従事。