一葉にっ記と書き込み

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22日

 家に帰る。ここでもいろいろ話をしてから半井先生に返す本などを持って行く。昼前

だったので先生はまだ蚊帳の中にいた。起こすのもどうかと思いためらっているうちに

昼近くなった。ふと目を覚まして「おや夏子さんではないか、みっともない姿を見せて

しまった。なぜ起こしてくれないのですか」とあわただしく起き出してきた。火鉢を

はさんでひっそりと話をする。私は情に脆いので、今日を限りに来ることができなく

なるのだと思うと悲しいばかりだった。伊東夏子さんはじめ母や妹も「いきなりつき

合いを絶つのもよくないので、全てを話して納得してもらってお別れした方がよい」と

言うし私もそう思うので来たのだ。今日は誰もおらず聞かれたくないことを話すのに

ちょうどよかった。それでもしばらく言い出すことができずにうつむいていたが、言わ

ない訳には行かないので話し始めた。「朝遅いことを知っているのに起こしてしまって

申し訳ありませんでした。どうしても言わなければいけないことがあって来たのです」

と言うと先生は「何があったのですか」と聞く。「私ばかりのことでなく先生のお名前

にも関わることです。実は私がこのようにちょくちょくお伺いしていることがどうして

か広まって、友達ばかりでなく中島先生の耳にも入って疑われたばかりでなく『先生と

私に何かあった』と誰もかれもが信じているのです。訳を話しても理解してもらうこと

ができず、私の無実を晴らせないのです。私は潔白なのですから人が何と言おうと気に

することはないのですが、中島先生からだけには、疎まれてしまっては一生の汚点に

なります。それが心配でいろいろ悩みましたが、先生の元に通う限り人の口をふさぐ

ことはできないので、当分お目にかからず、お声も聞かないと決めてお伝えに参りま

した。とはいっても私は愚直ですから先生から受けた恩は絶対に絶対に忘れるものでは

ありません。こんな話をするのも苦しい私の心をお察しください」と言った。先生も

「ああそうか、そういうことだったのか、僕は勘違いをしていた。君がほかの男性に

会うことは嫌だと日頃から言っていたので『紅葉に会うのが嫌だからここに来ないこと

にしたのか、それとも中島先生の仲立ちで結婚話が決まったのだろうか』などと河村の

老人と話していたのですよ。それはともかく面倒なことになりましたね。僕は男だから

何でもないが、君はさぞかし困ったことでしょう、まあ今さら驚く話ではなく、そんな

ことを言われるだろうと覚悟はしていたが…。これは人の話と思って聞いてください。

『樋口さんはこの頃半井とかいう男の元にしばしば通っているが、その男はまだ年老い

てもおらず一人住まいをしているとか。うら若い女性と訳がないことはないだろう』と

疑われても無理はないし、何事もない僕たちの方が無理なのでしょう」とこともなげに

笑った。「それにしてもどこから漏れたのだろう、友達にも君のことは話していない

し、隠すほど現れるという例えなのか、人は本人も知らないことを知っているものだ。

しかしよく考えてみると僕の罪かもしれない。先日野々宮君と話した時、言わなければ

よかったがつい君を褒めて「(家長なので)お嫁にいけない身なのですか、ならお婿さ

んを紹介してあげたいものだ。僕も家長なので家を出られないが、できるものならお嫌

かもしれないが無理にでもお願いしてもらっていただきたい位ですよ」などと言って

しまったのです。それやこれやが集まって世の人がいろいろ言うようになったのでしょ

う。ところで恩の義理のなどとはもう言わないでほしい、君によかれと思って尽力して

きたし、君の安泰が僕の本望なのだから、しばらく家に来ない方がいいでしょう。と

いって全く来ないのも人目におかしく思われるだろうから時々はおいでなさい。とにか

く独身でいられるのがよくないのですよ、いつも言っているように早く身を固めなさ

い。噂は一時は消えても僕も君も一人でいる限り『何もないと言っていたが、やはり

あったのではないか』などと尾ひれがついてしまうかもしれない。君が嫁に行って僕が

一人でいたからといって『可哀想に、女は約束を破ったのに男の方は一生操を守って

いくつもりらしい』などと人は言わないから」と声を立てて笑った。様々な話をして

「そろそろ帰ります」と言うと「まあ、もう少しよいでしょう、今日は餞別だ。次いつ

一緒にお茶を飲める時が来るのかわからないのだから、もう少し、もう少し」と話し

続ける。この人のことはよく知っているつもりだったが、噂のきっかけになるような

ことを言ったのは憎い。でもそれを変な風に言いふらした友の考えはどういうことなの

か。信用ない人達ではあるが、本当なのか嘘なのかわからないことばかりで何もかも

信じられない。あれこれ考えてどの嘘にも甲乙はないけれど、やはり目の前に心惹か

れ、先生が話すことが何もかも悲しく響いて涙がこぼれそうだった。我ながら弱い心

だ。そのうち邦子が迎えに来た。家でも少しは私を疑っているようだ。一緒に帰る。

 

 

 私は最初から彼の人に心を許したこともなく、それどころか恋しい床しいなどと思う

ことなど賭けてもなかった。だからこそ何度も会いに行く中、人気のない折々には何と

なく誘いかけるようなことを言われたこともあったが、知らぬ顔をしてよそよそしい

態度を取っていたのだ。それを今になって覚えのない浮名を立てられ、肩身の狭い思い

をさせられて悔しい上にも悔しい。なのに心は不思議なもので、最近降り続いている雨

の夜、ふとあの一人籠っていたお宅が、あの寝姿さえつくろわない打ち解けた姿が、何

となく目の前に浮び、あの時はあんなことを言った、この時はこんなことがあったと…

過ぎたあの日、雪の日にお汁粉を作ってくださったこと、お母様へお土産にしなさいと

干物の瓶詰をいただいたこと、私が行くたびに嬉しそうにもてなしてくださって「そろ

そろ帰ります」と言うと「もう少しいてください、君と話す時には日頃の苦しみを忘れ

られるのですよ、あと30分、25分でも」と時計を見ながら引き止めたこと、まして私の

為に雑誌を創刊して下さったことを思えば感極まる。長く患った後まだ弱々しい姿で、

「夏子さん食べ物は何が好きですか、病気中気も晴れず、それだけでも死にそうな心持

ちの時に、朝に夕に訪ねてくれたご恩は何物にも代えられません、お礼に山海の珍味を

いくら並べても足りないけれど」と兄弟のようにおっしゃった。「僕は料理が上手なの

ですよ、特に五目ずしを作るのが得意なので近い内に君を正賓としてご馳走しますから

ね」と約束して下さった。そのお手製のお料理をいつの世に、どのようにしていただく

ことができるのかと思えば、あの頃が恋しく世の中が恨めしい。今後の心細さもあり、

何もかもが悲しくて涙が出るばかりだ。こうなったのは誰のせいかと言えば彼の人なの

だ。ないことをあるように言いふらしたから親しい友人の耳にまで届き、友とはいえ

信義ある人はいないので、とうとうあることないことが中島先生に伝わったのだ。さら

に言えば、中島先生に私を本当に見る目があればそんな嘘に惑わされはしなかったのに

と様々に思うと誰もかれも憎くない人はいない。「いや、世の人が悪いのではなく私が

李下の冠の戒めを思い出さず、瓜田に足を入れたからこそいつの間にか人に目につき、

言い訳もできないようなことになったのだ。人の一生を旅ととらえると、出発したばか

りの身にはこれだけではなく、今後も道の妨げはいくらでもあるだろうから心しなけれ

ばならない」と思いが定まる日は心も落ち着き、悔しいことも悲しいことも悔やむこと

も恋しいこともなく、本来の善心に戻って一途に「大切なのは親兄弟と家の名誉なのだ

から、身をおろそかにしてはいけないのだ」と思う時もある。

 さる人(野々宮菊子)が訪ねてきた時、この人には言わないわけにはいかない縁が

あるので、このようなことがあったのでもう彼の人に会わないことになったと話すと、

彼女は首をかしげて「それは本当のことではないでしょう、先生がそんなことを言う

とは考えられないわ。あなたが本名を出したくないと日頃から言っていたので、先生が

自分の名字で小説を出そうとしたというような話ではないかしら。それを想像力たくま

しい人達がとやかく言い出してこんなことになったのでは。先生にもしよこしまな心が

あったとして何か企てたとしてもそんな下手な真似はしないでしょう。もっとよい手段

もあるだろうし、先生が情の深い親切な人であることは誰でも知っていること、あなた

にだけ特別に親切だというわけではないのですから。元々は放埓な人で花柳界に入り

浸り、お金を塵芥のように思って時には50円も一晩に遣ったりして、今日70円あっても

明日は5円しかないようなことは珍しくなかったそうよ。一昨年のこと、元旦の晴れ着

を50円出して誂えたところ、二日の日にお金に困ったお友達が来たのでそれをすべて

脱いであげてしまい、自分は浴衣に古びた袷を重ねて着て寒中をしのいでいたことも

あったわ。そんな暮らしだったけれど妹さんをお嫁にやった時、思うところがあって

身を慎もうと決心し、隠れ家に引きこもり時世を待っていたのは確かだけれど、それは

別にあなたのことを思ってではないでしょう。また急に家をたたんで誰にも知らせずに

引越しをしたのは、いろいろなことからその隠れ家が世に知られることを恐れたからだ

と私は思うわ」と一つ一つ論証して行った。こうなれば彼の人を憎むことなどできな

い。恨むべきは世の大半の人達なのだ。憎しみが解けると私の軽率な判断を今さらなが

ら取り戻したい、彼の人は私を怒ってはいないだろう、私の心の潔白をお知らせしたい

ものだと思うが、あれほど思いやり深く義侠心のある人に冷たく接した私は何と罪深い

ことをしたのか。そもそも初めてお会いした時にも「女性の身で文学で身を立てよう

などとはあまりよろしくないことだが、家のためというのなら仕方のないことです。

しかし君の文章には見込みがあるようだから、一生懸命勉強したら必ず世に知られる

ようになりますよ」と父や兄のようにおっしゃって下さったことを思い返すたびに悲し

くなる。いや、もう人から何を言われても私に穢れがなく彼の人も清いのだから、人の

誹りなど気にするところではない。今住んでいるところを尋ね出して今までのように

兄のように親しみたい。そうはいっても彼の人が世に廃れた醜い人であったらよいが、

残念ながら美しい人であるから人の口を防ぐことは何とも難しく、さらには彼の人も

そのことで私が慕っているように思っているのではないかと想像するとそれも悔しい。

私は彼の人を思い慕っているのではない、恋してもいない。せっかく築いた友情をいつ

までも続けたいからこれほど悩んでいるだけなのだが、そう考えることが既に私も迷い

の入り口に立っているのだろうか。いや今こそ私も彼の人も濁った心も行いもない、

天地に恥じないおつき合いができるのだ。やっとまた親しくなっても、どのように私の

心や彼の人の心が変わっていくかはわからない。彼の人の善悪が目に映っている間は

私はまだ酔っていないということだ。その末に善と悪の分別がつかなくなり、人の誹り

も耳に入らず、世にはばかられても気にせず、徳に外れて道に戻ることのできない者と

なるかは、今ここで踏みこたえるか、踏み出すかただ一歩の違いなのだ。そう思えば

危ういことこのかたなく身の毛もよだつばかりだ。

 心を身から離してみれば、愛や憎しみは何事でもなくなる。執着が深いほど悔いも

深い。疑いも心配も凡人の思考であり、俗心から生まれるものだ。だからこそ「孔子

交わりは淡くして水のごとし」と言うではないか。師匠の疑いも、友の妬みも、彼の人

との交わりも、無かった昔に戻ればなんのことはない。荘子が蝶のように自由に空を

舞った夢のよう全ては夢だと思えばよい。目覚めるのはいつのことになるのか、私は

自分の心の神明に照らして無心、無邪気に生きて終わればよいのだ。

 

 なき浮名の立てられた頃、

  みちのくの なき名とり川くるしきは 人にきせたるぬれ衣にして

   無い浮き名を流されて 苦しいのは人から濡れ衣を着せられたからです

 されどただ、

  行水のうきなも何か木のは舟 ながるるままにまかせてをみん

   流水に浮いた名など気にせずに、木の葉の舟のように流れるままにまかせよう

 今日を最後と決めて半井先生を訪れる日に詠んだ、

  いとどしくつらかりぬべき別路を あはぬよりしのばるる哉

   死ぬほどつらいであろう帰り道を、会いに行く前から感じています

 

 ある時は憎み、ある時は慕い、よそで噂を聞けば心をとどろかせ、いただいた手紙を

見て涙にくれ、心を乱し夢のような闇のような中をさまよって40日が過ぎた。7月12日

に別れてから一日も思い出さない日はなく、一時も忘れたことはない。今となっては、

これは人生に必ず一度は訪れる通り魔というものの類であろうと思う。道に鑑みて

良心に聞いても全く心にやましいことがないのだから、思い煩うことはさらにないの

だ。私の徳は彼の人のために曇らせられたかと思っていたが、かえって磨かれたのだ。

さあ、これからはもっと磨いて迷った夢を見破らなければならない。そう思い立ったの

は8月24日、渋谷さんが訪れた翌日のことだった。