につ記

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 テレビで奄美やってる…いいな…もう縁はないのか、無理に行って空しい思いをする

のか。どこにも居場所のなかった私なので希望が持てない。ねりやかなやは、あの世。

 

4日

 曇り。今日は日曜なので野々宮さんが来るだろうと支度をしていると、西村さんと

上野の房蔵さんが来て話をしていった。やがて野々宮さんが来たので二人は帰る。

歌2題を詠ませる。宗教の話をした。午後より雨が降り出したが晴れ間を見て帰った。

今晩は待宵日だが月が出ない。

5日

 曇り。芝から兄が来て、薩摩焼の土瓶を欲しい人がいたら売ってほしいと5個ばかり

持ってきた。家でも一ついただきましょうと言う。夕方まで遊んで行って帰り道一緒

万世橋まで行く。兄はそこから馬車、私と邦子は小川町を回って焼け跡の後新築され

た所を見て、東名館で墨を買った。今夜は旧暦7月の十五夜で、夕方からは雲一つなく

月の光が何とも言えず美しかった。御茶ノ水橋で、虫の音を聞きながらしばらく佇ん

だ。帰りに葉書を買って田中さんに各評の会、小笠原さんに数詠みの会の出席断りを

出した。家に帰っても月の光が惜しくて、縁側に出て遅くまで一人起きていた。

6日

 大雨が車軸を流すように降った。家の前の小川があふれて滝のような音がする。母は

久保木で出産があるので午前中行っていた。私は今日は筆がよく運び1回分を書き上げ

た。夕方ごろから久保木の容態が悪く母と妹が交代で見に行った。

7日

 晴天。午前中はがんばって小説を書いた。小笠原さんのところから先生が手紙をよこ

した。数詠みの会を断ったからだ。「今日は田中さんも伊東さんも不参加で淋しく、

清書する人もいないのでぜひ来てほしい」とのこと。支度して行く。みなすでに詠い

終わっていたので、清書しながら自分も4題詠じた。先生は用事があるとすぐに帰った

ので残って点数を見ると長齢子さんが高得点だった。日没少し前においとました。

今夜の月は特に美しい。

8日 晴天。渋谷さんから手紙、小笠原さんからも葉書が来た。

9日 晴天。兄を訪問して日没まで遊ぶ。帰った後大雨車軸を流すように降る。

  山崎さんより葉書。

10日

 大雨。早朝に田中さんが車でやって来て今日の稽古に出席するようお願いされたので

「それなら」とすぐに小石川へ行く。稽古はなくて先生は出かけるところだった。しば

らく残って加藤の奥さんと話をした。先生の行いを聞いて大変心が痛んだ。みの子さん

も来てしばらく話して昼頃帰宅。午後姉が出産したが、死産だったとのこと。夕方ごろ

お見舞いに行った。野々宮さんに明日の稽古の断りの葉書を出した。

11日 晴天。

12日

13日

14日 この3、4日大忙しで日記どころではなかった、といっても書くほどのことも

   なかった。 

15日

 小説「うもれ木」ができたので田辺さんへ持って行く。途中から雨になったので車に

乗る。彼女は結婚が決まったのでこれからは筆を取るのが難しいだろうと話す。私の

小説は雑誌に掲載するより単行本にした方が今後のためによいだろうと言う。「私一人

では心細いので、田辺さんにも何か書いていただけたら驢尾の青蝿(尻馬に乗る)で

幸いなのですが」とお願いすると「いえいえそれどころではない、かえって蛇足(無用

のつけたし)になるでしょうが4、5枚書きましょう」と承知してくれた。「半紙版で

二つ折りの小型にして、美しい表紙をつけましょう」と言う。明日すぐに金港堂に送る

が、10日くらいかかるだろうとのこと。

16日

 晴天。図書館に小説の種を探しに行く。「春雨ものがたり」「丈山夜譚」と「哲学界

雑誌」などを読む。帰りに荻野さんを訪ねて奥さんから新聞を借りた。日没前に帰宅し

夜は朝日新聞を読んだ。野尻さんと石井さんに手紙を出す。

17日

 晴天。今日は田中さんの歌会があったが、行かずに図書館へ行った。「奇々物語」

「くせ物語」「昔むかし物語」「各国周遊記」「雨中問答」「乗合ばなし」など借り

る。4時頃図書館を出た。山下直一君が来た。この夜は何もせずに早く寝た。

18日

 晴天。野々宮さんが稽古に来たが今日は用事があると昼に帰宅。昼過ぎから諸仏典の

経文を少し詠んだ。習字を2回ほどしてから万葉集を詠んだ。夕暮れ邦子と散歩した。

右京山で虫の音を聞き、田町通りから本郷台に上って大学前辺りまで遊んで帰る。二人

で母の肩をもんで寝かせてから近松浄瑠璃集を読む。

19日

 起きてみると雨。明け方前の庭の草むらでこおろぎが鳴く声が哀れだった。掃除を

してから机に向かうと、雨だれが軒端の蘭の葉にぽたぽたと垂れ、冷たい風が吹いて

季節の移ろいを感じる。

20日 雨。

21日 雨。山梨から「甲陽新報」が来た。伊東夏子さんから手紙。

22日 雨。「甲陽新報」が来た。

23日 

 雨はまだやまない。早朝野尻さんから手紙が来て「『甲陽新報』に載せる小説を書い

てほしい」とのこと。前田家から各評のことでお使いが来た。午後小石川から葉書が

来る。私は今月に入ってから思うところがあって、誰の歌会にも出席していないので、

それをいぶかしんでのこと。ともかく明日の歌会には出席しようと思う。日没少し前

から大雨が盆を返すように降った。母が明日は行くのをやめた方がよいと言うので、

先生にはその旨手紙を出した。

24日 晴れた。終日小説に従事。夜は一晩中降る。

25日 晴天。野々宮さんが来て3題詠じ、4時半まで話をした。日没後邦子と勧工場 

   を1、2軒見に行って早く寝た。

26日 晴天。早朝中島先生を伺うと、大宮公園で秋草を見ようと誘われて11時の汽車

   で行き、3時の汽車で帰った。

27日 晴天。日没少し前に中島先生に「平家物語」を持って行った。

28日 田辺さんから葉書が来た。

29日 事無し。兄が美濃へ行った。

30日 同じく。

10月1日 晴天。小石川稽古。特に事無し。

2日 

 晴天。田辺さんから「『うもれ木』はひとまず『都の花』に掲載したいと金港堂から

言ってきた」と葉書が来た。「原稿料は1枚25銭とのこと、異存はないですか」とあっ

たのですぐに「承知した」と返事を出した。母がその葉書を持って三枝さんのところへ

今月の費用を借りに行くと快く了承してくれて6円借りてきた。「うもれ木」で10円程

もらえそうだからだ。この夜邦子と下谷ステーションから池の端界隈を散歩した。

3日 晴天。これよりしばらくこと無し。 連日の雨や 机と御親類

11日

 雨の合間。野々宮さんが来た。岩手県に新高等女学校が開校されるため招かれ、学監

の職を任じられて14日に行くことになったのだが、教科書にわからないところがあるの

で聞きに来たとのこと。「和文読本」4冊について話し合う。彼女から駒下駄一足を

いただいた。こちらからもお餞別としてありあわせの半襟を贈った。夜になるまで話を

して帰った。

14日

 連日降った雨も止んだ。野々宮さんの出発が昼前なので邦子と早朝に家を出た。途中

安達さんへお見舞いに行く。「よう」という腫物を切開したとのこと。年老いているの

で心細いのだろう、涙をこぼしながら話をした。ステーションに着いたのは11時近かっ

た。野々宮さんに会う。送る人は10人ばかりいて、毛利すま子さんや大島みどりさん

など知り合いがいたので挨拶をした。汽車が動き出すと何となく心細かった。その後

根岸付近を見物した。雨上がりの道に難儀して邦子は大変弱り、大学の裏門まで来た頃

には足も上がらない状態だった。何とか帰る。

15日 晴天。小石川の稽古に久しぶりに行く。榊原家の令嬢が今日から通って来て

   いる。

16日 晴天。田辺さんを訪ねる。

17日 雨天。上野房蔵さんが来た。

18日 同じく。野々宮さんから無事着いたと知らせが来た。

19日 

 いい天気。西村さんが来た。母は小林さんと菊地さんを訪ねた。「都の花」に掲載

される小説の原稿料が、金港堂に預けてもう1ヶ月くらいになるのにまだ入らないの

で、毎日首を伸ばして待っているばかり。母は手元の苦しさをしょっちゅう訴える。

それもそうなので今月中に何とか入金の道を考えねばと頭を悩ませる。「甲陽新報」へ

も6回分の小説を送ったがこちらも何の返事もなく、毎日送ってきてくれていた新聞も

この3日ばかり来ない。あれこれ煩わしいことばかりで夜になっても眠る気になれず、

2時過ぎまで読書をした。

20日

 いい天気。昨夜夜更かしをしたので少し朝寝をしていたら、「甲陽新報」が届いて

いた。邦子が枕元でいち早く広げて「あ、今日から『経づくえ』が出ているわよ」と

大きな声を出したので、私も急いで起き出してそれを見た。今月6日頃に送ったものだ

ったので、この分なら残りを書いて送っても没にはなるまいと安心した。それにしても

我ながら恥ずかしい心持ちだ。知識も足らず学歴もないことを十二分に知りながら、

文学の中でも特に難しいという小説を書いて一家3人の生活を支えようなどとは大胆と

いうか身の程知らずというか。人は知るまいが夜中に目覚めた時など背中に汗が流れる

ほど心苦しいのだ。しかしこれをしなければ母を安心させることも家の名を上げること

もできない…。

21日

 図書館へ行く。留守中に金港堂の編集者藤本藤蔭氏が「うもれ木」の原稿料11円75銭

を持って来て、頼みたいことがあると言っていたとのこと。明日朝早く訪ねてみようと

思う。

22日

 小石川の稽古日であるが、藤本さんの約束があるので早朝車で猿楽町まで行き、初め

てお会いし様々な話をした。「都の花」新年号の付録に松竹梅の三福として田辺さんと

私、あともう一人の女性作家で著作をお願いしたく、すでに田辺さんには依頼したが

「考えます」との返事だったので、何とぞ相談の上二人で三福それぞれのの題を決めて

ほしい、その一つを佐々木竹柏園さんか坪井秋香さんに頼むつもりだということだっ

た。帰ってすぐに小石川に行った。大雨だったが帰る頃には止んだ。

23日 母は三枝さんに6円返しに行った。三枝さんも大変喜んだとのことだった。

24日

 大雨。午後から番町の田辺さんを訪ねた。留守だったのでお母様としばらく話した。

帰り道半井先生のところの女中に会ったので先生の近況を聞いた。万感胸に迫ってこの

夜は眠れなかった。

25日 晴天。母は田部井さんを訪ねた。西村常さんが、張り物板がないのでこちらで

   張らせてほしいと来た。