塵中日記

4日

 晴れ。神田で買い出しをする。久しぶりに伊東夏子さんを訪ねた。話すことが多く、

日没近くまで語り合った。「宇治拾遺」と「西行撰集鈔」を借りた。

7日

 晴れ。多丁に買い出しがてら、喜多川さんに菓子箱を返しに行った。帰り道奥田さん

に利子を払いに行く。この日は伊三郎さんに5円借りた。高利で俗に「日なし」という

もので、こんなことをするのは初めてだ。夜山梨に手紙を出す。後屋敷に(父が貸し

た)金についてと、雨宮にもそれを頼む内容。

8日

 晴れ。母は久保木に金を頼みに神田から本郷へ行く。浅草紙二締め仕入れる。

 伊東さんから聞いた話で、星野天知さんがこの道に入って心を尽くしているきっかけ

が大体分かった。まだ若い頃のこと、芸者であろう、普通の娘さんではない人に心を

迷わせて、ついには頭がおかしくなってしまい小石川の病院に長く入って癒したのだそ

うだ。「やはり、彼の悲恋の気持ちが常に流れている文章が私たちの胸を打つのは、

そういうことがあったからなのだ」と感慨深かった。哀れで儚い話である。最近思うの

は、空の月や太陽に雲がかかり、もやがかかってもその上は晴れ渡っているように、

楽しみや苦しみから身を離して一人静かにしているべきだろう。そうでなければ迷いの

雲に度々襲われて、片足は地に、片足は天に、白糸と黒糸のように思いは二つに分かれ

てさらに苦しまなければならない。聞きただすことはできないがあの人の思いをとても

哀れに思う。

16日

 雨宮さんに葉書を出す。頼んでいた後屋敷のことで今日まで何の返事もないからだ。

日没前に伊三郎さんが来ていろいろ話をし「はがきや手紙などでは到底話がつくもので

はない、一度あちらに行ってみてはどうか。もう今年も暮れるし、来年になどといった

らまた延び延びになってしまう。私が送って行ってあげるからあまり先にしないでくだ

さい。今日の返事を待ってからなどと言うのも煩わしいこと、行くのならすぐ行きまし

ょう、天気の心配もなさそうだから今夜支度して明日の早朝に」と話を進める。そこま

での考えも持っていなかったが、母も邦子も私も夢のような気持で「では行きましょ

う」と約束してしまった。「あまり早くに家を出ると近所の人にどう思われるか」と

いうことで今夜伊三郎さんの家に泊まって明日一緒に出ることになった。急な話で本当

に起こったことのように思えない。伊三郎さんが一足先に出て、母は邦子が送って行っ

た。旅費や汽車の手配などすべて伊三郎さんがしてくれた。

17日

 寒さが言葉にならないほどだ。母のことを思うと邦子も私も一日胸が痛み、ちょっと

したことにも涙が出た。

18日

 夕方近くに後屋敷から広太郎さんが来た。私が出した手紙について、雨宮さんからも

話があり「このままにしてはいけない」と上京してきたとのこと。しかし請求に対して

は異論があるような口ぶりだった。「何はともあれあの人が来ることを知っていたら、

母を長旅になど出さなくてよかったものを。雨宮さんもあの人も手紙をくれなかった

ことが悔しい」と彼が帰った後に邦子と話した。

19日

 伊三郎さんが留守の家に利息を持って行く。待乳山下に凧を仕入れに行った。母に

手紙を出そうと思ったが、広太郎さんが電報を打つと言っていたので、それなら今日か

明日には帰るだろうと待つことにした。

20日 まだ便りがない。

21日

 いまだにない。昼も夜も邦子と話すのはこのことばかり。お互い不安のあまり言い

争いになることもある。毎日涙で暮らしている。

 21日、雨宮さんから手紙が来た。19日に出しているのに母のことが一言も書いていな

い上、広太郎さんの上京のこともない。「話し合いの都合は悪くない。一週間以内には

何とかなりそうだ」とのことで、彼の志だと500円の為替が入っていた。この人に金を

借りようとは思っていないのに。

22日 何の便りもない。

24日 伊三郎さんの家を訪ねると広太郎さんは昨日帰郷したとのこと。

25日 伊三郎さんの奥さんが来て今日か明日には帰って来ると話した。

26日夕方

 母が帰って来た。旅疲れもなくとても嬉しい。後屋敷での話については全て書ききれ

ない。母が一銭も持って帰らなかったことで大体のことはわかるだろう。帰りの費用は

宇助さんが出してくれたとのこと。

27日 初雪が降った。母は一日休んでいる。天知氏から手紙。

28日

 母は寺参りに行った。(兄の命日)伊勢利から通運便で5円5銭届いた。奥田さんに

払う元金と利息になる。天知氏からも同じ便で1円50銭送ってきた。『文学界』12号に

出した「ことのね」の原稿料だ。平田さんから手紙が来て今日から大宮の方に行くとの

こと。新年にまたお会いしましょうなどとあった。

29日

 奥田さんへ金を持って行く。神田で買い出しをし、小石川の先生にお歳暮を持って

行く。くら子さんに会った。話すことが多かった。あちらは別天地である。

30日 お餅をついた。1円。上野さん親子がお歳暮の挨拶に来た。議会は解散。

31日 商売が忙しく2時頃まで起きていた。

27年1月1日

 朝方雪が少しちらついたがやがて晴れる。今日の忙しさは例えようがない。終日邦子

と立ちっぱなしだったといってよい。新年のあいさつに来た人はなし。

2日 昨日に同じ。西村さんが挨拶に来た。久保木さんも来た。

3日 上野房蔵さんが来た。佐久間夫妻も来た。

4日 伊三郎さんが来た。神田に買い出しに行った。

5日から日常に戻った。

6日

7日 芝から兄が来た。向かいに同業の店ができた。

8日より商売が暇になった。ほかに書くこともない。

10日 

 平田さんから手紙が来た。5日に帰ったとのこと。今月の雑誌に何か書いてほしいと

ある。最後に古藤庵無声(島崎藤村)が家を訪ねたいと言っていたと紹介された。

 年賀状を出したのは、山梨の野尻兄弟、雨宮、古屋、越後の坂本さん、札幌の関場

さん、東京では三宅、伊東、田中、半井、桜井、喜多川さんと兄。くれた人はこの人達

の他に志方さんなどがあった。

13日

 午前中星野さんが初めて来た。思っていた感じとは違い、とても物馴れた、気安い人

だった。年は30歳くらいだろうか、小柄で色が白く、八丈木綿の着物に黒紋付きの

羽織、二重廻しをはおってきた。話はたくさんあったが書ききれない。

14日

15日 

 平田さんより手紙。寺の下宿は寒さがひどいので近くの横川医院というところに引っ

越したとのこと。その内お訪ねしますとあった。今日は商売がとても忙しかった。

16日

 晴れ。一日忙しくちょっとの暇もなかった。坂本さんより手紙が来た。新発田区の

裁判所の判事になったとのこと。この夜吉原で繭玉を買った。

17日 晴れ。いつもと変わらず。須藤さんが来た。

18日 晴れ。

19日 晴れ。終日何もなし。夜から明け方まで読書した。

20日 

 晴れ。植木屋の寅次郎さんが来た。午後平田さんが『文学界』への寄稿について聞き

に来た。幸田露伴の「五重塔」を貸してくれた。

 男性は重々しく、口数は多くない方がよい。といってことさらにつくろうのは憎らし

いが、いつも心得顔で馴れ馴れしいのも、いくら才が高く学が広くても何となく侮られ

るものだ。春の花のように麗しくなくてもよいが、雲がたなびく高山が尊くもあり怖ろ

しくもあるような、そっと仰ぎ見ると何となく懐かしい景色を含んでいるような感じが

よい。

2月2日

 年始回りに行く。着るものは一枚残らずよその倉に預けてあるのでよそに着て行ける

るものがない。邦子が一生懸命工夫をして背中や前袖や襟を様々にはぎ合せて、羽織

さえ上に着たら一枚の着物に見えるように縫ってくれた。それを着て出たが、風が吹く

たびに着物が見えないようにする努力は並々ならぬことだった。寒風が顔に吹きつけて

耐えがたいほどの寒さなのに冷や汗ばかり流れた。今月はどこからも金の入る当てが

ないので、友達の家に行って頼んでみようと家を出たのだった。とはいえ伊東さんから

は以前借りたものが多くあり、私の心をよく知っているとは思えない人にはそのような

ことは頼めない、どうしようと考える。あの西村さんなら財産もあり満ち足りているの

だから5円10円の金くらいすぐに出せるだろう。私はこびへつらってまで人の恵みを

受けようとは思わない、嫌ならくれなくてよい。竹を割るようにさらっと聞いてだめな

ら退けばよい。車を坂本から雇って、まず湯島の安達さんを訪ね、久保木さんにあいさ

つをし、すぐに小石川へ行く。西村は後でと門の前を過ぎた。先生の家の前で車を返し

て中に入るとくら子さんが折よく居合わせた。いろいろ話をする。先生の話では三宅

龍子さんが歌塾を開こうとしているとのこと。それは雄次郎さんの稼ぎが乏しく家計が

足りないので、例の才女であることからそれを思い立ったのだろう。先生は私にも開く

ようにひたすら勧める。「この機会を逃さずに世に名前を出したらどうです、発会の

費用など思いわずらわなくても大丈夫ですよ。どこからでもなんとでもなるものです

し、かえって利益が出るのですから」と熱心に勧めるが、聞き入れずにお断りしている

と先生は「ほかにも話があるので近い内に来てください」と、今日は末松さんの稽古日

だとのことで出る。私もすぐにおいとまして西村へ、昼食をごちそうになり話をいろい

ろした。金については明日返事をするとのこと。ここから車で神田に行くと藤蔭氏は

根岸に引っ越したとのことで、無駄足だった。夏子さんを訪ねると家を売って明日か

明後日にはどこかへ引っ越すとのことでひっくりかえっていたが、その中で話をした。

夜遅くまでいて車を雇ってもらって帰る。

2月17日

 平田さんから『文学界』への促しの手紙が来る。星野氏からも同じ内容で来た。

18日 19日 執筆に忙しい。小説「花ごもり」4回分20枚ばかり書く。

20日 清書して午後、平田さんに送る。

22日 洗髪。

23日 

 根岸に藤蔭氏を訪ねた。お嬢さんの戸籍を別にしたという話があった。ほかに文学の

ことでいろいろ話があった。今日は本郷に久佐賀義孝という人を訪ねようと思っていた

ので、長居せずに出る。久佐賀氏は真砂町に住んでおり、天啓顕真術で有名な人だ。

浮き世に捨てたこの身体をどこに投げ出そうかと思った時、学があり、力があり、財力

のある人の元でおもしろおかしく、すがすがしく勇ましく世の荒波を漕ぎ渡ることが

できたらと、全く見知らぬ人ではあるが紹介してくれる人もいないので、自分から会い

に行ってみようと思ってのこと。